野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

奥武蔵へようこそ 平成30年3月17日 城峯山を歩く 西門平から粟野

2018年03月23日 | 奥武蔵へようこそ
(粟野山頂上)

注意:18号鉄塔から粟野地区の間は踏み跡の無い難路で一般的ではありません。

奥武蔵とは地理的概念ではないという話はどこかで書いたと記憶しているが、実際その範囲は西武鉄道の前身である武蔵野鉄道が吾野周辺を奥武蔵と呼び始めた頃よりも遥に広くなっている。まあ奥秩父という言葉が秩父の奥地という概念を越えて山梨や長野に至る山域をカバーしているように、当初の定義を越えて使われることはよくあることだ。ボクは奥多摩・奥秩父・西上州に入らない埼玉県内の山域を広く指す言葉だと解している。その広い山域の中で北西の端に位置するのが城峯山だ。丸山・大霧山・破風山など展望の良い山から群馬県側を眺めるとフタコブラクダ形の御荷鉾山に次いで存在が大きい。奥武蔵の中ではかなり奥地にあり、なかなか足が向かないでいたのだが、今回初めて登ってみることにした。入山地は一番距離が短そうな西門平(にしかどだいら)とし、下山地は長い車道歩きを避けられる粟野(あのう)を一応の目標とした。

皆野駅から西門平
朝7時50分、皆野駅に着く。ここから登山口のある西門平へは皆野町の町営バスで行くことになるのだが、バスの出発時刻までは一時間近く余っている。今日は三月半ばにしては肌寒いので、バス停で待つのではなく、日野沢川沿いのバス通りを少し歩いてみることにした。駅前の道を出て、商店街の続く通りを北に進む。破風山を登った帰りにこの通りを歩いたのだが、前回見かけた火の見櫓の下は皆野町営バス・西武観光バスのバス停であったことに今回ようやく気付いた。前回商店街で見かけた家具屋(矢尾百貨店皆野店)は閉店となってしまった。踏切を渡って住宅街を抜けると栗谷瀬橋(くりやぜばし)が見えてくる。橋の上からは荒川の流れと奥秩父の山並が見渡せる。

(皆野町営バス、西武観光バス皆野線の発着場となっている)


(栗谷瀬橋からの眺め)

栗谷瀬橋を渡った後も住宅街が続く。少しずつ登っていくため歩くのもだんだんときつくなってきた。どこかのバス停で待つとしよう。国神、柴岡などの地区にもいくつかバス停があるのだが、どれもバス停が皆野駅方面にしかない。バスの運転手が気付いてくれるのかどうしても不安になってしまって、どんどん先へと行ってしまう。結局日野沢郵便局近くにある中平バス停まで歩いてしまった。それでもまだバスが来るまで時間がある。30分ほど待つとバスがやって来た。車内には4,5人の乗客が居り、大半が登山者らしき姿をしていた。バスは日野沢川沿いに付けられた狭い道を猛スピードで上がっていく。こんなにスピードを出して大丈夫なのだろうかと思うほどだ。秩父華厳の滝バス停で一人を降ろした後、地元の方らしき人を除いた残りの乗客は西門平で降りた。西門平は天空の里と表現したくなるような明るい山上の集落だ。この先には天空の楽校と呼ばれるカフェがあるらしいので、観光で訪れてみるのも面白そうだ。

(中平バス停 奥左手に日野沢郵便局がある)


(西門平 天空の里という名に相応しい)

鐘掛城へ
バス停の少し先に沢沿いに付けられた舗装された林道が上がっていく。これが鐘掛城への道だ。歩き始めから傾斜が急で難儀する。視線の先には鐘掛城らしきピークがちらちらと見え、随分と距離がありそうだ。しかし「山と高原地図」によると鐘掛城まで80分と記載されているので、500m近い標高差の割には歩きやすい道なのかもしれない。沢沿いの道から九十九折の尾根道となる所で土の道へと変わる。硬くて重い山靴には柔らかい土の道のほうが有難い。この道は明治大正期の地形図にも描かれているくらいに古く、昔から歩かれていただけあって歩きやすいようだ。ガードレールが付けられた林道を横切る所で先行していた男性に追いつく。この日はボク以外に3人の登山者がバスを降りたが、この先も度々この人たちと出会うことになる。

