(子ノ権現展望台)
2011年最初の山歩きは初詣を兼ねて子ノ権現へ行って参りました。子ノ権現は山歩きを始めた5年前から年に一回ペースでお参りしていて、ルート採りにはちょっと迷います。今回はまだ歩いたことの無い周助山から竹寺の鐘楼台を経由して子ノ権現へ行き、帰りもこれまた歩いたことのない小床峠・吉田山から秩父御嶽神社を経由して吾野駅へ向かうルートとしました。
周助山はエアリアマップには道のない山で、現行のガイド本では「奥武蔵山歩き一周トレール」(かもがわ出版)に情報が載っている程度のマイナーな山です。前回も書きましたが、尾根は下るより登るほうが簡単なので、道のない周助山も登りにとることにしました。アプローチは国際興業バスの原市場中学校バス停で、バスを降りたのは地元のハイカーらしきおじさんと私だけ。バスは正月三が日にもかかわらず、結構な混み様でしたが、皆奥地に行ったんですかね。上掲のガイド本どおりバス停から少し道を戻ると周助山が見えてきました。思ったより目立つ山です。ガイド本では信号のある交差点を左に入り、Y字路を右に入って、左の斜面にある神社脇から登れとのこと。本のとおりに進んでいくと、んんっ、民家の脇に何かあります。近づいてみると立派な道標が設置されていました。ガイド本には道標がないと書いてあったのですが…。まあ発行して10年も経てばかなり変化はあるものです。某サイトだと山行記が役に立つのは5年までとか書いてありましたし。
(背後の山が周助山)
道標があれば登るのは簡単です。道標にしたがって民家の裏手に回りこみ、次の道標で簡易舗装された斜面を上がっていきます。舗装された道は墓地へ上がっていきますが、その途中に山道を指す道標があります。山道は沢状の急な斜面に付いていて、踏み跡は若干薄いものの、テープも頻繁に付けてあります。大きな岩を見送った辺りから道が九十九折に付いています。ちょっと踏み跡を見失いそうになる所もありましたが、まあテープをじっくり見つければ大丈夫でしょう。九十九折を登りきると平坦な尾根に出ます。地形図だと383のピーク(現地での周助山)の東端辺りでしょうか。平坦な尾根を少し登った所が周助山頂上(383)です。真新しい標識が立てられている以外は展望もなく、静かな山頂です。スタートから40分ほど掛かりましたが、道標があったためかもっと簡単に着いた印象です。
(登山口の道標)
(周助山頂)
特に見所もないので、次の登戸(ノボット)を目指します。地形図では周助山と書かれた三角点峰ですが、現地やエアリアでは登戸とされています。山の名称に関しては地形図は間違いが多いので、現地にしたがって地形図を直すべきなんでしょうけれどね。登戸へは踏み跡明瞭な広い尾根が続き、迷いようがありません。小ピークは巻いたりしながらも、20分ほどで登戸(435.8)に到着です。角の欠けた三角点が置かれた広い山頂ですが、周助山と同じく展望はありません。原市場地区まちづくり推進委員会が設置した標識には平成20年7月とマジック書きされていました。その頃に設置されたものなのでしょうか。
(登戸山頂)
落ち着いた山頂なので少し休憩していこうかとも思いましたが、先ほどから銃声がバンバン鳴っています。そう猟期に入っているんですよねぇ。まだ距離は遠そうなのですが、あまりいい気持ちはしません。別に猟師さんたちを毛嫌いしている訳ではないのですが。とりあえず鈴を着けて出発します。登戸までと同じく広い尾根が続きます。藪が無く、快適な道です。薄暗い幼木帯や倒木などがあるものの、傾斜が緩く陽も差し込んで良い気分です。ちょっと骨の折れる急傾斜を登りきるとカーヴミラーの脇から舗装された車道に出ます。
(明るい尾根)
(車道出合 カーヴミラー脇から山道が延びてます)
ガイド本には車道を右に少し行くと道があると書かれていますが、取り付きがわかりません。しばらく車道を上っていくと東側に広い展望が開けます。北東に小広い尾根が広がる辺りで自転車乗りのお兄さんが写真を撮っているので、そこまで行ってみます。小広い尾根に上がるとこれまで歩いてきた尾根と天覚山の尾根の間にさいたま新都心方面のビル群が見えます。周助山から延びる尾根の右には新宿辺りのビル群も見えましたが、東京スカイツリーはちょうど隠れてしまうようです。
