上堂。
参禅に妙訣無し、只だ教徹を打することを要す。
疑情若し断ずる時、生死の路自から絶す。
諸人の瞥・不瞥を問わば、富士山頭、六月に下雪す。
『仏光国師語録』
仏光国師とは、鎌倉時代に来日して、鎌倉円覚寺を開いた無学祖元禅師(1226~86)のことである。これは、その上堂(公式な説法)の一つなのだが、富士山についての言及があるので、採り上げてみた。
内容は、参禅(禅問答)を行うのに、妙訣(良い教え)は無く、ただ教えを徹していくことが肝心である。心の疑いなどの分別的な働きが断たれれば、生死輪廻の道は自ずと絶していく。
しかし、目の前にいる大衆諸君が、真実の悟りをちらっとでも見えたのか、見えていないのかを問うことがあれば、諸君は、富士山の山頂は、六月には雪が無くなることを知るべきだ、といおう。
以上である。
それにしても、中国から来ていた無学禅師が富士山について論じてくれたのもありがたいし、六月に雪が無くなるというのも、鎌倉の辺りから普段に見ていたものだろうか。ところで、無学禅師の時代は、もちろん旧暦であるが、江戸時代、旧暦6月1日が富士山の山開きであった。
そして、ここで富士山を採り上げたのは、時期が来れば自ずと悟りが得られるという、或る種の「待悟禅」的発想だったものか・・・
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