(九十九折の道を行く 広くて歩きやすい)

依然として続く九十九折を登っていくと不意に広い鞍部に出る。実はこのとき地形図を読み込んでおらず、鐘掛城へは沢沿いの道を延々と歩くものと思っていたので、鞍部が現れたときは驚いてしまった。ここで地形図を初めてを開き、送電鉄塔と803のピークとの鞍部であること、標高が750mくらいの所まで来ていることがわかった。スタートの標高を考えるとまだ鐘掛城までは半分強残っている。鞍部からは傾斜が緩くなり、尾根の上を進むようになる。杉が少なくなり、檜が優勢になるのも尾根の特徴だ。5分ほど進んだ所でコンクリートの塀が見えてきた。近寄ってみると上に送電鉄塔が立っている。西から送電鉄塔を回り込むように上がると東側に大きな展望が広がる。平たい形の大平山から右へ尾根を上げていき、登谷山、二本木峠などが呼称の内にあるようだ。その奥のおっぱい山は笠山で、右隣の平たい山は堂平山だ。手前には蓑山が北側半分ほど見えており、麓には皆野、長瀞の街が広がっている。伐採地の上にはベンチも置かれているので少し休憩していくことにした。

鉄塔ピーク手前の鞍部


(送電鉄塔下)


(鉄塔からの眺め)

伐採地を過ぎると再び暗い檜林の中を行く。尾根の上を行くということもあって、傾斜の急な所は土留めの木段が設置されている。ここは関東ふれあいの道として指定されているので、木段が出てくるであろうなという予想はしていた。大した距離じゃないからそれほど苦痛ではないが。落葉樹林の尾根の東側をトラバースしながら上がっていくと鐘掛城のピークと巻き道との分岐に出る。分岐を上がると檜に覆われた暗い鐘掛城の山頂(1003)に出る。曲輪に使えそうな小広いピークであるが、山城ファンによるとあまり城跡らしき遺構は残っていないという。山頂からは西門平方面以外に奈良尾峠方面と城峯山方面に道が延びている。城峯山方面は開けていて、城峯山の山頂に立っている電波塔が見えている。ところがそちらへは長い土留めの木段が下っていて、とてもそこを下りていく気にはならない。

(傾斜の急な所は木段が多い)


(落葉樹林帯の下を行く 落ち葉がふかふかの絨毯のよう)


(鐘掛城分岐 左は巻き道)


(鐘掛城頂上)


(現地解説板)


(鐘掛城から見る城峰山 山と高原地図の解説冊子にも同アングルの写真が使われていた)


(鐘掛城から中城峯山へ向かう下り坂 ここは下りていきませんでした…)

城峯山頂上周辺を歩く
分岐に戻って巻き道を行く。巻き道は中城峯山と呼ばれる小ピークも巻いていくが、ここは登ってみることにした。ここも鬱陶しい木段があるが、ステップが高くないのでそれほどきつさはない。木段が終わるとフラットな尾根になる。下る手前が最高点だが、山頂を示すものは何もない。短いが急な木段を下りきると石間峠へ向かって緩やかに下っていく。舗装された車道が乗り越す鞍部が石間峠(いさまとうげ)だ。そばには大きな東屋とトイレがある。現在の車道は皆野町の立沢地区から上がって、太田部峠・奈良尾峠や神川町の満所・矢納地区へと下っている。しかし明治大正期の地形図を見ると石間と呼ばれた沢戸・半納地区から登って宇那室と呼ばれた満所・矢納地区へと下っていた。石間峠の名は城峯山が石間ヶ岳と呼ばれていたことに由来するようだが、石間から峠道が延びていたからという理由もあるような気がする。もちろん当時から立沢地区や神川町(かつては矢納村と呼ばれていた)の大仁田地区からの道も合流しており、現在の地理院地図にも描かれている山道は峠道として機能していたのであろう。

(中城峯山の山頂部 山頂自体はもう少し奥にあるが、山頂を示すものは何もなかった)


(石間峠)

