(大霧山 山頂)
当ブログに「奥武蔵の展望スポット」という記事がある。ボクがこの記事をアップしたのは、山を歩く醍醐味はやはり良い眺めと出合うことにあると考えているからだ。ボク自身は見晴らしの無い山を歩くのも好きだが、人に山を勧めるのであれば見晴らしの良い所というのは欠かせないと思っている。ただ近年は少子化で山の整備が難しくなり、展望スポットは少なくなりつつあるのが現状だ。
今回は「奥武蔵の展望スポット」にもお勧めしている大霧山を歩くことにした。前に訪れてから13年も経っており、だいぶ周囲は変化していることだろう。登山ルートはまだ一度も歩いたことがない皆野町の広町から入山を経由して粥仁田峠へと至る道を使う。大霧山を越えた後は南下して丸山まで歩くつもりであったが、疲れもあって、大野峠から赤谷へと下った。
広町から大霧山
10月の三連休は好天が続くという天気予報が出ている。そこで中日に大霧山を登ることにした。西武線に乗り、入間市駅までやって来ると山は薄っすらと靄がかかっている。昨夜は少し雨が降ったのだろうか。電車は飯能市の山間を縫うように進み、正丸トンネルを抜けると秩父に入る。こちらはよりはっきりと靄が掛かっている。秩父ミューズパーク辺りから眺めたら秩父の市街地には雲海がかかっているように見えたのではないだろうか。
西武秩父の駅前のバスロータリーで皆野駅行きのバスを待つ。三峰神社行きのバス停には長蛇の列ができているのに対して、皆野駅行きのバスに乗り込んだのはボクを含めて二人だけだ。バスは一旦秩父の市街地を巡った後、羊山公園の尾根を越えて横瀬川沿いに形成された市街地を抜けていく。個人的には秩父から小鹿野行きのバスとこの皆野行きのバスは車窓を眺めているだけでも十分に楽しめるものだと思う。曽根坂と呼ばれる昔の峠道っぽさが残る九十九折を登り切って広町へ下ると住宅地が広がっている。坂の途中にある高原牧場入口バス停は10年前に訪れたことがあるが、全然記憶に残っていない。
(高原牧場入口バス停から大霧山まで 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)
道標に従って道路を渡ると林道大霧山線が延びている。これを延々と進むのが今日の道だ。立派な地蔵堂を過ぎると江戸巡礼古道を示す道標がある。この標識にも粥仁田峠と書かれているため、間違えて江戸巡礼古道に入ってしまう人もいるのではないだろうか。牧場への道を見送ると川沿いにつくられた田を見下ろす道を進む。車一台がやっと通れる程度の細い道で舗装路ながらもなかなか良い雰囲気だ。問題はこんな道でもクルマがやってくることだろう。
(林道大霧山線 林道であることを示す標識が立つ)
(立派な地蔵堂だ)
(江戸巡礼古道の入口 間違えて歩く人がいそうだ)
(ここからも江戸巡礼古道へ合流することが可能)
(川沿いに田んぼがある 刈入れは既に終わっていた)
(なかなか雰囲気の良い道路)
しばらく歩いていくと民家がぽつぽつと現れる。この辺りは地形図だと入山という地区だ。割と山奥なのに人の住んでいる家が多いようだ。人がいる最後の民家を過ぎると道は砂利へと変わる。鉱山の建物を見送ると道は傾斜を増していく。小さめの滝がいくつかあり、下山路に取っていたらのんびりと見ていくのも悪くないと思う。実は今回、広町を出発点とするか終着点とするか悩んだのだが、15時台の後が18時台しかバスがなかったため、広町を出発地としたのだった。
(民家のコスモス)
(道のすぐ側を川が流れる)
(この橋から滝が見える 右に見えるのは馬頭尊)
(名無しの滝 他にも小滝がある)
