東京リサーチ日記

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「学習能力ねえな」

2021-11-15 00:00:00 | 日記
 2021年11月15日、タレントの坂上忍(当時48)が2016年3月4日、フジテレビ「バイキング」(月~金曜前11・55)に生出演。芸能人同士の離婚が相次いだことに触れ、自身の今後について「同業者との結婚はない」と断言。元モデルの男性と離婚し、現在は「SEKAI NO OWARI」のボーカルFukaseこと深瀬慧(当時30)と交際中のモデルの益若つばさ(当時30)については「学習能力がない」とバッサリだった。同番組では、モデルの石川亜沙美(当時38)がヒップホップユニット「ケツメイシ」のボーカルRYOJI(当時41)と、女性レゲエミュージシャンのMINMI(当時41)がレゲエグループ「湘南乃風」の若旦那(当時39)と離婚したことを取り上げた。坂上は芸能人同士の結婚について「僕らの仕事って自己責任で社長みたいなもん。それが仕事終わって家に帰ってきて、うまくいく確率は低いと思う」と持論を展開。「同じ失敗をしたくないからバサッと、同業者はナシって決めたの」と自身が今後、芸能人と結婚する可能性を否定した。益若に対しては「前も同業者だったでしょ?学習能力ねえなって思うんですけど」とバッサリ。益若は「一度結婚して離婚しているので全然焦ったりとかはないです。ちゃんと学んでますって」と訴えたが、2021年現在は・・・(井森隆) 




「スリム真栄田」

2021-11-12 00:00:00 | 日記
 2021年11月12日、お笑いコンビ、スリムクラブ真栄田が2016年3月4日、カンテレのバラエティー番組「快傑 えみちゃんねる」に出演し、日本テレビ系で放映されていた「エンタの神様」に出演するようになって収入が増え、沖縄にいた妻を東京に呼び寄せたところ「エンタ」をクビになり、経済的に困窮したことを告白した。真栄田が「エンタの神様」に出演したのは約10年前で、フランケンシュタインの格好をしていたという。当時はまだ結婚しておらず、東京と沖縄の遠距離恋愛だった。真栄田は「エンタに出るようになって営業に行けるようになり給料が増えた」と話し、「2人で暮らそう」と東京に呼び寄せた。しかし、その途端にエンタをクビになり、収入も激減。真栄田は「月に50万円もらえてたのが5000円に」と告白した。十分なお金もないなか妻と居酒屋に行くと、「エンタ」に出ていたことから周囲に気づかれてしまい、「あいつ、一発屋だぞ」というヒソヒソ話が聞こえたという。「嫁さんが俺の心苦しさを察して『トイレに行っておいで』と」と真栄田は振り返った。勘定を支払う時に、妻は「いつもごちそうになってます。ありがとう!」と真栄田にお礼の言葉を送った。真栄田がおそるおそる財布を開けると1万円が入っていた。「ぼくがトイレに行ってる間に入れてくれたんです」と妻の優しさに感謝したが、2021年現在は・・・(井森隆) 


 


「ろくな人間にならなかった」

2021-11-11 00:00:00 | 日記
 2021年11月11日、ナインティナインの岡村隆史(当時45)が2016年3月3日深夜放送のニッポン放送「ナインティナイン 岡村隆史のオールナイトニッポン」(木曜深夜1・00)に出演。フジテレビ「めちゃ×2イケてるッ!」(土曜後7・57)の再オーディションで不合格に終わった“三ちゃん”こと三中元克(当時25)の素性を明かし「このままずっと『めちゃイケ』におっても、正直ろくな人間にならなかったと思う」と語った。「まさかまさかの不合格で・・・」と三中の卒業について触れた岡村。「三中かわいそうやっていう人もいるかもしれへんけど、このままずっと『めちゃイケ』におっても、正直ろくな人間にならなかったと思うんですよね」と率直な思いを語った。その理由を「三中の根っこにある黒い部分が4年、5年でちらほら見え始めた」と説明。「びっくりしたんやけど、三中は靴ひもが結べないんです。それで、結んでくれたスタッフに『ありがとう』も言えへんかった。ほんで一般人代表やのに、後から入ってきたADをものすごくAD扱いする」と“黒い部分”の具体例を明かした。「めちゃイケ」ではそういった部分を“カット”し、かわいらしい三中を演出してきたが、徐々にそれもできなくなってきたため再オーディションをすることになったという。三中に苦言を呈していた岡村だが、最後は「『めちゃイケ』も何らかの形で応援していくだろうし、僕も頑張ってほしいと思う。すごくリスペクトしてもらってますしね」と今後の活躍を願っていたが、2021年現在は・・・(井森隆)



