(大窪峠 大きな切通し)
吾野駅の北に標高369メートルの中尾山という山がある。駅前という絶好のロケーションにも関わらず、ハイキングコースの設定されていない不遇の山だ。しかし高山不動から西へ尾根を辿っていくとここが最後に到達する山でもある。そのため以前から気にはなっていたのだが、情報が少なく、なかなか登ることができないでいた。ところが年初に手に入れた奥武蔵登山詳細図(吉備人出版)に中尾山ルートが載っており、麓にある吾野中学校あるいは秩父彦神社から登れることがわかった。一方北川尾根は高山不動のメインコースである萩ノ平・パノラマコースの尾根の北西にあり、「山と温泉の風」のリブルさんやお馴染の「画廊天地人」のyassさん(「松尾山 中組自治会館~秋葉山~前坂峠~飯盛峠~ブナ峠~松尾山~中組自治会館 周遊」の記事)も歩かれている名の知れたバリエーションルートだ。今回はます西吾野駅を出発して、一番近い白山神社から北川尾根に取り付き、グリーンラインを進んで関八州見晴台へ行く。下山はまだ歩いたことのない虚空蔵山を経て大窪集落へ行き、大窪峠の峠道を登って尾根伝いに中尾山まで歩く予定だ。
朝8時前に西吾野駅に到着する。もう少し暖かくなるかと思ったが、曇り空で薄ら寒い感じだ。思ったよりも登山者が多く、皆高山不動へと向かっている。北川に沿って付けられた車道を進む。平地では既に散ってしまった梅の花がここらではまだ咲き残っている。西武線のガードを潜ると民家が建ち並ぶ間野集落に出る。最初に川を渡る道の先はパノラマコースがあり、次の小さな橋を渡るのが萩ノ平コースだ。そのどちらも見送ると今度は小さな川が見えてくる。高畑川だ。ここは不動三滝への入口になっている。ここまでは来たことのある道だが、今回は更に奥へ進む。
(西吾野駅前のスロープから本陣山と梅の木を望む)
(北川沿いの梅)
(高畑川)
地区の集会所を過ぎると植林に覆われた白山神社へとやって来る。石段を上がり拝殿で参拝して、北川尾根への取り付きを探す。拝殿裏は檜や杉が植えられた斜面になっていて、踏み跡のようなものはない。幸い傾斜は比較的緩く、周囲に民家もないので、拝殿裏を登ってみることにする。歩きやすいそうな所を適当に上がると頭上が明るくなる。木が生えていないので林道にでもぶつかったか?登りきると家が一軒くらい建ちそうな平場に出る。前には藪に覆われて自然に還ろうとしている舗装路があるので、かつては民家でも建っていたのだろう。奥武蔵登山詳細図を見ると舗装路には×印が描かれているので、これを使って下から上がってくることはできないようだ。平場の周りには踏み跡はないが、どうやら近くに階段があるらしい。平場から舗装路を少し上がると左手に埋もれた石段がある。明らかに人の手が入ったものであり、生活道として使われていたことを窺わせる。
(白山神社)
(住居跡と思われる平場 奥に舗装路も見える)
(埋もれつつある石段)
石段を過ぎると少々藪っぽい道で、踏み跡は薄い。尾根の上に出ると少しの間、急傾斜の道が続く。傾斜が緩んだ所で尾根に乗ったことがわかり、少しほっとする。しかし主稜線にはまだ遠そうだ。再び傾斜が急になると右手から尾根が延びてきているのが見える。東から尾根が合流する小ピークを越えると広い尾根となる。相変わらず藪っぽい尾根を行くとまたも傾斜の急な坂となる。左手に割とはっきりとした谷があるので、ここを登りきれば北川尾根の主稜線に出るはずだ。一旦傾斜が緩み、更に登った所が北川尾根主稜線だ。一応白山神社方面へは立木にピンクテープが巻き付けてあったが、ここを下る人はどのくらいいるのだろう?
(右手から尾根が延びてきている)
(主稜線が見えてきた 合流手前の急坂を登る)
(白山神社方面入口)
北川尾根主稜線はこれまでの道に比べると踏み跡が格段に明瞭となっている。尾根が広いせいか、太い檜や樅の大木もある。西側で伐採作業に入っているのか、チェーンソーの音が北川の谷間に響き渡る。北川尾根も適度に伐採が入っているようで、檜の幹の間から平たい山頂の武川岳が見える。手前に見える尾根は小高山で右にある鞍部は正丸峠であろう。測量用の標柱が設置された標高点460メートルのピークを越えると林床が笹原となる。こういう低い笹薮は結構好きだ。笹薮が終わり、急坂を登った先がオバケ山(500)だ。テーブル代わりの切株のある細長い山頂で意外と広く感じる。オバケ山という山名は奥武蔵登山詳細図によると大木が多くあったことに由来するという。現在は細い檜に覆われているだけだ。
(北川尾根 踏み跡は明瞭)
(おそらくグリーンライン近くの山だと思うが 大都津路山辺りか?)