石間峠から城峯山頂上まではやや急な登り返しとなる。特に山頂直下は長い土留めの木段が続く。寒い時期だからよいが、ちょっとでも暖かくなってきたらさぞ汗を絞られることだろう。山頂(1037.8)には芝草の広場に三角点の標石と大きな電波塔がある。ここの三角点は物見山・堂平山とともに一等三角点に指定されている。電波塔は展望台にもなっており、金属製の階段を上がると360度の展望が広がる。実際は北側の一部で樹木が邪魔する所があるが、冬枯れの時期ならさほど気にならない。南東は外秩父の山から伊豆ヶ岳に武甲山、南西は和名倉山や甲武信ケ岳、両神山などが見渡せる。北側は八ヶ岳から父不見山・塚山の上武国境の尾根に、赤久縄山や御荷鉾山、雨降山などの西上州の山が見渡せる。その背後は浅間山、榛名山、赤城山や日光連山、上信国境の山などが見えているようだ。とにかくこれだけ広い展望を持つ山は奥武蔵では他にはないだろう。

(木段の先に電波塔が見えてきた)


(城峯山頂上 一等三角点がある)


(山頂からの眺め 笠山、武甲山など)


(和名倉山、甲武信ケ岳、三宝山、両神山など)


(左奥の白いのは八ヶ岳 手前の鋭鋒は塚山 ほか父不見山、御荷鉾山など)


(左のふたこぶは御荷鉾山 あいだに浅間山も見える 右は雨降山)


(雨降山右手奥は榛名山)


(下の湖は神流湖)


(赤城山 右の雪を被った山は案内図によると奥日光辺り)


(両神山)

山頂からは鐘掛城方面以外に西の城峰神社方面と南に延びる尾根を下る道がある。まだお昼前なので、神社も見てみよう。西に延びる尾根は鐘掛城へと延びる東尾根と異なり、明るい落葉樹林が広がる。灌木類が多いので、5月頃はツツジなども咲くのかもしれない。急坂を下って鞍部へ下りてくると分岐がある。すぐ下は城峰神社なので、まずは西の天狗岩に行ってみる。西へ向かう道は2本あり、上の尾根を行く道を入る。尾根に上がると高度感のある岩尾根が続き、高所恐怖症気味のボクには辛い道だ。少し進むと道は大きく西へと下っていってしまう。その手前の高い所をよじ登ってみると石祠が置かれていて、両神山方面の眺めが良い。ここが天狗岩の上なのだろう。

(山頂から西の尾根は落葉樹林が広がる)


(天狗岩の上から両神山)

慎重に道を戻り、今度は岩場の下の道を行く。大きな崖下の道を進むと鎖場が現れる。案内板によるとこの上が将門の隠れ岩という所らしい。鎖の下にザックを置いて取り付いてみる。しかし一本目の鎖を登り切った所でこれ以上進むのを諦めた。鎖場の上2,3メートルくらいを登ればその先は行けそうだったが、その鎖が無い2,3メートルが怖いのだ。仮に上がれたとしても同じ所を下ってこなければならないので、ボクの実力では転落の可能性が高い。今日は下山が長いので無理をしないことにした。

(将門の隠れ岩へ向かう鎖場)

分岐に戻り、南へ下るとすぐ下に城峰神社がある。拝殿に掲げられた扁額を見ると城峰山神社と書かれている。神社の東側はキャンプ場があり、管理用なのかクルマが入って来ていた。南側はちょっとした展望台になっていて、ベンチが置かれている。まあ展望に関しては天狗岩と同じく電波塔のものには敵わない。

(城峰神社)


(将門伝説の解説板)

粟野山へ
キャンプ場の南には城峰神社から延びる杉並木の参道がある。神社にはありがちな石畳ではなく、土の道だ。鳥居が見えてくると石間と総称されている半納・沢戸へ分岐に着く。この道は明治大正期の地形図にも描かれている古い峠道だ。この道はエスケープとして利用する予定だったので、今回はパス。問題はこの分岐には南に延びる尾根につながる道がないということだ。上に見えるガードレールの道から行かなければならないらしい。脆そうな路肩の斜面をよじ登り、車道に出るとカーブする辺りで南尾根への分岐に着く。車道上に道標は無いが、尾根の奥にはあるので間違うことはないだろう。

(城峰神社の参道)


(キャンプ場 12月から3月までは休園とのこと)


(半納・沢戸地区への分岐 なお正面の道を進んでも南尾根に上がる道は無い)

