平成から令和に元号が変わったことにともない、皇室関係のニュースが多く流された。天皇制は、第二次世界大戦での敗戦処理に当たって、マッカーサーが日本統治を円滑に行うために温存され、憲法第1条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と規定されるように、象徴として存在し、主権はあくまでも国民にあるとされた。
大日本帝国憲法の第1条で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とされ、第4条で「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とされ、さらに第11条では「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とされており、当時の憲法上、天皇は戦争遂行に当たっての最大の責任者であるにもかかわらず、天皇の戦争責任については不問に付された。
それでは、戦前の天皇制の国家支配の原理とはどのようなものだったのだろう。
「天皇制国家の支配原理」(藤田省三著、みすず書房、2012年1月)によれば、戦前の天皇制における、権力の正統性を基礎づけているイデオロギーは、「家族国家観」といわれるものである。
家族国家観とは、「家」の概念の延長拡大として国家を捉えるものであり、家の概念とは、封建的な家長制度であり、長子単独相続などを含む概念である。家を代表する家長の権限は強大であり、天皇が日本国の家長となり、日本社会の封建的な家父長的世界観を国家的規模に統合するものである。
家族の中で政治が否定されるように、国家からも政治が否定され、「一家相和す」醇風美徳がこの非政治性の内容であり、これにより上下の対立・摩擦が中和され、天皇は日本近代の社会に偏在する中和の象徴として機能する。
そして、町内会や隣組などの村落共同体における日常生活秩序が支配機関となり、村落共同体の秩序が国家支配に不可欠なものとなり、村落共同体の秩序原理が国家に制度化されたことが、天皇制支配の特徴となった。
村落共同体の秩序、道徳が支配原理となれば、国家は、必然的に道徳共同体となり、あらゆる意味での政治が日本国内から排除される。そして、村落共同体、「郷党社会」の政治的機能を制度化したものが、地方自治制であった。
「地方自治制は、一方で官僚制的支配装置を社会的底辺まで下降させて制度化するとともに、他方で「隣保団結ノ旧慣ヲ基礎トシ」、「春風和気」の「自然ノニ成立」つものである。ここでは個別村落の日常生活における心情と慣習を中核として国内社会を調和させようとすることから、社会の調停弁は共同体の情緒に求められて、法はその本来の存在理由を喪わなければならないこととなる。
さらに、「ここでは法は、価値的に普遍的な規範でもなく、又唯一の絶対君主の命令の体系でもない。かくして憲法そのものは無内容な形式的手段となり、地方自治が憲法の内容となるのである。」(p.24)
そして、「共同体秩序原理のその質的高昇、すなわち自然村落における「道徳的元素」の国家原理への普遍化を担ったもの、それが教育勅語であった。(Ⅰ)教育勅語の成立の決定的契機が再編成されつつある「郷党社会」からの圧力であったこと、そうして(Ⅱ)直後の構成は、体制の俊鋭を集めて彫琢された結果、あらゆる係争原因の可能性を遮断した普遍的な「至尊ノ広告」たらしめられたことは、右の役割を物語るものである。」(p.25)
以上のように、戦前の天皇制では家族制度、日本の家父長制をその根幹に置き、村落共同体の秩序が国家支配の原理になったことから、道徳がその支配上最も重視される一方で、大日本帝国憲法は無内容な形式的手段となり、中央集権的地方自治や教育勅語が民衆を支配する内容となったのである。
今の自由民主党は、過去の自由民主党と異なり、政治的に右翼姿勢が顕著となっている。保守本流の流れをくむ人達の勢力が衰える一方で、清和会という右翼的勢力が実験を握り、その清和会から党総裁に選ばれたのが安倍晋三である。
今の自由民主党は、日本的家族制度を重視し、また、安倍総裁やその取り巻きが教育勅語を教育分野などで復活させようとしている。彼等の思うところは、戦前の天皇制の支配原理の復活かもしれない。安倍総理の選挙スローガンに、「戦後レジームからの脱却」「日本をトリモロス」というものがあったが、戦前の天皇制の支配原理を復活させようと考えるならば、このようなスローガンを連呼するようになるだろう。
自由民主党と言う名前だが、自由や民主とはほど遠いような印象である。経済的には、新自由主義を推進しているため「自由」と言いたいのだろうが、戦前の天皇制の支配原理では、教育勅語に示されている道徳原理を破らない範囲での自由であり、この道徳原理を否定する場合には、道徳悪として徹底的な暴力で排除されるのである。自由どころではないのだ。
