野鳥にまつわるお話

野鳥に関するいろいろな情報を個人的に調べ、掲載しています。

ウグイスの民話(日本のむかし話2話・山形県)

2017年09月17日 | 野鳥
ウグイスのほけきょう

 むかし、むかし、あるところに、わかいお百姓がありました。秋になって、稲のとりいれもすみましたので、江戸へでて、ひとかせぎしてこようとおもい、村をでてきました。三国峠という大きな峠にかかったとき、秋の日が、もう西へかたむき、峠のなかほどのお堂のまえにくると、すっかり、日がくれてしまいました。
「これはこまったことだ。これでは、とても、この大きな峠はこせない。」
と、とほうにくれておりますと、むこうの山に、かすかなあかりがひとつ、星のようにみえてきました。
 やれうれしやと、そのあかりをめあてに、ひとつの山をこえていきますと、なんとふしぎなことに、この山のなかには、めずらしい、りっぱな家がたっていました。トントン、トントンと、戸をたたいて、お百姓は声をかけました。
「もしもし、道にいきくれて、なんぎをしておる者でございます。どんなところでもよろしゅうございますから、今晩ひと晩、とめてくださいませんか。」
 すると、なかから、うつくしい女の人がでてきて、
「それは、さぞ、おこまりのことでございましょう。むさくるしいところではございますが、さあ、おあがりになって、えんりょなくおとまりください。」
 こんなに、しんせつにいってくれました。お百姓は、おおよろこびして、
「それでは。」
といって、上にあがり、とめてもらうことになりましたが、そのとおされたへやが、とてもりっぱなへやで、しかも、晩ごはんにといってだされたおぜんが、山のなかには、めずらしいごちそうばかりです。すっかり感心していると、女の人がでてきました。
「おまえさんは、これから、どこへいきなさるのですか。」
「はい、お江戸で、ひとかせぎしたいとおもいまして。」
すると、女の人が、
「ひとかせぎというのでしたら、わたしの、この家で、かせいでみたらどうですか。しごとといっても、るす番をするだけのことですが。」
と、いいました。そこで、お百姓は、どこでかせぐのもおなじこととおもいましたので、
「それでは、ひとつ、そう、おねがいいたします。」
と、その家ではたらくことになりました。
 さて、あくる朝のことです。女に人は、お百姓に馬の用意をさせて、馬にのってでていきました。そこには、うまやがあって、りっぱな馬が飼ってあったのです。ところが、でていくときになって、女の人がいいました。
「おなかがすいたら、おまえさんのたべたいとおもうものが、戸だなのなかにはいっていますからね、かってに、いくらでもたべてください。しかし、四つある倉のうち、いちばんおしまいの倉の戸だけは、けっして、あけてはいけませんよ。いいですか。」
「はい、いちばんしまいの倉は、けっして、あけはいたしません。」
 お百姓が、そういいますと、女の人はうれしそうに、にこにこして、でていったそうであります。ところが、昼ごろになって、お百姓は、おなかがすいてきましたので、
「ご主人は、戸だなのなかに、おまえさんのたべたいとおもうものが、はいっているからといわれたんだが、おれは、いま、おさとうのはいっている、あまい、おだんごをたべたいんだが─」
 そうおもいながら、戸だなの戸を、そっとあけてみました。と、おやおや、おどろかないではおれませんでした。だって、ちゃんと、そこに大きなさらがあって、できたての、ゆげのホヤホヤたっているキビだんごが、山もりおいてあったのです。
「すみません、すみません。ごちそうでございます。」
 お百姓は、まるで、そこに女の人でもいるように、お礼をいって、おだんごの大ざらをおしいただいて、戸だなからとりだしました。そして、このおいしい、あまいおだんごを、たらふくごちそうになりました。
 で、それからは、まい日、女主人がのっていく馬の用意をするばかりで、あとは、戸だなから、おいしいごちそうをとりだしてたべて、倉のなかなど、ひとつもみようとせず、忠実にるす番をいたしました。女主人は、朝でていって、晩になると、きまってかえってきました。まい日、すこしのかわりもなく、そうして、一年ばかりの月日がたちました。そこで、ある日のこと、お百姓が、女主人にいいました。
「これは、ながいあいだ、ごやっかいになりました。家のほうも心配になりますので、このへんで、おひまをいただきとうぞんじますが。」
 そうすると、女の人が、
「そうですか、いままで、なんともよくるす番をしてくれて、のこりおしゅうはおもうけれど、家が心配といえば、しかたがない。では、これは、ほんのお礼のしるしばかり。」
