こころのtobira

tobiraのひとりごと

コントロールドラマとは?

2023-11-08 22:03:41 | Weblog

 コントロールドラマとは、思い込みによって現実化する人生のこと。

思い込みの根底には、「この世は思い通りにならない」という根源的なビリーフがある。

このビリーフがベースにあると、「人生をコントロールしなければならない」となる。

つまり人生を何とかしなければならないと思い込み、現実と闘い続ける事になる。

現実と闘うと、たちまち自分の期待通りの「思い通りにならない波瀾万丈な人生ストーリー」が現実化される。

これがコントロールドラマである。

人生が思い通りにならないと信じている人は、この思い込みの世界を自ら現実化しその中で生きている。

人生は自分ではどうすることもできないと思いがちだが、誰もが自分の信じて疑わない信念によって人生を現実化している。

 

「この世は思い通りにならない」だから思い通りにしなければならない

「無条件に幸せになってはいけない」だから何かをしなければならない

「ありのままの自分で存在してはいけない」だから何者かにならなければいけない

 

など、信じて疑わない信念をもとに、不自由な人生を自分に与え続けている。

コントロールドラマの人生から抜け出すには、当たり前に信じて疑わない思い込みが自分の中にある事に気づくことだ。

この気づきに至らないうちは、どんなにあの手この手で人生を変えようとしても無駄な労力に終わる。

思い通りにいかない自分の人生を変えるには、何を当たり前に信じて人生を作り上げているのかを掘り下げるしかない。

原因は全て自分の内側にある。

外側に答えを探しているうちは永遠に人生は変わることはない。

視点を外側から内側に変えることによって、人生を変える第一歩を踏み出すことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


並行して存在する二つの世界

2023-04-11 00:33:21 | Weblog

 

今日も同じ時間に起き、身支度をし家事をこなす。

自動的にできるようになった。

 

今ここにいる幸せを充分に感じる。

何も起きてない幸せ。

この幸せを感じることが、今までなかなかできなかった。

 

何も起きていない幸せがわからないうちは「人生退屈でつまらない」と思う。

そして、わざわざ何かを作り出し、わざわざ何かを体験する。

 

だけど、その体験があるからこそ、それがわかる。

全ては無駄ではないし、無駄なことなど何もない。

 

無駄な事など、なにもない

無駄ではない事など、なにもない

意味のある事など、なにもない

意味のない事など、なにもない

 

全てに意味などなにもない。

なにもないからこそ、そこにそれぞれが自由に意味をつけることができる。

それぞれがそれぞれの意味づけをし、現実という名の幻想を作りだす。

そして、その作られた幻想の中で「生きる」という経験をする。

 

意味づけをしないで何らかの世界観を創ることはできるのか?

 

意味づけをして、現実という名の幻想を作っている真裏で、

意味づけをせず、感性で真実という名の現実を同時に創っている。

並行して存在する二つの世界。

どちらの世界観で生きるのも自由。

選択も自由。

多くの場合、意味づけをして作られた幻想の中で、そこが現実だと信じて疑わない状態で生きている。

過去の誰かの信じて疑わない考えを何の疑いもなくそのまま信じて、誰かが信じた価値観の世界の中で生きている。

そこがこの世の現実だと信じて疑わない状態で生きている。

 

自分の感じる感性を脇によけて、誰かが信じてきた価値観を生きる。

自分の感性から現実を創れることを忘れて、「この世は思い通りにならない」という価値観を当たり前のように信じて生きている。

 

人生は自分で自由にクリエイトしながら生きることができる。

そのためには、自分の「感じる」という感覚を取り戻すことが必須。

 

人はいつしか感じる感覚に蓋をして、頭の中の考えに従って現実を作りだすようになった。

このままでは、ありのままの真実の自分を知らぬまま人生を終える事になる。

 

並行して同時に存在する感性の世界に気づいた時、世界は一変する。

現実は今までと一緒でも、感性で視る世界は感じ方が全く違う。

そのとき初めて、もう一方の感性の世界を知る事になる。

 

