典虚てん手古舞

我が“為”の日々を振り返りつつも、逝き時を待つ日々を悔いなく一日一生

おもんばからい

2014年11月21日 | <新聞>

 まっ、とにかく 幸せ感たっぷりの、暖かい日でした。

 他者のまなざしを気にしたり、実際は「強いられている」自分の在りようを見抜き、わたしは「私」と突破する・・・。

 まあ、まあ、歳や経験を重ねるにつれて、自分の「やり方」が、周りに負担をかけたり、彼らの自尊心を傷つけていることには・・・。

 さて、見出し画像は、私の住まいするマンションの玄関先の昨日の朝。空き缶・ペットボトルの回収日なのに、なんで人参、野菜なの   

 先日のように、血のついた生理用品・パットのときは、片付けました・・・。それは、この道を通る人たちを不愉快にさせたくないからです。

 私は管理費を払って住んでいる側ですから、「責務」とかはありません。

 ただ・・・。

 それを自分は関係ないからと、無関心でいていいものか?

 しかし・・・。

 昨日は、家庭ごみの回収日ではなく、管理会社から委託されている清掃のおばちゃまも来ない日です。

 私は、このゴミを出したマンションの住民に気づいてもらいたいと、敢えて片付けませんでした

 環境局の回収車の方々は、どんな眼差しを向けられたのでしょうか。

 丸1日、この袋は、放りぱなし・・・。

 本日午前、清掃にいらしたおばちゃまに、「敢えて・・・」の意図を告げました。

 まっ、続きは。

 しかし、大阪市のごみの分別、どんなに時間がかかったか? みなさん、いかが?

 そして、行政からのゴミ分別の、ていねいな、「お知らせ」だって、細かい、日本語の文字やもん

 けれどもね。このゴミを出している部屋の人たちのことを思いはかると・・・。

 おそらくは、不用品とかゴミとかに関しての認識の差異の問題なのでしょうか。

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