 そういって、お金のつつみと、白木綿を一反くれました。お百姓は、お礼をいって峠をくだり、国へかえってきました。家へつくと、いままでの話をして、おかみさんに白木綿をみせ、それから、お金のつつみをひらきました。ところが、ふしぎなことに、そこには、へんな形をした一文銭が、一枚はいっているきりでした。一文銭というのをしっていますか。それが十枚で一銭になるというお金で、むかしはあったのですが、いまはありません。とにかく、お金のなかでも、いちばんやすいお金です。ですから、お百姓は、びっくりしたり、ふしぎにおもったりしたのです。
 で、おかみさんに、
「どうしたというのだろう。おれは、一年も、まめにはたらいてきたんだよ。そのお礼に、一文ということは、どうも、あたりまえとはおもわれない。」
 そういってみましたが、おかみさんも、なんということもできません。それで、この一文銭をもって、庄屋さんに相談にいきました。庄屋さんというのは、むかしの村長さんです。庄屋さんは、その一文銭をみると、あっと、びっくりしていいました。
「いや、これはおどろいた。これは、ウグイスの一文銭といってね、この世にめずらしい宝物なんだよ。おまえさんが、一年や二年はたらいたって、とても、さずかるものではない。もし、かまわないなら、このおれに、千両で売ってくれないか。」
 これをきくと、お百姓は、またもや、おどろくやら、よろこぶやら、そして、庄屋さんにいいました。
「そうですか、ありがとうぞんじました。では、庄屋さん、どうか、千両でお買いください。」
 で、お百姓は、いちどに、たいへんにお金持ちとなりました。ところが、そのお百姓のおとなりに、よくばりのおやじがひとり、住んでおりました。これをきくと、おれもひとつ、その一文銭をもうけてこようと、三国峠をさしてでかけました。そして、このうつくしい女の人のいる一軒家をさがし、そこで、はたらかせてもらうことになりました。朝になると、女の人は、やはり、馬にのってでかけました。でかけるとき、お百姓にいったように、
「たべたいものは、戸だなのなかにありますよ。それから、四つの倉のうち、三つまではあけてよいが、おしまいの四つめの倉は、けっして、あけてはなりません。いいですか。」
 そう念をおして、でていきました。
 ところが、なにぶん、よくばりのおやじさんですから、戸だなのなかから、いろいろのごちそうを、おもうぞんぶんとりだしてたべましたが、それでも満足せず、倉のほうに、なにか、いい宝物でもありはしないかとかんがえました。それで、みてもいいといわれた、第一の倉をあけてみました。すると、そこには、べつに、なんという宝物はありませんでしたが、なかには、じつにいい、けしきがはいっていました。夏らしく、海には、波がたっていて、上を白いカモメがとんでいました。おやじさんは、これではつまらないと、つぎの倉をのぞいてみました。と、これも、けしきで、一本のカキの木があり、これに、赤いカキの実が、たくさんなっていました。そして、まわりにキクの花がさき、空に、ガンが、かぎになってとんでいました。
なあーんだ、これもつまらないというので、また、つぎの倉をひらきました。すると、これも、けしきで、ここには、雪がふっていて、雪の上を、ウサギなどがはねていました。これもつまらないというので、いよいよ、四つめの倉のまえに立ちました。ところが、これは、女の人が、けっして、あけてくれるなといった倉でした。だから、おやじさん、ちょっと、かんがえたのですけれども、あけてくれるな、といったところをみると、きっと、このなかにこそ、ほんとうの宝物が、どっさり、はいっているのにちがいない、そうかんがえ、あけたくてたまらなくなりました。で、ちょっとだけなら、わかりゃすまい、そうかんがえて、倉の戸を、ちょっとあけて、なかをのぞきました。
ところが、どうでしょう。そこには、一本のウメの木があって、花がうつくしくさいております。そして、その枝に、一羽のウグイスがとまっていて、ホウ、ホケキョウ、ホウ、ホケキョウと、うつくしい声で鳴いていました。で、おやじさんは、がっかりして、こんなものをみるなといったのは、いったい、どうしたことなんだろうと、また、倉の戸をしめようとしますと、はっと、この倉も、それから、そこにあった家も、なにもかも、いちどになくなって、じぶんも、さみしい山のなかに立っていました。
「おやおや、おや。」
と、びっくりして、夢でもみたのかと、あたりをみまわしました。と、そばで、女主人の声がしました。
「おまえさんは、なんと、たいへんなことをしてくれたんだ。四つめの倉は、あれほど、あけてくれるなとたのんでおいたではないか。わたしは、じつをいえば、千年の年をかさねたウグイスなんです。千年のあいだに、山、谷をめぐって、まい日まい日、ほけきょうという、とうといお経を読みためてきて、それを、あの倉のなかにしまってあった。それが、おまえのおかげで、みんな外にでて、どことなくきえていってしまった。ざんねんだがしかたがない。そのかわり、おまえさんのかえり道も、かいもく、わからなくなってしまったよ。」
 おやじさんは、おどろいて、身のまわりをみまわしたが、まったく、どこを、どういって家へかえっていいのか、さっぱりわからない山のなかでありました。