これからの時代は、この感性の世界で生きる事が主流になる。

今まで信じてきた頭の中の世界にはもう限界がきていて、誤魔化しが効かなくなってきている。

その証拠に目に見える現実はますます厳しいものになっていく。

すでに過去の当たり前の時代は終わっていて、今までの生き方はもう通用しない。

 

もう一方の感性の世界にいち早く気づいてシフトするのか、

限界まで頑張って生きるのかは、人それぞれの自由に委ねられている。

 

 

 


「できない自分」を演じる

2023-04-07 02:29:06 | Weblog

 

今日も決まった時間に起きて、身支度、家事を、am9:00までに済ませる。

そのあと、自分のしたいことをするはずだったのに、

結局どうでもいい事に時間を空費した。

やらなければならないことがあるのに、なにもできずに一日が終わった。

 

「やらなければならない」って?

自分のしたいことをしているはずなのに、いつしか「やらなければならない」になっている。

「やらなければならない」とは、

「やりたくないのに、しなきゃいけない」と思っていること。

いつからやりたいことが義務になったのだろう?

 

またいつもの決めると義務になってしまうというパターンだ。

「決めたことが義務になる」

義務になるから、

結局決められなくなるし、

嫌になって続かなくなるし、

の繰り返し。

 

だから、物事を決められない。

なぜなら、決めたら義務になるから。

これは一体なんなのか?

決めたことが「〜ねばならない」になって、自分に義務を課す。

この繰り返し。

だからいつも物事が続かない。

目標がいつしか義務になり、苦しくなってやめてしまう。

 

これは結局、決めているようで「決めたつもり」になっていたのではないのか?

「つもり」は、終わらない物語(ドラマ)の世界観の中にいることを意味する。

何度も同じ事を繰り返すエンドレスドラマの中で、

現実から逃げる主人公を繰り返し演じ続けてきたことに気づく。

これではいつまでたっても「やりたいことができない」という結末になる。

 

タイトルが、「やりたいことができない私」というドラマ。

このお気に入りの脚本を抱きしめて、大事に隠し持っていた。

この脚本は、自分にどんな影響を与え続けてきたのだろう?

「〜できない自分」でいる事で、何を得られると思ってきたのだろうか?

いつまでも「できない自分」になり成長しないことで、ずっと子供の自分のままでいようとしていたのではないか?

子供の自分で居続ければ、責任を持つ必要もなくなるし、誰かがなんとかしてくれるという状態でいられる、つまり依存する自分でいられる。

依存する自分でいるために「やりたいことがどうしてもできない」という自作自演のドラマを作り、できない自分でいるいい訳を作っていた。

無意識に自分が自分をコントロールして、自分の成長を阻んできた。

こうして、コントロールすればするほど、思い通りにならない現実がやってくる。

つまり自分の望みが叶わない。

今までこのエンドレスドラマの中で、成長しない自分を演じ続けてきた。

とうとう、自分を騙しコントロールしてきたことを認める時がきた。

コントロールをやめ、自らエネルギーを奪うのをやめたとき、目標を達成し自分の望みが現実化する。

この気づきが、今後の人生にどんな変化をもたらすのか、今からとても楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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潜在意識のマインドセット

2023-04-01 01:40:49 | Weblog

 今日もいつものようにam 6:32に起きた。

あれこれ考えずに、あたりまえに起きる。

習慣を変えることができたと思うと嬉しくなる。

起きた後も、決めたスケジュールに沿って行動した。

この頃は、頭で考える時間を少なくし、意識的に今に集中するようにしている。

 

行動することによって感じる感情に快感が紐づくと、その経験が丸ごと潜在意識に保存される。

その後その保存された設定によって、自動的に行動するようになる。

それが現実創造のメカニズムだ。

 

何度も同じことを繰り返し行動すると、それが潜在意識に自動的に設定され、自動操縦の行動パターンを作ることができる。

自分のやりたいことを明確にし、行動と感情を結びつけて潜在意識に設定すれば、

あとは自動的に目標に向けて物事が動き出す。

 