(奥の平たい山が武川岳 手前の尾根は正丸峠付近であろう)
(オバケ山の手前で笹原が広がる)
(オバケ山頂上)
オバケ山から先はしばらく緩やかな登り坂が続く。右手が明るい雑木林となり、高山不動から西に延びる尾根を枝越しに望むことができる。萩ノ平コースを登ると途中北川尾根を望むことができるが、北川尾根からはこの辺りでしかも冬枯れの時期くらいしか望むことはできないだろう。伐採が入っている関係で時折北側が少し開けている所がある。鉄塔が建つ山はおそらくセンズイ(飯盛山)であろう。やがて踏み跡は尾根を外れて、南側をトラバースしていく。前坂峠へ行かないのであれば、尾根を直登してしまうのも有りだ。
(オバケ山から下る 緩やかな尾根だ)
(東側が明るい雑木林になる)
(電波塔の建つセンズイ)
トラバース道はやや荒れた感じで、おまけに谷側へ傾いていて歩き難い。小さな石積みを過ぎると杉の古木が見えてきた。古木の根元に近寄ると大日如来の石碑があり、一段高い所には弘法大師像と庚申塚が並んで置かれている。ここが前坂峠(550)だ。高畑と町屋敷を結ぶ変形の峠で、弘法大師像が置かれていることから御大師とも呼ばれている。「峠のむこうへ」によるとかつては関八州見晴台辺りよりも展望に優れた所だったようだ。現在は南側へ延びる尾根にびっしりと植林がなされ、展望が得られる余地は無い。弘法大師像の横には光明真言百万篇供養塔と彫られている。高山不動(高貴山常楽院)は真言宗の寺であり、前坂峠も参拝ルートのひとつであったことが窺える。庚申塚と大師像には幕末の元号が彫られていて、その頃は頻繁に往来があったのだろう。
(前坂峠へのトラバース道 踏み跡は明瞭だが、歩き難い)
(前坂峠 杉・檜の古木が立つ)
(大日如来の石碑 かつては植物が絡まっていたようだ)
(弘法大師像)
(庚申塚)
(前坂峠の南には広い尾根が下っている)
前坂峠は尾根を大分下った所にあるので、グリーンラインに出るにはまず主稜線へ戻らなければならない。古木の右に尾根に上がる道が付いている。傾斜はやや急だが、ジグザグに登っていく所もあるため、それほどきついという感じはしない。主稜線に戻ると標高点636の東に出る。フラットな尾根を進むと岩場のある急坂に差し掛かる。岩場を避けるように左右に踏み跡が付いているが、どちらも作業道という扱いのようだ。岩の間を縫うように抜けていき、急坂を登りきると林床を灌木が覆うフラットな尾根になる。梢越しにグリーンライン上の龍ヶ谷富士が見えてきて、もうグリーンラインも間近い。最後も急坂を強いられるが、頭上にガードレールが見えてくれば、グリーンラインに出る。
(岩場の急坂 左右の踏み跡ではなく、岩場を直登する)
(岩場を登りきると林床を灌木が覆う)
(右手にグリーンラインが見えてくる 肉眼だとガードレールも見える)
北川尾根の最高点はカンナタテだが、昨年歩いていることだし、今日はこのまま関八州見晴台へ向かう。車道を進みつつ、山道のある所は山道に入って、20分弱で関八州見晴台(771.1)に到着。春分の日にしては寒いせいか、思ったよりも人は多くない。まあ単純に時間が早いだけかもしれない。スギ花粉舞う曇り空の割にはクリアな展望が得られ、西側は蕨山や伊豆ヶ岳・古御岳、武川岳から二子山、大持山・小持山、川越山・正丸山に武甲山と奥武蔵の主要ピークの多くが見渡せる。その背後に見える奥多摩と都県境尾根の山はまだ白い雪が目立つ。あの辺りが融けるのは4月に入ってからだろう。南東方向は目立つ双耳峰の越上山から無骨な大高山と吾野宿辺りまでが見渡せる。時間はまだ10時半を過ぎたところだが、お腹が空いたのでカップラーメンを作る。東屋で食事していると、同じ東屋で休憩をしている人たちとの会話が弾む。普段必要以上には話をしないので、久しぶりの会話が楽しかった。楽しすぎて一時間近くも休憩を取ってしまった。
(関八州見晴台 奥の院のお堂と東屋)
(関八州見晴台から南側の展望)
(西側の展望)
のんびりと片付けをしていたら、皆山を下りてしまった。ボクもそろそろ下りるとしよう。まずは高山不動へ下る。考えてみたら、ここはいつも登りにばかり使っていて、下りに使うのは初めてではないかと思う。整備された灌木と芝草の登山道は奥武蔵の中では格別の美しさを誇る。といってもこれは自然の美というよりは人の手によって造られた美だ。だから人によっては拒否反応を示す場合もあるだろう。グリーンラインに下り立ち、廃屋となった不動茶屋脇の道を下る。高山不動の不動堂脇の東屋で一息入れていると関八州見晴台で話を咲かせた初老くらいの男性と再会する。ボクのほうが後から下ってきたので、先に不動堂へ着いたのを驚いていた。どうやら男性は不動茶屋脇に付けられた山道を知らなかったようだ。
(関八州見晴台頂上付近)
(一旦林道に出た先にある丸山)
(不動茶屋へと下る)
(古い道標 弘法大師が彫られているようだ)
(茶屋前の三椏)
(高山の字に刈り込まれた植木)
(高山不動 不動堂)
不動堂の前を抜けて高山集落を通る車道に出る。虚空蔵山へ向かうには少し車道を登り返さなければならない。高山集落内はあまり人の気配が感じられず、廃屋と化した茶屋とともにやがて廃集落となっていくのだろうか。右手に住居でも建っていたと思われる芝草の広場が見えてくる。地形図を見た限りではここが虚空蔵山の入口だ。杉檜の林の中に入るとアンテナらしきものや資材小屋があり、私有地の雰囲気が濃厚だが、そこさえ抜ければ踏み跡のある尾根道となる。ただ北川尾根主稜線と比べてもあまり整備されているとは言い難い。虚空蔵山の頂上へは西側から回り込むように急坂を登っていく。小さな山頂(618.7)には小屋掛けで覆われた石仏と三角点の標柱が置かれている。樹木に覆われて展望はないが、尾根上では顕著に突き出した山頂なので、三角測量を行うには良いロケーションだったのだろう。
(高山集落)
(虚空蔵山への入口)
(虚空蔵山)