(左に天覚山 中央右よりが登戸)
とりあえず取り付きを探すためにカーヴミラーのある所まで戻ると、西側斜面にテープが付いています。やや急な斜面を登ると明瞭な踏み跡が続いています。傾斜が緩むとこれまでと似たような道が続きます。途中道が分かれますが、日当たりの良い北側よりも巻き道のほうが歩きやすいでしょう。501のピークを過ぎると先ほど歩いた車道が北側に見えてきます。車道から離れて登った小ピークが548のピークより一つ東にある名無しのピーク。鉄塔管理用の黄色い標柱が立っており、47・48号鉄塔をそれぞれ指しています。ガイド本を読んでいれば47号鉄塔方面を進めばよいとわかるのですが、知らないか忘れた場合はやっぱり地形図で確認する必要があるかもしれませんね。道標の類はほかにありません。
(黄色い標柱の立つ名無しのピーク)
方向を確認して進むと548のピークは南側を巻いて47号鉄塔に出ます。芝草のスペースがありますが、展望はありません。ここも道は二手に分かれ、一方は仁田山峠、他方は46号鉄塔へ向かいます。土留めの木段が延びているほうが46号鉄塔方面ですが、ここも地形図とコンパスで確認したいところ。
(47号鉄塔)
土留めの木段を下って登り返した小ピーク手前が46号鉄塔です。鉄塔下からは棒ノ折山から西に延びる尾根と鳥居観音と金比羅山から蕨山へ延びる尾根が見渡せます。その先名無しのピークは樹林の中で、そこを下ると45号鉄塔は右から巻いていきます。この辺りから竹寺の鐘楼台にある鐘の音が聞こえるようになってきました。人里が近くなればハンターの心配をする必要も無さそうです。
(46号鉄塔下からの眺め)
(鳥居観音)
暗い幼木帯を抜けると44号鉄塔です。樹林に囲まれた鉄塔を過ぎるとその先の薄原から展望が得られます。ちょうど小殿辺りを見下ろすので正面の尾根は西平山へと続く尾根でしょう。武甲山の頭もチラリと見えます。その先の名無しのピークは東から巻いていきます。東に続く尾根は枝で通せんぼされていたので間違うことは無いでしょう。竹寺を東に見下ろしつつ進むと関東ふれあいの道に出ます。右は竹寺、左は小殿バス停へと出る道で、正面の尾根は竹寺の鐘楼台へと出ます。ただ小殿バス停側へ少し下ると正面の尾根を巻いて鐘楼台へと出るのでそちらのほうが楽でしょう。実際正面の尾根はかなりの急傾斜な上、尾根も痩せています。転落に注意しつつ進むと巻き道のある鞍部に出て、更に尾根を登れば竹寺の鐘楼台(581)です。
(薄原からの眺め)
(関東ふれあいの道出合)
東側が大きく開けたピークからは台形の大高山とモヒカン頭のような天覚山が目立ちます。その向こうに広がる平野部には建設中の東京スカイツリーの姿も見ることができます。鐘楼台脇のベンチには男性が一人休んでいるだけ。賑やかな人の声がする竹寺と比べて静かな山頂です。ハンターの心配もないので、ようやくのんびりと朝食をとります。
(鐘楼台からの眺め)
鐘楼台のピークからは竹寺へ下りる道と尾根通しの道が延びています。初詣は子ノ権現で、と思っているのでそのまま尾根通しの道を進みます。尾根道は相変わらず明瞭ですが、幼木帯を通るので、枝や笹がうっとおしい所もあります。歩く人は少ないかと思っていると中高年のご夫婦やおばちゃんグループと擦れ違います。竹寺へ直接向かわずに鐘楼台へ向かう人が多いのでしょうか?尾根の末端には小さな電波塔があり、道は東へ向かいます。小ピークを右に巻くと直接竹寺へ向かう沢道と合流です。道は二手に分かれ、正面の尾根道は629.1のピークへと続いています。
(尾根道 ちょっと笹がうっとおしい)
(正面が豆口山への道)
正面の尾根道へ取り付くとこれが酷い急坂。踏み跡は付いているものの、転げ落ちそうな斜度です。なんとか這い上がると、北へ延びる尾根を進みます。踏み跡は明瞭ですが、あまり歩かれていない雰囲気です。展望の無い尾根を進むと樹林に囲まれた三角点のある山頂に着きます。エアリアでは豆口山(629.1)と名づけられたピークで、道は二手に分かれています。一方は南東に延びる尾根を辿って天王山(513)と至る道で、他方は豆口峠へと下る道です。目印は天王山方向へと付けられていますが、今日は豆口峠へ下ります。
(豆口山頂)
