「頭角を現す皇子」
建武15年、劉秀は各地に耕地と戸口の調査を命じる。しかし、調査には膨大な人手がかかるため、撤回を求める声が高まる。
「思ったとおり耕地と戸口の調査に高官が反発しており、陛下は頭を抱えている」と過主と過珊彤に話す過康。過主は「陛下の考えは“国の本は民にあり”。でも実際は“国の本は豪族にあり”なのよ。墓穴を掘ったわね」と言う。調査には高官だけでなく陰家でさえ賛同しないと。「しかし調査が続けば各地で造反が起こり大勢の支持者を失うはずです。陛下の帝位は…」と言う過珊彤。過康は「己の地位の心配を?」と聞く。過主は「大丈夫よ。陛下と陰家を支持していた者は劉強に鞍替えする。陛下がどのように事態を収拾するか見ものだわ」と言う。
朝議。「戦中は土地や戸籍の管理が混乱を極めたゆえ、田地の面積を調べ戸籍を整備せよと命じている。なぜ従えぬ」と言う劉秀。劉秀は陳留都守に「報告書にある“潁川と弘農は問うべきも、河南と南陽は問うべからず”とは何だ?」と尋ねる。「私には分かりかねます。道で拾った木牘が奏上に紛れ込んだようです。お許しください」と答える陳留都守。傍聴していた劉陽は立つと「父上、それは各所の結果を踏まえ報告しろという都守の指示と思われます」と言う。「では、なぜ南陽と南陽は問わぬと?」と劉秀が聞く。
劉陽は「南陽は都で高官が多く、南陽は皇帝の郷里で親族が多い。目こぼしせざるを得ません」と話す。「陳留都守。一体、どういうことだ」と言う劉秀。陳留都守は「陛下、白状します。第四皇子のご指摘のとおりです」と言う。劉秀は「しからば、なおさら調査は中止できぬ。徹底的に調べるのだ」と告げる。
劉陽を見たあと、劉秀は小さくうなずく。
雲台殿。鄧禹は「こたびの調査は朝廷を揺るがしています。刺利や太守らは豪族の反発を恐れて調査を厳格に行なわず、そのしわ寄せを貧民に押し付けています。民が怒りを募らせれば、調査の中止を余儀なくされるかと」と劉秀に話す。政策自体はいいことですが、大勢の有力者が関わるため、わずかな動きが全国に影響を与える可能性も、と。劉秀は「予想はしていたが、ここまでびどいとはな」と言う。「厄介な問題だけに慎重にならねば、卑怯者に足をすくわれます」と言う鄧禹。
劉秀は「民のためだ。高官や豪族らの反発など朕は恐れぬが、麗華と劉陽に類が及ぶのは否めない。支持者を大勢失うだろう。あの2人には不利となる」と言い、鄧禹に奏上を見せる。「麗華が政に干渉しすぎだという奏上が殺到している。過家がこの機に乗じて事を起こさぬか心配だ。麗華と劉陽は窮地に追い込まれるやも」と言う劉秀。鄧禹は「では陰貴人と第四皇子をしばらく都から遠ざけては?」と言う。
麗華の元に来た劉陽は「母上、私たちは父上を支えるべきでしょう。なぜ都を離れるのです」と尋ねる。頬笑むと「父上のお力を信じなさい。これもすべて私たちのためよ。あなたは利口だけど、人心や政にはまだ疎い。時として本心を隠し、屈辱に耐えることも必要よ。お父上のためにもなるの」と言う麗華。うなずいた劉陽に、麗華は墨家と法家を教える。
却非殿の前で空を見上げている劉秀に「今日は日食ゆえ、天子は退避を」と麗華が言う。「来るべきものは避けられぬ。君には借りを返さねば」と言う劉秀。麗華は「何もいらないわ、体を大切にして」と言う。
2人が却非殿に戻ろうと歩き出した時、太陽が欠け始める。振り返る劉秀。そして太陽が隠れると劉秀は倒れてしまう。
