つらつら日暮らし

マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・22

ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載22回目である。

22 それどころか教皇が、この世で教会法の定めに従って解決されねばならなかった〔のに解決されなかった〕罰を、〔今は〕煉獄にある魂においては赦すことができる、などということはない。
    深井氏下掲同著・19頁


この辺は、「赦しの秘蹟」の適用範囲というべきものだが、本来はその秘蹟の扱いを定める教会法の定義に従って、現世に於いて解決されなくてはならないことであった。

しかし、それがなされず、魂の救済の無いままに亡くなった人について、その魂は煉獄に行っているはずで、今更に煉獄にある魂については、『贖宥状』を用いたことに依る救済など、出来ようはずも無いと指摘しているのである。

そういう点からすれば、ルターに於ける救済観念は、もちろん、最終的には神によって救われることは間違いないところだが、そこに繋がる経緯として、現実を重視しているのかと思ってしまう。この辺は、機会を得て、ルターの他の著作などを見ることがあれば、更に明らかになるかと思われるので、今後の拙僧自身の学びに繋げていきたい。

【参考文献】
・マルティン・ルター著/深井智朗氏訳『宗教改革三大文書 付「九五箇条の提題」』講談社学術文庫・2017年
・L.チヴィスカ氏編『カトリック教会法典 羅和対訳』有斐閣・1962年
・菅原裕二氏著『教会法で知るカトリック・ライフ Q&A40』ドン・ボスコ新書・2014年
・ルイージ・サバレーゼ氏著/田中昇氏訳『解説・教会法―信仰を豊かに生きるために』フリープレス・2018年
・田中昇氏訳編『教会法から見直すカトリック生活』教友社・2019年

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