ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

夕空

2020年11月29日 | 文学

 昨日は月に一度の精神科の診察に行ってきました。
 ひどく落ち込むことは少なくなったが、依然として不安や緊張が強いと訴えたら、セロクエルが100mから150mに増量になりました。

 コロナが流行りだしてからリモートによる会議が主流になり、そのことがストレスになっています。
 実際に会って話し合うよりも、過激になるような気がしてなりません。

 対面で話し合うことの重要性を感じます。

 リモートにしろメールにしろ、便利な道具であることは間違いありません。
 しかし、そのせいで、家に帰っても仕事が追いかけてくるような気がしてなりません。

 それは当たり前です。
 在宅で仕事をしようというわけですから。

 休みの日は職場のアドレスメールは開かないことにしています。
 仕事熱心と言おうか、休日でも仕事のメールを送り付けてくる輩が少なくありません。
 そういうのは無視するに限ります。

 人とや社会とのつながりは重要なのでしょうが、独り、遁世したいという欲求を覚えます。

 たった一人になり切って夕空

 自由律の俳人、尾崎放哉の句です。

 この俳人、東京帝国大学法学部を卒業して大手生命保険会社の重役にまでなったエリートですが、それをきっぱりと捨て去り、自由律の俳人として乞食同然の生活を送った人です。
 いくら有名でも自由律俳句だけでは食えません。

 流浪遁世の後、あるお寺に寺男のような形で住み込み、日々酒におぼれ、41歳の若さで亡くなりました。

 私は不思議な嫉妬を感じます。

 流浪遁世、酒、若死に。

 そのような者になりたいという昏い欲求を感じずにはいられません。

 しかし、それは怖ろしいことです。

 私は昏い欲求を感じながら、生活の安定を求めて勤め人生活を続けるのでしょうね。

 愚かなことです。