2018年6月時事解説・時局分析|藤原直哉理事長|第33回NSP時局ならびに日本再生戦略講演会
数千人分の頭蓋骨で作った古代アステカの生贄祭壇「ツォンパトリ」が発見される! 心臓をえぐって斬首し… 膨大な“名誉の証”に戦慄!
2018.06.29
コメント1
関連キーワード:アステカ, ツォンパントリ, メキシコ, 人身御供, 斬首, 生贄, 祭壇, 頭蓋骨
【保存版】夏までに痩せる現実的な方法
【あの辛口司会者も絶賛】今年の夏を諦めないで!今からでも間に合う、ムリなく痩せられる方法
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昨年の夏、メキシコのアステカ遺跡で大量の人間の頭蓋骨が発見されたというニュースが世界を驚かせた。650体以上もの人骨がタワーのように積み上げられている様子は非常に衝撃的であったが、実はそれは氷山の一角に過ぎなかったという。新たに数千人分の頭蓋骨を並べて作った巨大祭壇の遺構が発掘されたという。英紙「Daily Mail」などが報じている。
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ずらりと並んだ頭蓋骨。 画像は「Daily Mail」より引用
■メキシコ首都に眠っていた祭壇
メキシコの首都メキシコシティ、かつてのアステカ文明の中心地であったテノチティトランの上に建てられた都市で、またもや衝撃的な発見があった。巨大神殿テンプロ・マヨールの近くで数千人の人間の頭蓋骨を並べて作った巨大構造物が見つかったのだ。この場所では、昨年も650体以上もの頭蓋骨を積み上げて作った円柱(スカルタワー)が発見されて話題となったが(詳しくはこちらの記事)、それは人骨を使った巨大な祭壇の一部に過ぎず、その側には何千もの頭蓋骨が串刺しにされて並んでいたのだ。
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画像は「Daily Mail」より引用
頭蓋骨の祭壇は「ツォンパントリ(Tzompantli)」と呼ばれ、アステカ以前の文明でも作られていたという。テンプロ・マヨールの側にあったツォンパントリは横36メートル、縦14メートルとバスケットボールのコートくらいの大きさの祭壇で、左右に大量の頭蓋骨をモルタルで固めて作った高さ1.7メートルにも及ぶスカルタワーが立ち、その背後には生贄の頭蓋骨を串刺しにして並べた棚がずらりと並んでいたと考えられている。
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ツォンパントリの構造。画像は「Sci
■アステカの生贄文化
アステカは14~15世紀に現在のメキシコ付近で栄えていたが、スペインによる植民地化で滅ぼされてしまった文明である。独自の暦や巨大な神殿を作り上げる高い技術力を持つ一方、大規模な人身御供の儀式を日常的に行っていたことでも知られる。
生贄は石のナイフで胸を切り開かれて心臓を取り出された後、頭を切り落とされ、肉や皮を剥ぎ、木の杭で数珠繋ぎにされ、ツォンパントリに並べられた。発掘現場では、風化して壊れ、棚から落ちたと見られる頭蓋骨を加工して作った仮面も見つかっている。棚に並べられた頭蓋骨は、顎が取れて上部が砕けてしまった後も大切にされていたのだろう。大きな穴の空いた頭蓋骨はスカルタワーにも使われていた。
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頭蓋骨の仮面。画像は「Science」より引用
この驚くべき祭壇については侵略者のスペイン人たちも記録しており、あるスペイン人は穴を開けて並べられた頭蓋骨は13万人分に及ぶと書き残している。ツォンパントリの様子はスペイン人がアステカの文化についてまとめたラミレス絵文書などにも描かれている。巨大神殿テンプロ・マヨールと共にツォンパントリも征服者のスペイン人たちによって打ち壊されてしまったが、その痕跡はメキシコシティの地下に眠っていたのである。
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画像は「Wikipedia」より引用
