(南沢峠を見上げる)
注意! 南沢峠から栃屋谷集落への道は崩落しており、通行困難です。当ブログでは廃道歩きの経験の無い人の立ち入りは不可とします。栃屋谷集落から大棚集落跡への道も途中崩落個所があり、危険です。通過は控えたほうがよいでしょう
当ブログを始めた頃、奥武蔵の山の魅力は尾根歩きにあると思っていた。緩やかな尾根が延々と連なっているのはもちろん、近隣の山域、例えば奥多摩などに比べてエスケープが容易なのも大きな魅力であるのは間違いない。ただマイナールートを歩き始めると住民の生活のためにつくられた峠道を歩くのも面白いと感じるようになった。生活道路だから道が歩きやすくつくられていて、奥武蔵の尾根道を歩くのと変わらない快適さがある。但し峠道は使われなくなると尾根道と異なって自然崩落などにより廃れるのも早い。今回は原市場からいくつかのマイナーな峠道を使って西吾野駅まで歩いてみることにした。具体的には車道が越える倉掛峠を通って中藤地区へ行き、樫久保集落から南沢峠、更に栃屋谷集落から大棚集落跡まで登って一旦飯能アルプスの尾根に出る。スルギから滝不動へ下りて、最後は小床峠を越える予定だ。
倉掛峠を越えて南沢峠
新型コロナウイルス流行に伴う緊急事態宣言が解除されて、一応山歩きに出かけることができるようになった。とはいえ、感染の流行が完全に収まったわけではないため、予定よりも一時間ほど早く家を出る。西武線の混み具合は普段の半分程度といったところか。飯能駅で湯の沢行きのバスを待つ。バスが出発する頃にはそれなりの行列ができていたが、席が完全に埋まるほどの混雑ではなかった。バスはいつも通りに名栗(入間)川沿いの名栗街道を進む。住宅が密集した細い道路を抜けて原市場中学校バス停に着く。ここは周助山や龍谷山を歩いた時にお世話になった所だ。バス停脇の道路に置かれたベンチでゆっくり準備を整える。
道路を渡り、飯能駅方面へ戻ると信号のある交差点があり、ここを左に入る。するとすぐに道は二手に分かれる。一瞬迷ったので地形図を見ると、左が天神峠方面で、目的地である倉掛峠へは右に入ればよいようだ。相変わらず住宅が多い地域だが、行く手には以前歩いた周助山がよく見える。その周助山の際と名栗川とに挟まれた道路は意外にも交通量が多い。おそらく中藤(なかとう)中郷地区から倉掛峠を越えて名栗街道へと出るクルマが多いのだろう。斜面にへばりつくように立つ住宅が見えてくると道が分かれる。左へ入るのが峠道だ。峠道といっても広い道路で、峠手前まで住宅街となっている。最後の民家の脇には道路の竣工記念碑が立つ。昭和6年にはクルマが通れるほどの広い道が開通していたという。細い尾根で標高差も大きくないので、これほど道路建設に適した峠もなかったのだろう。記念碑から一登りで倉掛峠(221)に到着。何の表示もない峠だが、大きく掘削された切通しには植物が生い茂り、幽邃の美も感じられる。
(周助山を望む)
(名栗川 川を隔てて路線バスが通る名栗街道がある)
(倉掛峠道)
(倉掛峠の碑)
(倉掛峠 両側の壁は比高15mくらいはありそう)
峠から中藤方面へ下ると東に倉掛配水場がある。この配水場等がある関係で峠の東側は立入禁止となっている。緩やかな坂を下ると中藤中郷地区だ。倉掛峠までの標高差は20m程なので、かなり歩きやすい道だといえる。地区内には中藤川が流れ、下郷地区を通って名栗川へと合流する。竹寺の入口に位置する中沢行きのバスが通る所で、土休日でも一日4本利用することができる。クルマがすれ違うのがやっとの細い道の両側には住居が立ち並び、思ったよりも賑やかだ。住宅街を抜けると道は二手に分かれる。右は南沢峠の入口に当たる樫久保集落、左は中沢へと向かう。正面の尾根の山際には神社があるようだ。踏み幅の小さな石段を上がると小さな祠がある。その脇には尾根伝いに道があるようだ。南沢峠を越えられないようであれば、戻ってここから登るのも悪くない。
(倉掛配水場 周辺一帯は立入禁止)
(中藤中郷地区に下りてきた)
(結構賑やか)
(中藤バス停付近)
(石段を登るとこんな神社が 右脇から南沢山などに行けるようだ)
石段を下りて戻ると道の分岐に中藤(青石橋)バス停があることに気づく。南沢山や南沢峠を歩く場合、この中藤バス停が最寄りとなる。ここから北側は中藤上郷地区(樫久保集落)で、中沢方面と比べるとやはり民家が多い。ただ中郷地区と比べると谷が狭く、山深くなってきたという雰囲気はある。簡素な山門が設けられた養福寺を過ぎると樫久保入(湯ノ花川)を渡る小さな橋があり、湯ノ花林道が延びている。ここが南沢峠の入口だ。古い地形図はもちろん、地理院地図にも載っている古道の一つだが、奥武蔵登山詳細図によると廃道状態だという。ただネット上ではここを越えたという記録も散見されており、どんな状態なのか確かめてみたい。
(中藤バス停付近)
(樫久保集落 こういう雰囲気好きだねぇ)
(養福寺)
(湯ノ花林道 南沢峠の入口でもある)
