野鳥にまつわるお話

野鳥に関するいろいろな情報を個人的に調べ、掲載しています。

ガンの民話(大阪府)

2018年05月13日 | 野鳥
雁塔物語            (大阪府四條畷市の民話)

 戦国時代の初冬、ひとりの猟師が、一羽の雁を射止めました。
 ところが、その雁の首がありませんでした。ふしぎに思いましたが、その事をすっかり忘れました。そして翌年の春に、猟師は再び雁を射止めたところ、哀れなくらい痩せ細った雁は翼の下にべつの首を抱えていました。
 猟師は、かって狩った首のない雁の事を思いだし、この雁は夫婦だったのかと思い、矢に射られた連れ合いの首を大切にして嘆き悲しんでいたのかと、雁の夫婦の情愛の深さに感銘した猟師は、殺傷は止めて仏門に入り、小さな菩提寺を建て雁を弔ったという。
 その雁塚は、今では消防署の北側の空地にひっそりと残っています。
 悲しい民話ですが、雁にまつわる民話は日本各地にあるといいます。
 それだけ、身近な野鳥だったのでしょう。

カラスの民話(奈良県2話・アイヌ・宮城県)

2018年05月13日 | 野鳥
死にガラスの話  (奈良県)

 むかしむかし、なんでもあてる、えらい八けみ(うらない師)がいてな。その八けみに見てもろたら、どんなことでもようあわすんで(よくあてるので)、ひょうばんやってんげな(だったそうな)。
 その八けみは、いつも、八けの本をたいせつにもっていて、その本をよんでは、人びとに八けをみてやっていたそうな。
「わしのよめはんは、どっちのほうからもろたら、ええやろ。」
「うちのとっちゃんの病気はなおるやろうか。」
「ことしゃ、商売もうかるやろか。」
「わえ(わたし)のうんせい見ておくれ。」
 村の人はもちろん、となり村の人たちまで、どんどん、みてもらいにきて、大はやりやったそうな。うれしいことやったら、みんな喜んで帰るが、かなん(悪い)ことや、さきの不幸なことまであんまりようあわされるので、そのうち、だんだんかなん(不安)ようになって、八けみてもらいにくる人がへってきてんげな。
 八けみも、本のとおりみたら、ほんまに死ぬる日なんか、ピタリとあたんので、自分でもこう(おそろしく)なってきて、とうとう、その八けの本を燃やしてしまうことにしてんげな。そこで、、八けみは庭に出て、よせ集めたしばに火をつけ、ボーボー燃える火の中へ、たいせつなその本を、ほりこんでんげな。ほしたら(そしたら)、ふしぎなことがおこってんて(おこったんだって)。
 本の燃えてるけむりの中から、ふしぎふしぎ、まっ黒な鳥が飛び立っていったんやって。その鳥が、いまのカラスやってんげな。
 それからはな、あしたか、近いうちに死ぬる人があると、ガアガアと悲しそうに鳴いて、
「あした死人があるぞ。」
「近くでだれかが死ぬるから・・・。」
と教えてくれるということや。
 ほんでに(それで)、今でもカラス鳴きが悪いと、
「こころ(きもち、気分)悪いな。だれか死ぬるんとちがうか(死ぬのではないか)。」
と、人びとはあんまりええきもちがしないで、気にするというはなしや。
〈話者・稲葉アキノ 再話・稲葉長輝〉【「奈良のむかし話」奈良のむかし話研究会編 日本標準発行】

からすのもち  (奈良県宇陀郡野依小二年 大谷正登)

