野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

奥武蔵へようこそ 平成26年9月15日 嵐山町から物見山を歩く

2014年09月17日 | 奥武蔵へようこそ
(物見山 山頂)

埼玉県にはいくつかの自然公園が指定されていて、東松山市・吉見町・鳩山町・嵐山町一帯の丘陵地帯は比企丘陵自然公園として指定されている。関越高速道路で高坂SAを通過する辺りがちょうどこの丘陵地帯に当たっている。奥武蔵と言うにはやや遠い感じもあるのだが、嵐山町から歩けるということもあり、奥武蔵の一部として紹介することにした。

久しぶりに東武東上線に乗り、武蔵嵐山駅へ向かう。連休中は晴天が続くかと思ったのだが、生憎の曇天で車窓の景色も冴えない。今回は自然よりも史跡巡りが中心の行程を計画していて、菅谷館跡・鎌形八幡神社・大蔵館跡・笛吹峠を経て物見山へと至る予定だ。武蔵嵐山駅を降りると意外と利用客は多い。しかし街中に出るとシャッターを下ろした店が多く、何処となく寂れた雰囲気が漂う。住宅街を抜け、菅谷小・中の間を抜けると国道254号に出る。道路の向かいに見える雑木林が菅谷館跡だ。

菅谷館跡は鎌倉時代の武士畠山重忠が居住していた館の跡とされていて、史跡内には嵐山史跡の博物館が併設されている。史跡のみを見学する分には無料なので、遠慮なく史跡内を散策していくことにする。博物館脇の木立の道を行くと右手にため池が作られた土塁が見えてくる。左手には大きな広場があり、二ノ郭とされている。ため池を回り込み、木段を登ると畠山重忠像の前に出る。かなり造作の出来は良い。埼玉を代表する偉人に相応しい像だ。道を戻り、先へと進むと再び土塁が見えてくる。結構大きい。土塁の向こうは本郭があった広場がある。こうして見ていくとかなり大きな館であったことが窺える。妻坂峠や棒ノ嶺での伝説が残るのも納得できる。本郭の先は急な下りになっていて、下を都幾川が流れているのが少し見える。南側は川という天然の要害で守られていたのだ。

(園内にはもうヒガンバナが咲いていた)


(二ノ郭)


(畠山重忠公の像がある塚)


(ため池 人為的なものだろうか)


(畠山重忠の像)


(奥に土塁が見える)






(意外と大きい)


(本郭)




(南郭)

斜面を下りきると小さな沢が流れている。ちょっと心和む光景だ。周辺はホタルの里と蝶の里公園となっている。
嵐山町は国蝶であるオオムラサキが生息しており、積極的に保護活動が行われている。
ホタルやオオムラサキが生息していける環境をこれからも守り続けてほしいものだ。
雑木林を抜けると都幾川の左岸に出る。藪が酷く、左岸から都幾川の流れを見るのは難しいようだ。
近くにある二瀬橋に上がると藪に覆われた都幾川の河川敷が見えてくる。遠くには奥武蔵の山並が靄に煙っている。
右手からは槻川が合流していて、橋の名にもなっている二瀬の地名の由来となっている。

(ホタルの里)


(二瀬橋)


(右から流れてくるのが槻川 左は都幾川)

橋を渡るとテレビ東京系の某番組でも紹介された都幾川の桜並木がある。既にもういくらか桜の葉が色付き始めている。さてここから鎌形八幡神社を目指そうと思ったが、エアリアのルートからは外れてしまっているようだ。橋を戻り、槻川の左岸を行く。槻川橋が近づくと色とりどりのタープが見えてくる。嵐山渓谷バーベキュー場だ。お肉の焼ける良い匂いがする。河川敷が広く、また水深が浅いのか水遊びをしている人も多い。人気があっても不思議ではない。橋を渡り、ふるさと歩道を名付けられた横道に入る。車一台から二台分の幅で古い街道の雰囲気はある。民家や畑の途中には石仏が点在しており、馬頭観音が多い。道が分岐する辺りには「くよづかのべったら地蔵」も置かれている。



(都幾川の桜並木)


(嵐山渓谷バーベキュー場)


(庚申塚)


(おそらく大平山)


(虫が多い)


(べったら地蔵)


(馬頭観音などの石仏が多い)

交通量の多い通りに合流し、信号機のある交差点を渡ると右手に鎮守の森が見えてくる。杉・檜の木立を抜けると鎌形八幡神社の社殿の裏手に出る。神社の縁起によると坂上田村麻呂を祀ったものだそうだ。社殿前の石段を下ると手水舎がある。木曽義仲の産湯に使った清水であるとの謂れがある。境内を出て東屋で休憩していると中高年の男性に声を掛けられる。話を聞くところによると山歩きのトレーニングを兼ねて歩いているそうだ。物見山へ向かうことを告げると笛吹峠周辺は歩く人が少なく静かな所だという。ちょっと遅いのでやや心配だ。

(鎌形八幡神社)


(左手の手水舎が木曽義仲の産湯に使った清水)

