野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

武蔵野の記憶 小手指ヶ原から狭山丘陵

2012年09月11日 | 武蔵野の記憶
(狭山湖畔から富士山)

国木田独歩の小説「武蔵野」の最初のページを開くと小手指原という地名が出てくる。
おそらく西武池袋線小手指駅の近くにある地名だろうとは思っていたのだが、
所沢に住んでいながら小手指原に行ってみたことはなかった。
ところが最近山に行く時間が取りにくいこともあり、手近な小手指原を訪れてみようと思った。
西武鉄道がちょうどこの辺りのコースガイドを紹介していたので、
そのガイドを頼りに小手指ヶ原から狭山丘陵まで歩いてみることにした。

雑事を済ませてなんとか小手指駅を15時に出発することができた。
山歩きならこんな時間から歩き始めることなど考えられないが、今日はほぼ街歩きと変わらない。
心配は狭山丘陵内くらいのもので、真っ暗になったら車道を歩いて巻いていけばよいと考えていた。
西友小手指店に自転車を置いて、小手指駅北口から歩き始める。
しばらく線路沿いに歩くと水路が通るトンネルに出合う。
この水路は砂川掘といい、所沢市の北部を東へと流れていく。
小手指駅近くの砂川掘には枝垂桜が植えられていて、春はなかなかの見物である。
トンネルを潜ると砂川堀の調整池に出る。タワーマンションの建つ駅周辺の喧騒が嘘のように静かだ。
調整池を抜けていく車道には道標があり、それにしたがって行けば、交通量が少なくて済む。
文化祭を行っている所沢西高校を過ぎると武蔵野らしい畑と雑木林が広がる。のんびりとした雰囲気が良い。

(砂川堀調整池)


(石橋供養塔)






(畑)

畑を抜けると国道463号に突き当たる。道標にしたがって国道沿いを行くと誓詞橋交差点に出る。
新田義貞が鎌倉攻めの際に将兵に忠誠を誓わせたという橋らしいが、言われなければ気付かないほど小さな橋だ。
国道を渡り、斜めに延びる細い車道を進む。バスが通る交通量の多い道は間違いなので注意してほしい。
民家の立ち並ぶ車道を進むと市の埋蔵文化財調査センターに差し掛かる。
センターの向こうの雑木林のある辺りが小手指ヶ原古戦場跡だ。
緩やかなスロープを描く丘になっていて、小手指原古戦場と書かれた石碑が置かれている。
石碑の先には鎌倉方が白旗を掲げたという白旗塚がある。
雑木林を抜け、近年整備されたという白旗塚に登る。石碑と祠のある頂上は樹林に覆われ、展望はない。
樹林を吹き抜ける涼やかな風に身を委ねながら、昔日の武蔵野に思いを馳せる。

(誓詞橋交差点の道標)


(小手指原の石碑)


(涼やかな雑木林)


(白旗塚)


(塚の頂上)

往路に戻り、南へ緩やかに下っていく。この辺りは以前歩いた東川が近い。
民家を抜けていくとガイドマップにある泉橋に差し掛かる。この橋の下が東川だ。
橋を渡り、更に民家の立ち並ぶ車道を進む。ガイドマップはとても正確に描かれているが、この辺りはやや分かりにくい。
カフェの看板の掛かる交差点を曲がると北野総合運動場に出る。
トイレや自販機があるので、休憩には良い所だろう。
運動場を抜け、交通量の多い車道を北に向かう。ガイドマップにある製茶工場で曲がると再び交通量の多い車道に出る。

(白旗塚脇の農地 空が広い)


(白旗塚を振り返る)

車道を渡ると大きな茶畑に出る。茶畑の向こうに奥武蔵の山並が見える。
右側が削り取られた武甲山と一番右端に見える尖った笠山が顕著だ。
残暑の日差しが照りつける中、茶畑を只管歩いていく。やや交通量の多い車道に出ると三ヶ島稲荷神社は近い。
路傍の石仏に興味をそそられつつも、人気の無い神社で一休みする。

(右は武甲山)


(右端に笠山)




(路傍の石仏)


(三ヶ島稲荷神社)

交通量の多い車道を横切り、マップにもある物流センター脇を進むと鬱蒼とした雑木林が見えてきた。
道の側にバス停らしきものがあり、クロスケの家とある。
敷地内に足を踏み入れると大きな日本家屋が見えてきた。
ここは狭山丘陵の自然を保全しているトトロのふるさと基金が所有する建物で、
火・水・土の午前10時~午後3時のみ一般公開しているとのことだ。
だが今日は16時になっているにもかかわらず入ることが出来たので、少しだけ中を見させてもらった。

