橙灯望記

真理への道

人生を楽しむ

2012-07-08 14:42:48 | 日記

内田久子先生は、三途の川まで行かないうちに、この世に戻ってきましたが、三途の川岸まで行った、ある中堅企業の社長さんの話を、昨年の8月号の「世界の燈台」に、澤田教化部長が書かれています。

三途の川を渡る…。

私は、またいで渡ることのできる小さな川、または、素足で裾をまくってジャブジャブ渡る清らかなせせらぎを、なんとなく想像していましたが、そうではないようで、川幅は人によってまちまちで、10メートルの人もいれば、100メートルの人もいる。

また、渡り方もさまざまで、橋で渡る人もいれば、船に乗っていく人、泳いで渡る人などいろいろらしい。

同じなのは、一旦両足が岸から離れてしまうと、二度と戻ってこれないそうです。

この社長さんは、お花畑を歩いている時、不思議な声が聞こえてきたそうです。

「あなたが今まで送ってきた人生について、川べりに着くまでまとめておくように…」。

社長さんは、自分の人生を振り返り、やってきた業績をまとめていきました。

川べりに着くと、また声が聞こえてきました。

「あなたは、自分の人生をどれくらい楽しんできましたか?」。

いくら考えても「楽しくやってきた」という記憶がなく、じっと黙っていたら、「あなたは人生を楽しんでこなかったのですね」と言われ、「はい」と言うと、「あなたの人生は失敗です。もう一度やり直し!」と言われ、その瞬間、息を吹き返し、この世にもどってきたそうです。

 私は、早くに「生長の家」にめぐりあった幸せものです。

人一倍の世渡り下手、人一倍の軟弱者です。

だから、いつも神様の導きをさがし、大きな守りの中でこの人生を過ごしてきました。

見えない世界からの、両手をひろげるような守りは、思い出しても心にせまるありがたさです。

でも、「恩返しができない」。

それがいつも心の中にありました。

「恩返しをする力がない。情けない私。」

神様に、そのことへのお詫びの思いを考える神想観が、何日が続いていたある日、「明るく、幸せに過ごせ…。」という言葉が聞こえたというか、感じました。

あっ…と想いました。

神様は、恩返しのできない私を責めてはいないんだ…。私が幸せに暮すことを望んでいるんだ…。

そう思った時、心が楽になりました。

楽しんで生きる。

三途の川から戻ってきた社長さんは、「楽しく生きるということは、自分がどれほど周りから喜ばれているかである」と気が付いたそうです。

私も、喜ばれる私であるよう、なおいっそうの真心でこれからの毎日を過ごします。