保守派の論客として知られている佐伯啓思京都大学名誉教授の「(異論のススメ スペシャル)死生観への郷愁」が朝日新聞に掲載されていた。(朝日新聞、2020年6月27日朝刊11面)
新型コロナウイルス感染症の影響で国に給付を求める声が大きいが、今回、国は補正予算で第1次補正予算が25兆円強、第2次補正予算では32兆円弱、併せて57兆円もの補正予算を成立させ、そのうち赤字国債は46兆円にものぼる。
特別定額給付金の支給が遅いと文句を言いながら、マイナンバーカードと銀行預金口座を結びつけることには反対する。その理由は銀行口座を国に把握して欲しくない、資産を把握されるのが嫌だというものが多いが、そもそも脱税をしなければ国に財産を把握されることになぜ抵抗があるのか。税金は支払わないが、給付は貰う、しかもその給付は、将来世代が負うべき借金となっている。
国が新型インフルエンザ特措法に基づいて緊急事態宣言を出したが、その緊急事態宣言を待ちわびる人達が多かったことに驚いた。そして、法的根拠もない自粛要請を進んで受け入れ、マスクを着用せず外出する者や都道府県をまたいで移動する者に対する根拠のない批判をあびせる人達。
満員電車でも全乗客が口を閉じていれば、マスクをする必要は全くない。車で移動する人のどの程度が感染していると推測しているのだろうか、恐れおののき、恐怖のため攻撃性が高くなった人達の感情的な発言はネットでも多く見られた。
さらに、緊急事態宣言の解除を待ちわび、外出自粛要請がなくなると一気に外出をする。科学的根拠を調べることもなく、行政の言葉に従う人達。移動の自由に関する深い考えもなく、都道府県知事の要請や「新しい生活様式」を従順に受け入れる人達。エビデンスに基づかない、科学的根拠もなく、自分の生命はまず自分で守るという自立の基本も持ち合わせず、言われるがままの行動をする人達が多く見られることは、日本人の劣化を物語っているのかもしれない。
人は、生を受け、成長し、生殖行為をし、子育てを行い、老いていき、そして死ぬ。それぞれの人によって経過は変わるが、どのような人であれ、生を受け、成長し、老いていき、死ぬ。
佐伯名誉教授の記述どおり、かつての日本人は、とうてい受け入れがたい不条理な死をも受け止めていただろうし、その精神の底には、生死ともに「無常」という観念が流れていた。年齢を重ねるに従い、死への諦念を含んだ無常感を強く抱き、そして不条理をも受けとめていた日本人だが、昨今は、生への執着、不条理への嫌悪を抱く人達が増えているようだ。
感染症が怖い人達、特に高齢者は、他人との接触を極力回避するため自宅に閉じこもることを原則とすればいい。死への恐怖、感染に対する恐怖を抱きながら、外出など自由な行動を求めるのは感染症が蔓延する状況では不可能なことである。
昔の日本人が持っていた人間の死という必然への諦念を含んだ無常感、佐伯名誉教授が言うように、今の日本人も多少は古人の死生観を受け継ぐことがあってもいいのではないか。若い人達には難しいことかもしれないが、多くの人達がこのような哲学的な問題について、深く考え、行動する必要があると考えさせられた佐伯名誉教授の文章だった。
新型コロナウイルス感染症の影響で国に給付を求める声が大きいが、今回、国は補正予算で第1次補正予算が25兆円強、第2次補正予算では32兆円弱、併せて57兆円もの補正予算を成立させ、そのうち赤字国債は46兆円にものぼる。
特別定額給付金の支給が遅いと文句を言いながら、マイナンバーカードと銀行預金口座を結びつけることには反対する。その理由は銀行口座を国に把握して欲しくない、資産を把握されるのが嫌だというものが多いが、そもそも脱税をしなければ国に財産を把握されることになぜ抵抗があるのか。税金は支払わないが、給付は貰う、しかもその給付は、将来世代が負うべき借金となっている。
国が新型インフルエンザ特措法に基づいて緊急事態宣言を出したが、その緊急事態宣言を待ちわびる人達が多かったことに驚いた。そして、法的根拠もない自粛要請を進んで受け入れ、マスクを着用せず外出する者や都道府県をまたいで移動する者に対する根拠のない批判をあびせる人達。
満員電車でも全乗客が口を閉じていれば、マスクをする必要は全くない。車で移動する人のどの程度が感染していると推測しているのだろうか、恐れおののき、恐怖のため攻撃性が高くなった人達の感情的な発言はネットでも多く見られた。
さらに、緊急事態宣言の解除を待ちわび、外出自粛要請がなくなると一気に外出をする。科学的根拠を調べることもなく、行政の言葉に従う人達。移動の自由に関する深い考えもなく、都道府県知事の要請や「新しい生活様式」を従順に受け入れる人達。エビデンスに基づかない、科学的根拠もなく、自分の生命はまず自分で守るという自立の基本も持ち合わせず、言われるがままの行動をする人達が多く見られることは、日本人の劣化を物語っているのかもしれない。
人は、生を受け、成長し、生殖行為をし、子育てを行い、老いていき、そして死ぬ。それぞれの人によって経過は変わるが、どのような人であれ、生を受け、成長し、老いていき、死ぬ。
佐伯名誉教授の記述どおり、かつての日本人は、とうてい受け入れがたい不条理な死をも受け止めていただろうし、その精神の底には、生死ともに「無常」という観念が流れていた。年齢を重ねるに従い、死への諦念を含んだ無常感を強く抱き、そして不条理をも受けとめていた日本人だが、昨今は、生への執着、不条理への嫌悪を抱く人達が増えているようだ。
感染症が怖い人達、特に高齢者は、他人との接触を極力回避するため自宅に閉じこもることを原則とすればいい。死への恐怖、感染に対する恐怖を抱きながら、外出など自由な行動を求めるのは感染症が蔓延する状況では不可能なことである。
昔の日本人が持っていた人間の死という必然への諦念を含んだ無常感、佐伯名誉教授が言うように、今の日本人も多少は古人の死生観を受け継ぐことがあってもいいのではないか。若い人達には難しいことかもしれないが、多くの人達がこのような哲学的な問題について、深く考え、行動する必要があると考えさせられた佐伯名誉教授の文章だった。