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Do not stand at my grave and weep;
で始まる、詠み人知らずの詩。
新井満氏が日本語訳された「千の風になって」
私のお墓の前で
泣かないでください
そこに私はいません
・・・・・
悲しみに暮れる、残された人に渡しています。
その時にはページを開く気にもなれないかもしれませんが、
いつかは、いやされると信じて送ります。
で始まる、詠み人知らずの詩。
新井満氏が日本語訳された「千の風になって」
私のお墓の前で
泣かないでください
そこに私はいません
・・・・・
悲しみに暮れる、残された人に渡しています。
その時にはページを開く気にもなれないかもしれませんが、
いつかは、いやされると信じて送ります。
HPに書かれていました。
手紙(ラジオに届いた)も紹介されていました。
でも私には怖くて読めません。
いえ、「怖い」という言葉はあてはまらないかもしれません。
どう言ったらいいのかな。。。
愛する人を失うことを想像してしまうからでしょうか。
身近な人を亡くした時の喪失感が蘇るからでしょうか。
突っ張って生きていた時はそうは思いませんでした
が一人は怖いと思います。
でもいつか生まれてきた時と同じように一人で逝かなくてはならないでしょうから、そうなった時には「風」となって身近な人の側にいたいとも思います。
宗教観は人それぞれ違いますが「死」に対しても「生」とともにある物事として強くありたいと思っています。なかなか達観することはできないと思いますが。
亡くなられるかたたちのほとんどが不本意でしょうしお気の毒です。が残されたかたたちはもっと苦しむような、そんな気がします。自分もそうだと。
いつかは別れがくるのですね。
一人では生きられませんね。
>愛する人を失うことを想像してしまうからでしょうか。
内容は、亡くなられた方が残された家族におくったものです。
なので、確かに愛する人を失ったイメージを想像すると思います。
愛する人を失った人は、何らかの形で自分を責めています。
この本が故人からのメッセージとして、残された方々が
少しでも癒されればと思います。
>一人で逝かなくてはならないでしょうから
原詩は、まさに自分が逝ったときに残された家族にあてたものの
ようです。自分も含めて、愛する人を失う想像を絶する喪失感から
少しでも救われればと思います。
σ(・・)もそう思います。その苦しみが少しでも癒されればと
思います。
>いつかは別れがくるのですね。
できるならば、天寿を全うしたいものです。
この本の中の手紙は、その逆なんですね。
ご存知かも知れませんが、この本詩集というよりは
(詩もこの1本ですが)写真集なんですよ。
読んで元気が出るわけではないけれど・・・。