橋を渡ってすぐに住居がある以外は鬱蒼とした林が広がる中を道は分け入っていく。それほど状態の悪くない舗装路が続くが、砂利道になった辺りから荒れが目立つようになる。それでも道形は明瞭だ。重機の転回場の先から傾斜がきつくなる。二手に分かれた沢を左に入ると道の崩落が酷い。散乱した伐木によって道が塞がれるが、そこを越えればやはり明瞭な道が続く。やや急な谷を登ると伐木が散乱する緩やかな谷に出る。どうやら杉林の奥に見える鞍部が南沢峠らしい。伐木の間には何となく踏み跡があり、それを辿ると無事南沢(なんざわ)峠(385)に出る。峠を示す標識はないが、スマホの地図ロイドを使って、ここが地理院地図の示す峠であることが確認できた。峠からは峠道を確認しづらいが、樫久保から上がる分には比較的明瞭な踏み跡があることは間違いないといえる。
(舗装路が切れる辺りで荒れが目立ってくる)
(水流の跡が目立つ道 昨年の台風の影響だろうか)
(重機の転回場のような所 右手から更に登れる)
(水流で抉られた道 この辺りが一番荒れていた)
(倒木帯を抜けると明瞭な道が続く)
(ここから踏み跡が薄くなる 峠から見たら廃道状態と感じても不思議ではない)
(南沢峠を見上げる)
(南沢峠に到着 樫久保方面を見下ろしている)
大棚集落跡からスルギへ
樫久保から南沢峠への道があることは確認できた。問題は栃屋谷(とちやがい)への道があるかどうかだ。こちらは傾斜がやや急で道形らしきものは全くない。ただ沢(谷)は下る分には一本道なので、崖地に差し掛からない限り、何とか下ることはできる。まずは広い谷を下る。傾斜は急だが上り下りができないほどではない。一頻り下ると水流の跡が現れ、やや深い谷となる。踏み跡を探すが全くない。しかし谷底には水流がなく、段差も大きくないので、ここを下りていくことはできそうだ。谷底に下り、慎重に下っていくと右手から沢が合流してくる。眼下にはトタン屋根の板らしきものが散乱しているのが見える。更に周囲を見回してみると左岸に踏み跡もあるようだ。お尻を着いて谷底へ下り、合流地点へ下り立つと明瞭な踏み跡が沢沿いに延びている。対岸には簡易的な浄水装置があり、上から見えたトタン屋根の板らしきものはこれだったようだ。確りとした踏み跡を進むと無事栃屋谷集落へと出る。南沢峠から栃屋谷への道は無いとは言い切れないが、廃道状態にあるといってよいだろう。
(南沢峠から樫久保方面 こちらは全く道がないが足跡はあった)
(道がないので沢の中を下っていく 段差は大きくないが山慣れていない人には無理だろう)
(ようやく左岸に道が現れる)
(簡易的な浄水施設だろうか)
(栃屋谷に出る)
(南沢峠への栃屋谷側の入口 おすすめはしません)
栃屋谷集落にはそれほど人家は多くないが、南沢峠入口の向かいには民家がある。その民家の北に草に覆われた砂利道がある。ここが次の目的地である大棚集落跡への道だ。当ブログでは以前スルギ尾根を歩いた際に栃屋谷集落北西にある集落を南集落と称していた。しかし南という地名はこの辺り一帯の広い地域を指し、件の集落は奥武蔵登山詳細図によると大棚集落と呼ばれていたそうだ。沢沿いの砂利道は林道というよりは生活道路だったのではないかという感じがする。しばらくは広くて良い道が上がっていく。しかし昨年の台風の影響なのか、道の崩落が目立ってくる。入口から10分ほど歩いたところで道の真ん中が水流で大きく抉られた状態となる。路肩の部分を歩いていくが、かなり危なっかしい。そこで水流の跡を進むが、今度は大きく抉れ過ぎていて(深さ150cmくらいある)上がることができない。結局危なっかしい路肩を慎重に進んで何とか難局を乗り切る。
(大棚集落跡への道)
(途中までは広くて良い道が続く)
(水流で抉られた道 写真ではわかりにくいが、結構深い)
崩落地点を過ぎると倒木によって砂利道は行き止まりとなる。倒木を越えた先は平場になっており、奥は更に倒木によって足の踏み場が無い状態だ。平場の周囲にはお茶らしき木の葉が茂っており、ここが大棚集落跡であったことが窺える。問題は倒木の奥だ。頭上をよく見回すと人為的な石積みが見える。倒木を越え、お茶の枝藪を掻き分けて、平場から右斜め上に上がっていくと、石積みの脇に出ることができた。石積みの上は草が生い茂る平場となっていて、かつては住居が立っていたのだろう。現在その痕跡となるようなものは無い。さて残る問題はどうやって飯能アルプスと堂平山との鞍部に出るかだ。住居跡の裏手は斜面が急すぎて登れない。石積みの脇に戻ると住居跡の上をトラバースするように踏み跡が延びているのが見える。踏み跡を辿ると見覚えのある鞍部に出る。この先、スルギまでは歩いたことのある道だ。
(崩落地以外は比較的歩きやすい道だ)
(ここが終点 手前の倒木の奥に最初の平場がある)
(最初の平場 ここも住居跡だったのだろうか)
(お茶の木が繁茂している)
(下から石積みを見上げる あそこに行くまでが大変)
(確りとした石積み)
(集落上部の平場 日当たりは良いので住居跡なのだろう)
(集落跡からこの道が稜線へと延びる)
(鞍部に出た 右が大棚集落跡 左は奥武蔵登山詳細図によるとスルギ尾根へと出られるらしい)
鞍部から飯能アルプスの一部に当たるスルギ尾根を目指す。すると前方から若い男性がやって来る。山中で人に会うのはこれが初めてだ。スルギ尾根は一般ルート扱いなので、人出も多くなりそうだ。10分ほど進み、道標の看板が置かれたスルギ尾根上のピークに出る。ここは堂平山への道が分岐する所で実はわかりにくい。崩落地や倒木との格闘で疲れていたせいもあったのか、ここで東へ向かう道を選択してしまう。高反山の西の肩を越えた辺りで高齢者のグループとすれ違う。ここでふと採石場からの音が大きくなってきたなと気付く。しまった…東へ向かっていたか。道を戻り、堂平山への分岐となっているピークまで戻ってくる。ここは大高沢入山(520)というらしい。
