第九話 勝敗の行方
正志の放った打球はレフト方向へ放物線を描くように飛んで行った。
飛距離は十分、入れば勿論逆転のスリーランホームラン。梁瀬に二点のビハインドをつけることになる。
難攻不落の一哉からホームランで得点し、二点のビハインドをつけるとなれば、九割方能美の勝利になるのはこの試合の両者を見ていれば明白である。
場内が激しくどよめく。能美ベンチからはキャプテンの外山や四番の一ノ倉などが飛び出し、口を空けて打球の行方を見守っている。
打たれた一哉は身を翻すようにして振り返る。
打った正志も打席から一歩も出ずに打球を見つめる。
今、この球場にいる全ての視線が、ただ一つのボールを追いかけていた。
打球が左へ曲がるようにしてレフトスタンドへのポール際へと飛び込むと、一気にレフトスタンドは騒然となった。
果たして打球はポールを巻いてスタンドに入ったのか、それとも巻かずに入ったのかどっちなのか?傍目から見るとどっちとも取れるような際どさだ。
前者であるならばホームラン。後者であるならばファウルである。
場内の視線が一転して今度は三塁塁審に集まる。
この際における判定の権利がこの三塁塁審にあるからだ。
しばらく沈黙を挟んだ後、三塁塁審の腕が動き、両手で頭の上にハの字を作る。
そのジェスチャーが意味するのは・・・ファウルという判定だ。
途端に三塁側スタンドから大きな溜息が漏れる。
同時に能美ベンチの選手たちはがっくりと肩を落とし、「あれが切れずに入っていたなら」と恨めしそうにポール際を見つめだす。
対照的に梁瀬ベンチでは安堵に胸を撫で下ろし、苦笑いをする選手たちの姿が見える。
「そうそう、うちのエースがホームランを打たれてたまるか」という負けん気の強さが伺える。
肝心の正志の心境はどうだろうか?
負けたくない相手からようやく起死回生とも思える一撃を見舞ったかと思ったら、それが大ファウルになってしまったのだから相当ショックなはずだ。
現にこのようなファウルを打ったあと、集中力が途切れてしまうのか、結果的に三振やしょぼいゴロに倒れることが多い。
だが、意外にも正志の表情にはなんの翳りも悔しさも感じられなかった。
精神的な逞しさか、それともまだ勝負を楽しめるという喜びなのか、いささかの動揺すらも見えない。
すると、正志はこの後、奇妙な仕草を見せた。
いや、正志だけではない、一哉もだ。
なんと、二人が目を合わせ、同時に頷いたのだ。
これは、正志と一哉がバッテリーを組んでいたリトルリーグ時代に交わしていた決め球のサインである。二人が同時に頷いたら迷わずスライダーという意思の疎通で交わされる二人だけに許されたサインだ。
正志と一哉はホームランがファウルになった直後、全日本選手権東関東大会決勝の場面を思い浮かべたことで、この一瞬だけ当時に立ち戻ってしまっていたのだ。
そしてそれは、次の一球で勝負を決めるという二人の本能が起こしたものでもあった。
勿論、正志と一哉は自分たちが頷き合ったことには気付いていない。だが、二人の脳裏には、すでにスライダーが決定事項となっている。
再び二人が目を合わせる。今度は無意識ではなく、最後の勝負へ向けての合図としてである。
一哉が投球動作に入る。そのしなやかで力強いフォームを見ていると、正志は一哉と共にスライダーを完成させた時のことを思い出す。
二人の友情の結晶と言ってもよかったスライダーが、今は二人の雌雄を決するものとなっているのだから皮肉である。
一哉の右手から放たれたボールが鋭く大きく曲がり滑るように迫ってくる。まさしく正真正銘のスライダーだ。
そのスライダーを打つべく、正志はここで左足を大きく右斜め前方へと踏み込む。
そして、ホームプレートの右隅を通過しようとする僅かな瞬間を狙ってバットを合わせに行く。
多少芯を外しても構わない。高校生が使っているのは金属バットだ。アドバンテージはバッターの方にある。
(当たれーーーー!!)
