快読日記

日々の読書記録

「傍聞き」長岡弘樹

2009年07月18日 | 日本の小説
《7/15読了 双葉社 2008年刊 【日本の小説 短編集】 ながおか・ひろき(1969~)》

どこかの書評で絶賛されていたので、かなり期待してました。
が! これも近ごろ幅を利かす「感心するけど感動しない」系の「消費される小説」です、わたしにとっては。

どうして人間の心理や行動にここまでみっちり「正しい解釈」を提示できるんでしょうか、不思議です。

人が何かをする。
その理由は心の深いところに幾層にも重なり沈んでいて、本人にだってわからないものです。
これが小説の登場人物であった場合、作者にもわからない。わかったなら「小説」に書く必要がない。そう思います。
(中島らも氏がいう「作者は神のように無力」ってのはこういうことではないのかな)
そして、そこにいろんな思いをめぐらすのが読者なんじゃないかと思うんです。
本・作者・読者の三者が「作品」を作る。
読書ってそういうもんでしょう。
読者に考える余地を与えないように、必死でつじつまを合わせ、種明かしと解説をしてくれる小説って一体何なんだろう。

偏見ですが、
こういうのを書く人と歓迎する人は同種で、
「みんなに感動を与えたい」とか平気で言える人であり、
「趣味は読書です」ってためらい(=自省)なく言える人であり、
やっかいなことに世の中のマジョリティであり、いわゆる善人だったりするので危険です。

…わたし ひねくれすぎですね。
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