下り始めは笹の生える急坂でちょっと歩きにくい感じ。それでも踏み跡は明瞭で、それを辿っていくと神送り場の看板の裏手に出ます。ちょうどご夫婦らしきカップルがやって来ていて、訝しげにこちらを見ていきました。確かにこんな所から下りてくるのは変わり者と思われても致し方ない感じはします。ちなみにここが豆口峠で関東ふれあいの道は617のピークへと向かいます。ここからはその関東ふれあいの道を辿っていきます。
(豆口峠を見下ろしたところ)
617のピークへは結構な急坂が続きます。ちょうど坂に差し掛かるときにトレラングループが下りてきます。奥武蔵も高尾ほどではないものの、大分トレランをする人が増えてきましたね。617のピークを登りきると今度は土留めの木段下り。関東ふれあいの道はこれがうっとおしいんですよね。流石に一般ルートだけあって、頻繁にハイカーと擦れ違います。軽装の人が多いのが特徴的でした。木段の下り登りが終わると以前は笹薮が煩かった道に差し掛かりますが、随分すっきりとしてしまいました。初めて歩いたとき(5年前の年末)はトンネル状の笹薮だったんですけれどねぇ。
(617のピークへの坂道)
古御岳と伊豆ヶ岳が見える辺りで尾根を乗り越え、尾根を東に巻くと子ノ権現への道に合流します。もう一方の踏み跡は穴沢へ下る道ですが、現在も使われているのかわかりません。子ノ権現へ近づくと流石に人気の観光スポットだけあって、かなりの賑わいです。この道は子ノ権現の裏手に出るので、先に裏手にある展望台へ向かいます。ちょうど人が引き払った展望台からは武川岳・古御岳・伊豆ヶ岳・二子山・丸山・関八州見晴台などがなどが見渡せます。ただ北向きにある展望台は風が吹きぬけて寒さに耐えられません。本堂へ向かうことにします。
(尾根から左に古御岳、右に伊豆ヶ岳)
(展望台からの眺め)
裏手から回り込むと子ノ権現の本堂に直接出られます。この間に毎年花を咲かせる福寿草があり、今年も黄色い花を咲かせています。時期によっては色の違う花も咲いていたような気がします。境内は20人くらいのハイカーや観光客でいっぱいです。破魔矢などを買いたいと思っていたのですが、いつも通りのお守りしか置いていません。ちょっと残念ですが、草鞋の御守をいくつか買い込みました。久しぶりに鐘楼台のあるピークへ登り、鐘を一突き。うーん、良い音だ。
(福寿草)
(鉄製大ワラジ)
(鐘楼台からの眺め)
13時を過ぎたので下山に取り掛かります。仁王像のある表参道を通り、トイレで用を済ませたら売店脇の小道を下ります。ちょうど中高年のハイカーグループも下っていきますが、彼らは直接青場戸へ下りていくようです。しばらく車道を北東へ向かって下るとカーヴの所で小床への道が下りていきます。車道から山道に入ると青場戸方面からの道と合流します。この先結構下っていくのでちょっと不安になるところ。そろそろ東に延びる尾根に入るところだなと思っていると、テープが付けられ、道が分かれています。テープが付けられた木を回り込むと、奥武蔵でよく見る手製の道標が括りつけられています。
(車道から小床への分岐)
(小床峠への分岐)
道標にしたがって進む道は小道ながら踏み跡ははっきりとしています。尾根をしばらく進むと右手に茅場が見えます。広そうな感じでしたが、今でも使われているのでしょうか。展望の無い道をダラダラと進むと手製の道標が現れます。正面の尾根は行き止まりで右に曲がるように指示があります。なんだかこの辺りから現在地が把握できなくなりました。急坂のあるピーク(ここが465のピークだったらしい)を下ると墓地のある峠に出ます。右は浅見茶屋、左は小床峠を指し、正面の尾根は行き止まりになっています。指示通り左の道を進みますが、どんどん下っていくので不安になります。現在地が把握できていればどうってことはない所だったのですが、尾根を外れているようでこのときは酷く不安でした。
(茅場を見下ろす)
(465のピーク下 画面外に墓地があります)