虚空蔵山から南へ下るとすぐに小さな鞍部の嶽ノ越(580)に着く。高山不動から直接下ってきた道がこの鞍部を越えて八徳集落のほうへ下っている。大窪集落へは尾根を更に進む。鞍部から登り返すとすぐに大木が聳える墓地の脇を通る。奥武蔵登山詳細図の嶽ノ越ルートの記事によるとこの辺りが本来虚空蔵山と呼ばれていたようだ。歩きやすい尾根道が続き、三ツ平と呼ばれるピークの東側を巻いていくと道標が立つ樽沢への分岐に着く。奥武蔵登山詳細図によるとエゴ辻と呼ばれる所で、エゴとは抉れた道のことを指すらしい。今回は樽沢へは下らずに大久保・志田へと向かう。杉檜の林をトラバースしながら下っていると沢戸橋への近道がある。急坂の尾根道なので、急ぐときには良さそうだ。更にトラバースしながら下っていくと途中で曲がって、急な尾根の斜面をジグザグに下っていく。急斜面なので、九十九折だと登るには楽だ。途中少し抉れたような所はあるが、概ね歩きやすい。傾斜が緩むと沢沿いの道となる。
(嶽ノ越)
(墓地に佇む大木)
(山と渓谷社発行の分県ガイドにも載るだけあって良い道)
(エゴ辻 樽沢方面に書かれたセビとは瀬尾のことだろう)
(九十九折を下る)
(沢沿いの緩やかな道)
近道と合流し、弁天前の橋と名付けられた掛け橋を渡ると南向きの日当たりの良い斜面に出る。民家が点在し、人も住んでいるようだ。更に志田川沿いに下ると道が広くなり、対岸へと架けられた沢戸橋に着く。沢を渡ると人の手で掘ったであろう岩場の道になる。現代なら重機で壊してしまうなり、コンクリートで固めてしまうなりするだろうから、こういった道は古の生活を感じさせる。志田川を離れると最初の民家が現れる。燃料の薪は大量に積んであったが、人の気配はない。どことなく昨年歩いたうわごう道を思い起こさせるところもある。竹林を抜けると日当たりの良い耕作地に出る。下には民家が建ち、梅林が花を咲かせている。道は更に南斜面を横切るように続き、上の林の中にも民家が点在しているようだ。墓地を過ぎると岬のように突き出した尾根の上に木造の祠が建っている。東日本大震災では神社やお寺が高い所に造られ、津波を逃れたという記事を読んだことがあるが、どうやら日本人はこういう高く突き出した所を神聖なものと考えてきたようだ。
(弁天前の橋)
(最奥の民家)
(沢戸橋)
(奥武蔵登山詳細図にも書かれているように古道の趣きがある)
(うわごう道のような雰囲気もある)
(最初の民家を過ぎると竹林に)
(日当たりの良い耕作地)
(住居は皆南向きである)
祠の建つ尾根を越えると道は下っていき、民家が建ち並ぶ大窪集落に着く。民家の前にあるベンチにザックを下ろし、一息入れる。前の長沢川では連休中ということもあり、親子連れがカニ獲りに興じていた。大窪峠へは川向うにある民家の車庫裏に延びる道を進む。畑、竹林を抜けると杉檜の林の中を斜めに登っていく。峠の入口から5分も登れば、立派な切通しが造られた大窪峠(310)に着く。切通しは岩を掘って造った大層なもので、ボクの背丈よりも高い。梨本峠へは北側に踏み跡が付けられており、よく整備されている。
(大窪集落)
(最初は竹林に入る)
(大窪峠)
大窪峠から尾根に上がる。うん、結構細いね。ただ道の両脇は樹木に覆われているので、皆野アルプスのような怖さを感じることはない。冬枯れの雑木林越しには西武建材の採掘場と芳延集落が見通せる。細長いフラットなピークから下ってくると北西方向へ道が下っている分岐がある。これが梨本峠の大窪方面への峠道だ。そのまま尾根を進むと樅の木が立つ梨本峠(310)に着く。当然ながら梨本集落へは明瞭な踏み跡が付いているのだが、中尾山へ向かう尾根伝いにも割とはっきりとした踏み跡が付けられている。うむ、これなら中尾山も容易に登れそうだ。
(尾根に上がる 細いが踏み跡は明瞭)
(採掘場と芳延集落が見える)
(梨本峠)
梨本峠からは岩も露出する急斜面を登る。普段ならどうってことない登りなのだが、ここに来て踵に靴擦れを作ってしまい、非常にしんどい。ストックを取り出し何とか登りきると雑木林に覆われた小さなピークに出る。冬枯れの枝越しには子ノ権現が見える。少しだけ急斜面を下り、登り返すとフラットな尾根に出る。地形図を見ると尾根が三方向に派生しているが、明瞭な踏み跡があるのは中尾山に向かう登りの尾根だけだ。アップダウンを繰り返しつつ中尾山へ近づく。急坂を何とか登りきると中尾山と書かれたプレートが括り付けられただけの小さな山頂(369)に出る。中尾という名称は西に広がる中尾集落に由来するものであろう。山頂の周りは椿の木が多く、ピンク色の花がこの地味な山頂に彩を添えていた。
(梨本峠から急斜面を登る 椿の花も咲く尾根だ)
(雑木林に覆われた小ピーク)
(子ノ権現が見える)
(中尾山頂上)
(椿の花)
中尾山からは南へ延びる尾根を下る。ここまではまだ明瞭な踏み跡が付けられている。フラットな尾根の末端に来ると踏み跡が東西に分かれている。どちらも吾野中学校へ下る道だが、西に下る踏み跡のほうが明瞭である。そこで西へ下ったのだが、この選択は結果的には大きな間違いとなった。尾根を少し下ると踏み跡は南へと方向を変える。ここはわかりにくい。南の尾根に乗った後は明瞭な踏み跡がしばらく続く。快調に下っていると道の端に電柱が立っている。どうやらテレビアンテナらしい。このとき奥武蔵登山詳細図を確認すればよかったのだが、更に下ってしまう。すると踏み跡は急斜面の中に消えてしまった。藪っぽい急斜面を下っていると坂石町分の集落を見下ろす崖地の上に出る。下を覗くと結構な高さがある上、フェンスがあり、とても下れそうな感じではない。フェンス沿いは濃い藪なので、東へ下るとこちらは民家に阻まれてしまう。ここで奥武蔵登山詳細図を確認すると民家よりも更に東にある竹藪を下れば秩父彦神社に下りられるという。道を少し戻り、斜面を横切っていくと竹林となる。竹に摑まりながら斜面を下ると秩父彦神社の本殿裏に下り立つ。ようやく下山することができた。境内には椿の木が多く植えられ、多くの花を咲かせている。
(分岐 ボクは右に入ったが、左のほうがわかりやすかったかもしれない)
(右の道は途中まで良く整備されている)
(路肩をワイヤーで補強してある 民家が近いのだろうか?)
