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琥珀色の液体が漆黒の夜の闇を吸い取っていく。
闇の中にいるのを避けようとしてか人は明かりのなかへと行きたがる。
しかし、思うに人間には闇も必要だ。
十分な闇がないと十分な光も無い。
昨日、今日と重い体をひきずりながら仕事にでていた。
さすがに今日の午後はなにもかもが重かった。
しかし、心はやがて深いところにむいていった。
どっか間違えていたらどうしよう、という自分の慢性的変な心配性。
心配性といってもそれならそれで毎日徹夜で仕事をすればなんとかなろうのに
毎日、別のことを考えて、過ごしている。
明日こそは人生変わると思っていても、今の人生すらも消化できない。
あやしい古備前をみて、その美にあこがれている。
そもそも今の人生にいたるまでの自分がどうかしている結果なのか。
外では狂ったようにうならせてバイクが走る。
年齢がたつとどっか静かなところへ行きたくなる。
正しい人生などどこにもない。
こんなときは、中村文則の最後の命とかなにもかもが憂鬱な夜にという内容は忘れたが、そんな本の題名を思い出したくなる。
ほんとになにもかもが憂鬱な夜。
ほんとはこんな文章など書かずに、ごろごろして本でも読んで思考の泥沼にはまっているのがよいのかもしれない。
あなたは今の自分に幸せですか、といえば、みんなはどう答えるのだろうか。
自分はただ幸せですとこたえるのかもしれない。
というのも苦しいの自分だけなのだから、実は苦しいのは世の中なのではない。
世の中は苦しくないのだが、自分は苦しい。
苦しいから骨董にはいる。
そうすれば必然的にお金がなくなる。
体力もなくなる。これは自然に。
夜の時間が過ぎてゆく、夜はとまっているのだが、自分もとまっていたい。
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