これまでの発掘調査によると、今回発見されたツォンパントリが作られたのは1486~1502年くらいだと推定され、頭蓋骨の75%は男性のもので、多くは20~35歳くらいの若い戦士だったと推測されている。女性の頭蓋骨も20%、子供も5%含まれていた。生贄たちはメソアメリカ各地からテノチティトランに連れて連れてこられ、しばらく暮らした後に人身御供に捧げられたと見られる。また、ほとんどの生贄は生前健康な状態であったという。アステカでは生贄になることは名誉とされており、儀式までは丁重な扱いを受けたとされるが、ツォンパントリから見つかった人骨はこの事実を裏付けている。
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画像は「Daily Mail」より引用
大量の頭蓋骨が整然と並ぶ遺構の画像を見るだけでも圧巻だが、記録によれば、今回見つかった数千にも及ぶ人骨も、かつて並べられていた頭蓋骨のうちのごく一部にしか過ぎないというから凄まじい。発掘調査は今も進められており、今後さらに全体像が詳しく分かってくるだろう。今後の調査にも期待したい。
(編集部)
2018.06.29
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昨年の夏、メキシコのアステカ遺跡で大量の人間の頭蓋骨が発見されたというニュースが世界を驚かせた。650体以上もの人骨がタワーのように積み上げられている様子は非常に衝撃的であったが、実はそれは氷山の一角に過ぎなかったという。新たに数千人分の頭蓋骨を並べて作った巨大祭壇の遺構が発掘されたという。英紙「Daily Mail」などが報じている。
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ずらりと並んだ頭蓋骨。 画像は「Daily Mail」より引用
■メキシコ首都に眠っていた祭壇
メキシコの首都メキシコシティ、かつてのアステカ文明の中心地であったテノチティトランの上に建てられた都市で、またもや衝撃的な発見があった。巨大神殿テンプロ・マヨールの近くで数千人の人間の頭蓋骨を並べて作った巨大構造物が見つかったのだ。この場所では、昨年も650体以上もの頭蓋骨を積み上げて作った円柱(スカルタワー)が発見されて話題となったが(詳しくはこちらの記事)、それは人骨を使った巨大な祭壇の一部に過ぎず、その側には何千もの頭蓋骨が串刺しにされて並んでいたのだ。
0628azteca-2.jpg
画像は「Daily Mail」より引用
頭蓋骨の祭壇は「ツォンパントリ(Tzompantli)」と呼ばれ、アステカ以前の文明でも作られていたという。テンプロ・マヨールの側にあったツォンパントリは横36メートル、縦14メートルとバスケットボールのコートくらいの大きさの祭壇で、左右に大量の頭蓋骨をモルタルで固めて作った高さ1.7メートルにも及ぶスカルタワーが立ち、その背後には生贄の頭蓋骨を串刺しにして並べた棚がずらりと並んでいたと考えられている。
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ツォンパントリの構造。画像は「Sci
■アステカの生贄文化
アステカは14~15世紀に現在のメキシコ付近で栄えていたが、スペインによる植民地化で滅ぼされてしまった文明である。独自の暦や巨大な神殿を作り上げる高い技術力を持つ一方、大規模な人身御供の儀式を日常的に行っていたことでも知られる。
生贄は石のナイフで胸を切り開かれて心臓を取り出された後、頭を切り落とされ、肉や皮を剥ぎ、木の杭で数珠繋ぎにされ、ツォンパントリに並べられた。発掘現場では、風化して壊れ、棚から落ちたと見られる頭蓋骨を加工して作った仮面も見つかっている。棚に並べられた頭蓋骨は、顎が取れて上部が砕けてしまった後も大切にされていたのだろう。大きな穴の空いた頭蓋骨はスカルタワーにも使われていた。
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頭蓋骨の仮面。画像は「Science」より引用
この驚くべき祭壇については侵略者のスペイン人たちも記録しており、あるスペイン人は穴を開けて並べられた頭蓋骨は13万人分に及ぶと書き残している。ツォンパントリの様子はスペイン人がアステカの文化についてまとめたラミレス絵文書などにも描かれている。巨大神殿テンプロ・マヨールと共にツォンパントリも征服者のスペイン人たちによって打ち壊されてしまったが、その痕跡はメキシコシティの地下に眠っていたのである。