男性にお礼を言い、大蔵館跡を目指し歩き始める。エアリアは都幾川沿いに行くが、時間の問題もあるので、真直ぐ行こう。埼玉県の平地にしては比較的標高がある丘陵地帯であるにもかかわらず、周囲は水田が多い。水利の悪い所沢とは大分違う。牧草地やら運動場やらと日蔭の無い道は結構暑い。曇天なのにこの暑さは何なんだ。まだ行程の半分も行っていないのだが。正面に見えていた雑木林へ入っていくと大蔵館跡の前の車道に出る。車道を進むと大蔵神社に至る。史跡は現在大蔵神社へと姿を変えていた。大蔵館は木曽義仲の父源義賢の居館であったという。ちょっとした高台にあり、防衛には都合が良かったのだろう。

(都幾川を渡る 瀬が多い)


(周辺は水田地帯となっている)


(牧草地)


(大蔵館跡が見えてきた)


(大蔵神社)

大蔵館跡を出て、すぐ先の交差点が笛吹峠への道である。笛吹峠へは一旦丘を越えて峠まで登り返さなければならない。住宅街を少し進むと源義賢の墓と書かれた看板がある。ここから130mくらい距離にあるらしいので寄ってみよう。墓地の向かいに鳥居が立ち、その先に堂宇があり、墓と思われる五輪塔が収められていた。義仲を含め、郷土の英雄という扱いなのだろう。大行院なる宗教団体の施設を越えると縁切橋の看板が立つ。坂上田村麻呂とその奥方の伝説に基づく名らしい。その先は雑木林となっていて、一瞬笛吹峠かと騙されるが、登り切った先は住宅街となっている。一つ丘を越えて下り加減となるといよいよ笛吹峠のある雑木林が見えてくる。



(源義賢の墓)


(縁切橋付近)


(笛吹峠を見上げる)

雑木林へ入る手前で県立比企丘陵自然公園の看板を見つける。周囲は水田があるものの、人気が無く、雰囲気は山に近い。舗装された車道は疲れた体にはあまり優しいとは言えない。時折クルマやバイクが通り過ぎ、思ったよりも交通量は多い。やがて左手にトイレらしき建物が見えてきた。そろそろ笛吹峠だろう。トイレの向かいには数台の駐車スペースもある。トイレの傍らには東屋と案内板が設置されている。案内板によるとこの峠は嵐山町と鳩山町の境にあるという。峠から東へ向かうのが岩殿観音への道で、西へは慈光寺の道が延びていたという。確かに西へ辿れば慈光寺に行き着く。かつては上州の山々・秩父連山・関東平野などが見渡せたそうだが、現在は高い木々に覆われ、眺望は望むべくもない。

(笛吹峠)

笛吹峠と書かれた石碑の脇にはクルマ一台分の砂利道が延びている。これが物見山への道なのだろう。歩き始めは杉木立の道が続く。左手に落葉広葉樹が混じる頃、良品計画の敷地脇に出る。途中分岐があるが、この敷地のフェンス沿いに歩いていけばよい。重機を動かしているような音が聞こえてくれば車道に出る。ここは東松山市と鳩山町をつなぐ道路で、笛吹峠以上に交通量は多い。さてここからどのように道はつながっているのだろうか?向かいは建設業者の資材置き場のようになっており、中を抜けていくのは難しそうである。東へ行くと清澄ゴルフ倶楽部の入口に出てしまう。う~ん、わからん。資材置き場の前には明らかに外国人らしき人しかいないし、道も聞けないだろう。

(まずは杉木立を行く)


(良品計画の敷地に沿って歩く)


(相変わらず人工的な道が続く)


(東松山市と鳩山町の境に出る)

やむなく西へ車道を下っていくことにする。エアリアを見ると地球観測センターへの道から物見山へと行くことができるので、これを使う。森が切れると水田地帯が広がる。この水田内に延びる農道を行けばよいのだろうか。車一台が通れそうな農道へと下る。谷に水田が広がる光景はどこか福島県の川俣町や旧東和町を思い起こさせるところがある。谷を進むとクルマが停まっている。うん?クルマの奥は高台でフェンスのようなものが張られているようだ。高台へ上ると男性が釣竿を振っているところであった。藪に覆われたフェンスの向こうを覗くと沼があった。??? スマホの地図アプリで検索してみるとここは宮ノ入沼だという。どうも道を間違ったらしい。

(とりあえず農道を入ってみる)


(色付く水田)


(宮ノ入沼)

往路を戻り、水田脇を行く。舗装道路を左へ行けば地球観測センターへ至る。車道沿いには住宅が点在するがあまり人気は無い。住宅地向かいの水田も耕作放棄状態が目立つ。鳩山ニュータウンを外れると過疎化が進んでいるということなのかもしれない。車道を歩き続けると突き当りに沼がある。道端沼という名が付いている。ここは宮ノ入沼よりも訪れる人が多い。沼の傍には…熊出没の看板がある。熊出るのかよ…。暗くなってきたのでちょっと気を付けよう。舗装された道を上がっていくと左手から砂利道が合流してきた。これは笛吹峠からの道だろうか?ここで道は砂利交じりとなる。右手はフェンスが張られ、地球観測センターが近づいたことを窺わせる。するとフェンスの向こうにパラボラアンテナが見える。

(水田沿いの集落)


(道端沼)


(熊出没…?)