「ちゅらさん」

2021-11-10 00:00:00 | 日記
 2021年11月10日、歌手・北島三郎(当時79)の三女で、女優の水町レイコ(当時41)が、NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」に出演した俳優の上地慶(当時32)と、2016年2月2日に入籍していたことが2016年2月28日、分かった。2人は、北島三郎の劇場公演での共演をキッカケに知り合い、数年前から交際に発展していた。2015年1月に福岡・博多座で開催された、北島の最後の劇場公演にも一緒に出演。北島の最後の花道を、一緒に歩んでいた。当初は2月3日に、高尾山薬王院での豆まきに、水町も参加して発表する予定だった。だが、北島がインフルエンザで倒れ欠席。そのため水町も参加せず、公表を見送っていた。水町は、大学で演劇を専攻し卒業後、劇団集団・円で本格的に女優業をスタートさせた。2016年現在は舞台などを中心に活動している。上地はNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」に野球部員役で出演。現在はドラマや舞台で活躍している。2015年12月に北島は、水町とNHKの「スタジオパークからこんにちは」に出演。娘の夫の理想像に「オレに似たヤツがいいな。オレのことが好きで頼りになるヤツがいい」と話し、水町も理想の男性に「父がタイプ。チャーミングでユーモアがある人がいい」と語っていた。以前、北島は「オレが生きている間に、まだ結婚していない三女が、無事に嫁に行ってほしいな」と話していたこともあり、今回の結婚には喜んでいるというが、2021年現在は・・・(井森隆) 
 



「ユミパン」

2021-11-09 00:00:00 | 日記
 2021年11月9日、フジテレビの永島優美アナウンサー(当時24)が、2016年4月4日から「めざましテレビ」(月~金曜前5・25)のメーンキャスターを務めることが2016年2月27日、分かった。2016年4月末で同局を退社する加藤綾子アナ(当時30)の後任に決定。入社3年目での同番組メーンは高島彩(当時37=現フリー)以来だ。元サッカー日本代表の永島昭浩氏(当時51)の長女としても知られるユミパンは、「体当たりで頑張ります!」と張り切っている。カトパンからユミパンへ-。フジ女子アナの“エースの証”が継承されたが、2021年現在は・・・(井森隆) 





「再オーディション不合格」

2021-11-08 00:00:00 | 日記
 2021年11月8日、素人からお笑い芸人になった「三ちゃん」の愛称で知られる三中元克(さんなか・もとかつ、当時25)が2016年2月27日、フジテレビ系「めちゃ2イケてるッ!真冬に汗をかきまくれ 国民投票だよ全員集合 全力の生スペシャル」(後7時)に生出演。プロの芸人として同番組のメンバーオーディションを受け直し、視聴者投票で不合格、番組から卒業することが決まった。2010年10月に行われた「めちゃイケ新メンバーオーディション」の最終選考に残るも不合格となった、お笑いコンビ「ダイノジ」大地洋輔(当時43)が「プロとしてもう一回スタートに立って、もう一回オーディション受けろよ」と、涙ながらの訴えて決まった今回のオーデション。三中にとっては5年半ぶり2度目の決戦となった。お笑いコンビ「サンプライズ」として生放送でネタをテレビ初披露。同番組で2014年10月から「みちのくプロレス」に練習生として入団したときの自虐ネタ。逃走して企画をボツにした反省を同団体代表の新崎人生(当時49)に公開謝罪するなど、前回オーディションと同様に湾岸スタジオ前の広場で緊張しながらも無事にやりきった。結果は審査員である視聴者のデータ放送、スマートフォンによる投票で63万票を超え、「支持44%」対「不支持56%」で無念の敗北となった。三中は、ナインティナイン・岡村隆史(当時45)が長期療養中の2010年10月、同番組の新メンバーオーディションで約1万人の中から、素人ながら選ばれ、フジテレビの社員食堂のアルバイトなどをしながら番組出演。2015年末に高校生の同級生でモデル経験もあるイケメン、臼杵寛(うすき・かん、当時24)とお笑いコンビ「サンプライズ」を結成。2016年2月19日には大手芸能事務所「よしもとクリエイティブ・エージェンシー」の所属を発表していたが、2021年現在は・・・(井森隆)





