テンのひとりごと

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道鏡ゆかりの地を訪れてー3

2017-04-06 16:58:50 | 旅行
更新が滞っており申し訳ありません。

さて、旅の続きですが、御前山を出て北上し、那珂川町へ
その後、武茂川沿いを北上して、「御前岩」へ...奇岩がありました。
御前岩物産センターで昼食を、天ざるにしました。そばと天ぷら美味しかったです。



那珂川町馬頭郷土資料館を経て、唐の御所へ。
横穴式のお墓ですね。



この後、道の駅ばとうへ行ったら昼時のせいもあってか、駐車場が満車状態、人もいっぱい
だったのと体調がわるかったので、宿へ向かおうと思い西へ...あまりにも早かったので、
翌日、行く予定だった栃木市大平町へ

途中、孝謙天皇神社付近で右胸に激痛が走ったりしましたが、なんとか目的地、如意輪寺へ
到着。


このお寺には、あっと驚く創建の由来や


境内にある七廻り鏡塚古墳発掘記念碑には


こんな記述がありました。


「道鏡と称徳天皇間に皇子がいて、英親王と呼ばれていた。」
親王ということは皇子として認知されていたということになります。もちろん「続日本紀」には
書かれていませんし、この時代が書かれた他の一般的な書物にも書かれていないと思います。
歴史家さんたちも「歴史書には書かれていないから」そんなことはないということでしょう。
しかし「歴史書」といわれるものは編纂された時代の統治者に都合の悪いことは書き換えられて
いて当然のものですから...
1200年以上前の伝承が残されていること、特に明治維新から戦中を経て、このような伝承が受け
継がれ残されていることに、どんなご苦労があったことかと頭が下がる思いです。



この後、「大平町歴史民俗資料館・郷土資料館」に行きました。七廻り鏡塚古墳の出土品等が展示
されています。ただし、ここにあるのは戦後に発掘されたもので古墳時代のものが出土しています。
明治時代にも発掘されていたのですが出土品は不明のようです。なにかしら怪しいような気がしな
いでもないですが、伝承を聞いた政府関係者が英親王時代のものだけを持って行ってしまったとか、
英親王時代のものがないのを確認して埋め戻したとか、疑惑が残ってしまいます。
「大平町歴史民俗資料館・郷土資料館」に行ったとき、日曜だったので、コーヒー券をいただいて
喫茶室が終了時間になるからと見学前に行ったほうがゆっくりできるといわれて、喫茶室に行った
らしまっていたので、あきらめて見学をしていたら、受付をしてくださった方と行き会い、事情を
話したところ、喫茶室まで案内し確認してくれました。美味しいコーヒーが飲めましたありがとう
ございました。旅先で心遣いに合うと本当にうれしくなります。

この後は一路宿へ、急に決めた旅立ったので、宿泊は少し遠くの西那須野のビジネスホテル「那須
パレスホテル」温泉付きだったので良かったです。