(テレビアンテナ 光ファイバーの受信機らしい)
一息ついて、本殿前の石段を下ると柵で通せんぼしてある。柵を跨いで振り返ると立入禁止と書かれている。何と、このルートは通行禁止だったのか。参道前の鳥居にも柵が置かれ、鳥居の額からは神社の名称が取り外されていた。幸い見咎められることはなかったものの、このルートを歩くのは止めたほうがいい(※)。神社の前には吾野宿へ架かる橋があり、吾野駅はすぐそこだ。しかし、前回お土産を買えなかったので、吾野宿にある若松屋に寄って行く。白髭神社の先なので、結構歩かされる。若松屋に入るとご主人はおらず、お婆さんが対応してくれる。おはぎと東郷せんべいの割れたものを購入していると他のお客さんもやって来た。駅から距離があるので、登山者が寄るのは見たことが無いが、クルマでやって来た人が寄ってみるということはあるようだ。往路を戻って吾野駅に着いた時は14時半を過ぎていた。思ったよりも時間が掛かってしまったな。関八州見晴台までは順調だったけれども、それ以降は色々と手こずってしまった。まあ次回への良い宿題となったと云えるのかもしれない。
(弁天岩)
(若松屋)
(吾野宿の重要建造物群)
※ テレビアンテナから秩父彦神社までの画像はトラブル防止のため、公開を控えております。ご了承ください。
DATA:
西吾野駅7:50~8:11白山神社~8:39北川尾根主稜線~9:01オバケ山~9:26前坂峠(御大師)9:36~10:05奥武蔵グリーンライン~10:22関八州見晴台11:19~11:41高山不動~11:53虚空蔵山(大門山)~11:55嶽ノ越~12:08エゴ辻~12:28沢戸橋~12:46大窪集落~12:51大窪峠~13:05梨本峠~13:33中尾山~14:16秩父彦神社~14:27弁天岩~14:34若松屋~14:44吾野駅
地形図 正丸峠 原市場
トイレ 高山不動(不動堂左手)
白山神社から北川尾根主稜線までは踏み跡薄く、一般的ではありません。特に下りに採る場合は地形図・コンパス必須。
北川尾根主稜線は踏み跡明瞭で、奥武蔵登山詳細図を使うのであれば、地形図は必要ないかもしれません。但しコンパスは念のため持参しましょう。
高山不動から大窪集落までの間は一般コース。但し歩く人は多くありません。
大窪峠から梨本峠までの間も一般コースレベル。よく整備されています。
梨本峠から中尾山の間は踏み跡明瞭。アップダウンがきついので、ルート後半に持ってくると厳しいかもしれません。
中尾山からの下山ルートは梨本峠方面か吾野中学校方面のどちらかに限られます。秩父彦神社は私有地だと思われるので、本文中のルートは使わないほうが無難でしょう。吾野中へ下る場合は途中の分岐を東に下ったほうがわかりやすいと思います。
吾野駅の北に標高369メートルの中尾山という山がある。駅前という絶好のロケーションにも関わらず、ハイキングコースの設定されていない不遇の山だ。しかし高山不動から西へ尾根を辿っていくとここが最後に到達する山でもある。そのため以前から気にはなっていたのだが、情報が少なく、なかなか登ることができないでいた。ところが年初に手に入れた奥武蔵登山詳細図(吉備人出版)に中尾山ルートが載っており、麓にある吾野中学校あるいは秩父彦神社から登れることがわかった。一方北川尾根は高山不動のメインコースである萩ノ平・パノラマコースの尾根の北西にあり、「山と温泉の風」のリブルさんやお馴染の「画廊天地人」のyassさん(「松尾山 中組自治会館~秋葉山~前坂峠~飯盛峠~ブナ峠~松尾山~中組自治会館 周遊」の記事)も歩かれている名の知れたバリエーションルートだ。今回はます西吾野駅を出発して、一番近い白山神社から北川尾根に取り付き、グリーンラインを進んで関八州見晴台へ行く。下山はまだ歩いたことのない虚空蔵山を経て大窪集落へ行き、大窪峠の峠道を登って尾根伝いに中尾山まで歩く予定だ。
朝8時前に西吾野駅に到着する。もう少し暖かくなるかと思ったが、曇り空で薄ら寒い感じだ。思ったよりも登山者が多く、皆高山不動へと向かっている。北川に沿って付けられた車道を進む。平地では既に散ってしまった梅の花がここらではまだ咲き残っている。西武線のガードを潜ると民家が建ち並ぶ間野集落に出る。最初に川を渡る道の先はパノラマコースがあり、次の小さな橋を渡るのが萩ノ平コースだ。そのどちらも見送ると今度は小さな川が見えてくる。高畑川だ。ここは不動三滝への入口になっている。ここまでは来たことのある道だが、今回は更に奥へ進む。
(西吾野駅前のスロープから本陣山と梅の木を望む)
(北川沿いの梅)
(高畑川)
