子供の頃は、自宅の近くにあった玩具店によく通いました。1階にはプラモデルやラジコン、モデルガン、そして2階には鉄道模型、モデルカー、フィギュア(当時は超合金や変身サイボーグ、ミクロマンなど)、さらに手品グッズやテレビゲーム、ボードゲームなどが揃っていました。さらに上階にはラジコンカーやラジコンの船で遊ぶことができるスペースがありました。つまり、このビル全体が当時の子供にとって素晴らしい夢のような場所であるという事が分かって頂けると思います。
このお店に行くたびに、私はいろんな物が欲しくなりました。そしてお小遣いをためて欲しい物を買った時の喜びは筆舌に尽くしがたいものでした。言葉を変えるなら、このお店があったからこそ私は子供の頃に様々な事に頑張る事ができたとも言えそうです。しかしそのお店も2009年に閉店となり、建物も取り壊されてしまいました。数多くの思い出を作ってくれたそのお店が姿を消してしまい、私の心にはぽっかりと大きな穴が開いたようでした。しかし幸いにもこのお店の本店が、別の場所で営業を続けてくれました。
先日実家に戻り自分の部屋を整理していた時に、こんなカードの束が出てきました。
私が小学生の頃から集めていたそのお店のサービスカードでした。なぜ当時使わなかったのだろう? 今も思い出す事ができません。もちろんいつかは使おうと思いつつ忘れていたのでしょう。色違いの5点、10点、25点、50点のサービスカードで、これを使ってお店で買い物ができます。しかし40年以上も前のこのカード、今も本店で使えるのだろうか?まずは数えてみると3500円分になりました。さっそく本店に電話かけてみると、今でも昔のサービスカードを使う事ができると分かりました。
さっそくサービスカードの束を持って本店に出かけました。ちょうど欲しかったプラモデルがあったので、このカードを使う事にしました。受付でカードを出すと、店員さんもその数に驚かれていました。「懐かしいですね、それにしても こんなに多くのカードを持ってきた人は初めてです」といいながら枚数を数えてくれました。
カード分に足りないお金を払って、数十年ぶりに再販されたポルシェ935のプラモデルを買う事ができました。そして今回現金で支払った分に対して、50点のオレンジ色のサービスカード(色は今も変わっていないみたいです、カードはポイント券という名前になり少し小さくなっていました)を頂きました。今回購入したタミヤのポルシェ935は46年ぶりの再販になります。実は私は中学生の頃にこのプラモを作りました。当時のモデルは内部にモーターを取り付ける事ができ、乾電池を入れて走らせる事ができました。私が父の医院に戻ってきた時に、なぜか私が作ったこの935のプラモが診察室に飾ってあったので驚きました。もしかすると父もこの車が好きだったのかもしれません。
ところで私が集めていた昔のサービスカードの中にはこんなものもありました。おそらく昭和時代のクリッパーはビルの5階まで遊ぶ事が出来ていたようです。サーキットコースの利用料が10円や20円というのが時代を感じさせますね。
最後に、このようなお店は今ではもうどこにも存在しないでしょう。ゲーム機とインターネットの普及によって、家にいながらどのような遊びも簡単にできる時代になってしまいました。昔はアナログな遊びしかなかったため、このような施設の存在を輝かせたのだと感じます。もしこのクリッパーのような施設を今の時代に作れば、多くの子供たちが集まってくるでしょうか。私は子供の遊びの源流は、やはりアナログにあると思っています。デジタルもいいけれど、アナログな遊びの面白さを今の子供たちも忘れないで欲しいと願っています。
な
このお店に行くたびに、私はいろんな物が欲しくなりました。そしてお小遣いをためて欲しい物を買った時の喜びは筆舌に尽くしがたいものでした。言葉を変えるなら、このお店があったからこそ私は子供の頃に様々な事に頑張る事ができたとも言えそうです。しかしそのお店も2009年に閉店となり、建物も取り壊されてしまいました。数多くの思い出を作ってくれたそのお店が姿を消してしまい、私の心にはぽっかりと大きな穴が開いたようでした。しかし幸いにもこのお店の本店が、別の場所で営業を続けてくれました。
先日実家に戻り自分の部屋を整理していた時に、こんなカードの束が出てきました。
私が小学生の頃から集めていたそのお店のサービスカードでした。なぜ当時使わなかったのだろう? 今も思い出す事ができません。もちろんいつかは使おうと思いつつ忘れていたのでしょう。色違いの5点、10点、25点、50点のサービスカードで、これを使ってお店で買い物ができます。しかし40年以上も前のこのカード、今も本店で使えるのだろうか?まずは数えてみると3500円分になりました。さっそく本店に電話かけてみると、今でも昔のサービスカードを使う事ができると分かりました。
さっそくサービスカードの束を持って本店に出かけました。ちょうど欲しかったプラモデルがあったので、このカードを使う事にしました。受付でカードを出すと、店員さんもその数に驚かれていました。「懐かしいですね、それにしても こんなに多くのカードを持ってきた人は初めてです」といいながら枚数を数えてくれました。
カード分に足りないお金を払って、数十年ぶりに再販されたポルシェ935のプラモデルを買う事ができました。そして今回現金で支払った分に対して、50点のオレンジ色のサービスカード(色は今も変わっていないみたいです、カードはポイント券という名前になり少し小さくなっていました)を頂きました。今回購入したタミヤのポルシェ935は46年ぶりの再販になります。実は私は中学生の頃にこのプラモを作りました。当時のモデルは内部にモーターを取り付ける事ができ、乾電池を入れて走らせる事ができました。私が父の医院に戻ってきた時に、なぜか私が作ったこの935のプラモが診察室に飾ってあったので驚きました。もしかすると父もこの車が好きだったのかもしれません。
ところで私が集めていた昔のサービスカードの中にはこんなものもありました。おそらく昭和時代のクリッパーはビルの5階まで遊ぶ事が出来ていたようです。サーキットコースの利用料が10円や20円というのが時代を感じさせますね。
最後に、このようなお店は今ではもうどこにも存在しないでしょう。ゲーム機とインターネットの普及によって、家にいながらどのような遊びも簡単にできる時代になってしまいました。昔はアナログな遊びしかなかったため、このような施設の存在を輝かせたのだと感じます。もしこのクリッパーのような施設を今の時代に作れば、多くの子供たちが集まってくるでしょうか。私は子供の遊びの源流は、やはりアナログにあると思っています。デジタルもいいけれど、アナログな遊びの面白さを今の子供たちも忘れないで欲しいと願っています。
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