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木造の古い体育館。
そこに、すんだ歌声が響き渡る。
それ以外の雑音は一つも聞こえない。
ただ綺麗な旋律が流れていくだけ。
その中で私は、『歌姫』を知った。
「すごかったわねぇ、歌姫様」
「うん!正体が知りたいわ。私、女だけど告白するわよ、絶対に!」
「本当にさ、誰なんだろうな、あれ」
「めっちゃ美人だったよな!」
私、上川(かみかわ) 皐月(さつき)を含める新入生一同は、『一年生歓迎式典』が終わった体育館からぞろぞろと出てきていた。
ちなみに、聞こえてくる雑談に出てくる歌姫様とやらは、うちの学校の有名人。
ものすごーく美人で、歌が上手いという人。
学校内の誰かは不明。明らかにされていないそうだ。
まぁ、だからこそ想像力をかき立てられたりするんだろうけど。
そういうちょっぴり怪しい噂で有名な学校。
それが、篠原中学校である。
私が入学した中学校の名前。
なんか歌姫様目当てでここに入学した人もいるとかいないとか。
別に私は歌姫様のことなんて知らなかったし、興味もなかったけど。
「はい、静かに!」
クラスの担任、狭山先生の声でふっと我に返る。
狭山先生は、ほんわかした女教師で、正直先生っぽくない。
先生というより、図書館とかで居眠りしてる、頼りない委員長みたいな。
「やって」と言われたことを断れないでいるんじゃないかなーと思う。
「皐月さんっ!」
「はい?」
おっと、ぼーっとしてたから注意されてしまった。けど、たいして怖くない。
逆になぜかほのぼのしてしまったりして。
「今日は歓迎式典だけで終わりです。授業はありません。なので、早めに寝てできる人は今日までの復習もすること! いいですか?」
狭山先生が無理に声を張り上げて言う。
みんなほのぼのとしていて答えなかった。
だって可愛いんだもん、狭山先生。一応年上の方なんだけどね。
「い・い・で・す・か!」
「ふぁーい」
みんな真面目に答える気ナシ。もちろん私も。
狭山先生はちょっと不満そうな顔をしたけど、何も言わなかった。
「きりーつ、れーい!」
「「さよーならー」」
みんなそれぞれの家に帰るべく、支度を始める。
私も支度を始めたが、私が帰るのは家じゃない。
私が行くのは、『職員寮』。
さて、行くかと思って立ち上がった―――が。
「皐月さん、皐月さん」
狭山先生の声で、ぴたっと立ち止まってしまった。
「はい?」
そう返すと、なぜか先生は拗ねたように言う。
「もう、皐月さんったらさっきから『はい?』しか言わないのね。先生、どうすればいいか困るじゃない」
先生の短い癖のある髪がふわりと揺れた。
いや、そう言われたこっちも困るんですけど…。
そう言おうとしたが、やめた。
そう言い返したら、一生本題に入れない気がする。
苦笑して、適当に答えた。
「…言わないように善処します。で、用件は?」
先生は私の答えに満足したのか、にっこり微笑んでこう言った。
「皐月さん、職員寮の生徒だったわよね?」
「まぁ…」
「それじゃ、一緒に帰りましょ!」
…呆れた。
狭山先生、あなたは本当に先生なんでしょうか?
* * * * * * * * * *
職員寮。
それは、家の事情で帰れない私のような生徒のための寮である。
私の家の事情は母子家庭で、母が毎日毎日働いているから、ということ。
でも、職員寮と言うからには、職員の皆様もいるわけで。
職員寮と言うことは、職員の皆様も寝泊まりするわけで。
まぁ、ある意味緊張感高まる生活である。
と、思っていたのだが…。
「あ、皐月ちゃん! そこの醤油取ってくれない?」
「え、あー、これですか?」
「あ、そうそう。ありがとねー。明日の授業、一分だけ減らしてあげる!」
意外と、軽かった。
ていうか、手伝うおかげで、授業が減るとか宿題減るとか、いいのかそれで!?ってかんじではあるけど。
損はない。と、思いたい。
今はご飯作りの手伝い中だ。
何もせずにのほほんと暮らしているわけにはいかないので、ちゃんと手伝ったりしている。
ちなみにさっきのは、数学の風西先生。
一分だけってところが、風西先生の性格を表していると思う。
クラスでの第一印象は、2つに分かれている。
厳しすぎる! が、45%。
いい先生じゃん? が、55%。
ちなみに私はいい先生じゃん? の方だ。
厳しいけど、優しい。そんな感じかな。
ふと、気になって聞こうと思っていたことを思い出した。
「そうだ、風西先生」
「ん? なぁに?」
「ここに、私以外の生徒、一人いるんですよね」
そういう話を、職員寮にはいるための面接のときに聞いた。
確か、三年生の男子。
「…うん、いるねぇ」
…答える前の少しの沈黙はなんだ!?
もしかして。
「忘れてたんですか」
「あはははは」
あはははは、じゃないし。
「…あの、どんな人なんですか?」
ここに来て一週間は経つけれど、顔も見たことがない。同じ建物の中にいるんだから、すれ違ってもいいとは思うんだけど…。
「うーん、なんて言えばいいかね…」
「魔術師でしょ、あれは」
迷っていた風西先生の代わりに、近くにいた田代先生がいたずらっぽく笑った。
田代先生の担当は理科で、風西先生の親友。
風西先生とは似たような雰囲気を持っている。
風西先生は悪友って言ってたけど、確かそれは風西先生の苦手教科が理科だったから。
教科が嫌いで、ついでに理科の先生というのも嫌いになったとか。
よくわからない原理だ。たぶん、理科っていう単語が嫌いになったんだと思うけど。
ちなみにこれは田代先生情報。
私は理科が好きだから、嫌いになるなんてもったいないなぁと感じているのだが。
「魔術師…そうかもねぇ…よくわかんないからね、あの子の本質」
ぱりん、と風西先生が小さめのボウルに卵を割る。
それを私がといて、田代先生が卵焼き機に流し込む。
やってから思ったが、今は夜ご飯の時間。その時間に卵焼きって…。なんか違うと思う。
「まさにポーカーフェイス! みたいなね」
卵焼きの泡をつぶしながら、思い出したように田代先生が続ける。
魔術師みたいなって、どんな感じさ?
さらに意味がわからなくなってしまって、文章力のある国語の先生に聞けば良かったかなぁ、とか思った。
ちなみに国語の先生は古里先生。まだ一回しか授業を受けていないが、国語が苦手な私でも理解できそうだった。
つまり教え方が上手な先生だということで。
…あっ、風西先生、田代先生。ごめんなさいっ!