地区の集会所を過ぎると植林に覆われた白山神社へとやって来る。石段を上がり拝殿で参拝して、北川尾根への取り付きを探す。拝殿裏は檜や杉が植えられた斜面になっていて、踏み跡のようなものはない。幸い傾斜は比較的緩く、周囲に民家もないので、拝殿裏を登ってみることにする。歩きやすいそうな所を適当に上がると頭上が明るくなる。木が生えていないので林道にでもぶつかったか?登りきると家が一軒くらい建ちそうな平場に出る。前には藪に覆われて自然に還ろうとしている舗装路があるので、かつては民家でも建っていたのだろう。奥武蔵登山詳細図を見ると舗装路には×印が描かれているので、これを使って下から上がってくることはできないようだ。平場の周りには踏み跡はないが、どうやら近くに階段があるらしい。平場から舗装路を少し上がると左手に埋もれた石段がある。明らかに人の手が入ったものであり、生活道として使われていたことを窺わせる。
(白山神社)
(住居跡と思われる平場 奥に舗装路も見える)
(埋もれつつある石段)
石段を過ぎると少々藪っぽい道で、踏み跡は薄い。尾根の上に出ると少しの間、急傾斜の道が続く。傾斜が緩んだ所で尾根に乗ったことがわかり、少しほっとする。しかし主稜線にはまだ遠そうだ。再び傾斜が急になると右手から尾根が延びてきているのが見える。東から尾根が合流する小ピークを越えると広い尾根となる。相変わらず藪っぽい尾根を行くとまたも傾斜の急な坂となる。左手に割とはっきりとした谷があるので、ここを登りきれば北川尾根の主稜線に出るはずだ。一旦傾斜が緩み、更に登った所が北川尾根主稜線だ。一応白山神社方面へは立木にピンクテープが巻き付けてあったが、ここを下る人はどのくらいいるのだろう?
(右手から尾根が延びてきている)
(主稜線が見えてきた 合流手前の急坂を登る)
(白山神社方面入口)
北川尾根主稜線はこれまでの道に比べると踏み跡が格段に明瞭となっている。尾根が広いせいか、太い檜や樅の大木もある。西側で伐採作業に入っているのか、チェーンソーの音が北川の谷間に響き渡る。北川尾根も適度に伐採が入っているようで、檜の幹の間から平たい山頂の武川岳が見える。手前に見える尾根は小高山で右にある鞍部は正丸峠であろう。測量用の標柱が設置された標高点460メートルのピークを越えると林床が笹原となる。こういう低い笹薮は結構好きだ。笹薮が終わり、急坂を登った先がオバケ山(500)だ。テーブル代わりの切株のある細長い山頂で意外と広く感じる。オバケ山という山名は奥武蔵登山詳細図によると大木が多くあったことに由来するという。現在は細い檜に覆われているだけだ。
(北川尾根 踏み跡は明瞭)
(おそらくグリーンライン近くの山だと思うが 大都津路山辺りか?)
(奥の平たい山が武川岳 手前の尾根は正丸峠付近であろう)
(オバケ山の手前で笹原が広がる)
(オバケ山頂上)
オバケ山から先はしばらく緩やかな登り坂が続く。右手が明るい雑木林となり、高山不動から西に延びる尾根を枝越しに望むことができる。萩ノ平コースを登ると途中北川尾根を望むことができるが、北川尾根からはこの辺りでしかも冬枯れの時期くらいしか望むことはできないだろう。伐採が入っている関係で時折北側が少し開けている所がある。鉄塔が建つ山はおそらくセンズイ(飯盛山)であろう。やがて踏み跡は尾根を外れて、南側をトラバースしていく。前坂峠へ行かないのであれば、尾根を直登してしまうのも有りだ。
(オバケ山から下る 緩やかな尾根だ)
(東側が明るい雑木林になる)
(電波塔の建つセンズイ)
トラバース道はやや荒れた感じで、おまけに谷側へ傾いていて歩き難い。小さな石積みを過ぎると杉の古木が見えてきた。古木の根元に近寄ると大日如来の石碑があり、一段高い所には弘法大師像と庚申塚が並んで置かれている。ここが前坂峠(550)だ。高畑と町屋敷を結ぶ変形の峠で、弘法大師像が置かれていることから御大師とも呼ばれている。「峠のむこうへ」によるとかつては関八州見晴台辺りよりも展望に優れた所だったようだ。現在は南側へ延びる尾根にびっしりと植林がなされ、展望が得られる余地は無い。弘法大師像の横には光明真言百万篇供養塔と彫られている。高山不動(高貴山常楽院)は真言宗の寺であり、前坂峠も参拝ルートのひとつであったことが窺える。庚申塚と大師像には幕末の元号が彫られていて、その頃は頻繁に往来があったのだろう。
(前坂峠へのトラバース道 踏み跡は明瞭だが、歩き難い)
(前坂峠 杉・檜の古木が立つ)
(大日如来の石碑 かつては植物が絡まっていたようだ)
(弘法大師像)
(庚申塚)
(前坂峠の南には広い尾根が下っている)
前坂峠は尾根を大分下った所にあるので、グリーンラインに出るにはまず主稜線へ戻らなければならない。古木の右に尾根に上がる道が付いている。傾斜はやや急だが、ジグザグに登っていく所もあるため、それほどきついという感じはしない。主稜線に戻ると標高点636の東に出る。フラットな尾根を進むと岩場のある急坂に差し掛かる。岩場を避けるように左右に踏み跡が付いているが、どちらも作業道という扱いのようだ。岩の間を縫うように抜けていき、急坂を登りきると林床を灌木が覆うフラットな尾根になる。梢越しにグリーンライン上の龍ヶ谷富士が見えてきて、もうグリーンラインも間近い。最後も急坂を強いられるが、頭上にガードレールが見えてくれば、グリーンラインに出る。