蛇紋石の看板から先は細い山道となる。傾斜は鉱山事業所から変わらず、比較的緩やかな道が続く。古い地形図を見ると粥仁田峠から広町へは、現在と同じく江戸巡礼古道と今歩いている入山経由の道の両方が描かれている。道の安定性を考えれば尾根道である江戸巡礼古道に軍配が上がるのかもしれないが、歩きやすさなら入山経由の道の方が上だと思う。林道大霧山線の標識を過ぎると更に傾斜は増す。ただ凄く苦しい道という感じではないし、渡渉が必要な所も一か所だけだ。道が左へ折れるとトラバースしながら高度を上げていく。すると左手に有刺鉄線が現れる。もう牧場が近いらしい。傾斜が緩むと有刺鉄線の向こうには牧草地が広がる。地形図だと尾根が広く西へ張り出した辺りにいるようだ。
(これより先は細道になる)
(林道大霧山線の終点)
(西に張り出した尾根は牧草地になっている)
尾根を越えて下っていくと粥仁田峠へ下りる手前で大霧山へ続く尾根に出る。ここから大霧山の北の肩にまで出るまでは急坂が続く。先ほど大霧山を歩くのに広町から歩くか芦ヶ久保から歩くか迷った話をしたが、地形図を見た感じでは北から南へと向かうルート取りのほうが急坂を登りに取ることが多いようだ。体力的には厳しい一日となりそうだ。急坂を登っていると削り取られた観音山の尾根が見え、その手前に集落が見える。方向としては栗和田辺りだろうか。
(広町への分岐)
(右に見える削られた山が観音山 手前に見える集落は栗和田辺りだろうか)
20分弱で北の肩に出る。一息つけたかと思えば、山頂直下はまたも急坂だ。10分ほど登り続けると明るく開けた大霧山の山頂(766.7)に出る。珍しく登山者は誰もいない。ベンチにザックを置こうとすると前日雨が降ったのかしっとりと濡れている。水気を払ってザックを置き、周囲を見回す。以前に比べるとだいぶ周囲の木が大きくなったようだ。北側は相変わらず良い眺めが広がっている。少し靄がかかっているものの、宝登山から釜伏山、登谷山辺りまでが大きく見渡せる。しかし宝登山から南側の景色は全く見えなくなってしまった。唯一武甲山が辛うじて山頂を見せてくれる程度だ。但し、周囲は広葉樹が多いので、冬枯れの時期に訪れればまた違った光景になるかもしれない。
(大霧山 山頂)
(左端に武甲山が辛うじて見える)
(山頂の気温は15℃くらい)
(山頂から北側の眺め)
定峰峠と白石峠
大霧山の現状には少々落胆したものの、今日はこれから長い行程が待っている。山頂直下の急坂を下り切ると牧場の脇を通る。牧草地の向こうには山頂部が尖った笠山と文字通り平たい堂平山が見える。この二つの山と大霧山を併せて比企三山と呼ばれるが、一日で縦走しようとするとかなり体力的に厳しい行程だ。定峰への尾根が延びるジャンクションピークを過ぎると旧定峰峠へと下りていく。ここで初めて高齢男性二人組とすれ違う。時間としては決して早くないので、これほど人が少ないのは少々残念に思う。旧定峰峠へ下りてくると関東ふれあいの道の標識が新しい物になっていた。その脇には小さな切通がある。この控えめ具合が良い。
(旧定峰峠・定峰峠周辺図 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)
(道中見かけた大きなキノコ)
(牧草地の向こうに笠山と堂平山が見える)
(ジャンクションピーク ベンチがあるので休憩可)
(旧定峰峠)
旧定峰峠から南へは細長い尾根が延びる。当ブログではこの辺りは紹介していないが、ブログを始める前に旧定峰峠から大野峠までは一度歩いたことがある。但し15年以上前のことなのでほとんど記憶はない。緩やかなアップダウンの尾根を15分歩くと傾斜が増してくる。その手前くらいに獅子岩がある。この岩は確かにライオンの頭に見える。獅子岩より先は701m峰まで急坂が続く。2カ月ぶりに歩く道としてはかなりきつい。そもそも最近年を取ったせいか肩の周りの筋肉が随分と落ちたように感じる。ザックを背負っているとズルズルと落ちてきてしまうのだ。何とか登り切った小広い701m峰の山頂には境界標が埋められている。
(細長い尾根が続く)
(獅子岩)
(ここからだと雄のライオンに見える)
(701m峰)
(境界標がある)