寝台に寝かされた劉秀を診た侍医は「中風を発症されています。もはや人事を尽くして、天命を待つしかありません」と麗華と過珊彤に告げる。過珊彤より先に劉秀の手を取り「陛下、私を残して逝かないで」と言う麗華。麗華が劉秀の手を強く握りながら涙を流すと劉秀の目が開く。「陰貴人。なんて、はしたない。陛下のお身体に障るわ」と言う過珊彤。麗華は「皇后様、看病させてください」と過珊彤に頼む。しかし過珊彤は許さず「出ていって」と言う。それでも陛下と“生死を共にする”と約束した麗華は動こうとしない。
過珊彤は麗華を無理やり追い出し、自分が劉秀の手を取ると「陛下、ようやく静かに」と言う。身動きがとれず、言葉も発することができない劉秀は、目をつぶってしまう。「ここ数年、ご来臨が減りましたね。子供のこと以外では私と言葉を交わさない。陛下のため、毎日、着飾っています。目を開けてください。どうか私を見て」と言う過珊彤。劉秀は目を開き、哀れんだ目で過珊彤を見つめる。過珊彤は「そんな目で見ないで。ただ私のことを心の片隅に留めてほしいだけです。私が得られぬものは陰貴人にも与えません」と声を荒げる。そこに劉陽と劉強と一緒に麗華が戻ってくる。
麗華は跪き「皇后様、お願いするのはこれが初めてです。後生ですから、どうか私に看病させてください」と頼む。過珊彤は「何度もしつこいわね。一体、何を企んでいるの。安心できないわ」と言う。劉陽も跪き「母上は皇后様に背く気はありません。父上が心配なだけです」と訴える。同じように跪いた劉強も「父上に長年仕えた陰貴人にお慈悲を」と言う。「私に逆らった者によくも…」と怒る過珊彤。それでも劉強は「礼儀にこだわってる場合ではありません」と言う。
劉秀の目から涙がこぼれる。その時、鄧禹と呉漢が来る。
鄧禹は「陛下は万一の場合に備え、勅旨を出されていました。“病に倒れたら、陰貴人を伴い故郷で療養する。皇后は宮中の内務に従事せよ”と」と話す。「そんな出任せは信用できぬ」と言いながら過康が入ってくる。「2人して皇后をねじ伏せ、この機に乗じて実権を握る気か?」と言う過康。呉漢は「陛下が直々に仰ったことだぞ。従えぬとでも?」と言い返す。過康は「陛下がうなずかれたら従ってもよかろう」と言い、劉秀に「いかがでしょう?誠に今のような勅旨を?」と尋ねる。劉秀がうなずくことができず「嘘を申したな、重罪だぞ」と過康が言う。その直後、動かすことができなかった劉秀は、力を振り絞りうなずく。
鄧禹は急いで「陛下は明日、蔡陽へ発つと伝令せよ」と告げる。
蔡陽へ向かう馬車の中。劉秀を抱えるようにしていた麗華は「秀兄さん、心配ないわ。この苦難は2人で乗り越えましょう。大丈夫よ」と言う。
蔡陽。劉秀は針と、麗華の献身的な看病で少しずつ回復していく。麗華や劉陽にも笑顔が戻ってくる。
劉陽は劉秀を支えながら歩き「母上は父上が無事なら何もいらないと仰せです。父上の負担を減らせるよう、私も精進します」と話す。立ち止まった劉秀は、劉陽の肩を叩く。
過主が長秋殿に来ると、過珊彤はいなかった。後から来た過康に、今のうちに文武百官を皇太子の味方に付け、皇太子を即位させ、劉陽を殺すよう命じる。大局が定まれば過家に逆らう者はいなくなる、ひとまず珊彤には黙っていなさいと。
そんな2人の話を、陰から劉強が聞いてしまう。