(岩場の急坂 左右の踏み跡ではなく、岩場を直登する)
(岩場を登りきると林床を灌木が覆う)
(右手にグリーンラインが見えてくる 肉眼だとガードレールも見える)
北川尾根の最高点はカンナタテだが、昨年歩いていることだし、今日はこのまま関八州見晴台へ向かう。車道を進みつつ、山道のある所は山道に入って、20分弱で関八州見晴台(771.1)に到着。春分の日にしては寒いせいか、思ったよりも人は多くない。まあ単純に時間が早いだけかもしれない。スギ花粉舞う曇り空の割にはクリアな展望が得られ、西側は蕨山や伊豆ヶ岳・古御岳、武川岳から二子山、大持山・小持山、川越山・正丸山に武甲山と奥武蔵の主要ピークの多くが見渡せる。その背後に見える奥多摩と都県境尾根の山はまだ白い雪が目立つ。あの辺りが融けるのは4月に入ってからだろう。南東方向は目立つ双耳峰の越上山から無骨な大高山と吾野宿辺りまでが見渡せる。時間はまだ10時半を過ぎたところだが、お腹が空いたのでカップラーメンを作る。東屋で食事していると、同じ東屋で休憩をしている人たちとの会話が弾む。普段必要以上には話をしないので、久しぶりの会話が楽しかった。楽しすぎて一時間近くも休憩を取ってしまった。
(関八州見晴台 奥の院のお堂と東屋)
(関八州見晴台から南側の展望)
(西側の展望)
のんびりと片付けをしていたら、皆山を下りてしまった。ボクもそろそろ下りるとしよう。まずは高山不動へ下る。考えてみたら、ここはいつも登りにばかり使っていて、下りに使うのは初めてではないかと思う。整備された灌木と芝草の登山道は奥武蔵の中では格別の美しさを誇る。といってもこれは自然の美というよりは人の手によって造られた美だ。だから人によっては拒否反応を示す場合もあるだろう。グリーンラインに下り立ち、廃屋となった不動茶屋脇の道を下る。高山不動の不動堂脇の東屋で一息入れていると関八州見晴台で話を咲かせた初老くらいの男性と再会する。ボクのほうが後から下ってきたので、先に不動堂へ着いたのを驚いていた。どうやら男性は不動茶屋脇に付けられた山道を知らなかったようだ。
(関八州見晴台頂上付近)
(一旦林道に出た先にある丸山)
(不動茶屋へと下る)
(古い道標 弘法大師が彫られているようだ)
(茶屋前の三椏)
(高山の字に刈り込まれた植木)
(高山不動 不動堂)
不動堂の前を抜けて高山集落を通る車道に出る。虚空蔵山へ向かうには少し車道を登り返さなければならない。高山集落内はあまり人の気配が感じられず、廃屋と化した茶屋とともにやがて廃集落となっていくのだろうか。右手に住居でも建っていたと思われる芝草の広場が見えてくる。地形図を見た限りではここが虚空蔵山の入口だ。杉檜の林の中に入るとアンテナらしきものや資材小屋があり、私有地の雰囲気が濃厚だが、そこさえ抜ければ踏み跡のある尾根道となる。ただ北川尾根主稜線と比べてもあまり整備されているとは言い難い。虚空蔵山の頂上へは西側から回り込むように急坂を登っていく。小さな山頂(618.7)には小屋掛けで覆われた石仏と三角点の標柱が置かれている。樹木に覆われて展望はないが、尾根上では顕著に突き出した山頂なので、三角測量を行うには良いロケーションだったのだろう。
(高山集落)
(虚空蔵山への入口)
(虚空蔵山)
虚空蔵山から南へ下るとすぐに小さな鞍部の嶽ノ越(580)に着く。高山不動から直接下ってきた道がこの鞍部を越えて八徳集落のほうへ下っている。大窪集落へは尾根を更に進む。鞍部から登り返すとすぐに大木が聳える墓地の脇を通る。奥武蔵登山詳細図の嶽ノ越ルートの記事によるとこの辺りが本来虚空蔵山と呼ばれていたようだ。歩きやすい尾根道が続き、三ツ平と呼ばれるピークの東側を巻いていくと道標が立つ樽沢への分岐に着く。奥武蔵登山詳細図によるとエゴ辻と呼ばれる所で、エゴとは抉れた道のことを指すらしい。今回は樽沢へは下らずに大久保・志田へと向かう。杉檜の林をトラバースしながら下っていると沢戸橋への近道がある。急坂の尾根道なので、急ぐときには良さそうだ。更にトラバースしながら下っていくと途中で曲がって、急な尾根の斜面をジグザグに下っていく。急斜面なので、九十九折だと登るには楽だ。途中少し抉れたような所はあるが、概ね歩きやすい。傾斜が緩むと沢沿いの道となる。
(嶽ノ越)
(墓地に佇む大木)
(山と渓谷社発行の分県ガイドにも載るだけあって良い道)
(エゴ辻 樽沢方面に書かれたセビとは瀬尾のことだろう)
(九十九折を下る)
(沢沿いの緩やかな道)