「時止まった」

2021-11-07 00:00:00 | 日記
 2021年11月7日、2015年12月にタレント・関根勤(当時62)の元マネジャーと結婚したお笑いコンビ「ココリコ」の遠藤章造(当時44)が2016年2月27日放送の日本テレビ「メレンゲの気持ち」(土曜正午)に出演した。お相手の女性は13歳年下。5年間の交際を経てゴールイン。2016年4月には男の子が誕生する予定。「ご主人の言動で一番思い出に残っていることは?」という番組アンケートに、夫人は「婚姻届を書き、最後、私が印鑑を押して完成という時に(遠藤が)『もし北川景子ちゃんや石原さとみちゃんから誘われたりしたら、内緒で行っちゃうと思うけど、後で知っても、あんな美人な女優さんだったら、それは許してくれるよね?分かってくれるなら印鑑押してね』と言われたこと。一瞬、時が止まった」。いとうあさこ(当時45)が読み上げると、スタジオからブーイングが上がった。遠藤は「冗談。ミニコント」と弁明したが、司会の久本雅美(当時57)に「違う違う。ジョークのタイミングが悪すぎんねん」と指摘され、シュンとするしかなかったが、2021年現在は・・・(井森隆) 
 




 

「dボタン」

2021-11-06 00:00:00 | 日記
 2021年11月6日、お笑いタレントの出川哲朗 (当時52)が2016年2月27日深夜、インターネット動画番組「めちゃ×2タメしてるッ!」に出演。フジテレビ「めちゃ×2イケてるッ!」の再オーディションで不合格に終わった“三ちゃん”こと三中元克(当時25)にコンビ名の改名を勧めた。三中は高校時代の同級生・臼杵寛(当時24)とコンビ「サンプライズ」を組み、2016年2月27日の生放送中に運命の再試験。三中がみちのくプロレスに挑戦する番組企画から逃げ出したことなども盛り込んだネタを披露したが、総数630483票の視聴者投票の結果44%の支持しか得られず、番組卒業が決まった。視聴者投票はデータ放送やスマートフォン経由で受付。投票を促すため番組内で「dボタン」が連呼されたことから、出川はコンビ名も「dボタン」にすべしと説いた。「プライドにこだわってないで、dボタンにした方が絶対いいって。流れなんだから」。「ナインティナイン」の岡村隆史(当時45)も「『出川さんから言ってもらったんです』って言えるし」とメリットがあることを主張。出川がプロデューサーに聞いた情報によるとデータ放送で60万票を超えたのはフジテレビ史上初めてのことで、「その名前(dボタン)はみんな忘れないから。一発で覚えるから」と重ねてプッシュしたが、2021年現在は・・・(井森隆) 
 




