教室に花を飾ることを始めた小学教員の時代から、やがて、校庭の一部に栽培したり、校舎のどこかにアレンジ花を置くということを、定年退職まで続けました。
頼まれたからしたことではありません。経費もほとんで自弁でした。生徒のために・・・ではなく、自分のために、自ら進んでしたことです。「三度笠の旅道中」さながらの、転勤、転勤の教員暮らしでしたが、「園芸部」のあった学校は、たったの一校だけでした。
花を育てるということは、ただ登校時に水を遣るだけでは済まなくて、夏休みでも学校に足を運ばねばなりません。また雑草をとるという作業、後始末、もろもろしなきゃいけないことが伴います。
自発的に、みずからの愉しみとして続けたことでしたから、いろいろな思い出も残っています。
思い出したくない、辛い出来ごともありました。せっかく育った
向日葵を折られていた・・・。赴任したばかりのその中学は、「えっ!これが学校!」と愕然としていました。たばこを吸いながら登校。廊下に落ちた吸殻を拾い、廊下に張り付いたガムを削り取る日々・・・。
しかし、同じ春に赴任した数人の教師は、
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