時の喫茶店

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思考停止の日本

2015-01-01 17:18:09 | 日記
今の日本をここに至らせたものは、思考停止の言語だろう。
「かわいい」ということばがあるが、ある人にサファイアのお気に入りを見せたら、「かわいい」ということばが帰ってきた。自分としては日本人好みの濃いブルーというかほとんど藍のサファイア、どこか日本海の色を染め上げた加賀友禅の黒のなかの波の花のような思いがする。
最近、007Skyfallを見ていた。007seriesは、あまり動きが緩くてみなかったものだが、このシリーズに関してはおもしろい。とくに上海の夜景など、今やどこの世界が世界の中心をなしているかが、わかる気がする。この映画を見て思うのは、今の日本はやがて中国にのみこまれてしまうのではないか、ということだ。
そもそも日本のさまざまな財政問題、さらには福祉政策の財源の問題の根底には、さまざまな福祉政策を実現する根底には日本の財源があるということだ。たとえば、現在、介護保険の問題があるが、このままさまざなな施設が膨張していったその先に、介護保険の破綻があるのではないかとうことだ。
もともと日本の財政破綻に関する問題は、直接税から間接税にその財源が移行するなかで決定づけられているのではないかということだ。1000兆円をこえる借金に首が回らない国日本。
一方で、ドラゴンのように上昇する中国経済。
日本人が「かわいい」の言葉で思考停止し、あいかわらずの1980年代の道徳観念で自分をしばりつけ、そのせまくなる世界の周囲に縄をはり、動きつづけるアジアの動向から目をそむけて、自己満足の快感に酔っていたころ、中国では、日本よりうんとまじめにお金のことを考えていた。
日本人が「かわいい」の思考停止をしているあいだに、中国をはじめとするアジアは、日本をメーカーだよりの国家に収縮させていった。そして、今、日本のゆとり思考にどっぷりとつかった誰であろうか、日本の製造精神の根底を崩壊させるような自己満足の日本社会を製造しようとしている。
今にかぎらず、日本人の思考の根底には、変な正義を面にしているその内側で金銭万能主義がどこかありつづけている。ソクラテスは、金銭万能のアテネ社会を攻撃しているのだが、日本人の今の金銭万能主義は、それと並行しなければならない、技術革新あるいは確実な知識建設への方向がないのでよけいに始末が悪い。
一方、中国を見ると、金銭万能の派手な側面と、技術革新あるいは新たなシステム建設の面のふたつの側面が並行して走っているような気がする。「かわいい」などという言葉を発している余裕がおそらく中国にはない。正月が来てみると、今年は初詣の人が多い。おそらくこれは不確実な時代を背景としているのだろう。
昨年、自分がいろいろな人たちと接して思ったのは、本を読んでいる人がいない、ということだ。
日本は、しだいに中国に完全に追いつかれていく。その際に、日本は、ふたたび原点に帰って、日本をかつて上昇させた理由である絶えざる技術革新を思い出す必要がある。正直言って正月にマラソンというのはもういいような気がする。その間に流れるCMは新車とパンの宣伝ばかりで、思うに、今の日本は年収200万円の家庭ばっかりで、そんなものを買う者はいない、ということだ。百均の宣伝でもしたほうがよい。
日本は、こうして表面上豊かな振りをテレビのなかではしている。しかし、実際には、それどころではない。
今のお年玉は万円単位であろうが、ずっと昔のまだお年玉が少なかった時代のころのほうが日本は健全であったと思う。そこには、未来に対する希望が見えていた。自分の家がいかに貧しくとも、国家の文教政策がしっかりしており、社会的上昇による社会の流動化を予測することができた。
しかし、今はどうであろう。落ちていくなかで日本は経済大国の表面面を保つためにあがいている。
もういちど日本は、すっかりなにもない状態になって、人生の再出発を語ることが必要ではないのだろうか。