それでも道標を信じて進むと再び峠道に差し掛かります。下り切った所が小床峠で、地形図だと青場戸から小床へ山道が延びる鞍部に当たる所です。珍しく金属製の詳細な道標があり、奥武蔵でよく見るプラスチック製の小さな道標とは違う人物が製作したもののようです。道標には吉田山まで20分とあります。実際20分ほどなのですが、ここからが長く感じました。小ピークを二つ越えると前方にこれまでよりは少し大きめなピークが見えてきます。小ピークに騙されて疲れた体に鞭打って登ると吉田山(445)に出ました。山頂プレートが括りつけられただけの展望の無い静かなピークです。北に延びる尾根は急坂のため通行止めとされていました。
(小床峠)
(吉田山を望む)
吉田山からは急な斜面を何度か下っていきます。登りに採ったら辛そうです。下り切った鞍部には秩父御嶽神社への道標があり、東に下る道は私有地のため立入禁止となっています。鞍部から更に下ると県営林の看板のあるピークに出ます。道が二手に分かれていますが、県営林の看板には小さく「→3分神社」と書かれています。このときはわかりませんでしたが、今地形図を見るともう一つの道は奥武蔵あじさい館へ下る道だったようです。
(秩父御嶽神社への道標)
(県営林の看板)
神社へと書かれた道を下っていくと突然大きな神社が現れました。神社の右手から看板脇を通って出ると秩父御嶽神社本殿と書かれた看板があります。建物の中にちゃんと蛍光灯が点いているってのが凄いよねぇ。本殿から先は急な石段が下まで続いていますが、これを下るのは辛いので巻き道を行きます。下へ下っていくとここがかなり大きな神社であることがわかってきました。小高い丘の上には巫女さんのいる拝殿があり、14時半を過ぎてもかなりの参拝者がいました。他にもいくつかの神社が祀られているようでしたが、特に東郷神社はインパクトがあります。軍国主義公園だなどと揶揄する人もいるようですが、そのくらい日露戦争の遺品が残されています。
(秩父御嶽神社本殿)
(急な石段)
(東郷元帥の像)
ようやく鳥居のある国道前まで下りて、高麗川沿いの車道を歩いていきます。この道は関東ふれあいの道に指定されていて、車道はやがて線路沿いの山道となります。大分日も傾いてきたのでちょっと気味の悪い道でした。西武秩父線を見下ろしつつ進むと石灰の採掘場に出ます。昨年の今頃前坂から子ノ権現へと向かったときにキワダ坂辺りから見えたのがこの採掘場なのでしょう。事務所らしき建物を見ると西武建材(株)とあります。ネットで調べると吾野鉱業所として稼動しているようです。吾野地区は昔から鉱業の町なんですよね。昔の写真を見ると本当に山一つ削られてしまったりしているようです。踏切を渡ってトンネルを潜れば吾野駅に到着。ホームに出たらちょうど電車がやって来ました。正月から幸先が良さそうです。
(関東ふれあいの道から西武線を見下ろす)
周助山から登戸までは以前と異なり一般ルートでした。道標やテープを目安にお歩き下さい。登戸から竹寺鐘楼台までも一般ルートですが、地形図とコンパスがあると便利でしょう。特別な読図能力は必要ありません。豆口山も一般レベル。踏み跡が辿れればOKです。今度は天王山まで行ってみようかな。吉田山ルートも一般レベルです。ただ読図の練習には良い所だと思います。
DATA:
飯能駅(国際興業バス25分)8:28原市場中学校~9:06周助山~9:27登戸~9:53車道出合10:06~10:37 47号鉄塔
~10:52 46号鉄塔~11:16関東ふれあいの道出合~11:21竹寺鐘楼台11:31~11:53豆口山~12:35子ノ権現13:09
~13:51小床峠~14:08吉田山~14:21秩父御嶽神社本殿~14:44入口~15:01吾野駅
国際興業バス 飯能駅~原市場中学校 430円
地形図 原市場
2011年最初の山歩きは初詣を兼ねて子ノ権現へ行って参りました。子ノ権現は山歩きを始めた5年前から年に一回ペースでお参りしていて、ルート採りにはちょっと迷います。今回はまだ歩いたことの無い周助山から竹寺の鐘楼台を経由して子ノ権現へ行き、帰りもこれまた歩いたことのない小床峠・吉田山から秩父御嶽神社を経由して吾野駅へ向かうルートとしました。
