《4/21読了 新潮社 2000年刊 【評伝】 こばやし・のぶひこ(1932~)》
筆者が渥美清と知り合ったのは昭和36年。
この7年後にドラマ「男はつらいよ」が始まり、翌年(昭和44年)に映画化される。
内容のほとんどは「寅さん」以前の渥美清が描かれています。
人間嫌いで人間不信の、人を寄せ付けない男、かと思えば巧みな比喩を駆使した話術で場を盛り上げる男、ところが、ちょっとした言葉の端から得体の知れない部分も感じられ、「いったい渥美清は何人いるの?」という意味でも「おかしな男」でした。
「「狂気のない奴は駄目だ」
渥美清は言い切った。
「それと孤立だな。孤立してるのはつらいから、つい徒党や政治に走る。孤立してるのが大事なんだよ」」(49p)
筆者が芸能人ではないからこそ聞けた本音。
「あの子の本当の才能はあの子にしかわからない」(弘田三枝子について 58p)
「狂気と孤立」と「弘田三枝子」っていう組み合わせにも味がありますね、納得。
全体的には、渥美清の謎めいた人間性と、筆者との微妙な(でも情が感じられる)関係、生涯抱いた森繁久彌に対する尊敬と憧れ、など、おもしろいところがたくさんありますが、特にフランキー堺の才能と伴淳三郎の特異な性格には興味津々です。
ドラマ版「男はつらいよ」の長山藍子演じるさくらと寅のあやしい関係や、その意外な最終回のエピソードもおもしろかった。
若い頃の肺結核からずっと、片肺の弱い体を引きずって仕事をしてきた渥美清ですが、その晩年を描いた場面(ここだけは付き人の話をもとに書かれている)は読むだけでもつらいです。
今、BSで毎週寅さんを見ていて、やっぱり寅さんにはリリーしかいないなあとしみじみしているわたしとしては、「男はつらいよ」を分析したものがあれば読んでみたいです。
「いいんだよ、もう。おれはなにも欲しくない。ファンもなにもいいよ」(最晩年の言葉 332p)
/「おかしな男 渥美清」小林信彦
筆者が渥美清と知り合ったのは昭和36年。
この7年後にドラマ「男はつらいよ」が始まり、翌年(昭和44年)に映画化される。
内容のほとんどは「寅さん」以前の渥美清が描かれています。
人間嫌いで人間不信の、人を寄せ付けない男、かと思えば巧みな比喩を駆使した話術で場を盛り上げる男、ところが、ちょっとした言葉の端から得体の知れない部分も感じられ、「いったい渥美清は何人いるの?」という意味でも「おかしな男」でした。
「「狂気のない奴は駄目だ」
渥美清は言い切った。
「それと孤立だな。孤立してるのはつらいから、つい徒党や政治に走る。孤立してるのが大事なんだよ」」(49p)
筆者が芸能人ではないからこそ聞けた本音。
「あの子の本当の才能はあの子にしかわからない」(弘田三枝子について 58p)
「狂気と孤立」と「弘田三枝子」っていう組み合わせにも味がありますね、納得。
全体的には、渥美清の謎めいた人間性と、筆者との微妙な(でも情が感じられる)関係、生涯抱いた森繁久彌に対する尊敬と憧れ、など、おもしろいところがたくさんありますが、特にフランキー堺の才能と伴淳三郎の特異な性格には興味津々です。
ドラマ版「男はつらいよ」の長山藍子演じるさくらと寅のあやしい関係や、その意外な最終回のエピソードもおもしろかった。
若い頃の肺結核からずっと、片肺の弱い体を引きずって仕事をしてきた渥美清ですが、その晩年を描いた場面(ここだけは付き人の話をもとに書かれている)は読むだけでもつらいです。
今、BSで毎週寅さんを見ていて、やっぱり寅さんにはリリーしかいないなあとしみじみしているわたしとしては、「男はつらいよ」を分析したものがあれば読んでみたいです。
「いいんだよ、もう。おれはなにも欲しくない。ファンもなにもいいよ」(最晩年の言葉 332p)
/「おかしな男 渥美清」小林信彦