つらつら日暮らし

「昭和の日」に昭和初期の日本仏教を考えてみた

今日、4月29日は「昭和の日」である。命名の由来は、元々昭和天皇の天皇誕生日だったのだが、昭和天皇が崩御されて、年号が平成となってから、しばらくの間、「みどりの日」として定着した。これは、ちょうど5月の連休(ゴールデンウィーク)の入りとして日付が適切だったからだろう。

しかし、2007年から「昭和の日」として改称され、ご存じの通り、「みどりの日」は5月4日に移動したのである(それまでは、何となく憲法記念日とこどもの日に挟まれた普通の休日であった)。

ところで、今回、改めて「昭和の日」について考えようと思い、「昭和元年」に刊行された仏教関係の文献を探ろうと思って調べたのだが、思った以上に出てこない。「大正15年」刊行の文献は一定量あるが、「昭和元年」は無い。そして、それはそのはずで、大正天皇の崩御は年末の12月25日であった。そして、翌日に昭和天皇が即位され、元号も「昭和」となったため、いわば、「昭和元年」は一週間程度しかなく、また、年末だったので、新しく刊行される文献も無かったのだろう。

これには、今回、記事を書くまで気付かなかった(或いは、忘れていた)。なお、同じように昭和の最後の年、昭和64年も7日間しかないので、この年に因む事象は極めて少ない。ほとんどは、「平成元年」のことになっているのである。

ということで、色々と思ったのだが、とりあえず時代感覚を考えてみるために、「大正15年」でも、その年の後半に出た仏教関係の文献などを幾つか見ておきたいと思う。

そこで、今回選んだのは以下の1冊である。

・河口慧海『在家仏教』世界文庫刊行会・大正15年8月20日発行

河口慧海師の『在家仏教』には、興味深い一節を含んでいたので、その雑感というべき記事を書くこととしたいが、まず気になったのは、「ウパーサカ佛敎」という語句についてである。これは、本書の第五章のタイトルにもなっているのだが、これだけいわれても、「ウパーサカ?」という思いを抱く人が多いかもしれない。

この「ウパーサカ」だが、音写では「優婆塞」となり、意訳では「清信士」などの語句が用いられるが、いわゆる男性の在家信者を指す言葉である。河口師は、在家仏教の提唱を本書でしているので、このことを書いた。なお、何をもって「ウパーサカ仏教」にするのかだが、「されば現代及び将来に最も適当した宗教はウパーサカ仏教のみである」(本書244頁)と断言しており、更に、ウパーサカ菩薩僧・ウパーサカ僧という言葉も用いているが、いわゆる大乗菩薩僧を基本としていることが分かる。しかも、これは大乗仏典の中に出てくる各菩薩僧を理想としており、例えば、日本仏教に於ける現実の教団所属の僧侶を考えているわけでは無い。河口師はその理由を、日本の仏教教団は、実態として持戒をしていないけれども、それを目指す上に於いて、比丘僧に所属しており、ウパーサカ僧では無いとしている。

それでは、具体的に「ウパーサカ僧」とは何を指すのだろうか?本書で示す「ウパーサカ仏教」の伝統を見てみると、釈迦牟尼仏―文殊師利法王子―弥勒菩薩―聖徳太子と続くという。つまり、本書は大乗仏教及び、聖徳太子鑽仰の一種と言える内容であった。そして、実修上としての方法は、「懺悔・帰依三宝・受持五戒・発菩提心・修(入)菩薩行・観釈尊・報恩廻向」であった。よって、「ウパーサカ僧」と、一般的な「比丘僧」との違いは以下の通りである。

そうして比丘僧とウパーサカ僧の相違は何であるかと云へば比丘僧は出家して具足戒を持つもので、解脱すれば阿羅漢となるのである。ウパーサカ僧は在家のまゝ三帰五戒を持つて菩提心を起し、菩薩戒を持つて悟を開けば、菩薩となるものである。
    『在家仏教』287頁


以上である。更に、この「菩薩戒」について、本書ではそこまで詳しくは説かれていないけれども、おそらくは「五戒」についての菩薩的運用を指すものだろうか。それから、在家という立場を強調しており、いわゆる出家主義的では無い。その点から、例えば、専門家としての葬式での引導、祈祷などは行わないとしている。一方で、安心決定の根本である、釈尊への帰入、或いは五戒の実行による、菩提心の発露をこそ訴えているのである。

しかし、河口師の主張とは、実際にはどのように受容されたのだろうか?個人的な印象ではあるが、どうも、ウパーサカ仏教は、実際の組織としての活動はしづらいように思う。本書では既に、現実の各宗派の僧侶は全否定しており、また、各自がウパーサカ僧として生きていくための方法もまた、非常に狭い範囲にしてしまっている。端的に、「お金の無いところに、人は集まらない」という、極めて俗的な表現が許されれば、結局、人の集まりようも無かったのではないだろうか。

一人の頭脳の中にある理想、或いは、そのように活動出来る人が、共感を得ない方法で模索された細き道であったとすると、これは本当に大乗仏教的なのだろうか?とも思う。もちろん、当方の大乗仏教に対する理解や観念が極めて狭いものだという可能性はある。とはいえ、昭和時代の仏教は、以上のような言説・活動を含みつつのスタートだったわけである。

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