 お正月のおもちをつくとき、からすのもちをいっしょにつくります。からすが、田んぼや畑につくってあるお米ややさいのたねをほじくらないように、おもちをついてやるのだそうです。
 おじいちゃんとおばあちゃんが、からすのもちを十二こつくりました。
「からすがきたら、おもちをなげたりや」と、おじいちゃんがいったので、ぼくとまさるちゃんがながぐつをはいて、おもちをやりにいきました。
「からすこい。もちやろ」と大声をだしながらあぜ道を歩いていきました。ちょうどからすがニひきとんできたので、
「まさるちゃん、いまのうちにやろえ」といって、
「そらあ、そらあ」とかけ声をかけながら、からすのほうへなげてやりました。よその田んぼや畑にもなげてやりました。ぼくらがいると、いくらまってもたべにこないので、まさるちゃんとそうだんして、走ってかえりました。家のちかくまでかえって、さっきのからすを見ると、もうおりてきておもちをたべているようでした。
 うちへかえると、おじいちゃんが、
「正登よ、からすたべたか」といったので、ぼくはさっきのことをはなしました。
「からすがたべたら、らい年は田んぼも畑もほう年やと、むかしからいうねで」とおじいちゃんがおしえてくれました。
「どうして十二こやのん」とたずねたら、
「一年は十二か月やから、十二こ作んねんで。うるう年やったら十三こや」とこんどはおばあちゃんがいいました。
(へんなことするなあ)と、ぼくは思いました。
【『子ども日本風土記《奈良》』日本作文の会編集・岩崎書店】


カラスとゴッコ                  (アイヌ動物話)

 ある日カラスが浜べへいってみると、はるか沖なる海底にゴッコ(さかな)がいた。
「陸へあがってこいよ!あくしゅしよう!」
とカラスがいうと、
「また、わたしがあがっていけば、おじさんはわたしの肉をほじくるんでしょう?」
とゴッコがいった。すると、カラスがいうことには、
「どこの世界に、かわいいおいごの肉をほじくるおじさんがあろうぞい?」
といった。
 ゴッコはあんしんして、あがってきた。
 カラスは大よろこびで、ゴッコの肉をすっかりほじくりだし、ただ白い骨ばかりのこして、はらをつめがます(むしろの袋)のようにふくらませながら、海ぞいにしりをふりふりあるいていくと、ホッキ貝がひとつ、なぎさにあがって、口をぽかんとひらいていた。
 それをカラスが見ると、またもやたべたくなって、その中へくちばしをつっこんだ。するとホッキ貝はたちまち口をとじて、したたかにカラスのくちばしをしめつけた。
 カラスはどうてんして、首をふりふり、いうことには、
「沖の小舟がもどったぞ ポクスラ!
 沖の小舟がもどったぞ ポクスラ!」
というと、波の底に声があって、
「うそだ ポクポクカピヤ!
 うそだ ポクポクカピヤ!
 おじとだまして わたしをころしたやつ!
 うそだ ポクポクカピヤ!」
と、なにものかがいうと、ホッキ貝は、いよいよ力をこめてしめつけたので、カラスのくちばしは、ぽっきりときれて、ホッキ貝は海の中へ、
「チョンボッ!」
と、とびこんでしまった。
 カラスは大いにあきれながら、家へかえってきて、あらとをもちだして、くちばしをとぐ音、
「小さいくちばし ゴッシゴシ!
 小さいくちばし ゴッシゴシ!」
と、とぐのであった。
 それからのち、カラスのくちばしは、あのようにまるくなったのである。
【北海道の民話─ふるさとの民話6─ 日本児童文学者協会編 偕成社】

 火けしのカラス  (宮城県)