(笛吹峠からの道が合流)


(地球観測センターのアンテナ)

砂利道から再び舗装路へ変わると地球観測センターの入口に着く。見学は16時半までで無料とのことだ。今日は時間が無いので先を急ぐ。少し進んだ所で分岐に出る。さてどちらへ行くべきか。地図アプリで確認すると車両通行止めの道を行けばよさそうだ。道を進むと丘陵の尾根上を行くようになる。加治丘陵の尾根道を行くのに似ている。地元の方なのか散歩している人も多い。いくつかの分岐があったが、今日は寄って行く余裕はない。クルマが行き交う音が聞こえてくると車道に出る。

(地球観測センター入口)


(丘陵の尾根道を行く)


(丘陵内にも見所はあるようだ 次は歩いてみたい)


(舗装されているせいか、加治丘陵っぽい雰囲気もある)


(左手奥へ進むと物見山)

この道は高坂駅から鳩山ニュータウンをつなぐもので、大東文化大学や物見山を経るバスも数多く運行されている。峠の頂上から少し下ると物見山の駐車場があり、向かいには山頂への道が延びている。山頂への道はそれほど傾斜が急でなく、山頂直下の木段さえこなせば、思ったよりも広い物見山(134.9)の山頂に出る。山頂には東屋と数基のベンチが置かれ、東側が開けている。空気が澄んでいれば、関東平野だけでなく、群馬・栃木辺りの山も見えそうだ。

(南東側の景色)


(北東側の景色)


(右端の塔は県平和資料館)

時間も遅くなってきたのでそろそろ下りるとしよう。やや急な木段を下ると駐車場前のトイレの前に出る。トイレにはデング熱に注意の張り紙がしてあった。まあ流行っているのがデング熱ならまだましだろう。駐車場の先には岩殿観音への道が延びている。トンネルを潜ると岩殿観音の境内へと出た。堂宇以上に目に付いたのが大きな銀杏の木である。無数の根が絡みついて大地に張り付く姿は畏怖すら感じるものがある。銀杏の向こうにある垂直の岩壁は岩殿の由来となったものだろうか。寺の案内板によると正式名称は正法寺という真言宗の寺だという。境内が高台にあるため、鐘楼からは門前街の眺めが良い。高台の境内へは長い石段が延びていて、境内から見下ろす石段と門前街は壮観ですらある。

(デング熱注意の張り紙 これからは毎年ニュースになるのだろうか)




(正法寺の大銀杏)


(立派なお堂)






(岩壁下に石仏が置かれている)


(お堂はそれほど多くない)


(鐘楼)


(鐘楼台からの眺め)


(石段と門前街を見下ろす)
 
(仁王像 なかなかの迫力)

石段を下りきると石畳の参道となっている。門前街は大半が住宅でお店の類は無い。ただ屋号が書かれた看板が目立つ。観光地として売り出していこうという意図があるのだろう。長い石畳の道を終えると水田地帯へと出る。九十九川を渡ると弁天沼がある。ここも坂上田村麻呂が悪龍を倒したとの伝説が残る所で、鳴かずの池とも呼ばれている。弁天沼を過ぎれば後は高坂駅へ向かうだけだ。県道に出るまでの間、人の住んでいない古ぼけたアパートをいくつか見る。大東文化大や山村学園の学生さんたちは鳩山ニュータウンか高坂の駅前などに住み、岩殿の集落へ住む人はいないのだろうか。騒がしさが増した国道を進めば高坂駅へ着く。久しぶりに長距離を歩いたせいか、筋肉痛になってしまった。これで少しは運動不足の解消につながればよいのだが…。

(門前街 石畳になっている)


(区画ごとに屋号の看板が設置されている)


(猫 じっとして撮らせてくれた)


(弁天沼)

DATA:
武蔵嵐山駅11:32~11:44菅谷館跡~12:03二瀬橋~12:08槻川橋~12:38鎌形八幡神社~13:15大蔵館跡~13:21源義賢の墓~
13:49笛吹峠~14:55地球観測センター~15:15物見山~15:25岩殿観音~15:40弁天沼~16:12高坂駅

参考HP 嵐山史跡の博物館 地球観測センター

トイレ 菅谷館跡 笛吹峠 物見山

バス 物見山への最寄りバス停:大東文化大学バス停(川越観光バス 高坂駅から鳩山ニュータウン又はにっさい花みずき行き利用)

地形図 武蔵小川 越生 東松山 川越北部

ほぼ舗装路歩きですので、靴は底の柔らかいもの(スニーカーなど)が良いでしょう。笛吹峠周辺はマムシが出る可能性もあるので、長ズボン着用が望ましいです。また心配な人は熊鈴も用意しておきましょう。

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