「組体操事故で大けがを負った生徒がつづった馳文科相への手紙」

2021-11-05 00:00:00 | 日記
 2021年11月5日、はじめまして。突然のお手紙ですみません。私は2014年5月12日(月) 小学校6年生の体育の授業で運動会で行う組み体操の4段タワーの練習をしていました。先生が 絆だから!絆なんだよ! これは●小学校の伝統なんだよ! と言っていました。しかし練習中に事故が起きました。私は4段タワーの最下段で四つん這いになっていました。上から2段目と最上階が一緒に立ち上がろうとした時、3段目も一緒にバランスを崩しタワーが崩壊して私の体に上からドワーっと落ちてきました。急に体にものすごい重圧がかかってきてその時死ぬかと思いました。すっごく怖かったです。体を動かす事が出来なくて力が入らなくて、今までに感じた事のない痛みが全身にきて息をするのも辛かったです。私は悲鳴をあげてしまいました。あの時の恐怖は今も覚えています。私は左手首靱帯損傷、左肘の脱臼、骨折をしました。手術室に入る前の不安や恐怖から大泣きしました。手術が終わって説明出来ないくらいの痛みがきました。そんな痛みをもう誰にもさせたくないです。あの苦しみや痛みをこれ以上誰かがしなくてすむようにして下さい。生まれて初めての手術と入院、痛みや不安や恐怖。事故の場所から私や家族の人生も変わってしまいました。受験を予定していましたが、それも出来る状態ではなくなりました。小学校生活、最後の楽しい思い出つくりは何もありませんでした。音楽鑑賞会、ミュージカル、遠足、修学旅行、プール、バレーボール・・・。全て失いました。たくさんの普通に出来ていた事が出来なくなる苦しみがわかりますか?!食事や着替え、トイレやお風呂、鉛筆を持ってノートに書く、消しゴムで消す事が出来ない。普通に毎日やっていた事が授業が生活が出来なくなる苦しみがわかりますか?!卒業までに3回の手術をしました。母が卒業証書は右手だけで受け取れるようにと一緒に練習してくれました。本当に辛い毎日でした。でも、あの時、事故にあったのが私だけでよかった。と思いました。今も、いつくるかわからない痛みにたえる日々を過ごしています。傷も一生残ります。母に五体満足に生んでもらったのにひどいです。事故の時、体育館で担任の先生や校長先生につかれた嘘。信じられません。体育館の床に倒れたまま聞きたくなかったです。そこまで事故を隠し守ってでもやる組み体操の意味は何ですか?やる意味は伝統という言い訳だけだと思います。学校で守るのは私達子供の命だと思います。事故の数だけ子供達被害者がいます。これ以上被害者を増やさないで下さい。学校は同じ過ちを繰り返さないでほしい。無責任な対応をしてきたから、たくさんの被害者が出ました。その被害者の数だけ未来を将来の夢やたくさんの可能性を学校の先生が私たちからうばってきたわけです。一人でも事故がおきたら国が直ぐ危険な事です。と、対応をしてくれていたらと残念におもいます。組み体操を続けるならこれからは責任を国がとってくれるのですか?無責任な検討はしないで下さい。組み体操は学校でやらなくていいことなので種目を変えて下さい。行進なら日本体育大学の人たちもやっていてすごいです。中学入学前、中学の校長先生から「体育の授業で実技はやらないと点数は0点です。」と言われました。酷いです。私だってやりたくても出来ないのに・・・。時間を元に戻してほしい!私の心の傷と体の傷は一生もって生きていきます。この国は私達子供に対してこれからも酷い国でありつづけるのでしょうか?今の日本は思いやりのない国だと思います。
大臣宛の手紙を書いた生徒の母親は、国や国会議員が組体操の事故に関心を示すようになったことを評価する一方、あくまでも危険な技の実施への熟慮を求めるに留まる議連の申し入れ内容について、「組体操ありきで現場の判断に任せるのか」「組体操の問題だけでいいのか」と落胆を隠さない。その背景には、事故後に学校や教育委員会から受けた教育行政ぐるみの隠蔽の問題がある。事故に遭った生徒は、東京都北区の小学6年生だった2014年5月、組体操の練習中に崩壊したタワーの下敷きとなった。左腕に広範囲な大けがを負い、中学1年になった現在も後遺症に苦しむ。学校は、母親の求めに応じて担任が事故当時のタワーと教職員の配置を図示した文書を被害児童を通じて手渡しただけで、被害者や保護者に対して事故当時の説明を直接行わなかった。保護者がせめてもとの思いで、保護者会で事故について報告するよう学校に求めると、学校は保護者会で実際の事実とは異なる内容を説明した。校長が区教委に提出した事故報告書にも、事実と違う記載が複数見つかった。こうした事態に不信感を抱いた母親が都教委や区教委に助けを求めると、「学校からの報告が全て」として、担当者は取り合おうとしなかった。事故は組体操で起きたが、被害者側にとって事故は一連の対応の問題の始まりに過ぎなかった。直面したのは、原因となった組体操を規制したり、国への事故報告の仕組みをつくるだけでは収まらない教育行政の構造的な問題だったのだ。これでは死亡事故が増えて、将来の人口の数が減少するだろう。そして、2021年現在は・・・(井森隆)
 
 




「2006年に結婚した」

2021-11-04 00:00:00 | 日記
 2021年11月4日、2006年に結婚したヒップホップグループ「ケツメイシ」のRYOJI(当時41)とモデルの石川亜沙美(当時38)が離婚していたことが2016年2月26日、分かったのだ。知人によると、離婚したのは2015年9月ごろ。2人は、石川の妊娠が分かってからのデキ婚だった。結婚から半年後の2007年1月に生まれた長男(当時9)の親権は石川が持つ。RYOJIはこれが3度目の離婚となった。石川はもともとケツメイシのファンだった。RYOJIが前妻と離婚した翌月の2004年9月に共通の知人の紹介で2人は出会い、2005年10月に交際をスタートさせた。結婚した際は「笑いあり、ケンカありの日々でしたが、その都度ゆっくり時間をかけて話し合いながら乗り越えてまいりました」と連名の文書を発表。紆余(うよ)曲折を経てのゴールインだったが「結婚後も衝突はたびたびあった」(友人)といい、結婚生活は9年で終止符を打つことになった。双方の所属事務所は「プライベートなことは本人に任せています」としていたが、2021年現在は・・・(井森隆) 
 




