
「本のことと事件のこと。」
1)
数日前の新聞に、この加害者の少女の診断名が「アスペルガー症候群」であると発表された。
昨年の11月に刊行されたこの本の終盤もその話題に割かれていて、筆者もその診断に対して肯定的だ。
「アスペルガー症候群」とは、自閉症とともに広汎性発達障害のうちのひとつ。
「広汎性発達障害とは家族関係・家庭環境や心理的原因で生じるいわゆる心因性疾患、心の病気ではありません。
また、統合失調症などの精神病とも異なります。生得的な脳機能の異変が精神の発達に影響を及ぼした結果、幼少期からの成長を通じて日常生活上のハンディキャップを生じている状態を指します。主な特徴に、『対人的・社会的・感情的な事柄に対して適切な理解・行動が困難であること』と『同一性、法則性、規則や整合性への依存や強い固執』が挙げられます」(191p)
(その中で、言語発達の遅れが顕著なものを自閉症、それが目立たないものがアスペルガー症候群と区別されることが多いようだが、この分け方には異論があり、今後基準が変わる可能性もあるそうだ。)
つまり、人の心を汲むことができず、人の言うことを文脈で理解することができない。
だから、冗談がわからないし、言葉を断片的に捕らえてそれにこだわるので、スムーズな人間関係が築けない。
そう、考えてみると、ちょっと変な人だな、くらいの感覚で普通にその辺にいる人なのだ。
じゃあ彼らがみんな犯罪に走るのかというと決してそうではなく、
周囲の理解(病気というより、個性として受け入れるというような意味)や教育などで社会に適応して暮らしていく人も多い。
病名が公表されることは、同じ症状に悩む人たちの不安をあおり、世間の偏見を助長することにもつながるという危惧から、発表が遅れたのだろう。
個人的には、病気は病気、罪は罪だと思う。
どんな病気だって、どんな薬を打ってたって、どんな動機があったって、そんなの関係ない。
法律は人を裁くのではなく、罪を裁いてほしい。
それが子供でも?
そう、それが子供でも。
2)
「少年犯罪を起こした子供の親子関係は、必要以上に子供に干渉し甘やかし続ける“過干渉型”か、子供が親に関心を払わない“無関心型”か、どちらかのケースに分類されることが多い」(71p)
先日読んだ「なぜ、その子供は腕のない絵を描いたか」(藤原智美)とつながるところが多いのだが、
過干渉にしろ無関心にしろ、子供ときっちり向き合うことを避けているという点ではなんら変わらない。
子供の脳を、真っ白なCD-ROMとでも思っているのか、英語だ公文だなんだかんだと1週間に5つも6つも習い事を入れる親とほとんど変わらないのではないか。人間扱いしていないという点では。
人間扱いされずに育った子供に、周囲の人の気持ちを尊重するなんてできっこない。
3)
父親が加害者少女をないがしろにしたいくつかのエピソードは、一見どこの家にもありそうな些細なことに見えるが、実はかなり強烈だ。
彼女にとって、家族は味方ではなかったのだということがよくわかる。
4)
彼女が好んでいた本として事件当初から「バトル・ロワイアル」があげられている。
怖くて刺激の強いものが大好きだったそうだ。
だけど、子供はみんな怖い話が好きだ。残酷だったりグロかったりするものは、怖いけど楽しい。
そこは昔から変わっていないと思う。
じゃあ、ここで名指しされた作品はどこが違うのか。
まず、恐怖の種類が「孤独」であること。
寒々としていて、無機的なこと。
そういえば昔の怖い漫画はやたら土着的だったような。
それから、文学作品というよりはただの「場面の羅列」に近いものだということ。
それなりに人間関係や各自の思惑もあるのだが、作品というほど内面を描いておらず、
たとえばビデオクリップのように、殺戮場面がコラージュされている。
そこにスピード感も生まれるので、わたしもぐいぐい読んでしまった記憶がある。
これをその「文脈が読み取れない」人間が読んだらどんな影響があるだろう。
わたしは決して「バトル・ロワイアル」が悪いとは思っていないし、
むしろ楽しく読んだ方なのだが、
赤ちゃんにコーラを飲ませない、というのと同じ意味で
やっぱり子供には読ませたくないなあ、と思う。
5)
この本で特に糾弾されているのは事件が起きた小学校の対応だ。
とりわけ事件後の校長ら教員の無神経な言動といったら、読みながら鼓動が早まるほどだ、怒りで。
保護者に向かって、
事件の経緯に関しては、みなさんニュースなどを見ているのですから、各家庭で児童に説明してください、と言い放ったとか、
事件の1週間ほど前、同じクラスの男の子が、カッターを振りかざした加害者少女に追いかけられた件で、
校長が取材に対し「その子がそのときに言ってくれていたら事件は防げた」と答えたとか。
実は他の児童によってこの件は担任に報告されていたにもかかわらずだ。
この男の子はその報道を見て「○○ちゃんが殺されたのは自分のせいだ」と泣きじゃくり、
さらにこの校長の発言が、市教委が作成した報告書に記載されたことから大きなショックを受けPTSDを発症した。
卒業アルバムに加害者少女を載せるかどうかという顛末もみっともないことこの上なく、
加害者少女の弁護士が事実をさらに隠蔽し、学校側に卑劣な知恵をつけているのにも失望する。
6)
同じ筆者が神戸の事件のその後を追った「少年A矯正2500日全記録」に比べて情報量が少ないことも問題だ。
発生から犯人が捕まるまでの間に警察の捜査ができた神戸などの事件と違って、
この事件は、加害者少女の身柄が事件発生とほぼ同時に確保され、
児童相談所から家裁、そして児童自立支援施設(かつての「教護院」)に入るまで、入ってから、
情報がほとんど外部に漏れない。被害者の家族に対してすら。
全国の小中学生のうち6パーセントが「アスペルガー症候群」を含むなんらかの発達障害を抱えているそうだ。
彼らに対して、早期に適切な教育を与え、円滑な社会生活を送らせるためにも、
原因の解明に向かって関係者が協力し、加害者の少女ときっちり向き合うことが大事だと思う。
何がいけなかったのか、どうすればよかったのかをひとつひとつ掘り下げていくことから逃げていると、
適切なケアが必要な子供が「加害者」に変わってしまう。
そこから子供を救うために。
あー、熱くなってしまった~。
一気読みしました。読後感は決してよくないけど。