典虚てん手古舞

我が“為”の日々を振り返りつつも、逝き時を待つ日々を悔いなく一日一生

赤いファイルは通信使の

2017年11月01日 | <歴史>
 ファイルの表を対馬開けると、辛基秀先生のテラコッタ像写真が…。 
 2002年12月22日午後2時からの「辛基秀さんを偲ぶ会の冊子です。その裏は、「琵琶湖周航の歌」…。

 このファイルの中には、1995年11月18日厳原町で開かれた「朝鮮通信使縁地連絡協議会」、略して「えんちれん」のシンポジウム資料を初め、フィールドワーク資料、絵葉書、『体系朝鮮通信使全八巻』のカタログも収めています。
 1995年夏の私は、朝鮮近代史の学習映像を作るため、天安の「独立記念館の展示の撮影がしたくて、そのツテが欲しく、辛基秀先生をお頼りしたのであります。

 この映像を作るために、まだ日本語訳が発行されていなかった韓国国定連歴史を、辞書引き引き、翻訳し、メンバーで学習会を数年、続けてきました。

 ついでながら、私の関心は、独立運動抗日武装闘争です。  対馬へは、「崔益鉉」の墓碑の修善寺に行きたかった?

 しかし、このファイルには、名護屋城の資料も入れています。「善隣友好」の交流のみを前面に出すだけでは駄目!

 その前の歴史があるんや!





テラタにあった青丘文化ホールを訪ねると、トビー
コメント    この記事についてブログを書く
« 今日はしらかし | トップ | ロビン、赤いロビン »

コメントを投稿