 むかしある村で、村のほとんどがやけるほど、大きな火事がありました。
 子どもたちのたき火の火の粉が、ちかくのかれ草に、もえうつったのです。
 火に気づいて、おとなたちがかけつけたときは、もう手がつけられません。ちょうどふいてきた強い風にあおられて、火はめらめらと四方、八方にひろがっていき、またたくまに野をなめつくして、家々をやいていきました。
 村じゅうが火の海になっても、火はいっこうにおさまりません。火の粉をふきあげ、ほのおをたてがみのようにふるわせながら、となり村へともえひろがるほどのいきおいをみせていました。
「これでは、どこまでひろがるかわからんぞ」
「たいへんなことになったが、手がつけられん。どうしたらいいんじゃ」
 村の人たちは、ただもえさかる火をみつめているばかりです。
 すると、そのときです。
 となり村の西の山のうえに、まっ黒な雲が、もくもくとわきあがりました。
「ありがたい、天のたすけじゃ。雨雲じゃ。雨がふってくれれば、火はきえるじゃろう」
 村の人たちは大よろこびで空をみあげましたが、それは雨雲ではありません。なん千、なん万羽とも知れない、カラスの大群でした。
 山にすむカラスたちが火事におどろいて、いっせいに空へとびあがったのかとおもいましたが、どうもそうではありません。
 カラスたちはみな、くちばしになにかくわえているのです。
「あいつら、なにをくわえておるんだろう?」
 よくみると、カラスたちは、葉のついた小えだを一本ずつくわえて、とんでくるのです。「あんなもの、はじめてみるぞ。カラスたちはいったい、なにをしておるんだな」
 村の人たちは、頭のうえをとんでいくカラスの大群を、ふしぎそうにみあげていました。 カラスたちは、村をこえて海へとんでいくと、海のうえすれすれにおりて、くわえてきた木の小えだを、ちょんちょんと水につけました。そしてまた、黒雲のようになって村までとんでくると、もえつづける火のうえで、くわえている小えだをうちふりました。
 すると空から、雨のように水がふってきました。
 カラスたちは、なん回もなん回も、同じことをくりかえしていました。
 おかげで大火事も、どうにかとなり村へもえうつらずにすみました。村の人たちはほっとしましたが、あたりいちめんのやけ野原をみて、おもわず息をのみました。
 やけ野原のあちこちに、なん百羽とも知れぬ、黒くこげたカラスの死がいが、ころがっていたのです。みんな火をけしながら、けむりにまかれたり、つかれはてたりして、死んでいったカラスたちです。
 それをみた村の人たちは、
「わしらのために死んだ、気のどくなカラスたちじゃ。ねんごろに、とむらってやらねばな」といって、死んだカラスたちのおはかをつくってうめてやりました。そして、毎年二月一日になると、村では「火けしのカラスぼうずにだんごをやれ」といって、おだんごをつくり、野や山のカラスたちにふるまうようになったという話です。 【日づけのあるお話365日 2月のむかし話 谷 真介編・著 金の星社】



カモの民話(大分県・京都府)

2018年05月13日 | 野鳥
カモ汁       (大分県の昔話「吉四六さん」・福娘童話集)

 むかしむかし、吉ちょむ四六さんと言う、とてもゆかいな人がいました。
 ある時、庄屋さんが吉四六さんのところへ使いを寄こしました。
「カモをたくさん取ったので、今夜カモ汁をごちそうするから来るように」
(ほう。あのけちん坊の庄屋さんがカモ汁をごちそうするなんて、珍しい事もあるものだ。よほど、たくさんのカモを取ったに違いない。それともまた、骨董の自慢かな?)
 吉四六さんは思いきり食べてやろうと思って、昼ご飯も夕ご飯も食べないで庄屋さんのところへ出かけました。
「おう、よく来てくれたな」
 庄屋さんは吉四六さんを部屋にあげると、カモを取った時の自慢話をうんと長くしてからカモ汁を出しました。
(やれやれ、やっと食べられる。・・・おや)
 ところがおわんのふたを取ってみると、中に入っているのはダイコンばかりで、カモの肉は見つかりません。
「どうだね、カモ汁の味は。よかったら、どんどんおかわりしてくれ」
 吉四六さんがおかわりをしても、やっぱりダイコンばっかりです。
(ふん、何がカモ汁だ。これはダイコン汁同じゃないか)
 吉四六さんは腹を立てましたが、そこは我慢して、
「とてもおいしいカモ汁でした。おかげさまで、お腹がいっぱいになりました」
と、お礼を言って帰りました。
 それを見て庄屋さんは、腹をかかえて笑いました。
「さすがの吉四六さんも、とんだカモ汁をくわされたもんだ」

 それから二、三日たったある日、吉四六さんがあわてて庄屋さんの家へ駆け込んで来ました。
「庄屋さん、早く来て下さい! おらの畑に今、カモがどっさりとまっています」
「よし、すぐ行く!」
 庄屋さんは鉄砲を肩にかけ、吉四六さんのあとから走っていきました。
 でも畑には、カモなんか一羽もいません。
「カモなんか、どこにもいないじゃないか。わしをだますと承知しないぞ」
 庄屋さんはすっかり腹を立て、吉四六さんに鉄砲を向けました。
 でも、吉四六さんはビクともしません。
「おや? あんなにたくさんいるのが、見えませんか?」
 言われて吉四六さんの指差す方を見ると、一本の木にダイコンが何本もぶらさげてあります。
「馬鹿者! あれはダイコンじゃないか!」
「とんでもない。あれはこの前、庄屋さんの家でごちそうになったカモですよ」
「むっ、むむ・・・」
 さすがの庄屋さんも、これには言い返す言葉がありませんでした。(おしまい)