(バス停留所の看板)


(クロスケの家 母屋)


(母屋内)


(蔵)


(茶工場)

クロスケの家を出るといよいよ狭山丘陵へと入っていく。
交通量の多い県道に出て、早稲田大学入口交差点から県立芸術総合高校へと向かう。
高校生たちと擦れ違ったが、芸術家肌のパンキッシュな生徒さんはいないようだ。
道標で右に曲がり、鬱蒼とした林に沿って歩く。ここの林は早稲田大学が管理しているらしい。
墓地の脇に延びる山道へと入っていく。16時半を過ぎたがまだ雑木林の中は明るい。
大学の敷地を画する有刺鉄線はあるものの、幾らかでも山道を踏めるのは良いことだ。
しばらく歩くと木道の敷かれた湿地帯に出る。正直それほど大したものではない。

(狭山丘陵の雑木林)


(湿地帯)

木道を見送り、山道を更に進む。道標には「水鳥の楽園」と書かれているほうへと進む。
笹の生える分岐を過ぎると砂利道となっている湖岸道路へと出る。
クルマやバイクが通るのが鬱陶しいが、生活道路にもなっているので致し方ない。
ここから狭山湖堰堤に出るまでは暗い雑木林の中を延々と歩いていく。
麓から湖岸道路へと繋がる車道沿いにはぶどう園が多いのがこの辺りの特徴のようだ。
狭山湖を画する金網越しに水辺が見えてくるようになると狭山湖堰堤(ダム)だ。
堤防の北は県立狭山自然公園として整備されている。堤防の突端には東屋やベンチが置かれ、休憩にちょうど良い。

(湖岸道路 舗装されている所もある)


(ぶどう園)


(狭山自然公園)


(東屋から狭山湖を眺める)

狭山湖(山口貯水池)は全域が埼玉県にありながら、その水は東京都に使われている。
そのため堤防の南端には現東京都知事の石原慎太郎氏の揮毫による石碑も置かれている。
元々狭山湖一帯は勝楽寺村という一自治体があったのだが、ダム湖建設のため村丸ごと水没してしまったのだ。
水面を見ても勝楽寺村の頃の面影は全く無い。雑木林の向こうに一際高く富士山が聳えるだけである。
堤防からは西に富士山と奥多摩の山並が見え、東には西武ドームに遊園地の観覧車、そして東京スカイツリーが見える。
夕日が光る狭山湖を後にし、終着点である西武球場前駅へと向かう。





(狭山湖と富士山)


(堤防)


(西武ドーム)


(山口地区と観覧車)


(夕日に光る湖)


(スカイツリー)




(パノラマ)

やはり交通量が多い湖岸道路を渡り、金乗院山口観音を通っていく。
15時50分までなら狭山不動尊を通っていくと駅に近いのだが、もう17時を過ぎているので、山口観音を通っていくしかない。
山口観音は一部のマニアには珍寺として知られている古刹だが、先述の新田義貞との関わりも深いらしい。
以前何度か訪れていて面白い寺であることは分かっているので、日を改めて再訪したいと思う。
門を堅く閉ざした狭山不動尊の前を通り過ぎると西武ドームが間近に見えてきた。
道路を挟んだドームの向かいには現在ゆり園がある。だがかつてはユネスコ村なるテーマパークがあった。
ボクは所沢に越してきて、最初に行った観光地がこのユネスコ村であった。
園内に入ると直ぐに立派なメリーゴーランドがあり、奥には各国の建物と遠足に使える広い野原があったのを覚えている。
そのユネスコ村がいつの間にか恐竜館と形を変えたときは随分と落胆したものだった。
その恐竜館も今は無く、テーマパーク受難の時代へという時の移り変わりを嫌というほど感じさせられる。
そんな感傷的な気分に浸りながら、西武球場前駅に着く。試合がないときは随分と寂しい駅だ。
ガラガラの電車に乗り込み、小手指駅へと戻った。





(山口観音)


(狭山不動尊)


(ユネスコ村跡)


(西武球場前駅)

DATA:
小手指駅15:10~15:36小手指ヶ原~15:56北野総合運動場~16:16クロスケの家~16:38狭山丘陵湿地帯~17:06狭山湖堰堤~
17:39山口観音~17:46西武球場前駅

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