快読日記

日々の読書記録

「病の神様」横尾忠則

2020年02月25日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
2月24日(月)

横尾忠則の「病の神様」(横尾忠則 文春文庫)を読み終わる。

10年周期で事故に遭う話に始まって、むちうち、不眠、過呼吸、喘息、発熱、飛蚊症、帯状疱疹など、タイトル通り病気にちなんだエッセイ集。

何がいいって横尾忠則のものの考え方が大好きです。

病気をきっかけに、不調の原因はあれで、その病気が結果的にこんないいことに結びついた!みたいな考え方をするところがいいです。

自分を導いてくれるなにかに対する信頼がハンパない。

こういう人にはいい人生が与えられるにきまってます。

あと、一度信頼した医者や鍼灸師には驚くほど素直で、看護婦さんが大好きで、とにかくチャーミング。

よく「体の声をきく」とか言うけど、本当に心底素直に体の声に耳を澄ますってなかなか難しい。
それを本能なのか何なのか、やってくれる横尾忠則なんです。


こういうのを読んでいると、人が年をとると病気の話ばかりするのは、案外楽しいからなんじゃないかと思えてきます。
お前も俺もみんな結局老いて病気になって死ぬんだ、わはは、みたいな。
(考えてみれば「病気以外の死」は本人も周りもつらいですから。)

「市原悦子 ことばの宝物」

2020年02月16日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
2月15日(土)

夜、寝る前「市原悦子 ことばの宝物」(市原悦子 主婦の友社)を読み始めたら、あっという間に読み終わる。

字がデカくて少ない。

生前、雑誌などでしゃべった箴言を切り抜いて集めたものなので、エッセイ「白髪のうた」や「ひとりごと」のかなり粗めのダイジェストというか上澄みみたいで、お休み前にちょうどいいかんじです。


樹木希林と比べると、やっぱり市原悦子は舞台の人だし、すごく才能に恵まれた人だと思う。

市原悦子が表現者・芸術家だとすると、樹木希林は労働者という気がしました。

一度、舞台を見たかったなあ、と思いながらすやすや寝た。

読書中『言葉を離れる』横尾忠則

2016年10月08日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
10月7日(金)

『小学二年生』がなくなるんだそうですね。
もう『小学一年生』だけしか残っていないという。

うちは両親ともに全然本を読まない家だけど、とりあえず欲しがれば買ってくれた。
中でも『小学○年生』と『○年生の学習』(『科学』は買ったことがなかった。今思えばあれが運命の岐路だったか…。)は定期購読してくれて、毎月本屋のおじさんが持ってきてくれた。
『小学○年生』の別冊ふろくのおかげで、ホームズの『まだらのひも』や『赤毛連盟』を読めたし『カゲマン』も大好きだった。
今でもミステリが好きなのはこういうきっかけがあったからかも。
本を読むことが楽しいのはもちろんだが、「あと少しで届く!」というときの待ち遠しさといったらない。

本読みにとって、そういう幼少期の読書体験は、何にも増して語りたいネタ。需要がないので語れないだけで。
今日読み始めた『言葉を離れる』(横尾忠則/青土社)はいきなり、自分はいかに本を読まなかったかという話から始まって、むしろ、それがよかったんだ、という展開だ。
なんだかちょっとうらやましいなあ。

わたしにとって本を読むことは知力の筋トレだし、モノを考えるときのガイド(補助線)でもあるから、読書なしの人生というのは全く想像ができない。
ところが一方で、本なんか読まねえよ〜!と叫んで木に登ったり歌ったりする子供に憧れを抱くこともある。

わたしが「本を読む自分である」ということは、自負でもあり劣等感のもとでもある、ということだ。

読了『ポエムに万歳!』小田嶋隆

2016年10月04日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
10月4日(火)

『ポエムに万歳!』(小田嶋隆/新潮文庫)を読んだ。

小田嶋隆は、他の人の本(今思い出せるのは内田樹とか)を読むとたまに引用されていて、読んだ気になっていた。
以前、『新潮45』でいわゆる「ポエム」について書いていて、それがおもしろかったので、この文庫のタイトルには速攻で飛びつく。

例えば、ヴィトンのバッグやブランド和牛の偽物はあっても 、トヨタの偽物はないのはなぜか、そもそも安い偽物が出るとはどういうことか、という話なんか、ポンと膝を打ったし、オリンピック招致の「ポエム」の気味悪さと腹黒さの指摘にも共感する。
今だったら、海老蔵とその夫人のブログについてはどう思っているのか、ぜひ知りたいところだ。