南尾根は中郷・漆木地区へ下りるルートとして整備されており、踏み跡は明瞭だ。ただ歩く人が少ないせいか、若干荒れ気味な感じはする。傾斜の急な所には巻き道が整備されているが、一先ずはそのまま尾根を進む。地形図には表れない小ピークを西から巻くと914のピークとの鞍部に着く。ここにも巻き道がある。914のピークへは60メートル以上の登り返しとなるので、巻き道を使ってみることにした。巻き道に入るとすぐに酷い藪となり、また路肩が崩壊して通過するのも難しい。何とか東に延びる尾根は越えたものの、その先は野茨の藪に踏み跡が覆い隠され、全く進むことが出来なくなってしまった。止む無く道を戻り、今度は914のピークを目指す。すると道は巻き道と同じく東から巻いて東の尾根に上がる。そこから山頂方面へと上がっていくが、道は山頂へは行かずに南に延びる稜線へ付けられている。念のため914のピークに上がってみるが、秩父市と皆野町との境界を示す赤い杭が埋設されているだけであった。

(南尾根分岐 奥に道標が見える)


(巻き道を除けば整備状態は良い)


(914のピークの巻き道 まだここは整備状態が良いほう)


(914のピーク分岐 行き止まりと書かれている方が頂上)


(914のピーク頂上 奥に見える尾根に城峰神社前の展望台も見える)

914のピーク直下は急な斜面で幼木帯となっているのか、武甲山を望むちょっとした眺めが得られる。歩き難い急斜面を下りてくると一息つけるフラットな尾根で、その先は通れなくなっていた巻き道が合流する鞍部に着く。案内図があるのでじっくりと見てみると丸印は道標を指していて、この先4つ目の道標の立つ辺りが粟野地区へと向かう18号鉄塔への分岐となっているらしい。とりあえず粟野地区への道のおおよその見当はついたので、地形図とにらめっこしつつ進んでみよう。鞍部から登り返すと細い尾根のアップダウンが続く。852のピークの北にある小ピークからは南東に尾根が延びているが、その先の852のピークの手前に道標があるので迷うほどでは無い。852のピークは境界標の石杭が埋設された地味な所だ。地形図を読み込んでいなければ場所も分からないだろう。

(急坂の幼木帯)


(幼木帯からの眺め)


(道標とともに設置されていることが多い案内図)


(852のピーク北東にある小ピーク 右手に少し進むと道標がある)


(踏み跡もしっかりしているが道標も過不足なく完備されている)


(852のピーク頂上)

そろそろ粟野方面への分岐が現れるはずと思っていると、小ピークを越えた下り坂の途中が道標の置かれた分岐であった。道標には粟野方面は18号鉄塔・白岩と記してある。おそらく18号鉄塔までは鉄塔管理道として整備されているはずだ。その先は途中見かけた案内図によると行き止まりと書かれていたが、それが何を意味するのか。単に道が無いだけなのか、それとも権利関係の理由で通行止めとなっているのか、いずれにせよ行ってみないことには何もわからない。18号鉄塔へ向かう道は明瞭でこれまで歩いてきた所と遜色は無い。快調に下っていき、西に尾根が分岐する最初の小ピークには「粟野を経て井上・吉田町方面」と書かれた古びた道標がある。その先も明瞭な道が続き、明るい18号鉄塔下に着いたのは中郷・漆木方面への道と分かれてから10分ほど経った頃だった。

(18号鉄塔分岐)


(途中の小ピークにはこんな道標も)


(鉄塔管理道として整備されているせいか踏み跡は明瞭)


(18号鉄塔)


(鉄塔下からはちょっとした眺めも得られる)

18号鉄塔までは順調に来ることができた。問題はこの先だ。ここは尾根が2つに分かれる小ピークなのだが、どちらも藪の坂である。コンパスで方向を確かめ進んでいくが、これまでと異なり明らかに踏み跡が無い。尾根上に雑然と生えた杉檜を避けて下るとフラットな落葉樹林の尾根に出る。踏み跡は無いが、尾根上の見通しが利くので迷うことはない。道がはっきりとしない不安さえなければ気持ちの良い所だ。尾根が曲がる度にコンパスと地形図で方向を確認するが、特に難しい所はない。ただ地形図から予想するよりも傾斜の急な所が多く、小ピークを越える度に消耗させられる。675のピークは雑然と樹木が生えた所で、尾根が二手に分かれる。踏み跡がなく、傾斜は枝尾根のほうが緩いので、地形図が読めない人の突破は困難だろう。

