典虚てん手古舞

我が“為”の日々を振り返りつつも、逝き時を待つ日々を悔いなく一日一生

関東大震災で命がらがら

2017年09月01日 | 【雑記】東アジアの片隅で 

「関東大震災」は、私にとっても特別は日だ。
その時、丸ノ内の丸ビルで、パーティーの準備をしていて、儂は助かったと父
からあの界隈を歩く度に何もか聞かされた。

 東京慰霊堂の存在を知ってのちは、たちよ、見学と合掌をします。
あの恐怖の中で、自警団が治安のために動きだしたのは、当然の流れである。当時の在郷軍人達にとっては、「朝鮮人」は、怖い存在だったのである。
 朝鮮国は、はいそうですかとすんなり、植民地になったんだたわけではない。日清日露の戦争を経て、大日本帝国下のになっても、シベリアに基地を作り、上海には臨時政府もなし、抵抗運動、いや闘いは繰り広げられたのであり、これに対処したのは、「ふつう」の農民労働者だった兵隊の兄ちゃんと達だった…。

 恐怖が刷り込まれ、偏見となる。しかし、災害の恐怖のるつぼ、渦中に放りだされ時、恐怖は敵意に変じて、弱者に向けられる!

 この際、ちょうど自分の書いたレポートがあるので、事件のみ、羅列。1920.9 ソウル難題もン事件  1920.みつ  1921   1922   1923

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