「保育園落ちた日本死ね」

2021-11-03 00:00:00 | 日記
 2021年11月3日、ロックバンド、GLAYのボーカルのTERU(当時44)が2016年2月26日、当時話題の匿名ブログ「保育園落ちた日本死ね!!!」について、ツイッターで「僕はこの女性を支持します」と賛同した。同ブログは保育園を申し込むも落選したブロガーが「一億総活躍社会じゃねーのかよ」「子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?」「何が少子化だよ」などと待機児童問題に対する怒りをつづったもので、多くの人が共感。話題を呼び、テレビのワイドショーなどで取り上げられている。TERUは「話題になってる問題」と切り出すと、「実際、僕の個人事務所の経理を任せてる妹や従姉妹が全く同じ問題で苦しんできました」と自身の家族も同じ経験をしたことを明かし、他人事ではないと感じたようだ。2年後に保育園に入れたそうだが、「政府には本気で考えて欲しい問題です」と訴え、同匿名ブログのタイトルとリンク先を掲載した。ツイートを見たユーザーからは賛同の声が多数投稿され、中には保育士をしているという人からも「現場は現場でいっぱいいっぱいです」「時々パートで保育園手伝いに行きますが とにかく保育士の給与は低いです。男性は家族を食べさせられるお給料ではありません。命を預かる大変な仕事なのに…」「TERUさんみたいに声の大きな人に関心を持って頂いてて嬉しい」などのコメントが寄せられていたが、2021年現在は・・・(井森隆) 



 

「もしかして、崖っぷち?」

2021-11-02 00:00:00 | 日記
 2021年11月2日、元お笑いコンビ「猿岩石」でタレントの森脇和成(当時41)が2016年の初の著書「もしかして、崖っぷち?」(KADOKAWA)で、「進め!電波少年」のヒッチハイクの旅で、当時の相方、有吉弘行(当時41)と命懸けでギブアップをもくろんだものの未遂に終わったてん末を告白している。猿岩石がブレークするきっかけとなった1996年のユーラシア大陸横断ヒッチハイクの旅は、2人のいずれかが「辞める」と口にした時点で終了するルールだった。最大の試練が訪れたのは、バックパッカーの聖地インド。心身が限界に達したことから2人の間で「事故に遭ったら中止になるのでは」という話になった。番組ディレクターと別れた深夜に実行することに決め、じゃんけんで負けた相方の有吉弘行(当時41)が車に飛び込むことに。猛スピードで通り過ぎる車に体を投じるタイミングを図る有吉。意を決して走ってくる車の前に飛び出した瞬間、体が縮こまりストップ。車は有吉のつま先の先端をわずかに踏んで通り過ぎていった。微妙な結果に終わったことで、我に返ることができギブアップは未遂に終わったという。著書ではこのほか、自身の半生やサラリーマン時代について振り返っているが、2021年現在は・・・(井森隆) 

 

「オノ・ヨーコさん」

2021-11-01 00:00:00 | 日記
 2021年11月1日、米CBSテレビによると、芸術家のオノ・ヨーコさん(当時83)が2016年2月26日夜、意識不明でニューヨークの病院に運ばれた。脳卒中の可能性があるという。同局はニューヨーク市の消防当局の話として、午後9時5分に病院に搬送された時には意識がなかったと報じたのだ。一方、ABCテレビはオノさんの広報担当者の話として「重症のインフルエンザのような症状があり、担当医が病院で診断を受けるべきだと判断したと理解している。(2016年2月)27日にも退院できると期待しており、脳卒中ではない」と伝えた。オノさんはビートルズのジョン・レノンさんと1969年に結婚。レノンさんが1980年に殺害された後も、一緒に暮らしたニューヨークのマンションに住み、芸術活動を続けてきた。2015年にはニューヨークの近代美術館(MoMA)でオノさんの1960~1970年代の芸術活動を紹介する企画展が開催されるなど、再評価も高まっているが、2021年現在は・・・(井森隆)