701m峰を越えると北東側が伐採地になっている。ここも笠山から堂平山にかけての眺めが良い。15年以上前に歩いた時は鬱蒼とした植林地だった記憶がある。思ったよりも緩やかな道を下っていくと定峰峠に着く。ここは未だに茶屋が元気に営業中で、ライダーやドライバーが憩っている。ここで休憩を取ろうと思っていたのだが、ベンチなどは無さそうなのでもう少し頑張って歩くことにする。茶屋裏手の尾根を登っていくと笠山と堂平山を望む展望地に出る。15年以上前に歩いた時もここは良い景色だった記憶がある。大霧山と異なり、何も変わりがないことは嬉しい限りだ。
(獣害防止用の網が掛けられた伐採地)
(観音山と笠山が見える)
(定峰峠)
(定峰峠南の尾根から見える笠山と堂平山)
展望地を過ぎると九十九折の急坂となる。この辺りで何人かの登山者とすれ違うが、みな中高年ばかりだ。声をかけてきた御夫婦に行き先を聞かれたので「芦ヶ久保まで」と伝えると流石に驚いていた。確かに自分でも芦ヶ久保まで行くのは何か無謀なことのように思えてきた。急坂をよろよろと登っていると金属製の手すりが設けられた木段が見えてきた。これは…しんどい。手すりを摑みながら一歩一歩登っていくと小平地に出る。この後828m峰に登らなければならないことを考えるとここで休憩を取ったほうが良いだろう。登山道を離れて座布団を敷き、カップラーメンを食べることにした。
(川木沢ノ頭周辺図 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)
(手すり付きの木段 しんどい…)
(名無しの小ピーク ここで昼食を取った)
カップラーメンを食べたら少し元気を取り戻したようだ。828m峰へもそれなりに急坂が続くが20分ほどで山頂を通過する。ここは山頂が広すぎて今一最高点がどこかわからなかった。一旦鞍部へ下って川木沢ノ頭へと登り返す。ここは長い尾根なので比較的楽な道だ。それでも断続的に急坂が現れるのでその度に歩みは遅くなってしまう。川木沢ノ頭と白石峠との分岐で初めて若い男性とすれ違う。時間を考えると三山縦走をしている最中だろうか。想像したよりはきつくない坂を登って川木沢ノ頭(874)に着く。ここは電波塔が山頂を占拠していて、周りは藪だらけだ。
(828m峰より南は比較的なだらかな尾根が続く)
(川木沢ノ頭への登り)
(白石峠分岐 あと一登りで川木沢ノ頭の山頂に着く)
(川木沢ノ頭 周囲は藪だらけ)
以前は電波塔を回り込んで舗装路を下ったのだが藪を抜けたくない。電波塔の脇はそのまま道が続いていて、更に急坂が下っている。思い切ってこれを下っていくと真っ直ぐ下るのが難しいほどの傾斜だ。そして下っている内に気が付いた。これは白石峠へと下る道だ。引き返そうかとも思ったがもうその体力は残っていない。川木沢ノ頭の巻き道が合流してくる所で木段となり、それを下り切ると白石峠に下り立つ。昔は東屋が立つだけの静かな峠だったが、近年は訪れるサイクリストが多く、移動販売のクルマがお店を開いていた。
(白石峠への急な下り 下部は更に傾斜が増し、最終的には木段になる)
(白石峠 東屋でサイクリストの人たちと一緒に休憩を取ったが、中高年が多かった)
大野峠から赤谷を経て芦ヶ久保へ
白石峠から高篠峠を経て大野峠へと至る道は今でこそ全面舗装路となっているが、古い地形図にも山道が載っており、生活道として使われてきた。今の道は、風情は無いものの、かつての生活道としての歩きやすさはそれほど変わっていない。川木沢ノ頭からの舗装路が合流する辺りで道は高篠峠へと下っていく。クルマやバイクが数台置けそうな広場のある高篠峠はときがわ町竹の谷と秩父市定峰を結ぶ交通の要衝であったが、現在定峰方面は通行止めになっているようだ。それでもときがわ町へと下っていくバイクやクルマは多い。
(通行止めと書かれているが、川木沢ノ頭から下ってくるとここに出ざるをえないのでは?)