「皇帝が不在では有事の時に何もできぬ」と言う劉秀。麗華は「心労を与えたくないから黙っていたけれど、私も気にしていないと言えば嘘になるわ」と話す。劉秀は「皇后と皇太子を宮中に残してきたままだ。また何か起きる。都にいる皇太子もそうだが、皇子たちは民の模範となり、孝廉を示さねば。私が皇子たちを連れて、南部の巡査に行こう」と言う。
劉強の手紙を持ちながら「私に隠れて何をしたのです?劉強は蔡陽へ行きましたよ、“逆賊にはならぬ”と捨て台詞を吐いてね。どういうこと?」と過主と過康に怒鳴る過珊彤。過主は急いで「計画変更よ。早急に通知を」と過康に言う。
「計画?何のことで?」と過珊彤が聞く。過主は「冷酷な劉秀への情は、いい加減、断ち切ったら?」と言う。
過珊彤が「何を企んだのです?彼を殺さないで。愛されることはもう諦めました。生きてくれるだけで満足なのです」と言うと、過主は過珊彤の血の付いた帛書を見せる。「なぜ、これを?」と聞く過珊彤。過主は「なぜだと思う?」と言う。過珊彤は泣きながら「“涙は尽きた”、そう思ってました。たとえ彼に情がなくても見捨てられない。どうすれば諦めてくれますか?」と話す。「もう手遅れよ。矢は放たれたわ」と言う過主。
劉秀は麗華と皇子と一緒に狩りをする。そんな中、劉強と劉陽が虎に襲われてしまう。虎の鳴き声を聞いた麗華と劉秀が駆けつけた時には虎はいなくなっていた。しかし今度は刺客の矢によって劉陽が狙われる。
劉秀が刺客を捕まえろと命じ「私も行きます」と言う劉陽。劉強も「私も劉陽に同行します」と言い、劉秀は「皆ではぐれぬよう行け。刺客は生け捕りに」と告げる。
戻ってきた劉陽は、刺客を見つけた時には、すでに息絶えていたと劉秀に報告する。「まだ若いのに、毅然として立派よ」と劉陽を褒める麗華。劉陽は「私はもっと強くなります。父上と母上を傷つける者は、許しません」と言う。
劉陽を下がらせた麗華は「怒りを鎮めて」と劉秀を落ち着かせようとする。「この期に及んで、また“死人に口なし”か。劉陽を狙うなど、許すまじき行為だ」と言う劉秀。
劉秀が「だが背後からの攻撃は防ぎがたい。考えてみると滑稽なものだ、私にとってこの天下はどんな意味が…」と言いかけ、麗華は劉秀の口を手で塞ぐと「もういい、やめて。劉陽も私たちも無事だったのだから、怒りが高じると、また倒れるわ」と言う。
麗華が「寝たきりの夫の世話は、もうご免よ」と言って劉秀を笑わせたところに、厳子陵が来る。
厳子陵が「さすが陰戟だな。息子の命を狙われたのに、至って冷静。昔と変わらん」と言う。「私は変わったわ。以前の陰戟なら、黒幕を暴いて敵を討っていた。でも長年、陛下と苦難を共にして、何事も大局を優先すべきだと分かったの」と話す麗華。厳子陵が「では野放しに?」と聞くと、麗華は「いいえ、必ず捕まえる。ただ綿密な計画を潰すのも気が引けるわ。敵が誰だかは見当がつく。尻尾をつかめないだけよ。軽率に動けば次の罠にはまる、それは避けたい」と答える。
「苦労したんだな」と麗華に言うと、劉秀に跪いて頭を下げ「こんな不肖者でよければ、蔡師匠に代わって陛下や漢に尽くします」と言う厳子陵。劉秀は厳子陵の元まで歩いて行き感謝する。
「朕が都を離れて久しく、民は不安であろう。早急に民をなだめねばならん」と話す劉秀。厳子陵は「新たな政策で人心を安じてはいかがです?地方官を介入せず、朝廷の者に巡視させるのです」と言う。その時、話を聞いていた劉陽が「私が行きます」と言う。