届くかこの一打?正志はこれまでで最も速いスイングで、まさしくボールを斬るように捉えにいった。
正志の中で一瞬、時が止まった。頭の中は真っ白になり、先ほどまでは強く抱いていた一哉に絶対勝ちたいとう気持ちすら消えていた。今はただ、互いに力を出し尽くせればそれでいい。そんな思いへと変わっている。
正志の時が再び刻み始めた。歓声を割るかのように鳴り響いた金属音が、正志を止まった時から解放する。
現実に立ち戻って、正志は一塁へと走りながら打球を目で追いかける。
打球はショートの頭上を越えて、レフトとセンターの間へと向かうライナーとなって弾け飛んでいた。
三塁ランナーの三原と二塁ランナーの木塚はすでにスタートを切って本塁へと走る。ツーアウトなのだから打った瞬間走るのは当然である。
あとはこの打球がヒットになるかどうかである。
レフトが快速を飛ばして打球へと向かい、必死にグラブを差し出す。
正志はそれを見て、「抜けろ」と強く念じる。
果たして、その願いが通じたのか、打球はレフトのグラブを僅かにかわしながら、フォローに来たセンターとの間に落ちて転がった。
それを確認した三原が右手を高々と上げて同点のホームを踏む。続いて二塁ランナーの木塚も両手を上げて逆転のホームイン。
能美高校逆転に成功!この場面でまさかのツーベースヒット。途端に巻き起こる大歓声。ここまで無失点で来た絶対的なエース。そしてこの試合ノーヒットノーランを続行中だった難攻不落の牙城・須賀一哉を打ち崩したのだ。
これほど痛快なことはないだろう。
能美ベンチと一塁側スタンドはまるでお祭り騒ぎのような喜びようである。
打った正志は二塁ベース上で、未だ実感が湧かないのか立ち尽くしていた。
まだ腕が震えている。打った感触が手に残っている。
そして思い出される一哉にコンビの解消を迫られたあの日の出来事を。
その一哉と同じ舞台に上がれるようになった自分を見つめ返すと、なんとも長い道のりだったかと思う。
ようやく、逆転打を放ったという実感が込み上げてくる。このシャワーのように降り注ぐ大歓声も、阿鼻叫喚に沸く一塁側スタンドの声も、全てが自分を祝福するものに思えて仕方がない。
今はビショビショになったこの汗臭いユニフォームも、ギラギラと照りつく陽射しさえも、全てが心地よかった。
正志は両腕を腰の方へと引き、天に向かって吠えた。野球をやり続けてきた喜びと、大仕事をやり遂げた達成感が入り混じった魂の咆哮だった。
(ありがとう一哉。お前と勝負できて本当によかった。)
気付けば、正志は一哉の背中に向かって、感謝の言葉を贈っていた。
さて、逆転を許した一哉だったが、やはりここまで鉄壁を誇っていただけに精神的にもタフである。
正志とこれほどの勝負を演じた直後にも関わらず、続く三番吉永を三振に打ち取ってショックがないことをアピールしてみせる。
できれば、追加点が欲しいところであったが、逆転しただけでも十分だ。
ベンチに引き上げてきた正志を、チームメイトが総出で迎え入れ、バンバンと叩き持て囃してくる。これまで何度も代打として結果を残してきたが、今日ほど嬉しいことはなかった。いや、今日のために野球をやってきたような気持ちだ。
自分の役目は終わった。あとはこのチームメイトを信じて見守るだけだ。
逆転したことで試合の流れは能美に傾いた。援護射撃を得たことでエース三原が気迫溢れる投球を見せ梁瀬打線からゴロの山を築く。
勿論、一哉も負けてはいない。七回、八回は変化球を中心とした配球で、同様に能美打線を凡打に仕留める。
試合は動かぬまま とうとう九回へと突入した。
能美ベンチでは誰もが、甲子園まであアウト三つということで、そわそわしていた。
そんな期待に沿えるかのように三原は早くも打者二人を打ちとって、ツーアウトと梁瀬を追い込んだ。
(あと一人で甲子園・・・)