(大高沢入山の頂上)
大高沢入山から六ツ石ノ頭は小さなアップダウンがあり、疲れた身体にはきつい。個人的には前坂から子ノ権現の間のいわゆるスルギ尾根はあまり好みではない。ボクにとって奥武蔵の尾根は長くてアップダウンが少ないというイメージがあり、この辺りなら周助山から竹寺へと延びる尾根のほうが好みだ。六ツ石ノ頭直下はなかなか急で、ここで先ほどすれ違った高齢者グループに先を譲られる。まあこっちも疲れているんだよねとも言えず、頑張って登って六ツ石ノ頭の頂上(540)に着く。小さな岩がちょこちょこと突き出しており、そこから山名が付けられたのだろう。
(六ツ石ノ頭直下の斜面)
(六ツ石ノ頭の山頂標識)
六ツ石ノ頭からスルギまでは何度か尾根がクネクネと折れ曲がる。10年前に初めて歩いた時は踏み跡がまだ明瞭ではなく、小さなプラ製の道標だけが頼りだった。現在は奥武蔵の山人さんらの尽力によって整備されたので、道はかなりわかりやすくなった。小ピークを二つ巻き、久久戸山を巻いていくと尾根が分岐するスルギに到着。縦走路を外れたほうの尾根には大岩があり、そこにザックを乗せて休憩を取る。困難だった道のりに加え、湿度と温度の高さもあって全身汗でびしょ濡れだ。汗が引くのをしばらく待っていると先ほど追い抜いた高齢者グループやトレランのお兄さんなどがやって来る。スルギ尾根はすっかり一般向けにルートになったのだなぁと思うと感慨深い。
(六ツ石ノ頭を過ぎると巻き道が増える)
(スルギ 尾根の分岐地点となっている)
(休憩を取った岩場)
小床峠越え
後から来た高齢者グループも休憩を取り、周囲も賑やかになってきたので、そろそろ出発しよう。休憩を取っていた大岩を越えるともう一つ大きな岩がある。尾根を塞ぐほどの大きさだが、西側から巻くことができる。大岩を巻くと尾根は東へ折れていく。明瞭な道を下っていくと尾根から西側の斜面を下る辺りで軽トラが通れるほどの広さへと変わる。どうやら林道(奥武蔵登山詳細図によるとするぎ林道というらしい)として使われているらしい。広い道を下り始めるが、更に西に派生する尾根に細い道がある。林道が開削されるまではこの道を下っていたのだろう。こちらを使っても下で林道と合流できそうだ。林道と山道が合流する辺りは間伐がなされていて、下の様子が観察できる。ふむ、道は大きなジグザグを描いて下っているな。上から見た通りに下っていくと谷の左岸へ渡る。その先は舗装路だ。そのまま下ってロープ柵を越えると青場戸集落にある滝不動に着く。げげっ、振り返るとロープ柵に立入禁止と書かれているな…。
(尾根を塞ぐ大岩 左から巻ける)
(尾根から西側斜面を下る 林道のような道だ)
(この辺は昔の道らしい)
(写真ではわかりにくいが、画面中央に道がカーブしているのが見える)
(スルギ入口 なおロープ柵には立入禁止と書かれた札が掛けられている)
(滝不動)
(石仏群庚申塚 この辺はあまり変わりないようだ)
(不動滝)
最後の目的地である小床峠へは地理院地図を見ると東へ少し下った谷から道が付いているように描かれている。しかし奥武蔵登山詳細図では西に登った浅見茶屋付近から峠道が延びているようだ。とりあえず地理院地図の道を探ってみようと下っていくと谷の入口には民家が立っている。どう考えてもここを抜けて谷を登っていくのは無理だ。諦めて浅見茶屋へ向かう。結構傾斜が急で足が上がらなくなってきた。これは西吾野駅まで行くのに難儀しそうだ。浅見茶屋で何か冷たいものでもと思ったが、残念ながら休業中。当面は月・火・木・金曜日のみの営業とのことだ。浅見茶屋の向かいにある建物の先で舗装路が北へ分かれている。地理院地図には描かれていないが、古い地形図には道形があり、現在はこちらが峠道という扱いのようだ。
(浅見茶屋 近年は水不足で広告掲載等は断っているとのこと)
(ここを右に入ると小床峠に行き着く)
分岐を北に入ると奥行きのある谷が広がっている。入口にある大岩の下には奥武蔵登山詳細図に描かれている石造りの祠がある。谷は大きく二つに分かれていて、右の谷には丸太橋が架けてある。一方左の谷には奥に木段が設けられている。一先ず左の谷を登ってみるが、墓地に突き当たって道は途切れてしまう。そこで登山詳細図を開いてみると右の谷の左岸を九十九折に登っていけばよいらしい。道を戻って橋を渡ると確かに踏み跡が九十九折に登っていく。九十九折を登りきると尾根に出るが、ここは子ノ権現と吉田山を結ぶ稜線から派生したものだ。尾根を登っていくと道標である看板が付けられた平場に着く。小床峠に着いたかと思ったが、ようやく子ノ権現と吉田山との間の稜線に取りつけただけだ。自分の古い記録を見るとこの辺りに墓地があったようだが、見当たらなかった。ここで一息入れていると少し年上くらいのカップルがやって来る。ボクのような奇特な人間ならともかく、こんな蒸し暑い日にアップダウンの多いマイナールートを歩く人がいるとは渋い趣味だ。
(舗装路から入るとこの景色が広がる なかなか良い雰囲気)
(奥武蔵登山詳細図に書かれた祠)
(この道を行くと墓地に行き着くので間違い)
(小床峠へはここを渡る)
(左岸斜面を九十九折に上がる)