【新版『日本のむかし話 5』 坪田譲治 偕成社文庫】


ウグイスの宿 (山形県のむかし話)

 むかし、若いおしょうさんが、
「この世のどこかに、ありがたいお経の本がないものか。」
と、あっちこっちさがしてあるいて、旅をしていた。
 ある春のこと。
 まだあちこちに雪がのこっている山の中で、日がくれてしまった。
「ああ、さむい。どこかとまるところがないものか。」
と見わたすと、むこうのほうに、ちらちらと、小さいあかりが見えた。
「これは、ほとけさまのおたすけにちがいない。ありがたい、ありがたい。」
と、いそいで行ってみると、一軒家に、むすめがひとりすんでおった。
 さむさにふるえているおしょうさんを見て、むすめはひと晩とめてくれることになった。
 あくる朝、そのむすめが、
「おしょうさま、おたのみがございます。。わたしはこれから、ちょっとでかけたいので、どうか一日、るすばんをしていただけませんか。たべものは、こまらないようにしておきますから。」
というので、おしょうさんは、
「はい、いいですよ。いそぐ旅ではありませんから。」
と、るすばんをひきうけてやった。
 するとむすめは、
「るすばんはたいくつでしょうから、うしろの庭にある十二の倉に、じゅんじゅんにはいって、あそんでいってください。それでも、十二番目の倉だけは、けっして見ないでくださいよ。まだなにもいれていませんから。」
というて、でかけていった。
 おしょうさんはひとりになると、たいくつなので、さいしょの倉をあけて見た。
「あれ、これは。」
 なんとそこには、にぎやかな町があって、ちょうどお正月のけしきだった。
 店では初売りで、大ぜいの人が買いものをしておったが、おしょうさんを見つけた人たちは、
「わたしの家で、お酒をのんでおくれ。」
とひっぱって、お酒をごちそうしてくれた。
 つぎの倉は二月だった。
 おいなりさまのおまつりで、赤い旗がひらひら、たいこがてんてん。
「ここははつうま初午(二月になって最初の午の日に行なわれるいなり神社のまつり)か。こんなににぎやかなおまつりでは、ことしもお米がたんととれるぞ。」
と、ながめながら、つぎの倉にはいったら、そこは三月のお節句だった。
 モモの花がさいて、とってもいいお天気。女の子たちは、きれいな着物をきて、おひなさまの前で、白酒をのんでおった。おしょうさんも白酒をよばれた。
 つぎの倉は四月。倉の中はサクラの花ざかり。村の人たちは花見酒にようて、歌をうたって、うかれておった。
 おしょうさんも、いっしょにおどった。
 つぎの倉は五月。
 馬を使って田の土をこねたり、ならしたり、おとなも子どもも、大ぜいで田植えをしておった。おしょうさんは、
「わしだけあそんでいて、はずかしい。」
と、つぎの倉にはいっていった。
 ここは六月。
 カイコのクワ取りや、田の草取りで、ここもお百姓たちが、いそがしがっているので、いそいでつぎの倉に。
 そこは七月で、子どもたちは七夕さまの星まつりをしたり、お盆で、ほとけさまのむかえ火をたいたりしていたから、おしょうさんは、お経を読んで家々をまわり、はらいっぱいごちそうになった。
 つぎの倉は八月。子どもたちは、お月様におそなえをして、おがんでおった。
 あまりいいお月夜なので、おしょうさんも、おそなえの前にすわりこみ、子どもたちといっしょに、お月見しておった。
「こんなにしてあそんでいるうちに、すっかり秋になってしまうぞ。」
 おしょうさんは、いそいでつぎの倉にはいってみると、そこは九月。どこの村もイネかりで、男の人も女の人も、お年寄りまでいそがしそうだった。
「はやくかりあげて、秋まつりしような。」
 みんながせっせとはたらいているので、おしょうさんは、じゃまをしてはすまないと、つぎの倉にいった。
 ここは十月で、にぎやかな秋まつり。
「わっしょい、わっしょい。」
 あっちの町でも、こっちの村でも、子どもたちが元気よく、おみこしをかついでおった。
 のぼりの旗が、まっさおにすんだ秋の風にはためき、その下を、赤トンボが、すいすい飛んでおった。
 秋まつりがすめば、もう冬がやってくる。
 つぎの倉は、冬のじゅんびだった。
 ダイコンをのき下にさげたり、雪の多いところでは、雪がこいをしていたし、だれもかれも、ながい冬ごもりのしたくで、いそがしがっていた。
 山の方に、もうぽつぽつ、雪がふりだしていたから、十一月だ。
「とうとう、冬になってしまったか。」
 おしょうさんは、つぎの倉にはいってみようと手をかけた。
「あ、ここはおわりの倉か。おわりの倉だけは、けっして見るなって、いわれたっけなあ。」
 おしょうさんは、あわてて手をひっこめた。
「でも、どうしてこの倉だけは、見ちゃならんのかなあ。」
 おしょうさんは、ふしぎでならん。
「見てはならんというておったが、どうしてかな。ひょっとすると、ほかよりもっとおもしろい倉かもしれん。」
 おしょうさんは、見たくてしょうがなくなった。そして、すこし戸をあけてみた。
「ありゃ、これは……。」
 倉の中から、どおっと、なだれのように、ふぶきがおしよせてきて、おしょうさんは、雪の中にうずまってしまった。
 そこへ、宿をかしてくれたむすめが出てきて、
「おしょうさま、ここだけは、けっして見るなって、あれほど言ったのに。わたしはもうすこしすると、『ウグイスのまき』というお経をかきあげて、こまっている人をすくうことができたのに、ああ、なんとくやしいこと。いままで、なんぎして書きためたお経が、みな、ふぶきに飛ばされてしまいました。」
と、しくしく泣きだした。
 おしょうさんは、なんと言ったらよいか、おろおろしていたが、そのうち、むすめも倉も家も、ぼおっと消えて、かわいらしい小さなウグイスが、
「ホウ、ホケキョ。」
と、ひと声鳴いて、空高く飛んでいってしまったそうな。
 おしょうさんは、林の中に、いつまでもぼんやりと立っておったと。
〔再話・佐藤義則〕
【『ふるさとの民話 4 山形県』 日本児童文学者協会編 偕成社】