少年の頃から夢見ていた甲子園。それが手に届くところにある。正志の両手は今まさに汗を握った状態であった。
だが、このあと一人というところで、ここまでの力投による疲れが出たのか三原はストライクを一つも奪えずにランナーを四球で歩かすことになった。
この状況にやきもきする能美ベンチ。だが、ランナーは一塁だ。長打でもない限り同点はない、まだまだ余裕がある。
すると、その直後だった。野球の神は能美を一気にどん底へと叩き落す。
カウントを取りにいった三原の初球が狙い打たれて、逆転ツーランホームランとなってしまったのだ。
ここに来てでまさかの逆転・・・能美ベンチは一気に静まり返った。
逆に息を吹き返したように湧き上がる梁瀬ベンチ。まさに天国と地獄である。
その後、能美は九回裏に必死の反撃を試みるも、一哉渾身の投球の前に敢え無く三者凡退。結局甲子園の切符は梁瀬の手に渡ることになってしまった。
試合終了を告げるサイレンが高鳴り、両校が整列して互いの健闘を称え合う挨拶が交わされる。
その列に自分が並ぶことが出来ない。それが正志にはとても悔しかった。
一哉と言葉を交わして、熱い勝負を演じてくれた礼と「おめでとう」を言いたかったのだ。
勝利の栄光を称える梁瀬の校歌が場内に鳴り響く中、能美ベンチでは肩を落とし咽び泣く選手の姿が多く見られた。
だが、正志は力を出し切れたことで涙はなかった。そして今は、もう一度一哉と戦いたいそれだけであった。
ようやく、皆、落ち着きを取り戻し、帰りの支度に取り掛かる。正志はすでに済んでいるので、あとは通路を抜けて球場の外に出るだけだ。
正志が通路に出ようとしたその時だった。息咳切って能美ベンチに梁瀬のユニフォームを着た選手が駆け寄って来た。
見ると、それはエースナンバー1に身を包んだ一哉だった。
「か、一哉!?」
正志は思わず目を疑った。試合が終わったとはいえ、相手の選手がベンチの前へ現れる。異様な光景だった。
「正志、明日以降で時間取れる日ないか?」
「はあ?」
いきなりやってきてこいつは何を言い出すのかと思う。
「いいから教えろ。暇な日はいつなんだ?」
「あ・・・まあ明日は一応休みだが」
「明日、明日だな!よし、明日の午後二時に“例の場所”へ来てくれ。いいか、明日の午後二時だからな」
それだけ言うと、一哉はすぐに一塁側へと走り戻っていってしまった。
「あ、おい!」
行くとも行かないとも答えていないのに、一方的に用件だけつけていく・・・一哉らしいなと正志は思い、口元が緩んだ。
(明日の二時に“例の場所”か・・・)
“例の場所”とは、正志と一哉がよく遊び場として利用していた「ふれあい広場」のことである。そこを指定したということと、試合後にわざわざそれを伝えにきたということは何か重大なことを話すということだろう。行かざるを得ないと正志は思った。
そして、翌日。正志は一哉に言われたとおり、“例の場所”へと向かった。
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続き待ってますっ><!!!
ていうか今回も面白かったです(`・ω・´)!!
試合シーンとかが特にっ
野球やってみたくなった((無茶
勝ってほしかった試合ですけど
正志は一哉のボールを打てたのでちょっとすっきりしましたww←
続き楽しみにしてます!!
>千年さん
明日か明後日にはなんとか・・・
どうもありがとうございます。
一応、こういう場なのである程度削ぎつつ、
情景が浮かぶような描写を心がているつもりなのですが、
それがどうにか伝わっているようで安心しました。
バッティングセンターとかキャッチボールするだけでも
楽しいかもしれませんよ。
個人的な勝負は正志の勝ちなので、それはそれでいいかなと思います。
まだ2年生ですから春と夏とでまだ2回チャンスがありますし。
次回もよろしくお願いします。(^^)