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画像は「Wikipedia」より引用
これまでの発掘調査によると、今回発見されたツォンパントリが作られたのは1486~1502年くらいだと推定され、頭蓋骨の75%は男性のもので、多くは20~35歳くらいの若い戦士だったと推測されている。女性の頭蓋骨も20%、子供も5%含まれていた。生贄たちはメソアメリカ各地からテノチティトランに連れて連れてこられ、しばらく暮らした後に人身御供に捧げられたと見られる。また、ほとんどの生贄は生前健康な状態であったという。アステカでは生贄になることは名誉とされており、儀式までは丁重な扱いを受けたとされるが、ツォンパントリから見つかった人骨はこの事実を裏付けている。
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画像は「Daily Mail」より引用
大量の頭蓋骨が整然と並ぶ遺構の画像を見るだけでも圧巻だが、記録によれば、今回見つかった数千にも及ぶ人骨も、かつて並べられていた頭蓋骨のうちのごく一部にしか過ぎないというから凄まじい。発掘調査は今も進められており、今後さらに全体像が詳しく分かってくるだろう。今後の調査にも期待したい。
(編集部)
「戦争と廃墟の地から逃げてきた」…済州は“約束の地”になるか
登録:2018-06-20 10:02 修正:2018-06-21 17:04
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[済州出入国・外国人庁で会ったイエメン人たち]
イエメン難民500人余りが済州に滞在、対策に苦心
フーシ反政府軍に掌握されて徴集から逃れ、済州に押し寄せ
難民の社会問題への懸念に「私たちは平和を愛しています」
イエメン難民申請者たちが今月18日、済州出入国・外国人庁に設けられた就職説明会に出席するため、長蛇の列を作っている=済州/ホホジュン記者//ハンギョレ新聞社
「子どもたちにとても会いたい。戦争から逃げてここに来たが、どうすれば良いかわからない」
18日午前、済州市龍潭洞(ヨンダムドン)の済州出入国・外国人庁の広場の木陰に座り、草をむしりながら休んでいたモハメド・アメッドさん(38)は力のない声でこう語った。イエメンの首都サヌアで高校の物理教師として働き、先月15日に済州にやって来た彼の済州行きは長い道のりだった。彼は北イエメンから南イエメン、スーダンとエチオピア、コロンボ、マレーシアを経て済州に来た。「シーア派のフーシ反政府軍が掌握した後、イエメンを離れる前の1年間は給料をもらえませんでした。どんな仕事でもしなければ暮らせないのに…」
イエメン人のモハメド氏が今月18日、済州出入国・外国人庁で記者に済州島にやってきた経緯を説明している//ハンギョレ新聞社
ビザなしで30日間訪問できる済州にイエメン難民たちが今年から大挙して集まっている。15日基準で561人が入国し、このうち549人が法務部傘下の済州出入国・外国人庁に難民申請をした。イエメンはアラビア半島南西部にあるイスラム国家だ。2015年、イスラム宗派のスンニ派とシーア派のフーシ反政府軍の内戦が始まり、数多くのイエメン人が世界各地に流浪の旅に出た。現在、済州は彼らが探している「約束の地」の一つだ。
アリ・ヘジャムさん(26)はフーシ反政府軍が掌握したタイズ市役所でマーケティングを担当していた。彼は「難民同士がコミュニケーションするインターネット空間で、済州島がビザなし入国地域ということを知った。この情報がマレーシアにあるイエメン人に急速に広がり、済州に来るようになった。マレーシアでは4年間滞在してお金を稼ぎ、イエメンにいる家族に送金した」と話した。済州市内の宿泊施設で1室をイエメン人2人と一緒に使っている彼は、済州島に来るときに持ってきた米貨1800ドルも全部使い尽くした。彼は「済州島に来た後、仕事を探すことができなかった。今になって仕事を探している」と話した。アリ・ヘジャムさんはムスリムに対する懸念について「マレーシアでは現在5万人余りのイエメン人がいるが、ここ1年間、犯罪率は0%だ。私たちは酒と賭博をしない。イスラムは平和的な宗教であり、平和を愛する」と話した。