劉秀は、大勢の有力者が関わることだぞ、どのように対処する、と劉陽に聞く。劉陽は「この政策は民に百利あって一害なし。“国の本は民にあり 騒乱の本は政にあり”。政策に必要なのは“信賞必罰”です。有力者を恐れず、民を欺かず。父上、私を信じてくださるなら…いえ、信じてください。必ずやり遂げてみせます」と言う。笑顔でうなずく劉秀。「立派だ、頼りになる。朕に代わって民をなだめ、政策を推し進めよ」と劉秀は言う。
劉秀は厳子陵に、劉陽に随行し、提言するよう頼む。
劉縯が“劉氏の治める漢を再興しよう”と言った場所で、劉秀は「幾多の歳月と人命を犠牲にし統べられた天下だ。朕だけのものではない。皆、それぞれの天下だ」と言う。「太学時代を思い出します。数十年も経つのですね。私も陛下も老いました。仲間たちも同じです。私たちの時代は終わりました」と言う厳子陵。鄧禹も「我らは半生を戦に費やした。そろそろ子供たちに天下を引き渡す時です」と言う。
劉秀は「子供たちのことは先生を努めた2人のほうが詳しい。劉強は温厚で幼少からよき薫陶を受けている。だが外戚の影響もあってか、執政の面では朕と意見が食い違う」と話す。「皇太子は大らかな方ですが、治国の道においては厳しさに欠け人に利用されやすい。外戚にも逆らえません」と言う鄧禹。劉秀は「言い伝えによると、側近に甘く民に厳しいのは庸君だ。側近にも民にも厳しいのは暴君である。側近に厳しく民に関大な者こそ、一時代の賢君と言えよう」と言う。
「第四皇子はまだお若いですが、信賞必罰をもって治国するという考えは、民の立場に配慮した政策です」と言う鄧禹。法を犯せば皇族であろうと分け隔てなく処罰する、第四皇子は何事も果敢に取り組み、皇太子より皇帝を継ぐにふさわしい方だと。厳子陵もうなずき「第四皇子は聡明ですし、国内外で剛柔を使い分ける手腕は皇太子より優れています」と言う。
劉秀は「過家は河北の将領に功を立てさせるため外戦を勧める。劉強も版図の拡大を主張するのだ。だが国は安定したばかり。民を休ませねば国の隆盛はない。このまま劉強に帝位を継がせれば確かに不安は残る」と話す。「国を最優先にお考えください。帝王の資質や人望においても、第四皇子は皇太子をしのいでいます」と言う厳子陵。鄧禹も「陰貴人と第四皇子のためにも、早急に第四皇子を皇太子に。勢力争いによる陰謀から、お2人を守れます」と言う。劉秀はうなずく。
ーつづくー
劉秀が病に倒れた時はどうなるかと思ったけど、劉秀がうなずけて良かったヾ(・ω・`;)ノ
あの勅旨は本当に出していたのかな?
それとも鄧禹たちが考えたことなの?
麗華の看病のかいがあって、劉秀が回復して良かった(o´д`o)=3
でも、そろそろ子供へ…なのね。
ちょっと寂しい気もする。
劉強も優しいし正義感はあるんだけど…。
母や祖母、伯父が強すぎて逆らえないよねヾ(・ω・`;)ノ
劉秀も最後に決意したみたいだけど、過家が黙っていないはず。
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静養できて復活しましたね!
あの原点ともいえる田園風景での厳子陵や鄧禹との語らいはよかったですし。
姐姐も書かれているように次の時代へバトンを渡す時期なのですね。
珊彤の気持ちはわかりますが、
引くべきところは引くべきだったのかもしれません。。。
劉陽は四爺なのですね。厳子陵の指導も受けて
これからの成長が楽しみです。
劉強も呪縛から早く解き放たれてほしいものです。