これとは逆に、一度潜在意識に設定された行動と感情のセットの設定は、なかなか解除することは難しい。

この解除を簡単にする方法を研究している。

意図的に設定も解除もできれば、自由に人生をクリエイトすることができる。

 

これからこの方法を広く伝えていこうと思う。

 

 

 

 


気づけば消える

2023-03-26 01:58:29 | Weblog

今日はam8:32に起きた。

休日はゆっくり。

身支度を終え、洗濯を2回して家事は終了。

予定は未定だったけど、以前から行きたかったところにランチをしに行くことになった。

予定は未定からの急展開はやっぱり楽しい。

しかも、車があるのにあえてバスで行くことに。

 

バスの時刻を調べて、ワクワクしながら家を出る。

目的の食堂の近くでバスを降りて、歩いて向かう。

いつもの景色が違って見えて、とても新鮮な気持ちで歩く。

 

以前から食べたかったランチをいただいた。

なぜ今まで来なかったのか、不思議なくらいだった。

とても美味しかったし、とても幸せだった。

 

それから、歩いてスーパーに行ったり、お菓子屋さんに行ったり。

いつもの街が初めて訪れる街に感じた。

 

知らない街を旅行しているみたいだった。

SEIYUのマックで休憩して、買物をして、JRで最寄りの駅まで移動して家に帰る。

ちょっと寒かったけど、やっぱり最後まで楽しかった。

 

何も考えないって、こんな風に物事が自動的にその時その時に展開していって、

その中で色んなことを感じながら、その瞬間を過ごせるんだと思った。

 

今まで頭の中の世界で生きてたから、こんなにゆったり色んなことを感じながら過ごせたことがほとんどなかった。

常に何かをやりながら、違うことを考えていた。

人と喋っていても、常に頭の中で自分に意識が向いていて、相手の人のことを感じることが出来なかった。

常に先のことを考え、今を感じることができなかった。

失敗しないように細心の注意を払い、効率的なことを最優先に考えていた。

 

同じ時を過ごすにしても、これだけ感じ方や意識していることが違うと、

景色や人までも違って見えてくるし、物事の結果も大きく違ってくる。

 

頭の中で生きるか、その時々の「今」という瞬間を生きるのとでは、現実の展開が全く違うものとなる。

頭の中に意識がある状態で見る世界と、「今」という瞬間に意識がある状態で見る世界とでは、同じ場所にいても全く見える世界が違ってくる。

ほとんど時間を頭の中の世界で生きてきて、その中で作られた世界が当たり前だと思っていたが、それは当たり前ではなかった。

 

「今」という世界に気づいたら、世界が変わる。

「今」という瞬間は常に何も起きておらず平和で安心できる世界。

私はこのコインの裏表のような、もう一つの世界が存在しているなんて全く知らなかった。

頭の中の世界が全て真実だと思い込んでいた。

 

真逆の真実に気づけば、頭の中の世界は一瞬で消える。

同時に存在している「今」という世界に気づけば、全て認識がひっくり返る。

 

「気づけば消える」

ただこれだけだった。

 


「この世は思い通りにならない」というビリーフ

2023-03-25 00:52:00 | Weblog

 

今日はam6:32に起きた。
やればできる。笑

頭で考える時間を与えないようにしているので、すぐに行動に移せる。
起きてすぐシャワー、身支度。
掃除、洗濯を何も考えずにパッパと終わらせる。
am9時には、今日の家事は全て終了。

その後、予定通りに行動しようとするが、気持ちがモヤモヤするので、心の内側を探ってみる。その中で、コントロールドラマの土台が掴めた。

「この世は思い通りにならない」というビリーフが、思い込みのドラマの全ての土台になっていることがわかった。このビリーフからドラマの世界観が出来上がり、その幻想の中の世界をリアルだと信じ生きるようになる。