※ これは、マガモの呼び名「青首」と大根の「あおくび」をかけたお話です。


二羽のカモ                  (京都府の民話・福娘童話集)

 むかしむかし、京都に一人の男が住んでいました。
 男の家は貧乏でしたが、お嫁さんと二人で仲良く暮らしていました。
 ある日の事、お嫁さんに赤ちゃんが生まれました。ところがお嫁さんはお産のために体が弱っていたので、あまりお乳が出ません。そこでお嫁さんはお肉を食べて力を付けようと思い、夫に頼みました。
「わたし、お肉を食べたいのですけれど・・・」
 それを聞いて男は、
「それは、もっともだ。肉を食べて、はやく元気になってもらわないとな。お前のためにも、赤ん坊のためにも」
と、言いましたが、しかし男は貧乏で、お肉を買うお金がありません。男はいろいろと考えたあげく、
「よし、そうだ。自分で鳥を取りにいこう」と、言いました。

 次の日、男は朝早く起きると、弓矢を持って家を出ました。
そして、ミミドロ池という池にやって来ました。この池にはあまり人が来ないので、きっと水鳥がたくさんいると思ったのです。
 男は池まで来ると岸に生えた草の中に身をかくして、じっと水の上を見つめていました。すると一羽のカモが、草むらのかげから泳いで来ました。続いてもう一羽がやって来て、二羽のカモは仲良くこちらに近づいてきます。それは、メスとオスのカモでした。
 男はそっと、弓に矢をつがえましたが、
(夫婦だろうか? 仲の良いカモを殺すなんて、かわいそうだ)
と、思い弓と矢を置きました。しかし男は、また思い直しました。
 お肉を食べたがっている、お嫁さんの事を思ったからです。
(仕方ない。カモよ、許しておくれ)
 男が矢を放つと、矢は真っ直ぐにオスのカモに当たりました。
「それ、当たったぞ!」
 男は大急ぎで池に入って獲物を拾い上げると、すぐに家へ帰りました。男はさっそく、お嫁さんにカモの取れた事を話しました。
 そして、
「あすの朝は、カモを料理して食べような」と言うと、カモをさおにかけて寝ました。

 さて、その夜中の事です。
 男は、カモがバタバタと羽を動かしている音に目を覚ましました。
「おや? あのカモが、生きかえったのかな?」
 男が不思議に思いながら、あかりを持ってさおのところに行きました。すると昼に取ってきたカモは死んだままで、そのそばを一羽のカモがバタバタと羽ばたいているではありませんか。
「あっ! メスのカモだ。ミミドロ池でオスとならんで泳いでいた、あのメスガモに違いない。
 殺されたオスをしたって、あとをつけてきたのか」
 男はメスのカモを、じっと見つめました。
 カモはあかりを持った人間がそばに立っているのに少しも恐れる様子はなく、死んだオスのまわりを離れようとはしません。男はつい、ポロリと涙をこぼしました。
 すると、外の音に起き出したお嫁さんもやって来ました。
 お嫁さんは男の隣でじっとカモを見つめると、男に言いました。
「カモも人間も、相手を想う気持ちは一緒なのですね。ねえ、明日あのカモのお墓を作ってあげましょう」
「しかし、カモを食べないとお前の体は・・・」
「いいえ。わたしは病気ではありません。日がたてば、また元気になれますから」
 その朝、男はオスガモを持って、また池にやって来ました。そして、ていねいにうずめてやると、小さなお墓を作ってやりました。
 それからしばらくたつと、お嫁さんはすっかり元気になりました。
 そして赤ちゃんと三人で、しあわせに暮らしたという事です。(おしまい)



カッコウの民話(奈良県4話)

