東京リサーチ日記

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当時18歳少年服役囚は、勤務先の運送会社を退職した父親についてどう思っているのだろうか・・・

2020-04-30 00:00:00 | 日記
 2020年4月30日、 川崎市川崎区の中学1年(当時13)が殺害された事件で、殺人容疑で逮捕されたリーダー格の少年(当時18)の父親が2015年3月13日、ある新聞の取材に応じ、被害者に謝罪する意思があることを明らかにしたのだ。

 この日午後、外出先から自宅に帰って来た父親は、「(被害者に)謝りたい」と神妙な面持ちで話した。殺害現場となった多摩川河川敷には今も花などを供えに来る人があとを絶たない。父親は、「いつか自分も現場に花を供えに行きたいと思っている」と語った。少年3人の逮捕後に、勤務先の運送会社を退職した父親は疲れ切った様子。当時18歳少年については「すみません」と答えるだけだった。

 神奈川県警川崎署捜査本部は2015年3月13日も、被害者のスマートフォンを投げ捨てたと当時18歳少年が供述した多摩川を、ダイバーら約40人態勢で捜索したが、発見できなかった。様子を見守った京都市の主婦(当時40)は「同じ中学1年の息子がいて、ひとごととは思えませんでした。警察も寒そうだけど、遼太君はもっと寒かったはず…」と目を潤ませながら花を供えていた。殺人事件を起こした犯人の家族の今後の多くは、会社を退職や自殺が多くあり、当時18歳少年服役囚は、事件を起こせば親族の今後はこのような結果になる可能性があることについて考えたことがあったのだろうか・・・(井森隆)
 

 

そんなことを犯人はご存知だろうか・・・

2020-04-29 00:00:00 | 日記
 2020年4月29日、大阪市浪速区で2015年3月12日、交通違反の取り締まり中の警察官が軽ワゴン車にひかれて死亡した事件で、軽ワゴン車はナンバーを付け替えて逃走していた疑いがあることが捜査関係者への情報で分かった。軽ワゴン車とみられる車は発見された際、事件時と異なるナンバーだった。大阪府警は運転していた男らが付け替えた可能性が高いとみている。捜査関係者によると、亡くなった大阪府警浪速署地域課(当時50)=巡査部長から2階級特進=をはねた黄色の軽ワゴン車とみられる車は2015年3月13日、大阪市平野区の駐車場で乗り捨てられているのが見つかった。軽ワゴン車はレンタカーで「堺」ナンバーだったが、発見された車にはレンタカーでない「なにわ」ナンバーのプレートが付けられていたという。府警はこの車を押収、車体などを詳しく調べる方針。軽ワゴン車には20代と30代の男2人が乗っていた。防犯カメラの映像などから2人は事件後、別の男と合流し、計3人で他の車に乗り換えて逃走した疑いがあるという。軽ワゴン車は今月上旬、堺市内のレンタカー会社から自動車修理会社に貸し出され、修理会社から男性客に代車としてまた貸しされた可能性が高い。レンタカー会社によると、修理会社には12日夜、男性客とされる人物から「友人に貸していたが、車が動かなくなった」と電話があったのだ。現在の日本では、防犯カメラが多くあり、人物の特定が出来る技術があり、逃げ切ることは出来ない。また、この事件の時効は殺人と同じなく、捜査がいつでも可能だ。そんなことを犯人はご存知だろうか・・・(井森隆) 

2020年現在ではブルートレインは存在しないのだ・・・

2020-04-28 00:00:00 | 日記
 2020年4月28日、青函トンネルが開通した1988年3月に運行を始め、上野―札幌間を27年間走り続けてきた寝台特急「北斗星」が定期運行を終了した。2015年8月まで臨時便として走った後は引退し、客車は解体された。2020年現在ではブルートレインは存在しないのだ・・・(井森隆) 

 
 

現服役囚は2020年現在も刑務所で・・・

2020-04-27 00:00:00 | 日記
 2020年4月27日、 川崎市川崎区の多摩川河川敷で同区の中学1年、被害者(当時13)が遺体で見つかった事件で、神奈川県警川崎署捜査本部は2015年3月12日、殺人容疑で逮捕された現服役囚の供述を裏付けるため、被害者のスマートフォンを投げ捨てたという多摩川をダイバーら約40人態勢で捜索したが、発見できなかったのだ。2015年3月13日も捜索を続けた。捜査本部は2015年3月6日、現服役囚を現場に立ち会わせて実況見分し、捨てたとする場所などを確認していた。捜査関係者によると、一緒に逮捕された17歳の少年の一人は「被害者と合流してすぐに現服役囚がスマホを奪った」と供述。捜査本部は、被害者がスマホを返してもらおうとして少年らと行動していた可能性もあるとみているのだ。現服役囚は2020年現在も刑務所で・・・(井森隆) 
 
