昨日は母と暮らせばという映画を観ました。
私の趣味嗜好からいって、映画館に行くこともDVDを借りることも絶対に無いであろう種類の作品です。
ネットフリックスでなんとなく観始めて、最後まで観てしまいました。
舞台は終戦後3年目の長崎。
南方の戦場で長男を、原爆で次男を喪い、一人で暮らす母親の物語。
次男は長崎医科大学で学ぶ学生で、講義を受けている最中に原爆で命を落とします。
次男の元恋人が頻繁に母親を見舞い、どこかで次男が生きているのではないかと互いに一縷の望みを賭けています。
しかし終戦3年目の8月9日、母親と元恋人が墓参りに行き、母親はもう諦める、と宣言します。
涙をこぼす元恋人。
辛かったことでしょう。
その夜、次男が突如母親のもとを訪れます。
もちろん、この世の者では無いことを母は悟っています。
幽霊でも良いから会いたいという願いを次男は叶えるのです。
幽霊は頻繁に登場し、母親との会話を楽しみます。
その後戦中戦後のいくつかのエピソードが語られ、母親は静かに眠るように逝ってしまいます。
ここに至って、母親がこの世とあの世を行きつ戻りつしながら次男と会っていたことが示唆されます。
そして遂に母親は最高の笑顔を浮かべ、次男とともに旅立っていくのです。
お迎え、です。
一見して、往年の名作異人たちとの夏との類似性を認めました。
人生に疲れた中年男の前に、亡くなった両親が姿を現し、ひと夏、夢のような時を過ごす物語です。
一般に幽霊というと、どこか禍々しい、怖ろしい存在だという印象を持ちますが、早死にした家族の幽霊なら怖ろしいこともなく、懐かしい存在と言えるでしょう。
この世の者では無くなった存在との交流を深めれば、寿命を縮めるのは怨霊と同じかもしれません。
命を縮めてでも会いたい死者がいるというのは、もしかしたら悲しいばかりでは無いと言えるのではないでしょうか。
死者を弔う気持ちには、必ずもう一度だけでも会いたいという感情がこもっていなければなりません。
もう一度会いたいという気持ちは、死者をこの世に留め、成仏を妨げることになるでしょう。
それでもそう思わざるにはいられないというところに、人間精神の細やかさがあります。
上の2作にはそんなことを思わせる力があるようです。
日々の忙しさのなか、忘れかけていた13回忌を迎えようかと言う亡父への懐かしさがつのります。