2018年05月13日 | 野鳥
かっこうの鳴き声  (奈良県東吉野村)

 かっこうは、あれは、千か、八百八声(やこえ)か鳴かんことには、餌(えさ)を喰われんのやと。
 ほんで、あれの「かっこう」ちゅう真似(まね)をしたらな(これまでの鳴いた分が帳消しになるので)、また、元から直さないかんさかい、
「かっこうの鳴く真似だけは、したらあかんぞ。」
 言うて、子供の時分から、聞いとってんわ。わしら、子供の時分には、かっこうはようけおったわせ。
それでも、この頃(平成四年)は、一つも聞かんわ。
(滝野 萬谷史郎)【「東吉野の民話」・東吉野村教育委員会】


かっこう不孝  (奈良県東吉野村)

 それはな、昔な、親不孝の子どもがおりましてんと。んだらな、お母さんがな、もう背中やな、痒(かい)て、痒て、痒て、痒て、かなんでんて。ほんで、な、
「ちょっと掻(か)いてくれんか。」
 ちゅうたらな、遊びに行てしもてな、
「帰って来たら掻いたるわ。」
 ちゅうて、遊びに行ってしもてな、ほで、掻かんで死んでんとう。私、親に、お母(か)んに聞いてんけどええ。ほたらな、その子ども、まあ、せんど遊んで帰って来たらな、ほたら、お母ん死んどってんと、な。ほんで、今の、「カッコウ、カッコウ」て鳴く鳥おりまっしゃろ。あれはな、今、親にな、「背中掻こ」って鳴くねんてな、私、親に、教(おせ)てもろたんで、親孝行にせなあかんね、言うてな。
(小川 大前スエノ)【「東吉野の民話」・東吉野村教育委員会】

閑古鳥(かんこどり) (奈良県奈良市)

 むかし、あるところに、たいへん親不孝のカッコードリがおったんやと。
 なんでもかんでも、父ちゃんのいうことにそむいて、いうことを聞かない。父ちゃんが怒って、
「お前のような者は、わしが死んでも、葬式をするにおよばん。川へでも流してくれ。」
 といったんやと。
「いや、山へ捨ててやるわい」
「それなら、山へ捨てておくれ」
「いや、川へ流してやるわい」
 というふうだったんや。
 ある晩、背中がかゆくなった父ちゃんが、
「背中をかいておくれ」
 といったが、どうしてもいやだといってかかなかったんやと。
 そのうちに、父ちゃんが死んでしもうた。
 そいで閑古鳥は、親不孝だった息子が、父ちゃんの背中を、
「カッコウ、カッコウ」
 と鳴きつづけているんだと。
(話 中尾新緑)【「奈良のむかし話」奈良のむかし話研究会編・日本標準発行】

カッコウ鳥  (奈良県)
 むかし、あるところに、父親とひとりのむす子がすんでいたんや。
 父親は「かいやまい」という、せなかがかゆくて、かゆくてたまらん病気にかかったんや。そやから、いつもむす子に、
「せなかをかいてくれ。せなかをかいてくれ。」
と、たのんでいたんや。
 ところが、むす子は、とても親不孝やったんで、父親がいくらたのんでもせなかをかいてやらなかったんや。
 とうとう親は「せなかかい、かいてくれ。」と言いもて死んでしまい、むす子は親死んでから、親不孝なことしたいうて、また後追うて死んでしもうたんや。
 ほんで、むす子は鳥になって、夏の夜の大空を、親をさがしながら、毎晩毎晩、のどから血を出すほどに、
「せなかかこう、せなかかこう。」
「カッコウ、カッコウ。」
と、声をかぎりになきつづけていたということや。
 一晩に、八千八言(はっせんやこと)、「カッコウ」というて、今でもないているということなんや。
(話者・今西伊聡、再話・高岡 進)【「奈良のむかし話」奈良のむかし話研究会編・日本標準発行】







カササギと七夕(出典不明・小学館NEO)

2018年05月13日 | 野鳥
カササギと七夕  (出典不明)