 
 

未来を暗示したような気がするが・・・

2020-04-26 00:00:00 | 日記
 2020年4月26日、三重県埋蔵文化財センターは、松阪市和屋町の朝見遺跡で「平成」と書かれた平安時代中期(10世紀前半)の墨書土器片が出土したと発表した。櫛田川の氾濫(はんらん)を鎮めるための祭事に使われたと推定している。2015年3月14日に同市で開く今年度の発掘成果報告会「おもろいもん出ましたんやわ@三重2014」で展示し解説した。センターによると、土器片は長さ約12センチ、幅約10センチ。「平成」の墨書は長さ約5センチ、幅約2・5センチ。「平成」の墨書土器出土は県内では初めて。全国でも極めて珍しいのではないかという。当時の櫛田川の川底跡から、「保平」など「平」の字が書かれた他の墨書土器片とともに見つかった。担当者は「洪水への平穏無事を祈るために書いたのではないか」と話した。未来を暗示したような気がするが・・・(井森隆) 

 

鳩山由紀夫元首相は、ロシア寄りの人間なのか・・・

2020-04-25 00:00:00 | 日記
 2020年4月25日、鳩山由紀夫元首相が2015年3月10日、クリミア入りし、政府を困惑させている。ウクライナ南部クリミアからの報道によると、鳩山氏は2015年3月10日、クリミアの中心都市シンフェロポリの空港に到着。地元の親ロシア政府「クリミア共和国」のムラドフ副首相が歓迎した。鳩山氏はロシアの査証(ビザ)でクリミア入りしたものとみられる。同行筋によると、訪問は2015年3月10~12日の日程であった。日本政府はロシアのクリミア併合を国際法違反として非難しており、鳩山氏に訪問を断念するよう求めていた。岸田文雄外相は2015年3月10日の記者会見で「ロシアによる一方的なクリミア併合は認められないとする日本政府の立場とは相いれず遺憾だ」と改めて懸念を表明。「訪問中止に向け、働き掛けを続けていきたい」と強調していた。首相経験者がロシアのビザなど関連法令に基づいてクリミア入りすることで、日本の立場に誤解を与える可能性もある。政府高官は2015年3月10日夜、「コメントもしたくない」と不快感をあらわにしたのだ。鳩山氏はクリミア入りする前のモスクワで記者団に、クリミア半島で直接住民の意思を確認し、編入の是非について判断していく考えを示した。その上で「日本には正確な事実が伝わっていない。住民がどういう気持ちでいるかこの目で見たい」と語ったのだ。一方、鳩山氏のクリミア入りについて、民主党の枝野幸男幹事長は2015年3月10日、「民主党は一切関知するものではない」との談話を出した。枝野氏はクリミア併合に反対する日本政府の立場を支持した上で、「誤解を与え、ロシアに利用される恐れもあり、軽率とのそしりを免れない」と批判したのだ。鳩山由紀夫元首相は、ロシア寄りの人間なのか・・・(井森隆)


東日本大震災追悼式・・・

2020-04-24 00:00:00 | 日記
 2020年4月24日、ある新聞での2015年3月11日報道であるが、東日本大震災追悼式の宮城県遺族代表(19)=石巻市出身=のことばを紹介しよう。

 私は東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市大川地区で生まれ育ちました。

 小さな集落でしたが、朝学校へ行く際すれ違う人皆が「○○ちゃん! 元気にいってらっしゃい」と声をかけてくれるような、温かい大川がとても大好きでした。

 あの日、中学の卒業式が終わり家に帰ると大きな地震が起き、地鳴りのような音と共に津波が一瞬にして私たち家族5人をのみ込みました。

 しばらく流された後、私は運良く瓦礫(がれき)の山の上に流れ着きました。その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると釘や木が刺さり足は折れ変わり果てた母の姿がありました。右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました。

 そんな体験から今日で4年。

 あっという間で、そしてとても長い4年間でした。家族を思って泣いた日は数えきれないほどあったし、15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんありました。全てが、今もまだ夢の様です。