(派生尾根から吉田山~子ノ権現間の稜線を目指している最中)
(吉田山~子ノ権現間の稜線に出た 子ノ権現へは西の尾根を登っていくだけだが、小床峠へは北へ斜面を横切っていく)
小床峠へは斜面を横切るように下っていく。尾根に出て、南側を巻くように下っていくと小床峠に着く。広い林道のような道が交差しており、以前の小さな峠の面影は感じられない。こんなことになっていたのか…。時の流れの速さを感じずにはいられない。唯一金属製の道標だけが往時の記憶を残している。ただ往時の峠より広くなったおかげでベンチが設けられたことは疲れた身体には幸いだった。ザックを下ろして昼食を取る。奥武蔵登山詳細図を見ると北に延びる尾根に沿って下るのが往時からある峠道のようだ。それ以外に谷を隔てた右岸斜面を利用して下る道もある。どちらも林道のような広い道が下っているので、一先ず往時の峠道を下ってみて、難しいようなら右岸斜面の道を下ってみよう。
(北へ斜面を横切りながら下る この辺り、読図の練習に良いかも)
(尾根を下る 小床峠は近い)
(小床峠)
(この看板は以前にもあった)
小床集落へと下る往時の峠道と思われる道は北へ延びる尾根上に付けられている。広い道を進むとそのまま尾根を越えて西へと下っている。これは林道なので別の踏み跡があるはずだ。尾根上に薄い踏み跡があるのでそれを辿ってみる。小ピークを越えると踏み跡は消えて急斜面が下っている。これはどうも違うようだ。奥武蔵登山詳細図によると尾根を東に巻く所があるらしいが、往路を戻っても見つけられない。ううむ、仕方がない。右岸斜面を下るとしよう。
(こちらが小床への峠道なのだが、途中から道が見つけられなかった)
(この辺りで道を引き返す)
小床峠に戻り、右岸斜面の道に入る。こちらは広い道が延々と続いている。往時の峠道から一本東にある尾根を下る道なので、大雨の影響などを受けにくいのだろう。二つの小ピークを東から巻き、大きくカーブを描きながら下っていく。向かいの尾根を見ると左岸に木段が付いているのが見える。あれが往時の峠道らしい。どのように峠へとつながっているのだろうか。ロープ柵が張られた脇から小床集落の道路に下り立つ。ここも立入禁止と書かれているな。まあ悪意はないので許してもらおう。谷の左岸へ行くと道標が立ち、小床峠を指示していた。ここは改めて上りで使ってみる必要がありそうだ。
(右岸斜面の道 なお木段を上がると吉田山へと向かう)
(こんな具合で道の状況は良い)
(疲れていたけれどもここは歩きやすかった)
(最初の小ピークを巻く)
(二つ目の小ピークを巻きながら下っていく)
(露出した地層)
(歩きやすいけれども立入禁止の表示があったのでおすすめはしません)
(小床峠入口 峠道は尾根の東側斜面をトラバースしながら下るらしいのでここは上りに使ったほうがわかりやすそうだ)
ベンチがあるので10分ほど休憩を取り、西吾野駅へ向かう。ここからはずっと舗装路歩きなので危険な所はない。途中水場があったり、石仏が置かれていたりと見所は結構あるが、旅も終わりに近づきあまり印象に残っていない。国道に出て、西吾野駅へ向けて坂を上がる。ここは普段スタートに使うことが多いので、ゴールに使うと最後にしんどい思いをすることになる。無事駅に着き、ホームへ上がると電車が来るまで30分ほど時間があるようだ。スタートから5時間程度と体力的にはさほど厳しいコースではなかったが、あれこれと迷うことが多く、精神的に疲れることが多かった。でも古の峠は体力的には楽なルートが多く、色々と歩いてみる価値は十分にあると感じられる山旅であった。
(水場 特に美味しいというほどではない)
(石仏 ちょっと珍しい形)
(奥武蔵登山詳細図に書かれた大岩とはこれのことだろうか)
DATA:
飯能駅(国際興業バス)原市場中学校バス停7:36→7:54倉掛峠→8:08中藤バス停→8:18樫久保集落(湯ノ花林道入口)→8:46南沢峠→9:03栃屋谷集落→9:40大棚集落跡→9:53大高沢入山→10:17六ツ石ノ頭→10:33スルギ10:41→10:57滝不動→11:08浅見茶屋→11:36小床峠→12:14小床集落12:25→12:46西吾野駅
地形図 原市場 正丸峠
トイレ 道中にはありません
交通機関
西武池袋・秩父線 小手指~飯能 242円 西吾野~小手指 377円
国際興業バス 飯能駅~原市場中学校 451円(以上 ICカード利用)
関連記事:
平成23年1月3日 周助山から子ノ権現と吉田山
平成25年1月3日 前坂から子ノ権現・竹寺と鳥居観音
平成25年2月11日 龍谷山から天神峠を経て楢抜山から論地山
平成26年1月13日 吾野駅南側周回コースを歩く
樫久保から南沢峠へは踏み跡を辿れて読図ができる人であれば歩けるレベルかと思います。少なくとも峠手前までは踏み跡があります。
南沢峠と栃屋谷の間は廃道状態です。登りに使うのも難しいので一般の立ち入りは不可と考えてよいでしょう。
南沢峠から長久保坂を経れば栃屋谷へ下りることは可能です。
栃屋谷から大棚集落跡への道は途中崩落個所があります。路肩が崩れやすいので通過は危険です。事実上の廃道状態と言ってよいかもしれません。
小床峠から小床集落への峠道は不明瞭となっています。登りに使ったほうがわかりやすいかもしれません。本文で利用した道は入口で立入禁止と明記されていたので利用は避けたほうがよいでしょう。
