伊集院静さんの『機関車先生』を読みました。大人の方たちにもお勧めできる、素晴らしい児童文学でした。
秋から冬もちゃんと読書はしていたのに、記録として残すことができないでいて、もうすっかり年末。本作も10月には読んでいたのですが、滑り込みセーフな感じで残します。今年最後の読書記録。あと数冊分は来年になっちゃいますぅ~。
昭和30年代。瀬戸内海に浮かぶ小さな島・葉名島。ここに生徒数がわずか7人の小さな水見色小学校があった。そこに臨時教師として吉岡誠吾が赴任する。誠吾は子供の頃の病気の影響で口をきくことができなかった。子どもたちは誠吾のことを「口を‟きかん“」ということと、彼の体が大きくてどっしりしているところから「機関車先生」というあだ名をつける。誠吾もそのあだ名が気に入り、彼と7人の子どもたちとの学校生活が始まる。
もちろん学校だけが物語の舞台ではありません。小さな島だけど小さな島にもいろんな人が住んでいて、それぞれに人生があって、子どもたちにも関係する出来事も起きます。その中で吉岡誠吾というハンディキャップのある小学校の臨時教師は、言葉がなくても優しく温かな人柄ですべての人から好かれ、大切な「島民」となります。しかしそんな夢のような日々にも終わりが来るのです。
誠吾と子供たちの別れの前には、別の「別れ」も描かれます。子ども向けの話なんだから、幸せなストーリーだけで良いじゃないか、と思う人もいるだろうけど、それは大間違いなんですね。それをちゃんと教えてくれたのが、大沢在昌さんの解説でした。
いきなり「児童文学者になりたいと、ずっと思っていた。」と始まる解説。大沢さん、ハードボイルド作家なのに児童文学者になりたかったって? マジですか?
そしてもの凄く説得力のある文章がありました。
「児童文学の責任は、子供たちをただ喜ばせる物語をくり広げるのではなく、生きることとそれに伴う痛みから目をそらさない勇気を分け与えることなのだと教えられたからだった。」
文学だけじゃないと思いました。生きること、痛みから目をそらさない勇気を持つこと。本当に子どもたちに教えなきゃいけないのはここだと思います。つまり、ディズニーランドだけじゃ、ちゃんとした人になれないってことだと思います。
本当に大切なことを、伊集院さんの児童文学と、大沢さんの素晴らしい解説から教えてもらいました。こういう気づきが得られるから、だから読書はやめられないの!
秋から冬もちゃんと読書はしていたのに、記録として残すことができないでいて、もうすっかり年末。本作も10月には読んでいたのですが、滑り込みセーフな感じで残します。今年最後の読書記録。あと数冊分は来年になっちゃいますぅ~。
昭和30年代。瀬戸内海に浮かぶ小さな島・葉名島。ここに生徒数がわずか7人の小さな水見色小学校があった。そこに臨時教師として吉岡誠吾が赴任する。誠吾は子供の頃の病気の影響で口をきくことができなかった。子どもたちは誠吾のことを「口を‟きかん“」ということと、彼の体が大きくてどっしりしているところから「機関車先生」というあだ名をつける。誠吾もそのあだ名が気に入り、彼と7人の子どもたちとの学校生活が始まる。
もちろん学校だけが物語の舞台ではありません。小さな島だけど小さな島にもいろんな人が住んでいて、それぞれに人生があって、子どもたちにも関係する出来事も起きます。その中で吉岡誠吾というハンディキャップのある小学校の臨時教師は、言葉がなくても優しく温かな人柄ですべての人から好かれ、大切な「島民」となります。しかしそんな夢のような日々にも終わりが来るのです。
誠吾と子供たちの別れの前には、別の「別れ」も描かれます。子ども向けの話なんだから、幸せなストーリーだけで良いじゃないか、と思う人もいるだろうけど、それは大間違いなんですね。それをちゃんと教えてくれたのが、大沢在昌さんの解説でした。
いきなり「児童文学者になりたいと、ずっと思っていた。」と始まる解説。大沢さん、ハードボイルド作家なのに児童文学者になりたかったって? マジですか?
そしてもの凄く説得力のある文章がありました。
「児童文学の責任は、子供たちをただ喜ばせる物語をくり広げるのではなく、生きることとそれに伴う痛みから目をそらさない勇気を分け与えることなのだと教えられたからだった。」
文学だけじゃないと思いました。生きること、痛みから目をそらさない勇気を持つこと。本当に子どもたちに教えなきゃいけないのはここだと思います。つまり、ディズニーランドだけじゃ、ちゃんとした人になれないってことだと思います。
本当に大切なことを、伊集院さんの児童文学と、大沢さんの素晴らしい解説から教えてもらいました。こういう気づきが得られるから、だから読書はやめられないの!