でも、あくまでも好みや相性の問題なんだろうけど、
読みながら何度も「なんでこの人こんなに偉そうなの?」と思った。
語り口が、橘玲に似ている。苦手なタイプだ。
しかも、解説が武田砂鉄。
私にとって今“読めばなるほどだけど、どうにも好きになれない口調”の3人がここで揃うなんて。

内容が大事なのは大前提だけど、その語り方も大事じゃないですかあ、と誰かに甘えてみる。

プロレスも分かってますよ、みたいに書いていて、そこもなんだか嫌だった。
「熱狂的サッカーファン」にプロレスがわかってたまるか、と思う。

読了『人生読本』西部邁

2016年09月28日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
8月21日(日)

西部邁の本を読んだ。
『人生読本』(ダイヤモンド社)。
20年くらい前のマイブームだった西部邁だけど、今の自分にはあんまりしっくりこなかった。
具体的な話がほとんどないからかもしれない。
ひたすら抽象的なテーマを抽象的な言葉で抽象的に語っておられる。

そういえば高校時代、部活の先輩が「ねえねえ、今の日本で一番頭がいい人って誰だと思う? あたしは西部邁っ!」と甲高い声でウキウキ話していたのを思い出した。
あれから30年……なつかしい。

読了『ユーモアの鎖国』石垣りん

2016年09月23日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
9月23日(金)

津村記久子のエッセイにあった『ユーモアの鎖国』(石垣りん/北洋社)を読み終える。

本人からすれば「生活の詩」といわれるのは不本意だったようで、そして、それに関しては同感なんだけど、それでもやっぱりその「生活感」の味わいはじんわりと染みるし、それが詩に昇華したときの意外なほどの力強さは素晴らしいと思う。
とくにお金の話になるとイキイキしていて(それも不本意かもしれないが)引き込まれる。
毎日仕事をして、三度のご飯を食べて、屋根の下で寝て、詩を書く、そういう実寸大の暮らしがずっしりとくる。

巻末に短い小説も入っている。

読了『泡沫日記』酒井順子

2016年07月25日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
7月24日(日)

『泡沫日記』(酒井順子/集英社文庫)を読了。

「初体験」をテーマにした日記風エッセイであったが、最後に「初めての死」も書きたいと言っているのが、さすが!文筆家魂ここに極まれり!と感心したことよ。

読書中『泡沫日記』酒井順子

2016年07月20日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
7月19日(火)

『泡沫日記』(酒井順子/集英社文庫)を読んでいたら、EXILEのコンサートに行った話があった。
彼らは客席に向かって敬語で語りかけるそうだ。
酒井順子もHIROの社員教育の賜物か、と感心していたが、ビジネスモデルとしてAKBとEXILE、どちらが優れているのだろう。

どちらのこともあまりよく知らないし、よく考えたらどっちでもいいんだけど。

それはともかく、
酒井順子、いとうあさこと対談したらすごくおもしろいんじゃないかな、とふと思う。

もうどこかでやってるかもしれない。

読書中『国家を考えてみよう』橋本治

2016年07月19日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
7月18日(月)

中島みゆき「エレーン」の「国はどこかと聞かれるたびに、まだありませんとうつむく」というフレーズのように、
「お国はどちら」と質問されたら普通「東北です」とか「尾張です」とか答えるし、
「お国訛り」という言葉もあるし、
つまり日本人にとって「国」というのは「ふるさと」や「出身地」のことだったんではないか。

だから、最近テレビで外国人が「お国はどちら?」と尋ねられて「アメリカです」って言ってたのを見て「そっか〜!確かにそれも“お国”だねえ」と笑いながら、
っていうか「国」ってなんだ?と思っていたところで、橋本治『国家を考えてみよう』(ちくまプリマー新書)を読んでみる。


そもそも、というところから始まる話はおもしろい。
「国」という漢字の成り立ち、「Nation」や「State」と「国」とはどこが違うかという話、そして何より昔の日本人の感覚を目の前に再現してくれる語り口の魅力。

日本人にとって「国家」とは一体何なのか。
「政府」は「幕府」と何がどう違うのか。

とりあえずついていってみる。

読書中『泡沫日記』酒井順子

2016年07月10日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
7月9日(土)

酒井順子『泡沫日記』(集英社文庫)を読み始める。

2011年の震災のところを読みながら、たしかにそうだったなーといろんなことを思い出し、それを「思い出した」ことに動揺する。

つまり「忘れていた」のだ。

「喉元すぎれば」もたいがいにしろよ、と自分がちょっとイヤになる。

それはともかく、5年前の粉でもおいしいパンが焼けたという話を読んだので、うちにもある数年前の粉を試してみようと決意した。

読了『子の無い人生』酒井順子

2016年07月08日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
7月7日(木)