(まずは藪っぽい所を下る)






(気持ちの良い落葉樹林帯が続く)


(675のピーク ここは道標も踏み跡もないので地形図を読めるかどうかが重要)


(675のピークを過ぎると再び良い尾根に)

675のピークの先は小ピークが2つ並んでおり、その鞍部を通過していく。ここには薄らと踏み跡があり、以前にも使われていたようだ。下山後に明治大正期の地形図を調べてみるとこの鞍部には白岩地区と漆木地区を結ぶ峠があったらしい。鞍部の先の歩き難い岩場を越えるとフラットな尾根が続く。尾根上にはしっかりとした石杭の境界標がある。城峯山から粟野山にかけての稜線はかつて旧上吉田村と旧下吉田村との境界線となっていて、その名残で石杭が点々と埋設されているのだ。標石の先の小ピークを越えると明るい伐採地に出る。そして困ったことに尾根が林道によって大きく寸断されてしまっている。真直ぐ下りることは不可能なので、尾根の東の比較的傾斜が緩い所を草木に摑まりつつ何とか下りる。尾根を林道で横切ると向かいの尾根の西端から尾根に上がることができた。

(鞍部を通過する ここは薄らとだが踏み跡がある)


(林道に下りる手前の小ピーク この先は林道になる)


(林道直上 この先は崖地で下れない)


(林道から寸断した尾根を眺める 左手を見ると結構な高さがあることがわかる)

鞍部に着き、粟野山を見上げる。比高は60mほどで疲れた体には急な斜面に見える。踏み跡は無く、枝が散乱する斜面を登っていくのは骨が折れる。2段構えの急斜面を登りきると三角点の標石が埋設された粟野山(あのうやま 675.4)の頂上に出る。檜に覆われた山頂で一部切り拓かれているが展望は無く、立木に粟野山と書かれたプレートが括り付けられているだけだ。「山と高原地図」には大平という名が付けられているが、これは三角点名であって山名というわけではない。ともあれ城峯山からここまで歩きとおせたという達成感は何物にも代えがたい。

(粟野山)

粟野から井上に下り、そして松井田へ
粟野山に着いたことで満足してしまっていたが、まだ粟野地区そして麓の井上地区まではかなりの距離が残っている。コーヒーを一口飲んだところで出発する。まずは粟野山からの下りだが、南に延びる主尾根は斜面が急すぎて下ることができない。斜度30度は余裕で越えているだろう。歩きやすそうなのは金岳へと延びる南東の尾根だが、粟野地区とは谷を隔てている。ただ地形図にはトラバースして主尾根へ上がる道が描かれているので、これを使えないか探ってみることにした。南東尾根は歩きやすくどんどん下っていく。途中振り返ると主尾根が見える。谷の傾斜からぎりぎりトラバースできそうだ。やがて南東尾根も急坂に差し掛かる。行き過ぎているので戻ってみるが、地形図に描かれたトラバース道はない。そこで先ほど見かけた比較的歩けそうな斜面をトラバースすることにした。倒木が散らばり思ったようには進めないが、杉の木を伝いながら何とか主尾根に出る。山頂方面を振り返ると壁のような斜面がそそり立っていた。

(金岳へとつながる尾根)


(奥の急傾斜な尾根を目指してトラバースしていった)

踏み跡の無い尾根を下っていくと南に下る大きな谷が現れる。左右に分かれる尾根は明瞭だが、谷を下るように薄らと踏み跡がある。特に地形図を確認しなかったが、おそらくこの踏み跡を下れば粟野地区に出られるはずだ。谷は広い緩斜面になっていて、薄い踏み跡がなければどこを歩いてもよさそうな感じがする。じっくり踏み跡を辿っていくと右に折れ、竹林の中に入っていく。竹林を抜けると林の中に民家らしき建物が見え、前を横切る道もある。分岐には道標が立ち、解説板と室久保を指していた。う~ん、解説板は見ていってもよかったかもしれない。林を抜けると2軒の民家があり、それぞれ住民の方が作業をしていた。邪魔をしても悪いので、早々に下ることにする。

(明瞭な踏み跡はないので尾根の上を忠実に進む)


(谷を下るように踏み跡がある)