今月18日、済州市龍潭洞の済州出入国・外国人庁で開かれたイエメン難民申請者のための就職説明会で、イエメン人たちが司会者の説明に耳を傾けている=済州/ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社
慶尚北道尙州(サンジュ)の赤十字病院から来たボランティア医療陣の前に立ったイッブ出身のヒシャームさん(25)は、右足の甲が傷跡でまだらになっている。ヒシャームさんは「フーシ反政府軍が都市を掌握した後、戦線に若者を集めるため強制徴集をした。強制徴集から逃げて右足に銃弾2発を撃たれた。外科手術を受けられず、いまも破片が体の中に残っている」と話した。彼の兄弟5人のうち1人は内戦の渦中で失踪し、1人はマレーシア、他の2人はイエメンにいる。同じイッブ出身で元警察官だったモハマドさん(50)は、フーシ反政府軍に掌握されると命の脅威を感じ、故郷に5男1女を残して2016年5月にイエメンから離れた。彼は「現在としてはどんな仕事も選んでいられない。どんな仕事でもしたい」と話した。
イエメン人のヒシャーム氏が今月18日、済州出入国・外国人庁で銃弾に撃たれた足を見せている//ハンギョレ新聞社
この日、西帰浦(ソグィポ)で漁船漁業をするホン・チャンヒさん(55)は、同僚の船主3人と共に船員を雇用するためにここを訪ねた。ホンさんは彼らに「漁船に乗ったことはあるのか、初めて船の仕事すると、船酔いする」と話し、彼らの周りに集まったイエメン人たちは「賃金はいくらか。休む時は賃金はもらえないのか。船に乗って出るのか」などの質問を投げかけた。イエメンでサッカー選手をし、サッカーのコーチとして働いていたアブド・アリさん(27)は「漁船に乗れる」と言い、連れて行ってほしいと話した。彼は昨年2月にイエメンを離れ、残した息子(4)の顔が毎日思い浮かぶと話した。彼らの雇用問題を議論する姿に、イエメン人たちが1人2人、我も我もと集まり、「どんな仕事でもやる」と言った。
イエメン人たちが今月18日午前、済州出入国・外国人庁で人手を募集するために来た市民の周りに集まって話を交わしている//ハンギョレ新聞社
彼らの未来についてコ・オボン済州道自治行政課長は「済州道としては急に難民問題が発生して当惑している。しかし、難民申請者たちの生計問題が緊迫しているため、済州出入国・管理庁と協議しながら最大限支援し、人道レベルの問題も積極的に検討する」と話した。果たしてイエメン難民申請者たちに、済州島は「約束の地」となるだろうか。それとも、再び流浪の旅に出るための橋渡しとなるのだろうか。
文・写真 ホ・ホジュン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/849650.html
韓国語原文入力:2018-06-19 10:38
訳M.C
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登録:2018-06-20 10:02 修正:2018-06-21 17:04
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[済州出入国・外国人庁で会ったイエメン人たち]
イエメン難民500人余りが済州に滞在、対策に苦心
フーシ反政府軍に掌握されて徴集から逃れ、済州に押し寄せ
難民の社会問題への懸念に「私たちは平和を愛しています」
イエメン難民申請者たちが今月18日、済州出入国・外国人庁に設けられた就職説明会に出席するため、長蛇の列を作っている=済州/ホホジュン記者//ハンギョレ新聞社
「子どもたちにとても会いたい。戦争から逃げてここに来たが、どうすれば良いかわからない」
18日午前、済州市龍潭洞(ヨンダムドン)の済州出入国・外国人庁の広場の木陰に座り、草をむしりながら休んでいたモハメド・アメッドさん(38)は力のない声でこう語った。イエメンの首都サヌアで高校の物理教師として働き、先月15日に済州にやって来た彼の済州行きは長い道のりだった。彼は北イエメンから南イエメン、スーダンとエチオピア、コロンボ、マレーシアを経て済州に来た。「シーア派のフーシ反政府軍が掌握した後、イエメンを離れる前の1年間は給料をもらえませんでした。どんな仕事でもしなければ暮らせないのに…」