自由でも民主でもないトップが存在する政党の名前が「自由民主党」とは、言っていることとやっていることが全く異なる安倍政権を象徴するようなギャグである。
大日本帝国憲法の第1条で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とされ、第4条で「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とされ、さらに第11条では「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とされており、当時の憲法上、天皇は戦争遂行に当たっての最大の責任者であるにもかかわらず、天皇の戦争責任については不問に付された。
それでは、戦前の天皇制の国家支配の原理とはどのようなものだったのだろう。
「天皇制国家の支配原理」(藤田省三著、みすず書房、2012年1月)によれば、戦前の天皇制における、権力の正統性を基礎づけているイデオロギーは、「家族国家観」といわれるものである。
家族国家観とは、「家」の概念の延長拡大として国家を捉えるものであり、家の概念とは、封建的な家長制度であり、長子単独相続などを含む概念である。家を代表する家長の権限は強大であり、天皇が日本国の家長となり、日本社会の封建的な家父長的世界観を国家的規模に統合するものである。
家族の中で政治が否定されるように、国家からも政治が否定され、「一家相和す」醇風美徳がこの非政治性の内容であり、これにより上下の対立・摩擦が中和され、天皇は日本近代の社会に偏在する中和の象徴として機能する。
そして、町内会や隣組などの村落共同体における日常生活秩序が支配機関となり、村落共同体の秩序が国家支配に不可欠なものとなり、村落共同体の秩序原理が国家に制度化されたことが、天皇制支配の特徴となった。
村落共同体の秩序、道徳が支配原理となれば、国家は、必然的に道徳共同体となり、あらゆる意味での政治が日本国内から排除される。そして、村落共同体、「郷党社会」の政治的機能を制度化したものが、地方自治制であった。
「地方自治制は、一方で官僚制的支配装置を社会的底辺まで下降させて制度化するとともに、他方で「隣保団結ノ旧慣ヲ基礎トシ」、「春風和気」の「自然ノニ成立」つものである。ここでは個別村落の日常生活における心情と慣習を中核として国内社会を調和させようとすることから、社会の調停弁は共同体の情緒に求められて、法はその本来の存在理由を喪わなければならないこととなる。
さらに、「ここでは法は、価値的に普遍的な規範でもなく、又唯一の絶対君主の命令の体系でもない。かくして憲法そのものは無内容な形式的手段となり、地方自治が憲法の内容となるのである。」(p.24)
そして、「共同体秩序原理のその質的高昇、すなわち自然村落における「道徳的元素」の国家原理への普遍化を担ったもの、それが教育勅語であった。(Ⅰ)教育勅語の成立の決定的契機が再編成されつつある「郷党社会」からの圧力であったこと、そうして(Ⅱ)直後の構成は、体制の俊鋭を集めて彫琢された結果、あらゆる係争原因の可能性を遮断した普遍的な「至尊ノ広告」たらしめられたことは、右の役割を物語るものである。」(p.25)
以上のように、戦前の天皇制では家族制度、日本の家父長制をその根幹に置き、村落共同体の秩序が国家支配の原理になったことから、道徳がその支配上最も重視される一方で、大日本帝国憲法は無内容な形式的手段となり、中央集権的地方自治や教育勅語が民衆を支配する内容となったのである。
今の自由民主党は、過去の自由民主党と異なり、政治的に右翼姿勢が顕著となっている。保守本流の流れをくむ人達の勢力が衰える一方で、清和会という右翼的勢力が実験を握り、その清和会から党総裁に選ばれたのが安倍晋三である。
今の自由民主党は、日本的家族制度を重視し、また、安倍総裁やその取り巻きが教育勅語を教育分野などで復活させようとしている。彼等の思うところは、戦前の天皇制の支配原理の復活かもしれない。安倍総理の選挙スローガンに、「戦後レジームからの脱却」「日本をトリモロス」というものがあったが、戦前の天皇制の支配原理を復活させようと考えるならば、このようなスローガンを連呼するようになるだろう。
自由民主党と言う名前だが、自由や民主とはほど遠いような印象である。経済的には、新自由主義を推進しているため「自由」と言いたいのだろうが、戦前の天皇制の支配原理では、教育勅語に示されている道徳原理を破らない範囲での自由であり、この道徳原理を否定する場合には、道徳悪として徹底的な暴力で排除されるのである。自由どころではないのだ。
自由でも民主でもないトップが存在する政党の名前が「自由民主党」とは、言っていることとやっていることが全く異なる安倍政権を象徴するようなギャグである。
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