(緩斜面の下り 写真で見るよりも傾斜は緩く感じる)


(竹林 ここを抜ければ粟野は近い)


(竹林を抜けた先の道標 解説板と書かれた方には民家があるので進んでよいのか少し躊躇われる)

民家の前から井上地区へは砂利の林道が通っている。地形図に描かれた破線路にほぼ忠実に付けられていて、かつての登山道は失われてしまったようだ。それでも半納から長い舗装路歩きをするよりはましだろう。小ピークを東から巻き、尾根を越える辺りに金岳を望む展望地がある。ここから見ると足場が細そうな岩山でどうやっててっぺんに辿り着くのか見当もつかない。この展望地を過ぎると後は延々と林道歩きが続く。歩いても歩いても標高は高いままなのでちょっと焦りも出てくるが、舗装路に変わって大きく蛇行するようになると麓は近い。左手に民家が現れると眼下にクルマが行き交う県道が見える。井上地区に到着だ。県道を渡り、細い道を抜けると吉田郵便局があり、ここから西武秩父駅行きのバスに乗ることができる。さてバスは何時にやって来るのかな…。2時間後ってマジですか?この寒空の中2時間は待てませんぜ。

(林道下にある道標 山道が通っているわけではない)


(林道粟野線)


(金岳 どうやってあの尾根を越えるのだろう?)


(井上地区が見えてきたがまだ遠い)


(この神社が現れれば麓はすぐそこ)


(吉田郵便局バス停)

「山と高原地図」を見ると小鹿野町の松井田という所まで行けばバスが出ており、本数も吉田地区のものより多いようだ。ここで待っていても仕方がないので、松井田へと歩き出す。ここに来ての長い車道歩きは本当に辛い。途中少し長めの休憩を取りつつ歩いていると住宅地の向こうに巨大な崖地が見えた。「山と高原地図」によると「ようばけ」というらしい。この辺りあまりハイキングコースはないのだが、長尾根を越えて八人峠へと至るルートならようばけも観察出来て面白そうだ。国道299号に出れば松井田は近い。しかし国道にしては細い道だ。交通量が多い割に歩道がない所が多いので、少々怖い思いもさせられる。松井田バス停は上下線両方にポールが立っていて安心する。時刻表を見ると40分ほど待たされるようだ。ようばけをもう少し近くで観察してきてもよかったかもしれない。すぐ近くには宮本の湯があるが、温泉は次の機会としよう。とにかく疲れ切って何もする気が起きない。バス停のポールにどっかと腰を下ろし、寒空の下バスがやって来るのひたすら待ったのだった。

(楢木橋 本文中には記していないが、松井田へ向かう途中に渡る)


(ようばけ)


(松井田バス停 横断歩道を渡ると宮本の湯もある)

DATA:
皆野駅7:50~8:07栗谷瀬橋~8:36中平(皆野町営バス)9:14西門平~9:47送電鉄塔と803のピークとの鞍部~10:18鐘掛城~10:36石間峠~10:49城峯山11:07~11:19天狗岩~11:31城峰神社~12:36 852のピーク~12:53 18号鉄塔~13:13 675のピーク~13:43粟野山~14:20粟野地区~15:04吉田郵便局~15:20楢木橋~16:22松井田(西武観光バス)西武秩父駅

地形図 皆野 鬼石

トイレ 石間峠

交通機関 
西武池袋・秩父線 小手指~西武秩父 500円(往復1000円)
秩父鉄道秩父本線 御花畑~皆野 380円
皆野町営バス 中平~西門平(日野沢線) 240円
西武観光バス 松井田~西武秩父駅(小鹿野線) 390円

西門平から城峯山へは一般ルートで比較的短時間で上がれます。公共交通機関を使った場合に一番早く入山できるので登りに使うのがお薦めです。
城峯山から漆木・中郷へと下るルートは途中までしか使っていませんが、踏み跡は明瞭なのでここも一般ルートとしてよいでしょう。但し巻き道には入らないように。
漆木・中郷ルートから外れて粟野へと至るルートは、18号鉄塔以降は踏み跡・道標がなく、分岐も複雑で傾斜が急な所を通過する場面もあります。地形図・コンパスを使いこなせた上で、道標のない山を歩いた経験があることが望ましいです。経験・能力のない人の入山は不可と考えます。

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