 日本の昔話には出てきませんが、中国では、カササギが幾羽にも連なり、七月七日の七夕の日、織姫と牽牛を天の川を渡って引き合わせる掛け橋の役割を果たすという伝説がたくさん残っています。
 この鳥が、際だって目立つ外観にもかかわらず、鳴き声は意外と地味で、極めておとなしい習性であり、かつ、一夫一婦制を終生守ると信じられていることから、幸せを呼ぶ天帝の使者とされたのではないかと思われます。中国の一部では、結婚式の飾りに、幸福のシンボルとしてこの鳥の模様が使われています。

 もとは、大陸から離れている日本には住んでいなかった鳥ですが、豊臣秀吉の「文禄・慶長の役」の際、佐賀藩主 鍋島直茂 が朝鮮半島より持ち帰ったとされています。今では、カササギは佐賀県の「県鳥」となっています。

【和歌】
 かささぎのわたせる橋におく霜の白きを見れば夜ぞふけにける 大伴家持

七夕ものがたり

 七夕の物語は、もともと海をへだてたとなりの国、中国に伝わる話です。これは、日本に伝わっている七夕のお話です。
 天帝(天の王様)には、おりひめ織姫というむすめがおりました。織姫はまじめで、名前のとおりはたお機織りが得意で、いつも天帝の着物を織っていました。
 織姫は毎日、機織りにいそがしくて、好きな人を見つけるひまもありません。かわいそうに思った天帝は、むすめに合う恋人を見つけてやろうと考えます。
 川の向こうに住む牛飼いのけんぎゅう牽牛は、まじめで気立てのよい青年でした。そこで、天帝はふたりを会わせてみることにしました。ふたりはたがいに気に入り、すぐに恋人どうしになりました。
 それからというもの、ふたりは毎日仲よくすごすようになりました。しかし、恋に夢中になりすぎて、仕事をなまけるようになります。天帝はおこって、天の川をはさんで、ふたりをはなればなれにしてしまいました。
 織姫は、牽牛と会えなくなったさびしさで、泣いてくらすようになりました。これを見た天帝はあまりにもかわいそうに思い、「七日に一日だけ会っていい」と伝言するように、カラスに言いました。
 ところが、カラスはまちがって、「七月七日にだけ会っていい」と伝えてしまいました。それで、ふたりは、一年に一日しか会えなくなってしまったのです。
 天の川をはさんでいるので、ふたりは川をわたって会いに行きます。しかし、雨がふると川の水が増え、わたれなくなってしまいます。すると、カササギが飛んできて橋をつくり、ふたりをわたしてあげます。ですから、ふたりは七月七日が来るのを待って、一年をすごすのです。
 織姫は夏の星座のこと座のベガ、牽牛はわし座のアルタイルという星とされています。この二つの星は、天の川をはさんだ所にあります。
 中国では、七月七日の夜に、織姫星にお酒や食べ物をささげ、女の子が習字やさいほうが上手になるようお祈りします。日本では、七世紀の終わりごろに中国からこの習慣が伝えられ、七夕のお祭りをするようになりました。(出典・・・小学館の図鑑NEO(ネオ)「星と星座」)



東南アジアのお話

 天の国からきたてんにょ天女が、泉で水浴びしているのを若者が見つけ、服(はごろも羽衣)をかくしてしまいました。天女は、羽衣がないために天に帰れず、若者の妻になります。
 ふたりの子が生まれました。あるとき天女は、夫がかくしておいた羽衣を見つけ、天に帰ってしまいます。
 夫とふたりの子どもは、天女に会いたくて、天女が天から下ろしたなわを伝って天にのぼ上っていきます。
 天女の父親は天帝で、権力者でした。人間の夫や子どもたちをよく思わない天帝は、無理難題を言いつけます。しかし、天女の助けで、夫はうまくこなしていきました。
 ところが、天帝が「ウリを切れ」と夫に命令したとき、天女はうっかり切り方を教えるのをわすれてしまいます。
 夫がウリを横にしてまん中から切ると、ウリから水があふれ出て天の川となり、天女と夫、子どもたちは、はなればなれになってしまいました。
 空に光るひこぼし彦星(アルタイル)と横の二星が夫と子ども、おりひめ織姫ぼし星(ベガ)が天女の姿なのです。(出典・・・小学館の図鑑NEO(ネオ)「星と星座」)