(高篠峠 結構広い)
(峠の役割が簡潔に書いてある)
(こんな感じで綺麗に整備されていて気持ちの良い峠だ)
高篠峠と大野峠の標高差はおよそ100mある。昔の道はトラバースしながら高度を上げて、峠直下で九十九折となっていたようだ。現在の舗装路はクルマが上がれる傾斜にするために大きく遠回りしながら上がっていく。傾斜が緩いのは有難いが、ヘアピンカーブは猛スピードで下ってくるバイクが見えず恐ろしい。大野峠の手前までやってくると川越市山の家からの道が分かれる。川越市山の家への道は相変わらず閉鎖されている。この道は浅間山へと通じており、登山者としては早く開放してほしいと思う。この分岐を過ぎると峠までは鬱蒼とした林になっていたが、驚いたことに今では広く伐採されてキャンプ場になっていた。雰囲気が明るくなったのは喜ばしいが、表土が剥き出しになっているサイトは大雨が降っても大丈夫なのだろうか?
(高篠峠から大野峠 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)
車道が通る大野峠は丸山への入口ともなっており、これまでも丸山に登る度に訪れてきた所だ。だがここから赤谷へと下る道は当ブログではまだ紹介したことがない。ブログを始める前の、やはり15年以上前にここを登りに使ったことがある。あまり疲れた記憶がないので歩きやすい道だったのではないかと思う。峠に着いた時はまだ13時だったため丸山まで行くことはできる。しかし体力的にはかなり厳しい。それならまだ当ブログで紹介していない道を下ったほうが良い。峠の東屋で一息入れたところで向かいに延びる赤谷への道を下ることにする。
(大野峠 高篠峠より暗い印象)
峠道に入ると緩やかなトラバース道が下っていく。一頻り下ったところで九十九折になるがこれも傾斜は比較的緩い。途中一か所だけ道が崩れた急坂に差し掛かるが、ここを慎重に下ると再び傾斜の緩いトラバース道が続く。やがて沢に差し掛かると沢沿いを下る。二度の渡渉があるが沢床はそれほど深くない。大雨の後でなければ通るのは難しくないだろう。渡渉を終えるとまたも長くて緩いトラバース道が続く。途中、洞穴・石仏・巨岩と見所が多く、特に二段の滝は見事だ。以前歩いたときは冬場だったせいかこの滝には気づかなかった。水量の多い時期のほうが良いのだろう。
(まずはトラバース道 歩きやすい)
(わかりにくいがかなりの巨岩)
(渡渉がある それなりの深さなので靴は濡れる覚悟で)
(洞穴 人工的に作られたものだろうか?)
(石仏 峠道では良く見る)
(小滝 雨が多かったのか水量は多い)
沢から離れ、せせらぎの音も聞こえなくなってくると代わりにバイクのけたたましい音が聞こえてくる。林を抜けると明るい赤谷の集落に出る。農地脇を下っていくとベンチと水場がある。赤谷から駅までは更に30分掛かるので、ここで一息入れる。道なりに下って国道へ出ると後は延々と舗装路を歩く。連休ということもあって道路はかなり混んでいる。道の駅あしがくぼに着き、日当たりの良いベンチに腰を下ろす。久しぶりにきつい山旅だった。ここで家からここまで持ってきたコーラを飲む。…ぬるい。それだけ天気が良かったということなのだろう。その後は売店でお土産にみそポテトを買い、家路に就いたのだった。
(赤谷の集落に出た)
(水場 当ブログではここを大野峠登山口と表記している)
(赤谷集落の前にある地蔵尊)
(道の駅あしがくぼ)
DATA:
西武秩父駅→(西武観光バス)→8:07高原牧場入口バス停→9:07粥仁田峠手前→9:33大霧山9:40→10:10旧定峰峠→10:24獅子岩→10:35 701m峰→10:46定峰峠→(昼食休憩20分)→11:49 808m峰→12:09川木沢ノ頭→12:22白石峠→12:45高篠峠→13:11大野峠13:17→14:18赤谷(大野峠登山口)→14:45道の駅あしがくぼ→芦ヶ久保駅
地形図 安戸 正丸峠
トイレ 縦走ルート上にはない
交通機関
西武池袋・秩父線 小手指~西武秩父 513円
