橙灯望記

真理への道

わたしはkame

2012-03-08 15:06:19 | 日記

 

亀のおはなし聞いてください。

お世話になった会社には、電話交換職で採用になりました。

皆様にお使いいただいている、100番とか104番、の係りです。

仕事は好きでしたが、10年もすると単調さに飽きてきて… 。

あの頃よく言っていた言葉が 「私の人生って、なにもないの…」 でした。

他に求めるものを探すようになり、思い出したのが会社へ採用された頃のことでした。

会社は札幌に学園を持っていて、採用になると訓練に出してくれます。

その頃、別の訓練で学園にきていた方たちと、すすきの、にみんなで飲みにでました。

その時、となりに座った男性が、わたしに言ったのです。

「運用のおばさんたちは…」 運用とは私達のいる交換室のことです。

「しゃべってばかりいて、さっぱり働かない。あんなふうにならない為にも、あなたも専門部を受けなさい」。

あの頃、会社は向学心のある社員を育ててくれる、専門部とその上の大学部という制度をもっていました。

専門部…受験してみよう。なにもない人生に、なにかが見えるかもしれない。そう思いました。

受験勉強が始まりました。

1年過ぎ…2年めが過ぎ…。仕事に行っている時以外はいつも勉強していました。

疲れてきて息がつまるように思って、外の空気を吸おうとベランダの戸を開けたとき、目の前に、幼い頃読んだ、うさぎと亀の童話の絵が見えました。

こんもりとまるい緑いろの山があって、頂上からつづら折の道があって、途中でうさぎが腕枕でいねむりをしていて、そのずっと下の麓のところを亀が歩いている絵です。

一生懸命足を運ぶ、短いしわだらけの亀の足がまじかに見えました。

わたしはその亀を見ながら、「あの亀、わたしに似てるな…」と思いました。

そして、「じゃあ、わたしはあの亀になろう…」と思いました。

歩みはどんなに遅くとも、一生懸命努力する人生を、自分はこれからは歩もう…とあの時心に決めたのです。

無事試験に受かって、あの男性が受けていたのと同じ、9ケ月の訓練を受けに札幌に出てきたのが、私の札幌生活の始まりです。

でも、札幌での恵まれた会社生活、3年ぐらい過ぎた頃、30年人事異動無く、同じところでずっと働いていた…という人が隣に転勤してきました。

なるほどくせがある。移動できないはず…。私にはまったく身におぼえのない話がまわりに伝わりだし、かかわったことのない人からも嫌がらせをされるような生活が始まりました。

そんな生活が5年過ぎ…10年過ぎ…、心が疲れ、暗い寂しい生活が続き、顔をあげるのも辛く思いながら過ごしていた、あの時は朝のラジオ体操をしていたときでした。

いつか見た亀が、いつの間にか山の頂上にいて、2本の後ろ足で立ち、右手に旗を持って嬉しそうにしている絵が見えたのです。

あの絵が見えた時は本当に嬉しく、どんなに勇気ずけられたでしょうか。

でも、絵の意味がわからない。

社会的地位とか、財産とか、そういうことではないのはわかります。

わからない?  わからない?  

5年たってもわからない。10年過ぎてもわからない。

わたしのこの世の寿命がつきて、死ぬまでにはわかるのかな…?そんなことを思って過ごしていました。

昨年の3月、団体参拝練成会に参加させていただいた最初の朝、起床放送で流れてきた 「真理への道はただひとつ。人間は神の子であるということである。 」 が、布団をあげながら耳にはいってきました。

大切な、でも、聞きなれた言葉です。

この言葉が、その後、ずっと自分のなかから浮かんでくるのです。

何回も、なんかいも。

耳についてるからかな?と思ってました。

でも、2日たっても、3日たっても、練成最後の日になっても、ふわりふわりと自分の中に浮かんでくるのです。

それで始めて思いました。

山の頂上の亀の絵の意味は、自分が神の子である、という意味なのかもしれない…と。

現象のわたしは大変いたらない。

まだまだ、麓を遅いあゆみで歩くわたしであるけれども、すでに最初から、尊い神の子であることを、心の底から喜こべる日がくる。

それを信じてこれからの人生を歩もう、と、今思っています。

見えない世界からの、あたたかい励ましの「亀の絵」は、わたしの、大切なたいせつな、宝物の思い出です。