 しかし私は震災後、たくさんの「諦めない、人々の姿」を見てきました。震災で甚大な被害を受けたのにもかかわらず、東北にはたくさんの人々の笑顔があります。「皆でがんばっぺな」と声を掛け合い復興へ向かって頑張る人たちがいます。日本中、世界中から東北復興のために助けの手を差し伸べてくださる人たちがいます。そんなふるさと東北の人々の姿を見ていると「私も震災に負けてないで頑張らなきゃ」という気持ちにいつもなることが出来ます。

 震災で失った物はもう戻ってくることはありません。被災した方々の心から震災の悲しみが消えることも無いと思います。しかしながらこれから得ていく物は自分の行動や気持ち次第でいくらにでも増やしていける物だと私は思います。前向きに頑張って生きていくことこそが、亡くなった家族への恩返しだと思い、震災で失った物と同じくらいの物を私の人生を通して得ていけるように、しっかり前を向いて生きていきたいと思います。

 最後に、東日本大震災に伴い被災地にたくさんの支援をしてくださった皆様、本当にどうもありがとうございました。また、お亡くなりになったたくさんの方々にご冥福をお祈りし追悼の言葉とさせていただきます。

 これは追悼式の模様であるが、この言葉からこの震災がどれだけの威力があったのかが伺えるのである。あれから5年経った2020年現在は防災意識が高まったのであろうか・・・(井森隆)
 

 

当時18歳の舟○容疑者と変わらないような気がするが・・・

2020-04-23 00:00:00 | 日記
 2020年4月23日、2015年3月に起きた兵庫県洲本市の5人刺殺事件で、被害者側の家族は市役所の法律相談を利用したり、警察にパトロールの強化を求めたりするなど以前から助けを求めていた。一方で、逮捕された平○達○容疑者が引きこもっていたことを把握する住民は少なく、地元では「異変に気づいていれば」と悔やむ声があがった。小中学生のころの友人まで標的にしたインターネット上の中傷行為に戸惑いも広がっているのだ。「地域のつながりが深い場所だけに、迷惑をかけないように気をつかって警察や行政にしか助けを求めなかったのかもしれない。相談してくれていたら、みんなで支えてあげることもできたかも…」。現場近くに住む無職女性(当時51)はうなだれたのである。住民らによると、平○容疑者は小中学生のころは活発で、友人と一緒に釣りに出かけたり、ラジオコントロールで遊んだりしていた。父親も地元のボランティア活動に積極的で、「犯罪とは無縁の家族」と考える住民は多かったのだ。だが実際は、平○容疑者は数年前に転居した兵庫県明石市から最近、洲本市に戻り、自宅の離れで1人で暮らしていたのだ。ネット空間で被害者らを中傷する一方、たまに外出することもあり、2014年8月に明石市内で開かれた集会では、平○容疑者とみられる男が「電磁波攻撃が行われている」と意味不明な発言をして、出席者を困惑させたのだ。まるで、2015年2月に起きた川崎中学1年生男子殺害事件の当時18歳の舟○容疑者と変わらないような気がするが・・・(井森隆) 
 

