上堂、
今朝九月初一、
打板して普請坐禅し、
第一に瞎睡を切忌し、
直下に猛烈なるを先と為し、
忽然として漆桶を爆破す、
豁すれば雲散の秋天の如し、
脊棒を劈り胸拳迸る。
昼夜、方に纔かも眠るべからず。
虚空消殞して更に消殞す、
透過の威音、未だ朕前たり。
咦。
栗棘金圈恣ままに交𫋴し、
凱歌高賀して風顛に徹す。
『如浄和尚語録』
中国禅宗の天童如浄禅師(1165~1227)の上堂語である。問題は、「今朝九月初一、打板して普請坐禅し」のところである。どうも、当時、南宋時代の中国禅林では、盛夏となる6月1日から9月1日までは、木版などを鳴らさずに、普請坐禅をしなかった。その代わり、随意坐禅を行ったともいう。
また、普請坐禅を行うにあたり、如浄禅師の注意はとにかく、寝ないように、というものであった。寝ずに、猛烈に坐禅し、漆が塗られた桶をも爆破するように、自らの迷いなどを粉砕すべきだ、ということであろう。勇猛さを示した坐禅であったことに興味を得るものである。
ところで、この「九月一日」の話だが、「六月一日」と対応するように、以下のような文脈も存在している。
・六月 初一日、隆暑なり、首座、坐禅板を鳴らすことを免ず。
・九月 初一日、首座、復た坐禅板を鳴らす。
『勅修百丈清規』巻7「月分須知」
このように、6月には「隆暑」であるから、首座が坐禅板(坐禅の開始を知らせる木板)を鳴らすことを免じ、9月にはまた、坐禅板を鳴らすようになるという。この『勅修百丈清規』は成立が元統3年(1335)とされるから、宋代から元代にかけて、禅林にこの作法が定着したことを意味している。
現在の暦としては、10月の話ではあるが、季節としては秋も深まることであり、涼しくもなるので、坐禅に適していることはいうまでもない。よって、今日はまだ随意かもしれないけれども、文明の利器としての冷房器具もあるので、上手く活用して、坐る時間を確保したいものである。
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