注意! 南沢峠から栃屋谷集落への道は崩落しており、通行困難です。当ブログでは廃道歩きの経験の無い人の立ち入りは不可とします。栃屋谷集落から大棚集落跡への道も途中崩落個所があり、危険です。通過は控えたほうがよいでしょう
当ブログを始めた頃、奥武蔵の山の魅力は尾根歩きにあると思っていた。緩やかな尾根が延々と連なっているのはもちろん、近隣の山域、例えば奥多摩などに比べてエスケープが容易なのも大きな魅力であるのは間違いない。ただマイナールートを歩き始めると住民の生活のためにつくられた峠道を歩くのも面白いと感じるようになった。生活道路だから道が歩きやすくつくられていて、奥武蔵の尾根道を歩くのと変わらない快適さがある。但し峠道は使われなくなると尾根道と異なって自然崩落などにより廃れるのも早い。今回は原市場からいくつかのマイナーな峠道を使って西吾野駅まで歩いてみることにした。具体的には車道が越える倉掛峠を通って中藤地区へ行き、樫久保集落から南沢峠、更に栃屋谷集落から大棚集落跡まで登って一旦飯能アルプスの尾根に出る。スルギから滝不動へ下りて、最後は小床峠を越える予定だ。
倉掛峠を越えて南沢峠
新型コロナウイルス流行に伴う緊急事態宣言が解除されて、一応山歩きに出かけることができるようになった。とはいえ、感染の流行が完全に収まったわけではないため、予定よりも一時間ほど早く家を出る。西武線の混み具合は普段の半分程度といったところか。飯能駅で湯の沢行きのバスを待つ。バスが出発する頃にはそれなりの行列ができていたが、席が完全に埋まるほどの混雑ではなかった。バスはいつも通りに名栗(入間)川沿いの名栗街道を進む。住宅が密集した細い道路を抜けて原市場中学校バス停に着く。ここは周助山や龍谷山を歩いた時にお世話になった所だ。バス停脇の道路に置かれたベンチでゆっくり準備を整える。
道路を渡り、飯能駅方面へ戻ると信号のある交差点があり、ここを左に入る。するとすぐに道は二手に分かれる。一瞬迷ったので地形図を見ると、左が天神峠方面で、目的地である倉掛峠へは右に入ればよいようだ。相変わらず住宅が多い地域だが、行く手には以前歩いた周助山がよく見える。その周助山の際と名栗川とに挟まれた道路は意外にも交通量が多い。おそらく中藤(なかとう)中郷地区から倉掛峠を越えて名栗街道へと出るクルマが多いのだろう。斜面にへばりつくように立つ住宅が見えてくると道が分かれる。左へ入るのが峠道だ。峠道といっても広い道路で、峠手前まで住宅街となっている。最後の民家の脇には道路の竣工記念碑が立つ。昭和6年にはクルマが通れるほどの広い道が開通していたという。細い尾根で標高差も大きくないので、これほど道路建設に適した峠もなかったのだろう。記念碑から一登りで倉掛峠(221)に到着。何の表示もない峠だが、大きく掘削された切通しには植物が生い茂り、幽邃の美も感じられる。
(周助山を望む)
(名栗川 川を隔てて路線バスが通る名栗街道がある)
(倉掛峠道)
(倉掛峠の碑)
(倉掛峠 両側の壁は比高15mくらいはありそう)
峠から中藤方面へ下ると東に倉掛配水場がある。この配水場等がある関係で峠の東側は立入禁止となっている。緩やかな坂を下ると中藤中郷地区だ。倉掛峠までの標高差は20m程なので、かなり歩きやすい道だといえる。地区内には中藤川が流れ、下郷地区を通って名栗川へと合流する。竹寺の入口に位置する中沢行きのバスが通る所で、土休日でも一日4本利用することができる。クルマがすれ違うのがやっとの細い道の両側には住居が立ち並び、思ったよりも賑やかだ。住宅街を抜けると道は二手に分かれる。右は南沢峠の入口に当たる樫久保集落、左は中沢へと向かう。正面の尾根の山際には神社があるようだ。踏み幅の小さな石段を上がると小さな祠がある。その脇には尾根伝いに道があるようだ。南沢峠を越えられないようであれば、戻ってここから登るのも悪くない。
(倉掛配水場 周辺一帯は立入禁止)
(中藤中郷地区に下りてきた)
(結構賑やか)
(中藤バス停付近)
(石段を登るとこんな神社が 右脇から南沢山などに行けるようだ)
石段を下りて戻ると道の分岐に中藤(青石橋)バス停があることに気づく。南沢山や南沢峠を歩く場合、この中藤バス停が最寄りとなる。ここから北側は中藤上郷地区(樫久保集落)で、中沢方面と比べるとやはり民家が多い。ただ中郷地区と比べると谷が狭く、山深くなってきたという雰囲気はある。簡素な山門が設けられた養福寺を過ぎると樫久保入(湯ノ花川)を渡る小さな橋があり、湯ノ花林道が延びている。ここが南沢峠の入口だ。古い地形図はもちろん、地理院地図にも載っている古道の一つだが、奥武蔵登山詳細図によると廃道状態だという。ただネット上ではここを越えたという記録も散見されており、どんな状態なのか確かめてみたい。
(中藤バス停付近)
(樫久保集落 こういう雰囲気好きだねぇ)
(養福寺)
(湯ノ花林道 南沢峠の入口でもある)