「18歳とはいえ、少年法で守られることが、あまりに理不尽だと考える」

2020-04-22 00:00:00 | 日記
 2020年4月22日、 川崎市の多摩川河川敷で中学1年生の被害者少年(当時13)が刺殺体で見つかった事件で、報道のあり方が問われている。真偽不明のものを含む情報がインターネット上にあふれる中、逮捕された少年の実名と顔写真が週刊誌に掲載された。逮捕前の映像をめぐっても、新聞・テレビ各社の判断が分かれたのだ。2015年2月27日朝、リーダー格とされる少年(当時18)が事情聴取を受けるためタクシーで川崎署に入るところを、多くの報道陣のカメラがとらえていた。その後、逮捕された少年の映像や写真をどこまで報道するかで、新聞、テレビ各社が判断を迫られたのだ。民放各社は逮捕前の少年がタクシーを降りて、署に入るまでの様子を報道した。映像はモザイクで顔などを隠していたが、服装は判別できた。TBS広報部は「注目された大きな事件の容疑者が自ら署に入るシーン。18歳以上であり、逮捕確認後に本人が特定できないよう強いぼかしを入れた上で使用した」と説明する。テレビ東京は、少年の年齢や視聴者の関心などを考慮し、映像使用の是非や扱いを判断しているとした上で「事件の重大性などに鑑み、少年が特定されないよう配慮して放送した」としたのだ。フジテレビは逮捕された少年3人の顔写真や、逮捕前の少年のインタビュー映像もモザイクをかけた上で放送した。同社広報部は「事件の真相を探る上で必要と判断した。少年法を尊重すべく留意した」と説明。またモザイクをかけた3少年の顔写真を放送した日本テレビの広報・IR部は「事件を伝えるために重要と考えているが、本人の特定につながらないように細心の配慮をした」としているのだ。NHKは署に入る少年の全身は映さず、足の部分だけをアップにした映像を放送した。同広報局は「放送ガイドラインにのっとり、本人が特定されないよう細心の注意をしている」とコメントしたのである。しかし、「週刊新潮」は5日発売号で、逮捕された18歳少年の氏名と顔の写った写真を掲載した。少年法は、事件を起こした未成年の氏名や容貌の記事掲載を禁じている。同誌は誌面で「18歳とはいえ、少年法で守られることが、あまりに理不尽だと考える」と記した。同感である。なぜ、加害者は人権が守られ、被害者の人権はないがしろにするのか。これの繰り返しだ。「週刊新潮」は事件を6ページを使って報じた上で、別に「『少年法』と『実名・写真』報道に関する考察」と題した3ページの特集を組んだ。「考察」では、1999年の「光市母子殺害事件」、2015年1月に発覚した名古屋市の女子大学生による女性殺人事件など、これまでも少年事件で氏名や顔写真を掲載してきた経緯を説明したのだ。少年事件をテーマにした漫画「家栽の人」の原作者は「少年法は2000年代に入って何回も改正され、週刊新潮が書くほどには未成年者の犯罪に甘いものではなくなった。今回の少年たちは逆送され、刑事事件の法廷に立たされる可能性が大きい。実名の判断はそこから考えてもよかったのではないか」と話したが、2020年現在の当時18歳の様子は・・・(井森隆) 
 
 

2015年2月20日未明殺人事件、舟○○○(当時18)は、国賊だな・・・

2020-04-21 00:00:00 | 日記
 記事についてはアメーバブログで限定公開しています。ご覧になるには、アメンバー会員の申請と承認が必要です。ここでは、限定公開が出来ませんので、記事を載せることが出来ません。ご了承ください・・・tokyoresarchでは、gooブログとアメーバーブログを運営しています・・・

運転士が線路上にいる男性を発見・・・

2020-04-20 00:00:00 | 日記
 2020年4月20日、2015年3月7日午後7時55分ごろ、新潟県阿賀野市七島のJR羽越線京ケ瀬駅-水原駅間の七島踏切(遮断機、警報機あり)で、大阪発札幌行き特急列車「トワイライトエクスプレス」(10両編成、乗客130人)が近くに住む男性(81)をはねた。男性は全身を強く打ち、間もなく死亡した。乗客にけがはなく、列車は約100分遅れで運転を再開したのだ。同県警阿賀野署によると、運転士が線路上にいる男性を発見し、急ブレーキをかけたが間に合わなかった。男性は認知症だったというのだ。認知症問題は、2020年現在も深刻である・・・(井森隆)



JR山田線・・・

2020-04-19 00:00:00 | 日記
 2020年4月19日、2015年3月に発表したものがある。東日本大震災で被災し、約4年間にわたり運休が続いているJR山田線の宮古-釜石間(55.4キロ)で7日、復旧工事が始まった。JR東日本によると、2018年度中にも全面開通する見通しで、復旧後の運営は岩手県の第三セクター、三陸鉄道(三鉄、本社・宮古市)に移管されることが決まった。JR宮古駅で行われた着工式には、沿線自治体の首長ら約100人が出席。宮古市の山本正徳市長は「住民の思いが一つの形になった。鉄路はつながってこそ。全線復旧に向けて最大限努力する」と述べた。式典終了後、近くの第34閉伊川橋梁(へいがわきょうりょう)で、津波で流された線路の位置を測量する作業が行われたのだ。JR山田線は全壊した4カ所を含む7駅舎と7つの橋梁などが被災。JR東の復旧スケジュール案では、2016年秋までに宮古-豊間根(とよまね)間(15.4キロ)と鵜住居(うのすまい)-釜石間(8.3キロ)、2017年度に豊間根-吉里吉里間(24.3キロ)、2018年度に吉里吉里-鵜住居間(7.4キロ)を復旧させる。JR東は210億円の復旧費のうち140億円を負担するほか、移管に伴う赤字補填(ほてん)などに充当する協力金30億円を支援した。2020年現在は・・・(井森隆) 
 