西武秩父・池袋線 芦ヶ久保~小手指 481円
西武観光バス 西武秩父駅~高原牧場入口 367円
関連記事:
平成23年12月17日 定峰から大霧山と釜伏山から風のみち歩道
平成26年4月5日 秩父高原牧場から花桃の里と鉢形城
未踏だった部分:高原牧場バス停入口~入山~粥仁田峠手前
ルート全般一般向けです。但し結構長いルートなので、エスケープは確りと設定しておきましょう。
当ブログに「奥武蔵の展望スポット」という記事がある。ボクがこの記事をアップしたのは、山を歩く醍醐味はやはり良い眺めと出合うことにあると考えているからだ。ボク自身は見晴らしの無い山を歩くのも好きだが、人に山を勧めるのであれば見晴らしの良い所というのは欠かせないと思っている。ただ近年は少子化で山の整備が難しくなり、展望スポットは少なくなりつつあるのが現状だ。
今回は「奥武蔵の展望スポット」にもお勧めしている大霧山を歩くことにした。前に訪れてから13年も経っており、だいぶ周囲は変化していることだろう。登山ルートはまだ一度も歩いたことがない皆野町の広町から入山を経由して粥仁田峠へと至る道を使う。大霧山を越えた後は南下して丸山まで歩くつもりであったが、疲れもあって、大野峠から赤谷へと下った。
広町から大霧山
10月の三連休は好天が続くという天気予報が出ている。そこで中日に大霧山を登ることにした。西武線に乗り、入間市駅までやって来ると山は薄っすらと靄がかかっている。昨夜は少し雨が降ったのだろうか。電車は飯能市の山間を縫うように進み、正丸トンネルを抜けると秩父に入る。こちらはよりはっきりと靄が掛かっている。秩父ミューズパーク辺りから眺めたら秩父の市街地には雲海がかかっているように見えたのではないだろうか。
西武秩父の駅前のバスロータリーで皆野駅行きのバスを待つ。三峰神社行きのバス停には長蛇の列ができているのに対して、皆野駅行きのバスに乗り込んだのはボクを含めて二人だけだ。バスは一旦秩父の市街地を巡った後、羊山公園の尾根を越えて横瀬川沿いに形成された市街地を抜けていく。個人的には秩父から小鹿野行きのバスとこの皆野行きのバスは車窓を眺めているだけでも十分に楽しめるものだと思う。曽根坂と呼ばれる昔の峠道っぽさが残る九十九折を登り切って広町へ下ると住宅地が広がっている。坂の途中にある高原牧場入口バス停は10年前に訪れたことがあるが、全然記憶に残っていない。
(高原牧場入口バス停から大霧山まで 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)
道標に従って道路を渡ると林道大霧山線が延びている。これを延々と進むのが今日の道だ。立派な地蔵堂を過ぎると江戸巡礼古道を示す道標がある。この標識にも粥仁田峠と書かれているため、間違えて江戸巡礼古道に入ってしまう人もいるのではないだろうか。牧場への道を見送ると川沿いにつくられた田を見下ろす道を進む。車一台がやっと通れる程度の細い道で舗装路ながらもなかなか良い雰囲気だ。問題はこんな道でもクルマがやってくることだろう。
(林道大霧山線 林道であることを示す標識が立つ)
(立派な地蔵堂だ)
(江戸巡礼古道の入口 間違えて歩く人がいそうだ)
(ここからも江戸巡礼古道へ合流することが可能)
(川沿いに田んぼがある 刈入れは既に終わっていた)
(なかなか雰囲気の良い道路)
しばらく歩いていくと民家がぽつぽつと現れる。この辺りは地形図だと入山という地区だ。割と山奥なのに人の住んでいる家が多いようだ。人がいる最後の民家を過ぎると道は砂利へと変わる。鉱山の建物を見送ると道は傾斜を増していく。小さめの滝がいくつかあり、下山路に取っていたらのんびりと見ていくのも悪くないと思う。実は今回、広町を出発点とするか終着点とするか悩んだのだが、15時台の後が18時台しかバスがなかったため、広町を出発地としたのだった。
(民家のコスモス)
(道のすぐ側を川が流れる)
(この橋から滝が見える 右に見えるのは馬頭尊)
(名無しの滝 他にも小滝がある)