「この世は思い通りにならない」というビリーフがあると、
物事や出来事に対して「思い通りにしなければならない」と、無意識に現実をコントロールするようになる。こうして現実と闘い続け、ビリーフ通りの「思い通りにならない現実」を何度も体験することになる。

「この世は思い通りにならない」というビリーフは、そのまま思い通りにならない現実を忠実に作りだす。そして、その起こった現実をなんとか思い通りにしようと、さらに状況をコントロールしようとする。このように、コントロールすればするほど、思い通りにならない現実が作り出され、どんどんコントロールドラマから抜け出せなくなっていく。

こうして、思い通りにならないならないドラマの世界観の中で、思い通りにならない現実と闘いながら生きるようになる。

その中で、
現実に負けないよう、思い通りにならない現実と闘いながら頑張って生きるか、
いつまで経っても思い通りにならない現実に失望して、無力な自分として生きるかに分かれる。

「この世は思い通りにならない」というビリーフは、
お金、健康、人間関係、親子関係、恋愛関係、社会生活、家庭生活など、全ての事柄に影響を与え、「この世(現実は)は思い通りにならない」という結果を現実化する。

 

このドラマの仕組みをわかりやすく理解できるよう形にして、伝えたいと思う。


真の自分に気づく

2023-03-15 02:02:06 | Weblog

「ダメな自分」というのは真の自分ではなく、ただのキャラだ。
言い訳するために無意識に作られた架空の自分。
そうとは知らずに、そのキャラを自分だとまともに信じて、落ち込んで自分を責める。
私達の多くは、そのキャラの人物が自分なのだとすっかり騙されている。

そのキャラが自分でなければ、自分は一体どこにいるのか?
それは、そのキャラの真裏にそのキャラとは真逆の人物がいる。
それが真の自分だ。
普段からキャラの自分を自分だと信じて疑わないので、真裏にいる本当の自分には気づかない。

本当の自分を知るための方法はこう。
①自分がダメな自分と思う特徴を箇条書きにする。
②それを真逆に変換して書いてみる。
その書き換えによって出てきた人物が、本来の自分となる。

そこに書き出された人物はどんな人物だろうか?
心あたりがあるのではないかと思う。
その人物が自分であると気づいた時、心の奥で何かが動く。
それは真実に触れた時に起こる現象。


まずはやってみる。
今の自分がダメだと思う自分を、箇条書きにする。

例)
▪️キャラ(自分が思うダメな自分)
人から嫌われる
結局最後は誰からも相手にされなくなる
物事が長続きせず何もできない
何者かを演じて本当の自分を隠す
誰とも会いたくない引きこもり
言ってる事とやってることが違う
無責任
現実逃避する


▪️キャラの真逆
人から好かれる
結局最後は人に愛される
物事をやり遂げ成功する
ありのままの自分を生きる
外の世界の誰かと繋がる
言葉と行動が一致している
自分に責任を持つ
現実を生きる

 

▪️人生傾向
環境や場所を転々とする
その場限りの人間関係
仕事を転々とする
無気力にただ意味なく時間を過ごす
人に依存し生きている
誰かに責任を肩代わりしてもらう
常に守られ保護される(甘やかされる)


▪️人生傾向の真逆
拠点がある
永続的な人間関係を築く
自分の仕事を持つ
時間を有意義に使って過ごす
自立する
自分に責任をもつ
常に見守り応援する


真裏にいる自分が真の自分。
それなのに、この自分になりたいなりたいと願う。
そして、この自分と同じ人物を見て嫉妬する。

これが自分なのに。
顕在意識の自分だけがこのことを知らない。

真の自分はこの気づきを待っている。
真の自分と自分の意識が一致した時、本当の自分が動き出す。


「自分を感じてはいけない」というビリーフ

2022-12-22 16:54:17 | Weblog

 

「自分の感情(自分を)を感じてはいけない」というビリーフについて考えてみる。

 

このビリーフがあると、

自分の感情に忠実であることは(欲求を感じることは)