川崎中1殺害容疑18歳少年は「小学生の頃に虐待」

2020-04-18 00:00:00 | 日記
 2020年4月18日、川崎市の中学1年、被害者少年(当時13)が市内の多摩川河川敷で遺体で見つかった事件で、殺人容疑で逮捕された当時18歳の少年の川崎市内の自宅の自家用車に落書きがされているのが2015年3月5日、見つかった。少年宅では2015年3月3日に塀いっぱいに落書きが書かれていることが発覚。周辺の住宅街では事件発覚後、川崎臨港署への通報で署員が駆けつける騒動が複数回起きているのだ。一方で逮捕された少年について近所の60代の主婦は「少年は小学生の頃、父親に折檻(せっかん)されて自宅から裸で飛び出してきたことがあった」と証言。今回の事件について「自分が虐待されてきたから罪の意識がなかったんじゃないか」と話していたのだ。また、逮捕された当時17歳の1人が、当時18歳の少年から指示されて「被害者少年を切りました」と関与を認めたことが判明。当時17歳の2人は、当時18歳の少年の指示で被害者少年の衣服を燃やしたと供述していることも分かった。当時17歳のうちの1人は「当時18歳の少年に指示されてコンビニでライター用オイルを買い、自転車の前かごに服を入れて運んだ」と詳細な供述をしているのだが、この事件は父親である○一の虐待によって当時18歳の少年は殺人を犯しやすい人間を作り上げていったのではないか・・・(井森隆) 
 
 

「子どもたちの生命を大人としてどう守ることができるかが肝要だ」

2020-04-17 00:00:00 | 日記
 2020年4月17日、川崎市立中学1年の男子生徒が殺害された事件を受け、丹羽秀樹文部科学副大臣が2015年3月6日、川崎市役所を訪れ、福田紀彦市長や渡邊直美教育長らに、正確な事実確認や外部有識者を交えた検証など3点を要請した。面談後、丹羽副大臣は「子どもたちの生命を大人としてどう守ることができるかが肝要だ」と強調したのだ。丹羽副大臣は「将来のある若い子どもが被害者になり、文科省としても重く受け止めている。男子生徒が浮かばれる対応を取らないといけない」と述べた。その上で、市に対し(1)正確な事実確認の把握(2)学校や市教委の対応について外部有識者を交えた検証(3)再発防止へ、市と市教委の一体的な検討と警察や児童相談所など関係機関との十分な連携-の3点を要請した。これに対し福田市長は「現在取り組んでいると伝えた。課題は共有している。なぜSOSを受け止められなかったのか、検証が第一歩だ」と述べている。2020年現在は・・・(井森隆) 


場当たり的な殺人事件なのか・・・

2020-04-16 00:00:00 | 日記
 2020年4月16日、丹羽秀樹文部科学副大臣が2015年3月6日、市立中学1年の男子生徒(13)が刺殺された事件遺体発見現場の多摩川河川敷に足を運び、献花した。その事件について、殺人容疑で逮捕された少年3人のうちリーダー格の少年(18)が「ほか2人が顔を合わせたのは事件当日が2回目だった」と供述していることが2015年3月6日、川崎署捜査本部で分かった。「2人を巻き込んでしまった」とも話しているといい、捜査本部は18歳の少年が主導した場当たり的な犯行とみて調べていたのだ。捜査本部によると、ほかに逮捕された自称無職の少年(17)と自称職人の少年(17)は2014年6月ごろ、18歳の少年が引き合わせて知り合った。2人に親交はなく、対面は事件前夜の2015年2月19日が2回目だったという。職人の少年は無職の少年について「顔を見かけるくらいだった」と供述しているのだ。18歳の少年と無職の少年は1学年違いで別の中学出身。18歳の少年は捜査本部の調べに対し、「行きつけのゲームセンターの遊び仲間を通じて仲良くなった」と説明している。無職の少年と男子生徒は親密な関係で、ともに18歳の少年を含めた8人組グループの一員だった。アニメやゲームが共通の趣味だったというのだ。一方、18歳の少年と職人の少年は同じ市立中学出身で、定時制高校に通っていた同級生。それぞれ「相談できる友人」「あだ名で呼び合う仲」と捜査本部に説明している。18歳の少年にとって2人は別々の交友関係にあり、職人の少年の誘いを優先していたという。捜査本部によると、職人の少年と男子生徒は交流がなく、18歳の少年を介して数回会った程度の間柄だったようだ。場当たり的な殺人事件なのか・・・(井森隆)