こころのtobira

tobiraのひとりごと

「自分を感じてはいけない」というビリーフ

2022-12-22 16:54:17 | Weblog

 

「自分の感情(自分を)を感じてはいけない」というビリーフについて考えてみる。

 

このビリーフがあると、

自分の感情に忠実であることは(欲求を感じることは)

いけないこと

わがままなこと

として、

自らを裁き、自分を感じることを否定し我慢するようになる。

さらに「我慢すること」を美徳とする考えを用いて、自分の欲求を感じることに罪悪感を持たせ、自分を感じることを禁ずるようになる。

このようにして、どこまでも我慢する自分を作り上げる。

 

「我慢することは良いこと」という考えを美徳とし、自分の感覚を麻痺させることで、「我慢」をベースにした人生(ドラマ)が展開される。

 

例えば

 

身体を我慢する現実

身体に関して我慢せざるを得ない現実をつくる。

例えば、自分にとって負担のかかる労働を強いる現実を引き寄せ、身体に対して我慢せざるを得ない状況下に身を置き自らを苦しめる。

 

お金を我慢する現実

お金に関して我慢せざるを得ない現実をつくる。

例えば、自由にお金が使えない現実を引き寄せ、経済的に我慢せざるを得ない状況下に身を置き自らを苦しめる。

 

仕事を我慢する現実

仕事に関して我慢せざるを得ない現実をつくる。

例えば、自分の望まない仕事をする現実を引き寄せ、仕事に対して我慢せざるを得ない状況下に身を置き自らを苦しめる。

 

人間関係を我慢する現実

人間関係に関して我慢せざるを得ない現実をつくる。

例えば、自分の望まない人間関係を結ぶ現実を引き寄せ、人間関係において我慢せざるを得ない状況下に身を置き自らを苦しめる。

 

恋愛関係に我慢する現実

恋愛関係に関して我慢せざるを得ない現実をつくる。

例えば、自分の望まない恋愛関係を結ぶ現実を引き寄せ、恋愛関係において我慢せざるを得ない状況下に身を置き自らを苦しめる。

 

親子関係に我慢する現実

親子関係に関して現我慢せざるを得ない現実をつくる。

例えば、自分の望まない親子関係の現実を引き寄せ、親子関係において我慢せざるを得ない状況下に身を置き自らを苦しめる。

 

このベースにある「我慢」を解除するためには、自分が自分に対して禁止令を解くことだ。それができるのは自分しかいない。

他人にどうにかしてもらおうとしているうちは、我慢のドラマは永遠に繰り返される。

 

今の自分が我慢している自分に対して声をかけ、苦しみから解放してあげるしか方法はない。

「もう我慢しなくてもいいよ。感情は我慢するものではなく感じるものなんだから。自分を否定している許せない感情を無理に無くそうとしなくてもいい。許せない感情も自分の大切な感情だからそのまま感じてもいいんだよ。きっと許せないって思わざるを得ないことがあったんだよね。許せない感情が湧き上がってくることは当然のことだったんだよ。罪悪感を用いて自分を責めることはもうやめにしよう。許せないない感情やその他のあらゆる感情を無くそうとすればするほど苦しくなるから、もうそれはやめようね。どんな感情も自分の大切な感情だから、これからは全ての感情をそのまま素直に感じていこうね。」

 

静かに自分を感じてみよう。

自分の中で何を感じる?

どんな気持ちになるだろうか?

 

自分と心が通じたのなら、全て終わる。

ドラマの人生は幻想の中へと消え去り、全ては過去になる。

 


行動できないのはなぜなのか?

2022-12-14 15:49:48 | Weblog

気がつけば、前回の心機一転から半年が経っていた。

心機一転したにも関わらずブログが書けないでいた。

私生活で引越ししたりと、確かに忙しかったのは事実。

でも動かないでいたのも事実。

思いがあるのに、やりたい事があるのに動けない。

これってなんなんだろう?と、相変わらずそんなことを考えていた。

 

とにかく行動しないと現実は変わらないとか、

行動しないと望みは現実化しないとか、

この世は行動しないと何も始まらないということがよく言われている。

確かにそうかもしれない。

 

だけど行動したくてもできない状態になってしまう人が多くいるのも事実。

「行動しないと現実は変わらない。だからベビーステップでもいいから何か行動しよう!」

そんなことわかってる。でもできないから困ってるんだよ!

そんなポジティブなありきたりなやり方もう聞き飽きた。

すぐに動けたらそんなに苦労しない。

そう思っている人も多いのではないかと思う。

 

ドラマの世界観の中で生きていると、支配者(エゴ)に潜在レベルで全てをコントロールされてしまうので、自分の意志では動けなくなる。

なぜドラマの世界観の中でエゴにコントロールされながら生きることになるのか?

そもそも、そのきっかけはなんなんだろう?

 

きっかけはこうだ。

なんらかの自己を否定せざるを得ない出来事が起こると、

自分の存在を否定して、

自分の中から自分という存在を排除して、

自分という存在を(その出来事も)なかったことにする。

この設定が潜在意識下で自動的にされてしまう。

 

こうして排除された自分と排除した自分が出来上がる。

排除された自分は傍観者になり、排除した自分は支配者(エゴ)になる。

こうして自己分離が起こり、ドラマの世界観の土台が出来上がる。

本来の自己は傍観者として現実の世界から排除されることになり、

自分を否定する事によって出来上がった支配者が、自分になりすまし全てをコントロールするようになる。

そして、この設定がなされたその瞬間から、主人である自分は自分の意志で行動することができなくなる。

つまり、自分が自分の人生の主導権を握って人生を創ることができなくなってしまうのだ。

「〜したいのに、できない」

このようになってしまう。

これは潜在意識下の設定なので、どんなに頑張っても最後には「やりたいことが実現できない自分」という結末になってしまう。

潜在意識の設定は、自分の表層的な意思ではそう簡単には変えることはできないない。

自分が本来の自分を取り戻し今の自分として生きるためには、この設定を解除する必要がある。

潜在意識の設定を解除するには、潜在意識の設定と現実で起こるパターン化した出来事の関連性を理解し納得する必要がある。

潜在意識下の設定と現実がどう連動しているのかを理解すると、自動的に設定は解除されるようになっている。

本人の気づきなくして設定の解除には至らない。

なにかの気づきのきっかけになればと思い、ブログを再開することにした。