快読日記

日々の読書記録

「ゆうじょこう」村田喜代子

2014年01月06日 | 日本の小説
《12/30読了 新潮社 2013年刊 【日本の小説】 むらた・きよこ(1945~)》

時は明治の半ば、熊本の遊廓に主人公イチが売られてくるところから話は始まります。

しかし、いわゆる「廓もの」(五社英雄映画や宮尾登美子作品のような)とは舞台は同じでもテーマが違う。
陳腐な言い方をお許しいただければ、女が女であることを受け入れて(生きていく以上そもそも「受け入れない」という選択肢はないんだけど)人生を勝ち取る話。
気負わず、しなやかに、つながりながらも自立して、自分が自分の人生の真ん中を歩む。
道はどんなに険しくても笑いながら歩こうぜ、という猪木イズムな傑作です。

野性的なイチはすごく魅力的で、さらに彼女が遊女の学校「女紅場」で机に突っ伏して書く作文がとってもいい。
明るい方へ向かうイチを「書く女」としたところも村田喜代子ならではだと思います。
理屈でくどくど考えずとも、思いを文章にすることはその人を立ち止まらせるし、現状を正確に捉えることにつながる。
そして、向きさえ決まればあとは歩き出すだけだ!
なんか、わくわくするでしょ。
花魁や女紅場の鐵子先生たち女同士のゆるいけど確実な連帯も心地よい。

村田喜代子の作品を読むことは、自分が女でよかったと感じる数少ない機会のひとつです。
読む前は「なぜ今、村田喜代子が廓もの?」とちょっと不思議でしたが、彼女たちのきらきらした行進のずーっと後ろを自分も歩いているのかなあと思うだけで、血行がよくなる気がしました。

/「ゆうじょこう」村田喜代子