周助山はエアリアマップには道のない山で、現行のガイド本では「奥武蔵山歩き一周トレール」(かもがわ出版)に情報が載っている程度のマイナーな山です。前回も書きましたが、尾根は下るより登るほうが簡単なので、道のない周助山も登りにとることにしました。アプローチは国際興業バスの原市場中学校バス停で、バスを降りたのは地元のハイカーらしきおじさんと私だけ。バスは正月三が日にもかかわらず、結構な混み様でしたが、皆奥地に行ったんですかね。上掲のガイド本どおりバス停から少し道を戻ると周助山が見えてきました。思ったより目立つ山です。ガイド本では信号のある交差点を左に入り、Y字路を右に入って、左の斜面にある神社脇から登れとのこと。本のとおりに進んでいくと、んんっ、民家の脇に何かあります。近づいてみると立派な道標が設置されていました。ガイド本には道標がないと書いてあったのですが…。まあ発行して10年も経てばかなり変化はあるものです。某サイトだと山行記が役に立つのは5年までとか書いてありましたし。
(背後の山が周助山)
道標があれば登るのは簡単です。道標にしたがって民家の裏手に回りこみ、次の道標で簡易舗装された斜面を上がっていきます。舗装された道は墓地へ上がっていきますが、その途中に山道を指す道標があります。山道は沢状の急な斜面に付いていて、踏み跡は若干薄いものの、テープも頻繁に付けてあります。大きな岩を見送った辺りから道が九十九折に付いています。ちょっと踏み跡を見失いそうになる所もありましたが、まあテープをじっくり見つければ大丈夫でしょう。九十九折を登りきると平坦な尾根に出ます。地形図だと383のピーク(現地での周助山)の東端辺りでしょうか。平坦な尾根を少し登った所が周助山頂上(383)です。真新しい標識が立てられている以外は展望もなく、静かな山頂です。スタートから40分ほど掛かりましたが、道標があったためかもっと簡単に着いた印象です。
(登山口の道標)
(周助山頂)
特に見所もないので、次の登戸(ノボット)を目指します。地形図では周助山と書かれた三角点峰ですが、現地やエアリアでは登戸とされています。山の名称に関しては地形図は間違いが多いので、現地にしたがって地形図を直すべきなんでしょうけれどね。登戸へは踏み跡明瞭な広い尾根が続き、迷いようがありません。小ピークは巻いたりしながらも、20分ほどで登戸(435.8)に到着です。角の欠けた三角点が置かれた広い山頂ですが、周助山と同じく展望はありません。原市場地区まちづくり推進委員会が設置した標識には平成20年7月とマジック書きされていました。その頃に設置されたものなのでしょうか。
(登戸山頂)
落ち着いた山頂なので少し休憩していこうかとも思いましたが、先ほどから銃声がバンバン鳴っています。そう猟期に入っているんですよねぇ。まだ距離は遠そうなのですが、あまりいい気持ちはしません。別に猟師さんたちを毛嫌いしている訳ではないのですが。とりあえず鈴を着けて出発します。登戸までと同じく広い尾根が続きます。藪が無く、快適な道です。薄暗い幼木帯や倒木などがあるものの、傾斜が緩く陽も差し込んで良い気分です。ちょっと骨の折れる急傾斜を登りきるとカーヴミラーの脇から舗装された車道に出ます。
(明るい尾根)
(車道出合 カーヴミラー脇から山道が延びてます)
ガイド本には車道を右に少し行くと道があると書かれていますが、取り付きがわかりません。しばらく車道を上っていくと東側に広い展望が開けます。北東に小広い尾根が広がる辺りで自転車乗りのお兄さんが写真を撮っているので、そこまで行ってみます。小広い尾根に上がるとこれまで歩いてきた尾根と天覚山の尾根の間にさいたま新都心方面のビル群が見えます。周助山から延びる尾根の右には新宿辺りのビル群も見えましたが、東京スカイツリーはちょうど隠れてしまうようです。
(左に天覚山 中央右よりが登戸)
とりあえず取り付きを探すためにカーヴミラーのある所まで戻ると、西側斜面にテープが付いています。やや急な斜面を登ると明瞭な踏み跡が続いています。傾斜が緩むとこれまでと似たような道が続きます。途中道が分かれますが、日当たりの良い北側よりも巻き道のほうが歩きやすいでしょう。501のピークを過ぎると先ほど歩いた車道が北側に見えてきます。車道から離れて登った小ピークが548のピークより一つ東にある名無しのピーク。鉄塔管理用の黄色い標柱が立っており、47・48号鉄塔をそれぞれ指しています。ガイド本を読んでいれば47号鉄塔方面を進めばよいとわかるのですが、知らないか忘れた場合はやっぱり地形図で確認する必要があるかもしれませんね。道標の類はほかにありません。