近道と合流し、弁天前の橋と名付けられた掛け橋を渡ると南向きの日当たりの良い斜面に出る。民家が点在し、人も住んでいるようだ。更に志田川沿いに下ると道が広くなり、対岸へと架けられた沢戸橋に着く。沢を渡ると人の手で掘ったであろう岩場の道になる。現代なら重機で壊してしまうなり、コンクリートで固めてしまうなりするだろうから、こういった道は古の生活を感じさせる。志田川を離れると最初の民家が現れる。燃料の薪は大量に積んであったが、人の気配はない。どことなく昨年歩いたうわごう道を思い起こさせるところもある。竹林を抜けると日当たりの良い耕作地に出る。下には民家が建ち、梅林が花を咲かせている。道は更に南斜面を横切るように続き、上の林の中にも民家が点在しているようだ。墓地を過ぎると岬のように突き出した尾根の上に木造の祠が建っている。東日本大震災では神社やお寺が高い所に造られ、津波を逃れたという記事を読んだことがあるが、どうやら日本人はこういう高く突き出した所を神聖なものと考えてきたようだ。
(弁天前の橋)
(最奥の民家)
(沢戸橋)
(奥武蔵登山詳細図にも書かれているように古道の趣きがある)
(うわごう道のような雰囲気もある)
(最初の民家を過ぎると竹林に)
(日当たりの良い耕作地)
(住居は皆南向きである)
祠の建つ尾根を越えると道は下っていき、民家が建ち並ぶ大窪集落に着く。民家の前にあるベンチにザックを下ろし、一息入れる。前の長沢川では連休中ということもあり、親子連れがカニ獲りに興じていた。大窪峠へは川向うにある民家の車庫裏に延びる道を進む。畑、竹林を抜けると杉檜の林の中を斜めに登っていく。峠の入口から5分も登れば、立派な切通しが造られた大窪峠(310)に着く。切通しは岩を掘って造った大層なもので、ボクの背丈よりも高い。梨本峠へは北側に踏み跡が付けられており、よく整備されている。
(大窪集落)
(最初は竹林に入る)
(大窪峠)
大窪峠から尾根に上がる。うん、結構細いね。ただ道の両脇は樹木に覆われているので、皆野アルプスのような怖さを感じることはない。冬枯れの雑木林越しには西武建材の採掘場と芳延集落が見通せる。細長いフラットなピークから下ってくると北西方向へ道が下っている分岐がある。これが梨本峠の大窪方面への峠道だ。そのまま尾根を進むと樅の木が立つ梨本峠(310)に着く。当然ながら梨本集落へは明瞭な踏み跡が付いているのだが、中尾山へ向かう尾根伝いにも割とはっきりとした踏み跡が付けられている。うむ、これなら中尾山も容易に登れそうだ。
(尾根に上がる 細いが踏み跡は明瞭)
(採掘場と芳延集落が見える)
(梨本峠)
梨本峠からは岩も露出する急斜面を登る。普段ならどうってことない登りなのだが、ここに来て踵に靴擦れを作ってしまい、非常にしんどい。ストックを取り出し何とか登りきると雑木林に覆われた小さなピークに出る。冬枯れの枝越しには子ノ権現が見える。少しだけ急斜面を下り、登り返すとフラットな尾根に出る。地形図を見ると尾根が三方向に派生しているが、明瞭な踏み跡があるのは中尾山に向かう登りの尾根だけだ。アップダウンを繰り返しつつ中尾山へ近づく。急坂を何とか登りきると中尾山と書かれたプレートが括り付けられただけの小さな山頂(369)に出る。中尾という名称は西に広がる中尾集落に由来するものであろう。山頂の周りは椿の木が多く、ピンク色の花がこの地味な山頂に彩を添えていた。
(梨本峠から急斜面を登る 椿の花も咲く尾根だ)
(雑木林に覆われた小ピーク)
(子ノ権現が見える)
(中尾山頂上)
(椿の花)
中尾山からは南へ延びる尾根を下る。ここまではまだ明瞭な踏み跡が付けられている。フラットな尾根の末端に来ると踏み跡が東西に分かれている。どちらも吾野中学校へ下る道だが、西に下る踏み跡のほうが明瞭である。そこで西へ下ったのだが、この選択は結果的には大きな間違いとなった。尾根を少し下ると踏み跡は南へと方向を変える。ここはわかりにくい。南の尾根に乗った後は明瞭な踏み跡がしばらく続く。快調に下っていると道の端に電柱が立っている。どうやらテレビアンテナらしい。このとき奥武蔵登山詳細図を確認すればよかったのだが、更に下ってしまう。すると踏み跡は急斜面の中に消えてしまった。藪っぽい急斜面を下っていると坂石町分の集落を見下ろす崖地の上に出る。下を覗くと結構な高さがある上、フェンスがあり、とても下れそうな感じではない。フェンス沿いは濃い藪なので、東へ下るとこちらは民家に阻まれてしまう。ここで奥武蔵登山詳細図を確認すると民家よりも更に東にある竹藪を下れば秩父彦神社に下りられるという。道を少し戻り、斜面を横切っていくと竹林となる。竹に摑まりながら斜面を下ると秩父彦神社の本殿裏に下り立つ。ようやく下山することができた。境内には椿の木が多く植えられ、多くの花を咲かせている。
(分岐 ボクは右に入ったが、左のほうがわかりやすかったかもしれない)
(右の道は途中まで良く整備されている)
(路肩をワイヤーで補強してある 民家が近いのだろうか?)