橋を渡ってすぐに住居がある以外は鬱蒼とした林が広がる中を道は分け入っていく。それほど状態の悪くない舗装路が続くが、砂利道になった辺りから荒れが目立つようになる。それでも道形は明瞭だ。重機の転回場の先から傾斜がきつくなる。二手に分かれた沢を左に入ると道の崩落が酷い。散乱した伐木によって道が塞がれるが、そこを越えればやはり明瞭な道が続く。やや急な谷を登ると伐木が散乱する緩やかな谷に出る。どうやら杉林の奥に見える鞍部が南沢峠らしい。伐木の間には何となく踏み跡があり、それを辿ると無事南沢(なんざわ)峠(385)に出る。峠を示す標識はないが、スマホの地図ロイドを使って、ここが地理院地図の示す峠であることが確認できた。峠からは峠道を確認しづらいが、樫久保から上がる分には比較的明瞭な踏み跡があることは間違いないといえる。
(舗装路が切れる辺りで荒れが目立ってくる)
(水流の跡が目立つ道 昨年の台風の影響だろうか)
(重機の転回場のような所 右手から更に登れる)
(水流で抉られた道 この辺りが一番荒れていた)
(倒木帯を抜けると明瞭な道が続く)
(ここから踏み跡が薄くなる 峠から見たら廃道状態と感じても不思議ではない)
(南沢峠を見上げる)
(南沢峠に到着 樫久保方面を見下ろしている)
大棚集落跡からスルギへ
樫久保から南沢峠への道があることは確認できた。問題は栃屋谷(とちやがい)への道があるかどうかだ。こちらは傾斜がやや急で道形らしきものは全くない。ただ沢(谷)は下る分には一本道なので、崖地に差し掛からない限り、何とか下ることはできる。まずは広い谷を下る。傾斜は急だが上り下りができないほどではない。一頻り下ると水流の跡が現れ、やや深い谷となる。踏み跡を探すが全くない。しかし谷底には水流がなく、段差も大きくないので、ここを下りていくことはできそうだ。谷底に下り、慎重に下っていくと右手から沢が合流してくる。眼下にはトタン屋根の板らしきものが散乱しているのが見える。更に周囲を見回してみると左岸に踏み跡もあるようだ。お尻を着いて谷底へ下り、合流地点へ下り立つと明瞭な踏み跡が沢沿いに延びている。対岸には簡易的な浄水装置があり、上から見えたトタン屋根の板らしきものはこれだったようだ。確りとした踏み跡を進むと無事栃屋谷集落へと出る。南沢峠から栃屋谷への道は無いとは言い切れないが、廃道状態にあるといってよいだろう。
(南沢峠から樫久保方面 こちらは全く道がないが足跡はあった)
(道がないので沢の中を下っていく 段差は大きくないが山慣れていない人には無理だろう)
(ようやく左岸に道が現れる)
(簡易的な浄水施設だろうか)
(栃屋谷に出る)
(南沢峠への栃屋谷側の入口 おすすめはしません)
栃屋谷集落にはそれほど人家は多くないが、南沢峠入口の向かいには民家がある。その民家の北に草に覆われた砂利道がある。ここが次の目的地である大棚集落跡への道だ。当ブログでは以前スルギ尾根を歩いた際に栃屋谷集落北西にある集落を南集落と称していた。しかし南という地名はこの辺り一帯の広い地域を指し、件の集落は奥武蔵登山詳細図によると大棚集落と呼ばれていたそうだ。沢沿いの砂利道は林道というよりは生活道路だったのではないかという感じがする。しばらくは広くて良い道が上がっていく。しかし昨年の台風の影響なのか、道の崩落が目立ってくる。入口から10分ほど歩いたところで道の真ん中が水流で大きく抉られた状態となる。路肩の部分を歩いていくが、かなり危なっかしい。そこで水流の跡を進むが、今度は大きく抉れ過ぎていて(深さ150cmくらいある)上がることができない。結局危なっかしい路肩を慎重に進んで何とか難局を乗り切る。
(大棚集落跡への道)
(途中までは広くて良い道が続く)
(水流で抉られた道 写真ではわかりにくいが、結構深い)
崩落地点を過ぎると倒木によって砂利道は行き止まりとなる。倒木を越えた先は平場になっており、奥は更に倒木によって足の踏み場が無い状態だ。平場の周囲にはお茶らしき木の葉が茂っており、ここが大棚集落跡であったことが窺える。問題は倒木の奥だ。頭上をよく見回すと人為的な石積みが見える。倒木を越え、お茶の枝藪を掻き分けて、平場から右斜め上に上がっていくと、石積みの脇に出ることができた。石積みの上は草が生い茂る平場となっていて、かつては住居が立っていたのだろう。現在その痕跡となるようなものは無い。さて残る問題はどうやって飯能アルプスと堂平山との鞍部に出るかだ。住居跡の裏手は斜面が急すぎて登れない。石積みの脇に戻ると住居跡の上をトラバースするように踏み跡が延びているのが見える。踏み跡を辿ると見覚えのある鞍部に出る。この先、スルギまでは歩いたことのある道だ。
(崩落地以外は比較的歩きやすい道だ)
(ここが終点 手前の倒木の奥に最初の平場がある)
(最初の平場 ここも住居跡だったのだろうか)
(お茶の木が繁茂している)
(下から石積みを見上げる あそこに行くまでが大変)
(確りとした石積み)
(集落上部の平場 日当たりは良いので住居跡なのだろう)
(集落跡からこの道が稜線へと延びる)
(鞍部に出た 右が大棚集落跡 左は奥武蔵登山詳細図によるとスルギ尾根へと出られるらしい)
鞍部から飯能アルプスの一部に当たるスルギ尾根を目指す。すると前方から若い男性がやって来る。山中で人に会うのはこれが初めてだ。スルギ尾根は一般ルート扱いなので、人出も多くなりそうだ。10分ほど進み、道標の看板が置かれたスルギ尾根上のピークに出る。ここは堂平山への道が分岐する所で実はわかりにくい。崩落地や倒木との格闘で疲れていたせいもあったのか、ここで東へ向かう道を選択してしまう。高反山の西の肩を越えた辺りで高齢者のグループとすれ違う。ここでふと採石場からの音が大きくなってきたなと気付く。しまった…東へ向かっていたか。道を戻り、堂平山への分岐となっているピークまで戻ってくる。ここは大高沢入山(520)というらしい。