(黄色い標柱の立つ名無しのピーク)
方向を確認して進むと548のピークは南側を巻いて47号鉄塔に出ます。芝草のスペースがありますが、展望はありません。ここも道は二手に分かれ、一方は仁田山峠、他方は46号鉄塔へ向かいます。土留めの木段が延びているほうが46号鉄塔方面ですが、ここも地形図とコンパスで確認したいところ。
(47号鉄塔)
土留めの木段を下って登り返した小ピーク手前が46号鉄塔です。鉄塔下からは棒ノ折山から西に延びる尾根と鳥居観音と金比羅山から蕨山へ延びる尾根が見渡せます。その先名無しのピークは樹林の中で、そこを下ると45号鉄塔は右から巻いていきます。この辺りから竹寺の鐘楼台にある鐘の音が聞こえるようになってきました。人里が近くなればハンターの心配をする必要も無さそうです。
(46号鉄塔下からの眺め)
(鳥居観音)
暗い幼木帯を抜けると44号鉄塔です。樹林に囲まれた鉄塔を過ぎるとその先の薄原から展望が得られます。ちょうど小殿辺りを見下ろすので正面の尾根は西平山へと続く尾根でしょう。武甲山の頭もチラリと見えます。その先の名無しのピークは東から巻いていきます。東に続く尾根は枝で通せんぼされていたので間違うことは無いでしょう。竹寺を東に見下ろしつつ進むと関東ふれあいの道に出ます。右は竹寺、左は小殿バス停へと出る道で、正面の尾根は竹寺の鐘楼台へと出ます。ただ小殿バス停側へ少し下ると正面の尾根を巻いて鐘楼台へと出るのでそちらのほうが楽でしょう。実際正面の尾根はかなりの急傾斜な上、尾根も痩せています。転落に注意しつつ進むと巻き道のある鞍部に出て、更に尾根を登れば竹寺の鐘楼台(581)です。
(薄原からの眺め)
(関東ふれあいの道出合)
東側が大きく開けたピークからは台形の大高山とモヒカン頭のような天覚山が目立ちます。その向こうに広がる平野部には建設中の東京スカイツリーの姿も見ることができます。鐘楼台脇のベンチには男性が一人休んでいるだけ。賑やかな人の声がする竹寺と比べて静かな山頂です。ハンターの心配もないので、ようやくのんびりと朝食をとります。
(鐘楼台からの眺め)
鐘楼台のピークからは竹寺へ下りる道と尾根通しの道が延びています。初詣は子ノ権現で、と思っているのでそのまま尾根通しの道を進みます。尾根道は相変わらず明瞭ですが、幼木帯を通るので、枝や笹がうっとおしい所もあります。歩く人は少ないかと思っていると中高年のご夫婦やおばちゃんグループと擦れ違います。竹寺へ直接向かわずに鐘楼台へ向かう人が多いのでしょうか?尾根の末端には小さな電波塔があり、道は東へ向かいます。小ピークを右に巻くと直接竹寺へ向かう沢道と合流です。道は二手に分かれ、正面の尾根道は629.1のピークへと続いています。
(尾根道 ちょっと笹がうっとおしい)
(正面が豆口山への道)
正面の尾根道へ取り付くとこれが酷い急坂。踏み跡は付いているものの、転げ落ちそうな斜度です。なんとか這い上がると、北へ延びる尾根を進みます。踏み跡は明瞭ですが、あまり歩かれていない雰囲気です。展望の無い尾根を進むと樹林に囲まれた三角点のある山頂に着きます。エアリアでは豆口山(629.1)と名づけられたピークで、道は二手に分かれています。一方は南東に延びる尾根を辿って天王山(513)と至る道で、他方は豆口峠へと下る道です。目印は天王山方向へと付けられていますが、今日は豆口峠へ下ります。
(豆口山頂)
下り始めは笹の生える急坂でちょっと歩きにくい感じ。それでも踏み跡は明瞭で、それを辿っていくと神送り場の看板の裏手に出ます。ちょうどご夫婦らしきカップルがやって来ていて、訝しげにこちらを見ていきました。確かにこんな所から下りてくるのは変わり者と思われても致し方ない感じはします。ちなみにここが豆口峠で関東ふれあいの道は617のピークへと向かいます。ここからはその関東ふれあいの道を辿っていきます。
(豆口峠を見下ろしたところ)
