つらつら日暮らし

今日は富士山の日(令和4年版)

今日は、令和の時代には天皇誕生日ではあるが、2月23日は語呂合わせで「2(ふ)2(じ)3(さん)」となり、いわゆる「富士山」の日である。よって、今日は富士山のことを採り上げてみたい。

 上堂。
 参禅に妙訣無し、只だ教徹を打することを要す。
 疑情若し断ずる時、生死の路自から絶す。
 諸人の瞥・不瞥を問わば、富士山頭、六月に下雪す。
    『仏光国師語録』


仏光国師とは、鎌倉時代に来日して、鎌倉円覚寺を開いた無学祖元禅師(1226~86)のことである。これは、その上堂(公式な説法)の一つなのだが、富士山についての言及があるので、採り上げてみた。

内容は、参禅(禅問答)を行うのに、妙訣(良い教え)は無く、ただ教えを徹していくことが肝心である。心の疑いなどの分別的な働きが断たれれば、生死輪廻の道は自ずと絶していく。

しかし、目の前にいる大衆諸君が、真実の悟りをちらっとでも見えたのか、見えていないのかを問うことがあれば、諸君は、富士山の山頂は、六月には雪が無くなることを知るべきだ、といおう。

以上である。

それにしても、中国から来ていた無学禅師が富士山について論じてくれたのもありがたいし、六月に雪が無くなるというのも、鎌倉の辺りから普段に見ていたものだろうか。ところで、無学禅師の時代は、もちろん旧暦であるが、江戸時代、旧暦6月1日が富士山の山開きであった。

そして、ここで富士山を採り上げたのは、時期が来れば自ずと悟りが得られるという、或る種の「待悟禅」的発想だったものか・・・

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事