三浦しをんさんの『仏果を得ず』を読みました。これでようやく8月に読んだものまでの読書記録が…。
まずはタイトルから。
「仏果を得ず」とは「煩悩を断ち悟りを開くために修行をしていても未だ悟りの境地には達せない」という意味。仏教用語ですが、この小説はお坊さんの話ではなく「文楽」の世界を描いたものです。
主人公は若手大夫・健(たける)。蜂蜜をかけたヨーグルトを食べるのが日課で、女好きのくせして恐妻家の人間国宝・銀大夫を師匠に持ち、技芸員から「変わり者」と評される三味線の兎一郎とコンビを組まされます。なかなか稽古に応じてくれない兎一郎や、実は兎一郎以上に変わり者かもしれない師匠に振り回されながらも、私生活でも何かと起きてしまう健の奮闘を描いた「青春小説」。「仏果を得ず」とは、義太夫を極めるために懸命に修行している健の、その時点での偽りのない心境でした。
私、日本の伝統芸能は好きな方だと思うのですが、こと文楽に関してはまったくの知識ゼロ。唯一「知っている」のは、Eテレの「にほんごであそぼ」に出演されている豊竹咲甫大夫と、三味線の鶴澤清介さん。番組では文楽の演目を語られるわけでもないので、ホント、お名前だけを知っているという程度で、文楽のことは何も知らないのです。
しかしこの「知識ゼロ」な私でもベースが「青春小説」ですから、難なく、サラサラサラ~っと読めてしまいました。しかも文楽に関する基本的な知識もいただけて、かなりお得な気分な読後です。
読書が楽しいのは、こういう「今まで知らなかった世界」を知ることができる点にもあります。
この本でちょっと感化された私は「次は文楽!」と、新しいエンタメ経験をすることを決めました。そして「にほんごであそぼ」を見ているときは、すっかり咲甫大夫の語りの瞬間に集中するようになりました。
こんな風になってしまった自分を思うと、何と力のある作品を読んだのだと感じずにはいられないのです。
まずはタイトルから。
「仏果を得ず」とは「煩悩を断ち悟りを開くために修行をしていても未だ悟りの境地には達せない」という意味。仏教用語ですが、この小説はお坊さんの話ではなく「文楽」の世界を描いたものです。
主人公は若手大夫・健(たける)。蜂蜜をかけたヨーグルトを食べるのが日課で、女好きのくせして恐妻家の人間国宝・銀大夫を師匠に持ち、技芸員から「変わり者」と評される三味線の兎一郎とコンビを組まされます。なかなか稽古に応じてくれない兎一郎や、実は兎一郎以上に変わり者かもしれない師匠に振り回されながらも、私生活でも何かと起きてしまう健の奮闘を描いた「青春小説」。「仏果を得ず」とは、義太夫を極めるために懸命に修行している健の、その時点での偽りのない心境でした。
私、日本の伝統芸能は好きな方だと思うのですが、こと文楽に関してはまったくの知識ゼロ。唯一「知っている」のは、Eテレの「にほんごであそぼ」に出演されている豊竹咲甫大夫と、三味線の鶴澤清介さん。番組では文楽の演目を語られるわけでもないので、ホント、お名前だけを知っているという程度で、文楽のことは何も知らないのです。
しかしこの「知識ゼロ」な私でもベースが「青春小説」ですから、難なく、サラサラサラ~っと読めてしまいました。しかも文楽に関する基本的な知識もいただけて、かなりお得な気分な読後です。
読書が楽しいのは、こういう「今まで知らなかった世界」を知ることができる点にもあります。
この本でちょっと感化された私は「次は文楽!」と、新しいエンタメ経験をすることを決めました。そして「にほんごであそぼ」を見ているときは、すっかり咲甫大夫の語りの瞬間に集中するようになりました。
こんな風になってしまった自分を思うと、何と力のある作品を読んだのだと感じずにはいられないのです。
すっごいウズウズした!ってコメを書き込もうと思いながらこっちも読んだら、
これまたそそられましたよ~どうしよう~どっちも読みたーい!
ってか、読む時間が欲しーい!
とくに最近はEテレの「にほんごであそぼ」は毎日観てるから、
私も明日から咲甫大夫さんをチェックしちゃいそう!
ぺいっちと絵本を見る時間はあるだろうけど…。
でもハナキャップさんにも読んでほしいわ
どちらもスラ~っと読めるタイプだから、ぺいっちのお昼寝タイムに、是非!
>とくに最近はEテレの「にほんごであそぼ」は毎日観てるから、
>私も明日から咲甫大夫さんをチェックしちゃいそう!
「にほんご~」でしか咲甫大夫さんを知らないわけですが、
この本を読んでから、萬斎さんと同じくらい咲甫大夫さん&清介さんが気になってます。