617のピークへは結構な急坂が続きます。ちょうど坂に差し掛かるときにトレラングループが下りてきます。奥武蔵も高尾ほどではないものの、大分トレランをする人が増えてきましたね。617のピークを登りきると今度は土留めの木段下り。関東ふれあいの道はこれがうっとおしいんですよね。流石に一般ルートだけあって、頻繁にハイカーと擦れ違います。軽装の人が多いのが特徴的でした。木段の下り登りが終わると以前は笹薮が煩かった道に差し掛かりますが、随分すっきりとしてしまいました。初めて歩いたとき(5年前の年末)はトンネル状の笹薮だったんですけれどねぇ。
(617のピークへの坂道)
古御岳と伊豆ヶ岳が見える辺りで尾根を乗り越え、尾根を東に巻くと子ノ権現への道に合流します。もう一方の踏み跡は穴沢へ下る道ですが、現在も使われているのかわかりません。子ノ権現へ近づくと流石に人気の観光スポットだけあって、かなりの賑わいです。この道は子ノ権現の裏手に出るので、先に裏手にある展望台へ向かいます。ちょうど人が引き払った展望台からは武川岳・古御岳・伊豆ヶ岳・二子山・丸山・関八州見晴台などがなどが見渡せます。ただ北向きにある展望台は風が吹きぬけて寒さに耐えられません。本堂へ向かうことにします。
(尾根から左に古御岳、右に伊豆ヶ岳)
(展望台からの眺め)
裏手から回り込むと子ノ権現の本堂に直接出られます。この間に毎年花を咲かせる福寿草があり、今年も黄色い花を咲かせています。時期によっては色の違う花も咲いていたような気がします。境内は20人くらいのハイカーや観光客でいっぱいです。破魔矢などを買いたいと思っていたのですが、いつも通りのお守りしか置いていません。ちょっと残念ですが、草鞋の御守をいくつか買い込みました。久しぶりに鐘楼台のあるピークへ登り、鐘を一突き。うーん、良い音だ。
(福寿草)
(鉄製大ワラジ)
(鐘楼台からの眺め)
13時を過ぎたので下山に取り掛かります。仁王像のある表参道を通り、トイレで用を済ませたら売店脇の小道を下ります。ちょうど中高年のハイカーグループも下っていきますが、彼らは直接青場戸へ下りていくようです。しばらく車道を北東へ向かって下るとカーヴの所で小床への道が下りていきます。車道から山道に入ると青場戸方面からの道と合流します。この先結構下っていくのでちょっと不安になるところ。そろそろ東に延びる尾根に入るところだなと思っていると、テープが付けられ、道が分かれています。テープが付けられた木を回り込むと、奥武蔵でよく見る手製の道標が括りつけられています。
(車道から小床への分岐)
(小床峠への分岐)
道標にしたがって進む道は小道ながら踏み跡ははっきりとしています。尾根をしばらく進むと右手に茅場が見えます。広そうな感じでしたが、今でも使われているのでしょうか。展望の無い道をダラダラと進むと手製の道標が現れます。正面の尾根は行き止まりで右に曲がるように指示があります。なんだかこの辺りから現在地が把握できなくなりました。急坂のあるピーク(ここが465のピークだったらしい)を下ると墓地のある峠に出ます。右は浅見茶屋、左は小床峠を指し、正面の尾根は行き止まりになっています。指示通り左の道を進みますが、どんどん下っていくので不安になります。現在地が把握できていればどうってことはない所だったのですが、尾根を外れているようでこのときは酷く不安でした。
(茅場を見下ろす)
(465のピーク下 画面外に墓地があります)
それでも道標を信じて進むと再び峠道に差し掛かります。下り切った所が小床峠で、地形図だと青場戸から小床へ山道が延びる鞍部に当たる所です。珍しく金属製の詳細な道標があり、奥武蔵でよく見るプラスチック製の小さな道標とは違う人物が製作したもののようです。道標には吉田山まで20分とあります。実際20分ほどなのですが、ここからが長く感じました。小ピークを二つ越えると前方にこれまでよりは少し大きめなピークが見えてきます。小ピークに騙されて疲れた体に鞭打って登ると吉田山(445)に出ました。山頂プレートが括りつけられただけの展望の無い静かなピークです。北に延びる尾根は急坂のため通行止めとされていました。
(小床峠)
(吉田山を望む)
吉田山からは急な斜面を何度か下っていきます。登りに採ったら辛そうです。下り切った鞍部には秩父御嶽神社への道標があり、東に下る道は私有地のため立入禁止となっています。鞍部から更に下ると県営林の看板のあるピークに出ます。道が二手に分かれていますが、県営林の看板には小さく「→3分神社」と書かれています。このときはわかりませんでしたが、今地形図を見るともう一つの道は奥武蔵あじさい館へ下る道だったようです。