いけないこと

わがままなこと

として、

自らを裁き、自分を感じることを否定し我慢するようになる。

さらに「我慢すること」を美徳とする考えを用いて、自分の欲求を感じることに罪悪感を持たせ、自分を感じることを禁ずるようになる。

このようにして、どこまでも我慢する自分を作り上げる。

 

「我慢することは良いこと」という考えを美徳とし、自分の感覚を麻痺させることで、「我慢」をベースにした人生(ドラマ)が展開される。

 

例えば

 

身体を我慢する現実

身体に関して我慢せざるを得ない現実をつくる。

例えば、自分にとって負担のかかる労働を強いる現実を引き寄せ、身体に対して我慢せざるを得ない状況下に身を置き自らを苦しめる。

 

お金を我慢する現実

お金に関して我慢せざるを得ない現実をつくる。

例えば、自由にお金が使えない現実を引き寄せ、経済的に我慢せざるを得ない状況下に身を置き自らを苦しめる。

 

仕事を我慢する現実

仕事に関して我慢せざるを得ない現実をつくる。

例えば、自分の望まない仕事をする現実を引き寄せ、仕事に対して我慢せざるを得ない状況下に身を置き自らを苦しめる。

 

人間関係を我慢する現実

人間関係に関して我慢せざるを得ない現実をつくる。

例えば、自分の望まない人間関係を結ぶ現実を引き寄せ、人間関係において我慢せざるを得ない状況下に身を置き自らを苦しめる。

 

恋愛関係に我慢する現実

恋愛関係に関して我慢せざるを得ない現実をつくる。

例えば、自分の望まない恋愛関係を結ぶ現実を引き寄せ、恋愛関係において我慢せざるを得ない状況下に身を置き自らを苦しめる。

 

親子関係に我慢する現実

親子関係に関して現我慢せざるを得ない現実をつくる。

例えば、自分の望まない親子関係の現実を引き寄せ、親子関係において我慢せざるを得ない状況下に身を置き自らを苦しめる。

 

このベースにある「我慢」を解除するためには、自分が自分に対して禁止令を解くことだ。それができるのは自分しかいない。

他人にどうにかしてもらおうとしているうちは、我慢のドラマは永遠に繰り返される。

 

今の自分が我慢している自分に対して声をかけ、苦しみから解放してあげるしか方法はない。

「もう我慢しなくてもいいよ。感情は我慢するものではなく感じるものなんだから。自分を否定している許せない感情を無理に無くそうとしなくてもいい。許せない感情も自分の大切な感情だからそのまま感じてもいいんだよ。きっと許せないって思わざるを得ないことがあったんだよね。許せない感情が湧き上がってくることは当然のことだったんだよ。罪悪感を用いて自分を責めることはもうやめにしよう。許せないない感情やその他のあらゆる感情を無くそうとすればするほど苦しくなるから、もうそれはやめようね。どんな感情も自分の大切な感情だから、これからは全ての感情をそのまま素直に感じていこうね。」

 

静かに自分を感じてみよう。

自分の中で何を感じる?

どんな気持ちになるだろうか?

 

自分と心が通じたのなら、全て終わる。

ドラマの人生は幻想の中へと消え去り、全ては過去になる。

 


行動できないのはなぜなのか?

2022-12-14 15:49:48 | Weblog

気がつけば、前回の心機一転から半年が経っていた。

心機一転したにも関わらずブログが書けないでいた。

私生活で引越ししたりと、確かに忙しかったのは事実。

でも動かないでいたのも事実。

思いがあるのに、やりたい事があるのに動けない。

これってなんなんだろう?と、相変わらずそんなことを考えていた。

 

とにかく行動しないと現実は変わらないとか、

行動しないと望みは現実化しないとか、

この世は行動しないと何も始まらないということがよく言われている。

確かにそうかもしれない。

 

だけど行動したくてもできない状態になってしまう人が多くいるのも事実。

「行動しないと現実は変わらない。だからベビーステップでもいいから何か行動しよう!」

そんなことわかってる。でもできないから困ってるんだよ!