蛇紋石の看板から先は細い山道となる。傾斜は鉱山事業所から変わらず、比較的緩やかな道が続く。古い地形図を見ると粥仁田峠から広町へは、現在と同じく江戸巡礼古道と今歩いている入山経由の道の両方が描かれている。道の安定性を考えれば尾根道である江戸巡礼古道に軍配が上がるのかもしれないが、歩きやすさなら入山経由の道の方が上だと思う。林道大霧山線の標識を過ぎると更に傾斜は増す。ただ凄く苦しい道という感じではないし、渡渉が必要な所も一か所だけだ。道が左へ折れるとトラバースしながら高度を上げていく。すると左手に有刺鉄線が現れる。もう牧場が近いらしい。傾斜が緩むと有刺鉄線の向こうには牧草地が広がる。地形図だと尾根が広く西へ張り出した辺りにいるようだ。
(これより先は細道になる)
(林道大霧山線の終点)
(西に張り出した尾根は牧草地になっている)
尾根を越えて下っていくと粥仁田峠へ下りる手前で大霧山へ続く尾根に出る。ここから大霧山の北の肩にまで出るまでは急坂が続く。先ほど大霧山を歩くのに広町から歩くか芦ヶ久保から歩くか迷った話をしたが、地形図を見た感じでは北から南へと向かうルート取りのほうが急坂を登りに取ることが多いようだ。体力的には厳しい一日となりそうだ。急坂を登っていると削り取られた観音山の尾根が見え、その手前に集落が見える。方向としては栗和田辺りだろうか。
(広町への分岐)
(右に見える削られた山が観音山 手前に見える集落は栗和田辺りだろうか)
20分弱で北の肩に出る。一息つけたかと思えば、山頂直下はまたも急坂だ。10分ほど登り続けると明るく開けた大霧山の山頂(766.7)に出る。珍しく登山者は誰もいない。ベンチにザックを置こうとすると前日雨が降ったのかしっとりと濡れている。水気を払ってザックを置き、周囲を見回す。以前に比べるとだいぶ周囲の木が大きくなったようだ。北側は相変わらず良い眺めが広がっている。少し靄がかかっているものの、宝登山から釜伏山、登谷山辺りまでが大きく見渡せる。しかし宝登山から南側の景色は全く見えなくなってしまった。唯一武甲山が辛うじて山頂を見せてくれる程度だ。但し、周囲は広葉樹が多いので、冬枯れの時期に訪れればまた違った光景になるかもしれない。
(大霧山 山頂)
(左端に武甲山が辛うじて見える)
(山頂の気温は15℃くらい)
(山頂から北側の眺め)
定峰峠と白石峠
大霧山の現状には少々落胆したものの、今日はこれから長い行程が待っている。山頂直下の急坂を下り切ると牧場の脇を通る。牧草地の向こうには山頂部が尖った笠山と文字通り平たい堂平山が見える。この二つの山と大霧山を併せて比企三山と呼ばれるが、一日で縦走しようとするとかなり体力的に厳しい行程だ。定峰への尾根が延びるジャンクションピークを過ぎると旧定峰峠へと下りていく。ここで初めて高齢男性二人組とすれ違う。時間としては決して早くないので、これほど人が少ないのは少々残念に思う。旧定峰峠へ下りてくると関東ふれあいの道の標識が新しい物になっていた。その脇には小さな切通がある。この控えめ具合が良い。
(旧定峰峠・定峰峠周辺図 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)
(道中見かけた大きなキノコ)
(牧草地の向こうに笠山と堂平山が見える)
(ジャンクションピーク ベンチがあるので休憩可)
(旧定峰峠)
旧定峰峠から南へは細長い尾根が延びる。当ブログではこの辺りは紹介していないが、ブログを始める前に旧定峰峠から大野峠までは一度歩いたことがある。但し15年以上前のことなのでほとんど記憶はない。緩やかなアップダウンの尾根を15分歩くと傾斜が増してくる。その手前くらいに獅子岩がある。この岩は確かにライオンの頭に見える。獅子岩より先は701m峰まで急坂が続く。2カ月ぶりに歩く道としてはかなりきつい。そもそも最近年を取ったせいか肩の周りの筋肉が随分と落ちたように感じる。ザックを背負っているとズルズルと落ちてきてしまうのだ。何とか登り切った小広い701m峰の山頂には境界標が埋められている。
