典虚てん手古舞

我が“為”の日々を振り返りつつも、逝き時を待つ日々を悔いなく一日一生

ゆっくり朝を過ごすには

2012年09月24日 | 【食】日々の食から歴史まで

 夜更かしの割には、さっと目が覚め、「何とかしよう」と考えていた冷凍庫の中をやっつけました  上は玉葱のペースト、下左は海鮮類、右は肉類と位置は同じだけど、赤いプラスチックケースの出現?で、肉は赤・・・という次第でありますわ。所要時間4分・・・。6時09分の写真です。

  やはり、朝は炊き立ての飯がうまい 米を洗った後、ちょっと気になっていた炊飯器の掃除を串、綿棒、爪楊枝にふきんをつかって、これもやっつけた・・・。

 炊飯器が登場する前、いやもっと前かも知りませんが、かまどで御飯を炊くのは、朝じゃなかったでしょうか。

  朝の連続ドラマ、『カーネーション』や『梅ちゃん先生』でも、卓袱台で家族が揃って、一緒にご飯を頂いていますよね。手を合わせ、「頂きます」と言ってから、箸をもつ・・・。

 ふっと、こんなことを考えましたわたくしは、一冊の本を取り出し、パラパラとめくり始めました。    瀬川清子著『日本人の衣食住』、(「日本の民俗 2」・河出書房新社、1971年初版)です。以下、210ページからの引用です。

 以前は、家庭内でも食事はいつも家族そろって行ったもので、一人が食事をしなかったり、食事の時間におくれたりすることを非常に嫌った。毎日一緒に食べることが家庭というものの重要条件で、“同じ釜の飯”によって養われることが、親子・兄弟・夫婦・その他の家族の情緒をいやおうなしに育てていたことがわかる。/そうい家庭の中ではいっしょに食事をするというばかりでなく、自分だけ別なものを食べたり、自分ばかり好きな物を作って食べる、ということも嫌われた

 1971年は、大阪万国博の翌年です。当時、わたくしは大学三年、団塊の世代のシッポの年齢で、その子どもが今の30代半ばから50代の手前と仮定すると・・・。

 地方から都市へ人々が移り住み、何十年もの借金を背負ってマイホーム・・・。いくつもの部屋がある住まいのイメージが、内実を伴った「家庭」を薄めていったのかも知れませんね。

 そもそも、「家庭」という言葉をわたしは好みません。「世帯」かな? 温かいのは御飯と味噌汁だ~け!残り物に夕飯の試食がおかずでした。

 早起きをすれば、前から準備しておけば、お金をかけずに、「器」で勝負 古道具屋さんでも、面白い器ありますよ。でも、<モノ>を増やしちゃいけないから、買うのは1個だけ・・・。

 

 

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