昨夜、ドイツ映画「ザ・ウェーブ」を観ました。
実際にドイツの高校で起きた事件をもとにした話で、ある高校で一週間「独裁」についての実習をやる、というところから物語は始まります。
教師を独裁者に見立て、生徒はそれに従う、という一種のサル芝居をやるわけです。
ところが生徒の中に独裁者に支配される快感に酔い、次第に狂信的になっていく者が現れ、二人の反抗的な少女を除いて、みなが独裁を支持していく、というストーリーです。
教師が意図しない、ロゴだの、独特の敬礼だのを生徒が考えだし、それに生徒は熱狂していきます。制服として白いシャツを着ることを強要し、着ない者を差別します。
もはや独裁者役の教師にも制御できない状態になり、一週間の実習を終え、教師が元の状態に戻そうとして、狂信的な生徒が絶望し、信じられないような悲劇が起こります。
こんなに簡単に集団が結束し、制御不能になるものなのか、と不思議に思いましたが、実際に起こった事件ということですから、人間というのは集団になると何をしでかすかわからない、ということでしょう。
きっと気持ちよいのでしょうね。自分で考えることをやめ、指導者の指示に従い、結束を固める。組織というものを作るとき、ある程度必要なことでもあります。国旗、国歌、校歌、社歌、制服。会社などで行われる朝礼、研修。これらことごとくが、組織の一体感を作り出すものです。しかしそれをすべて否定しては、人間社会は成り立ちません。
要するに程度の問題ということです。
民主主義は、今のところ比較的マシな制度ということになっています。
欠点はたくさんありますが、少なくとも、民主主義下においては、民主主義そのものを否定することも許されていて、これは人類が勝ち得た叡知というべきでしょう。
私が今もっとも論評するのが困難なのは、各種差別に関することだと思います。差別の話になると、多くの人は沈黙せざるをえません。一種のタブーです。
人種差別、男女差別、障害者差別など。
しかし人は、それぞれ身長・体重・知力・体力・肌の色・声、すべて異なっています。
その違いを口にすると、どうもまずいらしい、という雰囲気があります。
それが行き過ぎて、小学校の運動会で順位をつけないとか、全員主役の学芸会とか、奇妙なものが生まれますね。
社会に出れば、露骨に選別されるのに。
差別の社会実験で、被験者を刑務官と受刑者に半々に分けて、どのような行動をとるか、ということを描いた映画に、「es」があります。これも実話に基づいています。
時間の経過によって、受刑者はどんどん卑屈に、刑務官は権威的になっていきます。そしてついには刑務官によるリンチなどの凄惨な事件が起き、実験の主体の心理学者にも制御不能な状態になっていきます。
与えられた役割が、人格を崩壊させていく、怖ろしい実話です。
「ザ・ウェーブ」にしろ、「es」にしろ、人間が持つ社会性というもの、組織というもの、その恐ろしさがよく描かれていると思います。
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