そんなポジティブなありきたりなやり方もう聞き飽きた。

すぐに動けたらそんなに苦労しない。

そう思っている人も多いのではないかと思う。

 

ドラマの世界観の中で生きていると、支配者(エゴ)に潜在レベルで全てをコントロールされてしまうので、自分の意志では動けなくなる。

なぜドラマの世界観の中でエゴにコントロールされながら生きることになるのか?

そもそも、そのきっかけはなんなんだろう?

 

きっかけはこうだ。

なんらかの自己を否定せざるを得ない出来事が起こると、

自分の存在を否定して、

自分の中から自分という存在を排除して、

自分という存在を(その出来事も)なかったことにする。

この設定が潜在意識下で自動的にされてしまう。

 

こうして排除された自分と排除した自分が出来上がる。

排除された自分は傍観者になり、排除した自分は支配者(エゴ)になる。

こうして自己分離が起こり、ドラマの世界観の土台が出来上がる。

本来の自己は傍観者として現実の世界から排除されることになり、

自分を否定する事によって出来上がった支配者が、自分になりすまし全てをコントロールするようになる。

そして、この設定がなされたその瞬間から、主人である自分は自分の意志で行動することができなくなる。

つまり、自分が自分の人生の主導権を握って人生を創ることができなくなってしまうのだ。

「〜したいのに、できない」

このようになってしまう。

これは潜在意識下の設定なので、どんなに頑張っても最後には「やりたいことが実現できない自分」という結末になってしまう。

潜在意識の設定は、自分の表層的な意思ではそう簡単には変えることはできないない。

自分が本来の自分を取り戻し今の自分として生きるためには、この設定を解除する必要がある。

潜在意識の設定を解除するには、潜在意識の設定と現実で起こるパターン化した出来事の関連性を理解し納得する必要がある。

潜在意識下の設定と現実がどう連動しているのかを理解すると、自動的に設定は解除されるようになっている。

本人の気づきなくして設定の解除には至らない。

なにかの気づきのきっかけになればと思い、ブログを再開することにした。

 


心機一転

2022-06-10 21:12:43 | Weblog

 

今日は天赦日と一粒万倍日が重なっている貴重な日らしい。

何かを始めるといいという事で、久々にブロクを書いてみる。

過去のブログを一旦非公開にして、リニューアル。

 

ずっと前から思い込みから作られる人生ドラマについて研究していて、

かれこれもう20年以上になる。

他のこと3日坊主なのに、これだけけはなぜかやめられずにいる。

 

以前のgooブログの記事も思い込みのドラマの仕組みについてズラズラと書いていた。

このドラマの仕組みを知ると、結構便利で使える。

だから伝えたい。でもドラマの仕組みを理屈で伝えるのはなかなか難しい。

だが、根気強く表現していきたい。

 

ドラマとは一体何なのか?

過去の記憶を基に再現される出来事のことをドラマという。

過去の出来事と当時の感情が潜在意識に保存され、それを基にその後の人生で何度も同じような出来事が繰り返される。

無意識の領域でこのようなシステムになっているので、この仕組みを意識的に知る人は少ない。

この仕組みを知ることによって、潜在意識に保存されたドラマの脚本を手放すきっかけを得ることができる。

 

脚本ができるのは、ほとんどの場合幼少期の頃。

実は親もドラマの脚本をすでに持っていて、その脚本が潜在意識下で継承される。

こうしてドラマの脚本は無意識の領域で代々受け継がれていく。

 

両親から受け継がれる脚本と、自分の過去の出来事から作られた脚本とが複合的に重なり

人生ドラマが再生されていく。

脚本を手放すには「ドラマの脚本が自分の中にある」ということに本人が気づくことが必要。

脚本に気づき理解する事で、深い気づきに繋がり脚本は自然に消滅する。

そう。気づけば消える。

簡単だけど難しい。難しいけど簡単。

 

何かの気づきのきっかけになる事を祈りつつ、また記事を綴っていく。