《6/11読了 NHK「課外授業 ようこそ先輩」制作グループ/編 KTC中央出版 2003年刊 【テレビ 演劇】 えもと・あきら(1948~)》
この表紙の顔を見てください。
どんな表情も読み取れない。
こんな顔、一体何をどうしたらできるんでしょうか。
なんだか怖いです。引きつけられずにはいられないです。
その柄本明が母校の6年生に向けて行なった授業の書籍化です。
そこで何度も繰り返される「恥ずかしい」というキーワードは、俳優が抱えるジレンマ(見られたがる自分を恥じる気持ちか)を指すようでもあり、
「羞恥」こそが「演技」の母、つまり「恥ずかしい」を覚えた瞬間、人は「演技」を始めるんだ、ということを言っているのかもしれない。
そんなことを考えさせる話の後、子供を教室の前に立たせ、みんなで見つめたり、
「ロミオとジュリエット」や「ゴドーを待ちながら」などの一場面を演じさせたり、
最後には「絶望」というテーマで各班に台本を書かせ、その上演会をして授業はおしまいです。
「羞恥と演技」の関係を説明することはそんなに難しいことではありません。
しかし、それを実感させること、恥ずかしがる自分や演技する自分に気付かせるのは大変なことです。
柄本明がここで成功しているかは、いまいちわかりませんが、その「凄み」はグイグイ伝わります。
一方、もし自分が児童で「絶望」というテーマで舞台を作れと言われたらどうするか、真剣に考えました。
主人公が、欲しいものをすべて手に入れ、すべての願いが叶えられ、不死の肉体を得たら――絶望してゲラゲラ笑い狂うかな、とか。
では、今どきの小学生はどんなお芝居を作ったのか。
これが本当に傑作ぞろいなんですよ~。
活字で鑑賞したせいか、わずかに浮き世離れしたところがかえってシュールで。
特に「何も書かれていない黒板を見つめる無言劇」は映像で見たかったです。
この表紙の顔を見てください。
どんな表情も読み取れない。
こんな顔、一体何をどうしたらできるんでしょうか。
なんだか怖いです。引きつけられずにはいられないです。
その柄本明が母校の6年生に向けて行なった授業の書籍化です。
そこで何度も繰り返される「恥ずかしい」というキーワードは、俳優が抱えるジレンマ(見られたがる自分を恥じる気持ちか)を指すようでもあり、
「羞恥」こそが「演技」の母、つまり「恥ずかしい」を覚えた瞬間、人は「演技」を始めるんだ、ということを言っているのかもしれない。
そんなことを考えさせる話の後、子供を教室の前に立たせ、みんなで見つめたり、
「ロミオとジュリエット」や「ゴドーを待ちながら」などの一場面を演じさせたり、
最後には「絶望」というテーマで各班に台本を書かせ、その上演会をして授業はおしまいです。
「羞恥と演技」の関係を説明することはそんなに難しいことではありません。
しかし、それを実感させること、恥ずかしがる自分や演技する自分に気付かせるのは大変なことです。
柄本明がここで成功しているかは、いまいちわかりませんが、その「凄み」はグイグイ伝わります。
一方、もし自分が児童で「絶望」というテーマで舞台を作れと言われたらどうするか、真剣に考えました。
主人公が、欲しいものをすべて手に入れ、すべての願いが叶えられ、不死の肉体を得たら――絶望してゲラゲラ笑い狂うかな、とか。
では、今どきの小学生はどんなお芝居を作ったのか。
これが本当に傑作ぞろいなんですよ~。
活字で鑑賞したせいか、わずかに浮き世離れしたところがかえってシュールで。
特に「何も書かれていない黒板を見つめる無言劇」は映像で見たかったです。