(大高沢入山の頂上)
大高沢入山から六ツ石ノ頭は小さなアップダウンがあり、疲れた身体にはきつい。個人的には前坂から子ノ権現の間のいわゆるスルギ尾根はあまり好みではない。ボクにとって奥武蔵の尾根は長くてアップダウンが少ないというイメージがあり、この辺りなら周助山から竹寺へと延びる尾根のほうが好みだ。六ツ石ノ頭直下はなかなか急で、ここで先ほどすれ違った高齢者グループに先を譲られる。まあこっちも疲れているんだよねとも言えず、頑張って登って六ツ石ノ頭の頂上(540)に着く。小さな岩がちょこちょこと突き出しており、そこから山名が付けられたのだろう。
(六ツ石ノ頭直下の斜面)
(六ツ石ノ頭の山頂標識)
六ツ石ノ頭からスルギまでは何度か尾根がクネクネと折れ曲がる。10年前に初めて歩いた時は踏み跡がまだ明瞭ではなく、小さなプラ製の道標だけが頼りだった。現在は奥武蔵の山人さんらの尽力によって整備されたので、道はかなりわかりやすくなった。小ピークを二つ巻き、久久戸山を巻いていくと尾根が分岐するスルギに到着。縦走路を外れたほうの尾根には大岩があり、そこにザックを乗せて休憩を取る。困難だった道のりに加え、湿度と温度の高さもあって全身汗でびしょ濡れだ。汗が引くのをしばらく待っていると先ほど追い抜いた高齢者グループやトレランのお兄さんなどがやって来る。スルギ尾根はすっかり一般向けにルートになったのだなぁと思うと感慨深い。
(六ツ石ノ頭を過ぎると巻き道が増える)
(スルギ 尾根の分岐地点となっている)
(休憩を取った岩場)
小床峠越え
後から来た高齢者グループも休憩を取り、周囲も賑やかになってきたので、そろそろ出発しよう。休憩を取っていた大岩を越えるともう一つ大きな岩がある。尾根を塞ぐほどの大きさだが、西側から巻くことができる。大岩を巻くと尾根は東へ折れていく。明瞭な道を下っていくと尾根から西側の斜面を下る辺りで軽トラが通れるほどの広さへと変わる。どうやら林道(奥武蔵登山詳細図によるとするぎ林道というらしい)として使われているらしい。広い道を下り始めるが、更に西に派生する尾根に細い道がある。林道が開削されるまではこの道を下っていたのだろう。こちらを使っても下で林道と合流できそうだ。林道と山道が合流する辺りは間伐がなされていて、下の様子が観察できる。ふむ、道は大きなジグザグを描いて下っているな。上から見た通りに下っていくと谷の左岸へ渡る。その先は舗装路だ。そのまま下ってロープ柵を越えると青場戸集落にある滝不動に着く。げげっ、振り返るとロープ柵に立入禁止と書かれているな…。
(尾根を塞ぐ大岩 左から巻ける)
(尾根から西側斜面を下る 林道のような道だ)
(この辺は昔の道らしい)
(写真ではわかりにくいが、画面中央に道がカーブしているのが見える)
(スルギ入口 なおロープ柵には立入禁止と書かれた札が掛けられている)
(滝不動)
(
(不動滝)
最後の目的地である小床峠へは地理院地図を見ると東へ少し下った谷から道が付いているように描かれている。しかし奥武蔵登山詳細図では西に登った浅見茶屋付近から峠道が延びているようだ。とりあえず地理院地図の道を探ってみようと下っていくと谷の入口には民家が立っている。どう考えてもここを抜けて谷を登っていくのは無理だ。諦めて浅見茶屋へ向かう。結構傾斜が急で足が上がらなくなってきた。これは西吾野駅まで行くのに難儀しそうだ。浅見茶屋で何か冷たいものでもと思ったが、残念ながら休業中。当面は月・火・木・金曜日のみの営業とのことだ。浅見茶屋の向かいにある建物の先で舗装路が北へ分かれている。地理院地図には描かれていないが、古い地形図には道形があり、現在はこちらが峠道という扱いのようだ。
(浅見茶屋 近年は水不足で広告掲載等は断っているとのこと)
(ここを右に入ると小床峠に行き着く)
分岐を北に入ると奥行きのある谷が広がっている。入口にある大岩の下には奥武蔵登山詳細図に描かれている石造りの祠がある。谷は大きく二つに分かれていて、右の谷には丸太橋が架けてある。一方左の谷には奥に木段が設けられている。一先ず左の谷を登ってみるが、墓地に突き当たって道は途切れてしまう。そこで登山詳細図を開いてみると右の谷の左岸を九十九折に登っていけばよいらしい。道を戻って橋を渡ると確かに踏み跡が九十九折に登っていく。九十九折を登りきると尾根に出るが、ここは子ノ権現と吉田山を結ぶ稜線から派生したものだ。尾根を登っていくと道標である看板が付けられた平場に着く。小床峠に着いたかと思ったが、ようやく子ノ権現と吉田山との間の稜線に取りつけただけだ。自分の古い記録を見るとこの辺りに墓地があったようだが、見当たらなかった。ここで一息入れていると少し年上くらいのカップルがやって来る。ボクのような奇特な人間ならともかく、こんな蒸し暑い日にアップダウンの多いマイナールートを歩く人がいるとは渋い趣味だ。
(舗装路から入るとこの景色が広がる なかなか良い雰囲気)
(奥武蔵登山詳細図に書かれた祠)
(この道を行くと墓地に行き着くので間違い)
(小床峠へはここを渡る)
(左岸斜面を九十九折に上がる)
