快読日記

日々の読書記録

「父・鶴田浩二」カーロン愛弓 新潮社 「父・鶴田浩二の影法師」鶴田さやか マガジンハウス

2006年12月09日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
情熱と孤独


柳亭痴楽はいい男。鶴田浩二か錦之介、それよりずっとずっといい男。
そんないい男を間近に見続けて育った3人娘の、長女(カーロン愛弓)と次女三女(鶴田さやか)の手記を読んだ。
長女にとって、鶴田浩二は「父」や「俳優・鶴田浩二」というより、「男性」そのもので、
彼を最も理解しているのは自分であるという強烈な思いが伝わってくる。
「俺とお前とは相性がいい」という鶴田の言葉が何度も誇らしげに語られるのにも驚いた。
いわゆる「お父さんの思い出」とはまったく違うのはもちろんだが、
恋愛関係にあった男女の話というにもあまりに濃厚で狂おしい感情で、
なんだかすごくドキドキする。

『父に初めて「男」を感じたのは幼稚園の頃だった。
運動が苦手だった私が、父の目の前で校庭のジャングルジムから下りられなくなったことがあった。
父は私を送りがてら、よく幼稚園に来て、私に付き添っていた。
教室が始まっているのに、父は薄笑いを浮かべて見守るだけで、怯えて泣き出した私を下ろそうとはしなかった。
私は自分が、とても無様な格好で泣いているのに気付いた。
その瞬間、恐怖心が飛んでしまい、こんな姿を父に見られている恥ずかしさで身体が震えた。
父に嫌われる、誘惑出来なくなると思った。
今思えば、幼稚園児が考えることではないのだが、あの時は本気でそう思った記憶がある。
父の対応も普通ではなかった。
あのときの父の目は、私をサディスティックにいたぶっている男の目だった。
私は惨めで、いたたまれない思いで泣き続け、
暫くしてやっと父に抱き上げられると、しがみついて二度と離れず、
そのまま早引けすることになった』(29p)

強気で情熱的、脆くて繊細、この父娘はよく似ている。
どちらも身近にいたらかなりしんどい人間だと思う。振り回されそうなのだ。
でも、どうにも魅力的なのでページを繰る手は止まらない。もっと振り回されたくなる。
自分と父の間に立つ唯一の障害である母とは、とにかくそりが合わないようで、そのあたりの告白も生々しい。
一方、鶴田浩二の恋人・岸恵子に対してはかなり好意的だ。
「お前は岸恵子に似ている」と言われる場面もあり、
彼女は鶴田浩二の妻や家族ではなく「恋人」になりたかったんだろうなあとしみじみ思ってしまう。

この本がこれほどわたしをひきつけるのは、筆者・長女の驚異的な率直さに尽きると思う。
不器用さ、と言ってもいいだろうか。血の熱さ・濃さ、そして孤独も付け加えたい。
先に引用した幼稚園での恥辱プレイ(違うか)のエピソードなんて、
こんなこと書いちゃっていいのかなあ、と読む方が不安になるくらいだ。
そしてそれを全身の皮を削ぐように書き切ってみせるカーロン愛弓の女っぷりに、
ぞくぞくするような快感を味わうのだ。

そしてこれはもう、三女の本も読まねばなるまい、と手に取った「影法師」。
三女が生まれたときには、彼女と鶴田浩二の間には、すでに少なくとも3人(母・長女・次女)のライバルがいて、
情熱的に責め(あるいは責められ)、父との葛藤を続ける長女のような直情的なアピールはできなかった。
「スタア」鶴田浩二の光に戸惑いながらも敬愛している姿が印象的だ。
こちらは母親とよい関係らしく、二人のなれそめや夫婦間の危機(浮気を告白する鶴田の手紙も公開されている)などにも話が及ぶ。
三女が描く鶴田浩二は「父」であり「俳優」で、
とくに晩年山田太一のドラマに出たときの話や、
三女が女優としてデビューした後のことなど、
家族から見た「父・鶴田浩二」の体温が感じられる手記になっている。

2冊読み比べるとやはり様々な違いもある。
たとえば、三女が女優になるときも鶴田浩二は一切口を出さず、
仕事始めてからも援助はまったくしていないと言い切る長女に対し、
三女は、父がどれだけ細やかに自分のことを思いやり、
見守ってくれていたかを書いている。
また、若い頃、それまで上機嫌だった父が突然激昂し、家族に手を上げることはなかったにせよ、周囲のものに当たるという場面がたびたびあって、
三女はそれがとにかく怖かった、それが治まるまでじっとしていたというのだが、
長女の方には、そんな父の神経を理解できるのはこの私だけなのだという自信のようなものが伺える。

鶴田浩二という「いい男」を父に持ってしまったがゆえに、決して結ばれることはなく、
しかし、その自身の鏡像とも言える「鶴田浩二」をずっと追い続け(逃げ水を追っかけるようなものだ)、
最終的にはインド人ジャーナリストを結婚するちょっとエキセントリックな長女と、
母や姉たちより一歩遠くから、届かない父の姿にあこがれ続け、
自然と同じ俳優の道を歩んだ現実的で常識もありそうな三女。
三女の本を「鶴田浩二」と題するなら
長女のそれは「鶴田浩二と私」だな、などと思いながら
立体映像のように浮かび上がる「鶴田浩二像」に思いをはせる冬の日なのでした。