(テレビアンテナ 光ファイバーの受信機らしい)
一息ついて、本殿前の石段を下ると柵で通せんぼしてある。柵を跨いで振り返ると立入禁止と書かれている。何と、このルートは通行禁止だったのか。参道前の鳥居にも柵が置かれ、鳥居の額からは神社の名称が取り外されていた。幸い見咎められることはなかったものの、このルートを歩くのは止めたほうがいい(※)。神社の前には吾野宿へ架かる橋があり、吾野駅はすぐそこだ。しかし、前回お土産を買えなかったので、吾野宿にある若松屋に寄って行く。白髭神社の先なので、結構歩かされる。若松屋に入るとご主人はおらず、お婆さんが対応してくれる。おはぎと東郷せんべいの割れたものを購入していると他のお客さんもやって来た。駅から距離があるので、登山者が寄るのは見たことが無いが、クルマでやって来た人が寄ってみるということはあるようだ。往路を戻って吾野駅に着いた時は14時半を過ぎていた。思ったよりも時間が掛かってしまったな。関八州見晴台までは順調だったけれども、それ以降は色々と手こずってしまった。まあ次回への良い宿題となったと云えるのかもしれない。
(弁天岩)
(若松屋)
(吾野宿の重要建造物群)
※ テレビアンテナから秩父彦神社までの画像はトラブル防止のため、公開を控えております。ご了承ください。
DATA:
西吾野駅7:50~8:11白山神社~8:39北川尾根主稜線~9:01オバケ山~9:26前坂峠(御大師)9:36~10:05奥武蔵グリーンライン~10:22関八州見晴台11:19~11:41高山不動~11:53虚空蔵山(大門山)~11:55嶽ノ越~12:08エゴ辻~12:28沢戸橋~12:46大窪集落~12:51大窪峠~13:05梨本峠~13:33中尾山~14:16秩父彦神社~14:27弁天岩~14:34若松屋~14:44吾野駅
地形図 正丸峠 原市場
トイレ 高山不動(不動堂左手)
白山神社から北川尾根主稜線までは踏み跡薄く、一般的ではありません。特に下りに採る場合は地形図・コンパス必須。
北川尾根主稜線は踏み跡明瞭で、奥武蔵登山詳細図を使うのであれば、地形図は必要ないかもしれません。但しコンパスは念のため持参しましょう。
高山不動から大窪集落までの間は一般コース。但し歩く人は多くありません。
大窪峠から梨本峠までの間も一般コースレベル。よく整備されています。
梨本峠から中尾山の間は踏み跡明瞭。アップダウンがきついので、ルート後半に持ってくると厳しいかもしれません。
中尾山からの下山ルートは梨本峠方面か吾野中学校方面のどちらかに限られます。秩父彦神社は私有地だと思われるので、本文中のルートは使わないほうが無難でしょう。吾野中へ下る場合は途中の分岐を東に下ったほうがわかりやすいと思います。
昨シーズンから山に行くようになり、行きたいルートが少しマイナーなときは、検索するといつも野老の里さんと画廊天地人さんがヒットします。
中尾山のように、知らない山をこちらで教えていただくことも多いです。
昨日、武川岳・焼山・二子山に行ってきました。
4月から仕事が変わるので、今までより自由な山歩きができなくなります。その前の締めという気持ちでした。
限られた日程で山に行くには、ますますコースについてこちらで事前に見せていただき、迷わないようにしなければなりません。これまでは、分からなくて諦めて、別の日に再トライすることもあったんです(笑)
登山詳細図を見ながら、場所の様子は野老の里さんのようなブログで確認しながら、これからも少しずつ歩けたらなぁ~と思っています。
今シーズンあきらめたのは、吾野のりゅうがい山でした。
りゅうがい山には野老の里さんが「ここから行けそうだ」と書いていらっしゃった道標のところから、なんとか行くことができましたが、登山詳細図のほかの道は分からなくて引き返したところがありましたし、事前に野老の里さんの記事で何度も見ていた岡部屋敷を通るルートは急だったので怖くなり、引き返したんです。
りゅうがい山もネットではあまり詳細な記事がなくて、こちらの記事はありがたかったです。
次の機会には、岡部屋敷を通ってみたいと思います。
こちらのブログは、語り口から感じられるお人柄にも魅力を感じます。これからも楽しみにしています。
>行きたいルートが少しマイナーなときは、検索するといつも野老の里さんと画廊天地人さんがヒットします
5年も奥武蔵メインでブログに記事を掲載してきたからなのか、
場末の当ブログを参考にしたという方が増えたように感じます。
私自身は、ガイド記事というよりは備忘録として掲載しているものなので、
自分の記事を読んで他人がわかるものなのか実は不安に思っています。
画廊天地人さんと比べると道の詳細についてはわざと画像を減らして不親切な表現にしている所もあります。
画像は「ここに行ってみたいなぁ」と思ってもらうのが目的で、
難しい所はまず地形図を見て、そしてわからなければ文章を読んで、歩くヒントにしていただけたらと思っています。
>分からなくて諦めて
私は今年のGWで奥武蔵を歩き始めて10年になります。
そんな私でもわからなくて諦めたり、怖くなって引き返したりすることは今でもあります。
10年歩いて、大きな事故を起こしていないのは素直に諦められたから、というのもあるのかもしれません。
>吾野のりゅうがい山
入口がわかりにくい山なので、ここへやって来る人は少ないようです。
バリエーションルートでも歩く人が多ければそれなりに道が明瞭になるのですが、
飯能アルプスというメインルートから外れちゃってますからね…。
怖くなって引き返すというのは賢明な判断です。
難しいと感じるうちは無理をしないのが一番大事なことです。
少しずつでも歩いていると段々と歩けるようになるので、
ゆっくりと挑戦してみてください。