典虚てん手古舞

我が“為”の日々を振り返りつつも、逝き時を待つ日々を悔いなく一日一生

わたしの1985年夏の

2016年09月28日 | 【整理整頓】物品財から人生まで

 早くケリをつけたいと、かって作っていた個人通信の残部を廃棄・・・。

 イラストは、スケッチブックにあるだろうし、所詮「絵」だから、きちんと整理しようとは思わないけれど、パソコンは当然、ワープロも普及していなかった時代です。原稿も手書きで、墨字の文章もありの通信でした。

 メンタルの病が再発する手前の2001年1月の49号を最後で、以降わたしは「音信不通」になった・・・。年末に引越ししたため、「宛先人不明」。トラウマ再発の後遺症は今も残っており、はがき・手紙を書くことが困難だ、今なおネ。

 しかし、このブログも10年をこえ、前のサイトや掲示板のお蔭で、日常の人間関係では支障なく、振舞って暮らしてるかな?

 そして、幸いにも「癌」を患ったことによって、「最期」を常に意識して、「自分が生きた人生」を整頓しておきたいと思うのであるわよ。ところが「自分史」なんぞは、まっぴらごめんである

 ただ、1985年夏8月、「日本海時代の祭典」田辺天神崎の集まりの後に作成した「第9号」の冊子が見当たらなくて、気色悪いというか・・・。

 しかし、30年前の自分の文章を読んで呆れることは、人間の思想、生き方というものは、ちっとも変わっておりゃせんのう。

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