(細長い尾根が続く)
(獅子岩)
(ここからだと雄のライオンに見える)
(701m峰)
(境界標がある)
701m峰を越えると北東側が伐採地になっている。ここも笠山から堂平山にかけての眺めが良い。15年以上前に歩いた時は鬱蒼とした植林地だった記憶がある。思ったよりも緩やかな道を下っていくと定峰峠に着く。ここは未だに茶屋が元気に営業中で、ライダーやドライバーが憩っている。ここで休憩を取ろうと思っていたのだが、ベンチなどは無さそうなのでもう少し頑張って歩くことにする。茶屋裏手の尾根を登っていくと笠山と堂平山を望む展望地に出る。15年以上前に歩いた時もここは良い景色だった記憶がある。大霧山と異なり、何も変わりがないことは嬉しい限りだ。
(獣害防止用の網が掛けられた伐採地)
(観音山と笠山が見える)
(定峰峠)
(定峰峠南の尾根から見える笠山と堂平山)
展望地を過ぎると九十九折の急坂となる。この辺りで何人かの登山者とすれ違うが、みな中高年ばかりだ。声をかけてきた御夫婦に行き先を聞かれたので「芦ヶ久保まで」と伝えると流石に驚いていた。確かに自分でも芦ヶ久保まで行くのは何か無謀なことのように思えてきた。急坂をよろよろと登っていると金属製の手すりが設けられた木段が見えてきた。これは…しんどい。手すりを摑みながら一歩一歩登っていくと小平地に出る。この後828m峰に登らなければならないことを考えるとここで休憩を取ったほうが良いだろう。登山道を離れて座布団を敷き、カップラーメンを食べることにした。
(川木沢ノ頭周辺図 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)
(手すり付きの木段 しんどい…)
(名無しの小ピーク ここで昼食を取った)
カップラーメンを食べたら少し元気を取り戻したようだ。828m峰へもそれなりに急坂が続くが20分ほどで山頂を通過する。ここは山頂が広すぎて今一最高点がどこかわからなかった。一旦鞍部へ下って川木沢ノ頭へと登り返す。ここは長い尾根なので比較的楽な道だ。それでも断続的に急坂が現れるのでその度に歩みは遅くなってしまう。川木沢ノ頭と白石峠との分岐で初めて若い男性とすれ違う。時間を考えると三山縦走をしている最中だろうか。想像したよりはきつくない坂を登って川木沢ノ頭(874)に着く。ここは電波塔が山頂を占拠していて、周りは藪だらけだ。
(828m峰より南は比較的なだらかな尾根が続く)
(川木沢ノ頭への登り)
(白石峠分岐 あと一登りで川木沢ノ頭の山頂に着く)
(川木沢ノ頭 周囲は藪だらけ)
以前は電波塔を回り込んで舗装路を下ったのだが藪を抜けたくない。電波塔の脇はそのまま道が続いていて、更に急坂が下っている。思い切ってこれを下っていくと真っ直ぐ下るのが難しいほどの傾斜だ。そして下っている内に気が付いた。これは白石峠へと下る道だ。引き返そうかとも思ったがもうその体力は残っていない。川木沢ノ頭の巻き道が合流してくる所で木段となり、それを下り切ると白石峠に下り立つ。昔は東屋が立つだけの静かな峠だったが、近年は訪れるサイクリストが多く、移動販売のクルマがお店を開いていた。
(白石峠への急な下り 下部は更に傾斜が増し、最終的には木段になる)
(白石峠 東屋でサイクリストの人たちと一緒に休憩を取ったが、中高年が多かった)
大野峠から赤谷を経て芦ヶ久保へ
白石峠から高篠峠を経て大野峠へと至る道は今でこそ全面舗装路となっているが、古い地形図にも山道が載っており、生活道として使われてきた。今の道は、風情は無いものの、かつての生活道としての歩きやすさはそれほど変わっていない。川木沢ノ頭からの舗装路が合流する辺りで道は高篠峠へと下っていく。クルマやバイクが数台置けそうな広場のある高篠峠はときがわ町竹の谷と秩父市定峰を結ぶ交通の要衝であったが、現在定峰方面は通行止めになっているようだ。それでもときがわ町へと下っていくバイクやクルマは多い。
(通行止めと書かれているが、川木沢ノ頭から下ってくるとここに出ざるをえないのでは?)