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ビザなしで30日間訪問できる済州にイエメン難民たちが今年から大挙して集まっている。15日基準で561人が入国し、このうち549人が法務部傘下の済州出入国・外国人庁に難民申請をした。イエメンはアラビア半島南西部にあるイスラム国家だ。2015年、イスラム宗派のスンニ派とシーア派のフーシ反政府軍の内戦が始まり、数多くのイエメン人が世界各地に流浪の旅に出た。現在、済州は彼らが探している「約束の地」の一つだ。
アリ・ヘジャムさん(26)はフーシ反政府軍が掌握したタイズ市役所でマーケティングを担当していた。彼は「難民同士がコミュニケーションするインターネット空間で、済州島がビザなし入国地域ということを知った。この情報がマレーシアにあるイエメン人に急速に広がり、済州に来るようになった。マレーシアでは4年間滞在してお金を稼ぎ、イエメンにいる家族に送金した」と話した。済州市内の宿泊施設で1室をイエメン人2人と一緒に使っている彼は、済州島に来るときに持ってきた米貨1800ドルも全部使い尽くした。彼は「済州島に来た後、仕事を探すことができなかった。今になって仕事を探している」と話した。アリ・ヘジャムさんはムスリムに対する懸念について「マレーシアでは現在5万人余りのイエメン人がいるが、ここ1年間、犯罪率は0%だ。私たちは酒と賭博をしない。イスラムは平和的な宗教であり、平和を愛する」と話した。
今月18日、済州市龍潭洞の済州出入国・外国人庁で開かれたイエメン難民申請者のための就職説明会で、イエメン人たちが司会者の説明に耳を傾けている=済州/ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社
慶尚北道尙州(サンジュ)の赤十字病院から来たボランティア医療陣の前に立ったイッブ出身のヒシャームさん(25)は、右足の甲が傷跡でまだらになっている。ヒシャームさんは「フーシ反政府軍が都市を掌握した後、戦線に若者を集めるため強制徴集をした。強制徴集から逃げて右足に銃弾2発を撃たれた。外科手術を受けられず、いまも破片が体の中に残っている」と話した。彼の兄弟5人のうち1人は内戦の渦中で失踪し、1人はマレーシア、他の2人はイエメンにいる。同じイッブ出身で元警察官だったモハマドさん(50)は、フーシ反政府軍に掌握されると命の脅威を感じ、故郷に5男1女を残して2016年5月にイエメンから離れた。彼は「現在としてはどんな仕事も選んでいられない。どんな仕事でもしたい」と話した。
イエメン人のヒシャーム氏が今月18日、済州出入国・外国人庁で銃弾に撃たれた足を見せている//ハンギョレ新聞社
この日、西帰浦(ソグィポ)で漁船漁業をするホン・チャンヒさん(55)は、同僚の船主3人と共に船員を雇用するためにここを訪ねた。ホンさんは彼らに「漁船に乗ったことはあるのか、初めて船の仕事すると、船酔いする」と話し、彼らの周りに集まったイエメン人たちは「賃金はいくらか。休む時は賃金はもらえないのか。船に乗って出るのか」などの質問を投げかけた。イエメンでサッカー選手をし、サッカーのコーチとして働いていたアブド・アリさん(27)は「漁船に乗れる」と言い、連れて行ってほしいと話した。彼は昨年2月にイエメンを離れ、残した息子(4)の顔が毎日思い浮かぶと話した。彼らの雇用問題を議論する姿に、イエメン人たちが1人2人、我も我もと集まり、「どんな仕事でもやる」と言った。
イエメン人たちが今月18日午前、済州出入国・外国人庁で人手を募集するために来た市民の周りに集まって話を交わしている//ハンギョレ新聞社
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文・写真 ホ・ホジュン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/849650.html
韓国語原文入力:2018-06-19 10:38
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