(秩父御嶽神社への道標)
(県営林の看板)
神社へと書かれた道を下っていくと突然大きな神社が現れました。神社の右手から看板脇を通って出ると秩父御嶽神社本殿と書かれた看板があります。建物の中にちゃんと蛍光灯が点いているってのが凄いよねぇ。本殿から先は急な石段が下まで続いていますが、これを下るのは辛いので巻き道を行きます。下へ下っていくとここがかなり大きな神社であることがわかってきました。小高い丘の上には巫女さんのいる拝殿があり、14時半を過ぎてもかなりの参拝者がいました。他にもいくつかの神社が祀られているようでしたが、特に東郷神社はインパクトがあります。軍国主義公園だなどと揶揄する人もいるようですが、そのくらい日露戦争の遺品が残されています。
(秩父御嶽神社本殿)
(急な石段)
(東郷元帥の像)
ようやく鳥居のある国道前まで下りて、高麗川沿いの車道を歩いていきます。この道は関東ふれあいの道に指定されていて、車道はやがて線路沿いの山道となります。大分日も傾いてきたのでちょっと気味の悪い道でした。西武秩父線を見下ろしつつ進むと石灰の採掘場に出ます。昨年の今頃前坂から子ノ権現へと向かったときにキワダ坂辺りから見えたのがこの採掘場なのでしょう。事務所らしき建物を見ると西武建材(株)とあります。ネットで調べると吾野鉱業所として稼動しているようです。吾野地区は昔から鉱業の町なんですよね。昔の写真を見ると本当に山一つ削られてしまったりしているようです。踏切を渡ってトンネルを潜れば吾野駅に到着。ホームに出たらちょうど電車がやって来ました。正月から幸先が良さそうです。
(関東ふれあいの道から西武線を見下ろす)
周助山から登戸までは以前と異なり一般ルートでした。道標やテープを目安にお歩き下さい。登戸から竹寺鐘楼台までも一般ルートですが、地形図とコンパスがあると便利でしょう。特別な読図能力は必要ありません。豆口山も一般レベル。踏み跡が辿れればOKです。今度は天王山まで行ってみようかな。吉田山ルートも一般レベルです。ただ読図の練習には良い所だと思います。
DATA:
飯能駅(国際興業バス25分)8:28原市場中学校~9:06周助山~9:27登戸~9:53車道出合10:06~10:37 47号鉄塔
~10:52 46号鉄塔~11:16関東ふれあいの道出合~11:21竹寺鐘楼台11:31~11:53豆口山~12:35子ノ権現13:09
~13:51小床峠~14:08吉田山~14:21秩父御嶽神社本殿~14:44入口~15:01吾野駅
国際興業バス 飯能駅~原市場中学校 430円
地形図 原市場
尾根上の踏み跡ははっきりしています。
だから歩くのは簡単なんじゃないか、と思いがちなのですが、
本文中にもあるように林道から竹寺までは分岐が多いのに道標は全くありません。
低い山なので、どこを下りても危険は少ないと思いますが、
自分の行きたい所へ行くには地形図・コンパスの技術は必要なルートだと実感したのを覚えています。
>めちゃくちゃな山歩き
安全に下りてくるというのも技術のひとつで、
わからないときに林道を辿るという冷静な判断ができたことに自信を持っていいと思います。
>正確な地図読み
この頃はまだ地図読みがかなり甘かったんですよね。
今でもよく間違えますが、この頃は行き当たりばったりで、結果オーライな部分も多かったです。
しばらく歩いていないルートなので、今度久しぶりに歩いてみようかなぁ…。
私、ここ歩いたところです。
原市場中学のバス停から周助山ーノボットに
ところが、そのあとがまったく道が分からず
地図も忘れてきてしまい
尾根を進みましたら「林道の原市場ー名栗線」に
出ました。そこを名栗方面に少し歩いて適当に妻沢川沿いを原市場に抜けようと思い、谷に入ったのですが
道を失って迷走し、後から分かった蕨入林道を経て
茶内ー名栗川に出ましたわ。
tokoroさんから見ればめちゃくちゃな山歩きで
危なく恥ずかしい限りです。
tokoroさんのいつも正確な地図読みに感心と羨望です。