一僧有り、山下の卓庵に在りて、多年に剃頭せず。一つの長柄の杓を蓄え、渓に就いて水を取る。
問有り、如何なるか是れ祖師西来意。
僧、杓を提起して云く、渓深く杓の柄長し。
師、之を聞きて云く、也た甚だ奇怪なり。一日、剃刀を袖にして、侍者を同じて之を訪う。纔かに見ゆるに、便ち問う。道得すれば即ち汝の頭を剃らず。
僧、便ち頭を洗い、師の前に跪づく。
師、便ち与に剃却す。
『聯灯会要』巻21「雪峰義存禅師」章
これは、雪峰義存禅師の下で修行していた、或る僧侶の問題を扱っている。それは、雪峰の下を離れてから、山下に庵を結んでいたが、永年剃髪していなかったという。そして、一本の柄の長い柄杓でもって、川の水をすくっては用いていたのだろう。そして、他の僧侶が来て、この者に、「祖師西来意」を問うたところ、ただ、自らが持つ柄の長い柄杓を提起しながら、谷が深ければ、柄杓の柄は長い、という一句のみを答えたという。
そこで、この問答に不審を抱いたのが、雪峰禅師である。おそらくは、髪が長い様子であったことも聞いたのであろう。剃刀を自らの袖の中に入れて、侍者を連れてその者の下に行った。そして、見付けると、何の前提も無しにいきなり、「道得すれば、そなたの頭は剃らないでおこう」とのみ告げた。
すると、その庵主は、頭を洗って、雪峰禅師の前に跪き、剃って貰うのを待ったため、雪峰禅師はその者の頭を剃ったという。
この問答、上記の通り『聯灯会要』では、言葉が省略されすぎていて、少し分かりにくいかも知れない。『圜悟録』巻17「拈古中」では、もう少し言葉が丁寧に紡がれているので、前後関係などの理解がしやすいが、一応、上記の解釈の時にそれを反映させているので、参照されたい。
それにしても、考えてみたいのは、この時、雪峰禅師が何故、「剃刀」を持っていったのか?ということである。これが、ただ単純に規則に従わせたのみだった、とするのは理解が浅いといえよう。読み解く鍵は、「祖師西来意」であり、これは端的に「仏法の働き」ということである。
そうなると、先に挙げた庵主が「渓深く杓の柄長し」と答えていたのは、自然の様子にぴったりと人為を合わせたという観点では優れているかも知れないが、自然解的でもある。つまり、自然解に加えて、更に仏道ならしめる努力を要するともいえる。特に雪峰義存禅師は【雪峰義存禅師の出家事情】でも書いたように、かの唐の武宗による「会昌の破仏」の影響を受け、出家時に苦労された印象もある。
そのため、雪峰禅師は髪を伸ばしっぱなしだった庵主に仏法の働きを観取せずに、ただ、「道得すれば」という問答を仕掛け、仏法の働きのままに剃ったという話になるだろう。これは、剃髪の有無について、規範であった、というよりも、それを超えて仏法の働きをどう見るか?に係る話である。
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