この前、テレビで樹木希林が「人間、分別がついたら結婚なんかできない」と言っていた。

「日本人は子供を作りたくないのではない、育てたくないのだ」と指摘していたのは福岡伸一だった。

そんなわけで酒井順子『子の無い人生』(角川書店)を読了する。

〈人生を左右するのは「結婚しているか、いないか」ではない、「子供がいるか、いないか」なんだと…〉(帯より)

なるほど〜、と深くうなずきながら読む。
そして、その主張と分析には概ね賛成。

本論からそれるかもしれないが、つくづく思うのは、こういう「様々な立場」があってしかもその立場によって考え方が全く異なるデリケートな問題を、冷静に、かつ実感もたっぷりこめて、何より誤解をさせない正確な言葉選びで追究していく酒井順子はすごいなあ、ということ。
読み手への警戒心と信頼、両方をバランスよく持っていて、プロだなあ、と思う。

読書中『自分の頭で考える』外山滋比古

2016年07月04日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
7月3日(日)

うちの猫が外を歩きながら、ものすごく小さい声で「にゃんにゃんにゃんにゃん」と独り言を言っていた。
あー! なんて言ってるんだ!!

日中、暑くてぐったりなので、外山滋比古『自分の頭で考える』(中公文庫)を読む。
清潔な文章で、頭の中が涼しくなる気がする。

読了『罪と罰−ナニワ人生学−』青木雄二

2016年07月02日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
7月1日(金)

『罪と罰−ナニワ人生学−』(青木雄二/角川春樹事務所)を読了。

よく書ける人は、よく見る人だ。
松本清張もそうだし、この青木雄二も。
前半(っていうか後半も)パチンコの話ばかりだったけど、〈人間というのは、ずるい生き物や〉(92p)とか、「運命はその人の性格のなかにある」という言葉から〈まったくもって、人生というのは、その人の人柄がすべてなのである。それは、運の悪いとき、調子の悪いときにいちばんはっきりする〉(110p)とか、資本金を貯めるのに価値ある500万円とそうじゃない500万円では何が違うか、とか、人の紹介で仕事を取ろうとしてはいけない、とか、実践的な花登筐、というかんじだった。
根本的なところに「人間が好き」がある気がする。

最後は52歳にして漫画家を〈卒業〉する宣言で清々しく終わっている。

読書中『半生の記』松本清張/『衣もろもろ』群ようこ

2016年06月25日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
6月25日(土)

職場の空き時間に、松本清張の『半生の記』(新潮文庫)の続き。
こんなにズキズキ来る自伝はなかなかない。
朝日新聞社での従業員間に根付く差別意識に苦しむ姿、召集を受けて家を出る前日、まだ小さい長男に手伝わせながらこつこつ集めた本に蔵書印を捺す場面、戦地で感じた奇妙な充実感。
この前読んだ初期短編集『延命の負債』はフィクションだから読めたけど、これは辛い。
おばあさんが亡くなるところとか、感情をほとんど言葉にしない語り口(だから余計に悲しい)で描かれる場面の威力がすごくて、何度も鼻の奥がつんとする。
職場で読むには不向きな本だ。


夜、読みかけになっていた『衣もろもろ』(群ようこ/集英社文庫)を開く。
中年女にとって、たしかに寝間着選びも難しい。
わたしは上下セットのパジャマを着なくなって久しい。
だいたい一年中長袖のTシャツとスエットパンツだ。
子供のころ、母が何を血迷ったかネグリジェを買ってきたことがあった。
たしかガーゼで薄いピンクだ。
結果は群ようこと全く同じ、次の日の朝、ネグリジェが両脇をつなぐ一直線に丸まって固まっていて、ひどい寝冷えをした。
あれを着て、まくれあがらない人がいるんだろうか。いたら教えて欲しい。

読書中『半生の記』松本清張

2016年06月23日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
6月22日(水)

お昼に『半生の記』(松本清張/新潮文庫)の続きを少し読む。

印刷所に版下工として勤めはじめたあたりまで来たが、よくぞ腐らないで堅気を通したなあと思う。
わたしだったら絶対環境に負けて身を持ち崩しているところだ。

10代の終わりころ、芥川の自死があった。
松本清張って現代作家だけど、世代的には近代の人なんだなあと再認識。