(派生尾根から吉田山~子ノ権現間の稜線を目指している最中)
(吉田山~子ノ権現間の稜線に出た 子ノ権現へは西の尾根を登っていくだけだが、小床峠へは北へ斜面を横切っていく)
小床峠へは斜面を横切るように下っていく。尾根に出て、南側を巻くように下っていくと小床峠に着く。広い林道のような道が交差しており、以前の小さな峠の面影は感じられない。こんなことになっていたのか…。時の流れの速さを感じずにはいられない。唯一金属製の道標だけが往時の記憶を残している。ただ往時の峠より広くなったおかげでベンチが設けられたことは疲れた身体には幸いだった。ザックを下ろして昼食を取る。奥武蔵登山詳細図を見ると北に延びる尾根に沿って下るのが往時からある峠道のようだ。それ以外に谷を隔てた右岸斜面を利用して下る道もある。どちらも林道のような広い道が下っているので、一先ず往時の峠道を下ってみて、難しいようなら右岸斜面の道を下ってみよう。
(北へ斜面を横切りながら下る この辺り、読図の練習に良いかも)
(尾根を下る 小床峠は近い)
(小床峠)
(この看板は以前にもあった)
小床集落へと下る往時の峠道と思われる道は北へ延びる尾根上に付けられている。広い道を進むとそのまま尾根を越えて西へと下っている。これは林道なので別の踏み跡があるはずだ。尾根上に薄い踏み跡があるのでそれを辿ってみる。小ピークを越えると踏み跡は消えて急斜面が下っている。これはどうも違うようだ。奥武蔵登山詳細図によると尾根を東に巻く所があるらしいが、往路を戻っても見つけられない。ううむ、仕方がない。右岸斜面を下るとしよう。
(こちらが小床への峠道なのだが、途中から道が見つけられなかった)
(この辺りで道を引き返す)
小床峠に戻り、右岸斜面の道に入る。こちらは広い道が延々と続いている。往時の峠道から一本東にある尾根を下る道なので、大雨の影響などを受けにくいのだろう。二つの小ピークを東から巻き、大きくカーブを描きながら下っていく。向かいの尾根を見ると左岸に木段が付いているのが見える。あれが往時の峠道らしい。どのように峠へとつながっているのだろうか。ロープ柵が張られた脇から小床集落の道路に下り立つ。ここも立入禁止と書かれているな。まあ悪意はないので許してもらおう。谷の左岸へ行くと道標が立ち、小床峠を指示していた。ここは改めて上りで使ってみる必要がありそうだ。
(右岸斜面の道 なお木段を上がると吉田山へと向かう)
(こんな具合で道の状況は良い)
(疲れていたけれどもここは歩きやすかった)
(最初の小ピークを巻く)
(二つ目の小ピークを巻きながら下っていく)
(露出した地層)
(歩きやすいけれども立入禁止の表示があったのでおすすめはしません)
(小床峠入口 峠道は尾根の東側斜面をトラバースしながら下るらしいのでここは上りに使ったほうがわかりやすそうだ)
ベンチがあるので10分ほど休憩を取り、西吾野駅へ向かう。ここからはずっと舗装路歩きなので危険な所はない。途中水場があったり、石仏が置かれていたりと見所は結構あるが、旅も終わりに近づきあまり印象に残っていない。国道に出て、西吾野駅へ向けて坂を上がる。ここは普段スタートに使うことが多いので、ゴールに使うと最後にしんどい思いをすることになる。無事駅に着き、ホームへ上がると電車が来るまで30分ほど時間があるようだ。スタートから5時間程度と体力的にはさほど厳しいコースではなかったが、あれこれと迷うことが多く、精神的に疲れることが多かった。でも古の峠は体力的には楽なルートが多く、色々と歩いてみる価値は十分にあると感じられる山旅であった。
(水場 特に美味しいというほどではない)
(石仏 ちょっと珍しい形)
(奥武蔵登山詳細図に書かれた大岩とはこれのことだろうか)
DATA:
飯能駅(国際興業バス)原市場中学校バス停7:36→7:54倉掛峠→8:08中藤バス停→8:18樫久保集落(湯ノ花林道入口)→8:46南沢峠→9:03栃屋谷集落→9:40大棚集落跡→9:53大高沢入山→10:17六ツ石ノ頭→10:33スルギ10:41→10:57滝不動→11:08浅見茶屋→11:36小床峠→12:14小床集落12:25→12:46西吾野駅
地形図 原市場 正丸峠
トイレ 道中にはありません
交通機関
西武池袋・秩父線 小手指~飯能 242円 西吾野~小手指 377円
国際興業バス 飯能駅~原市場中学校 451円(以上 ICカード利用)
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平成26年1月13日 吾野駅南側周回コースを歩く
樫久保から南沢峠へは踏み跡を辿れて読図ができる人であれば歩けるレベルかと思います。少なくとも峠手前までは踏み跡があります。
南沢峠と栃屋谷の間は廃道状態です。登りに使うのも難しいので一般の立ち入りは不可と考えてよいでしょう。
南沢峠から長久保坂を経れば栃屋谷へ下りることは可能です。
栃屋谷から大棚集落跡への道は途中崩落個所があります。路肩が崩れやすいので通過は危険です。事実上の廃道状態と言ってよいかもしれません。
小床峠から小床集落への峠道は不明瞭となっています。登りに使ったほうがわかりやすいかもしれません。本文で利用した道は入口で立入禁止と明記されていたので利用は避けたほうがよいでしょう。