(高篠峠 結構広い)
(峠の役割が簡潔に書いてある)
(こんな感じで綺麗に整備されていて気持ちの良い峠だ)
高篠峠と大野峠の標高差はおよそ100mある。昔の道はトラバースしながら高度を上げて、峠直下で九十九折となっていたようだ。現在の舗装路はクルマが上がれる傾斜にするために大きく遠回りしながら上がっていく。傾斜が緩いのは有難いが、ヘアピンカーブは猛スピードで下ってくるバイクが見えず恐ろしい。大野峠の手前までやってくると川越市山の家からの道が分かれる。川越市山の家への道は相変わらず閉鎖されている。この道は浅間山へと通じており、登山者としては早く開放してほしいと思う。この分岐を過ぎると峠までは鬱蒼とした林になっていたが、驚いたことに今では広く伐採されてキャンプ場になっていた。雰囲気が明るくなったのは喜ばしいが、表土が剥き出しになっているサイトは大雨が降っても大丈夫なのだろうか?
(高篠峠から大野峠 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)
車道が通る大野峠は丸山への入口ともなっており、これまでも丸山に登る度に訪れてきた所だ。だがここから赤谷へと下る道は当ブログではまだ紹介したことがない。ブログを始める前の、やはり15年以上前にここを登りに使ったことがある。あまり疲れた記憶がないので歩きやすい道だったのではないかと思う。峠に着いた時はまだ13時だったため丸山まで行くことはできる。しかし体力的にはかなり厳しい。それならまだ当ブログで紹介していない道を下ったほうが良い。峠の東屋で一息入れたところで向かいに延びる赤谷への道を下ることにする。
(大野峠 高篠峠より暗い印象)
峠道に入ると緩やかなトラバース道が下っていく。一頻り下ったところで九十九折になるがこれも傾斜は比較的緩い。途中一か所だけ道が崩れた急坂に差し掛かるが、ここを慎重に下ると再び傾斜の緩いトラバース道が続く。やがて沢に差し掛かると沢沿いを下る。二度の渡渉があるが沢床はそれほど深くない。大雨の後でなければ通るのは難しくないだろう。渡渉を終えるとまたも長くて緩いトラバース道が続く。途中、洞穴・石仏・巨岩と見所が多く、特に二段の滝は見事だ。以前歩いたときは冬場だったせいかこの滝には気づかなかった。水量の多い時期のほうが良いのだろう。
(まずはトラバース道 歩きやすい)
(わかりにくいがかなりの巨岩)
(渡渉がある それなりの深さなので靴は濡れる覚悟で)
(洞穴 人工的に作られたものだろうか?)
(石仏 峠道では良く見る)
(小滝 雨が多かったのか水量は多い)
沢から離れ、せせらぎの音も聞こえなくなってくると代わりにバイクのけたたましい音が聞こえてくる。林を抜けると明るい赤谷の集落に出る。農地脇を下っていくとベンチと水場がある。赤谷から駅までは更に30分掛かるので、ここで一息入れる。道なりに下って国道へ出ると後は延々と舗装路を歩く。連休ということもあって道路はかなり混んでいる。道の駅あしがくぼに着き、日当たりの良いベンチに腰を下ろす。久しぶりにきつい山旅だった。ここで家からここまで持ってきたコーラを飲む。…ぬるい。それだけ天気が良かったということなのだろう。その後は売店でお土産にみそポテトを買い、家路に就いたのだった。
(赤谷の集落に出た)
(水場 当ブログではここを大野峠登山口と表記している)
(赤谷集落の前にある地蔵尊)
(道の駅あしがくぼ)
DATA:
西武秩父駅→(西武観光バス)→8:07高原牧場入口バス停→9:07粥仁田峠手前→9:33大霧山9:40→10:10旧定峰峠→10:24獅子岩→10:35 701m峰→10:46定峰峠→(昼食休憩20分)→11:49 808m峰→12:09川木沢ノ頭→12:22白石峠→12:45高篠峠→13:11大野峠13:17→14:18赤谷(大野峠登山口)→14:45道の駅あしがくぼ→芦ヶ久保駅
地形図 安戸 正丸峠
トイレ 縦走ルート上にはない
交通機関
西武池袋・秩父線 小手指~西武秩父 513円
西武秩父・池袋線 芦ヶ久保~小手指 481円
西武観光バス 西武秩父駅~高原牧場入口 367円
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未踏だった部分:高原牧場バス停入口~入山~粥仁田峠手前
ルート全般一般向けです。但し結構長いルートなので、エスケープは確りと設定しておきましょう。