見るなの部屋 (日本の昔話より)

 むかしむかし、あるところに、一軒のお茶屋がありました。
 そのお茶屋に、ある日からきれいな娘が、毎朝のようにお茶を買いに来ます。
「この辺りでは見かけない娘だが、どこから来るのだろう?」
 ある日、不思議に思った番頭が、こっそりと娘の後をつけてみました。
 すると娘は村を通り抜けて、どんどん林の中へと進んで行きます。
「こんな所に、人の住む家はないはずだ。・・・こいつは怪しいぞ」
 ところがしばらく歩いていくと、目の前に見事な御殿がたっているではありませんか。
「こいつは驚いた。こんな所にこんな立派な屋敷が」
 番頭が御殿に見とれているすきに、娘の姿が消えてしまいました。
「はて、どこへ行ったのだろう? 中に入ったのかな」
 番頭は思いきって門を開けると、庭に入っていきました。
 すると広い座敷にあの娘が座っていて、一人でお茶を飲んでいたのです。
 番頭に気づいた娘は、にっこり笑って言いました。
「番頭さん、よくおいでになりました。さあどうぞ、おあがりください」
「いや、その。・・・それでは失礼して」
 今さら逃げ出すわけにはいきません。
 番頭は娘にすすめられるまま、座敷にあがりました。
「いつも、おいしいお茶をありがとう。今日は、ゆっくりしていって下さいな」
 娘は、お茶と一緒にお菓子やお餅を出しました。
「どうぞ、召しあがれ」
 見れば見るほどきれいな娘で、こんな娘が、どうしてこんな所にいるのか不思議でなりません。
「番頭さん。せっかくおいでになったのに、申しわけありませんが、どうしても出かけなくてはなりません。よかったらわたしが戻るまで、ここで待っていてもらえませんか?」
 それを聞くと、番頭は店の事も忘れて言いました。
「どうぞ、どうぞ。わたしが留守番をしていますから、遠慮なく」
「それでは、ゆっくりしていってください。ただし、お願いがあります。どんな事があっても、この部屋以外は、のぞかないようにしてほしいのです」
「わかりました。よそさまの家を勝手に歩きまわる様な事はいたしません」
「ありがとう」
 娘はうなずくと、一人で御殿を出て行きました。
 番頭はしばらくの間、庭を見たり座敷で寝そべったりしていましたが、退屈なので他の部屋をのぞきたくなりました。
 それに、『のぞくな』と言われたら、よけいのぞきたくなるのが人間です。
「少しぐらいなら、いいだろう」
 そこでまず、番頭は隣の部屋を開けて見ました。
 するとそこは何とお正月の部屋で、床の間には松竹梅をかざり、鏡餅やお正月のお供え物が供えてあるのです。
 しかも驚いた事に、赤い着物を着た子どもが輪になって甘酒を飲んでいました。
 しかも子どもたちは、だれも番頭に気づきません。
「はて、わしの姿が見えないのだろうか?」
 番頭は不思議に思いながらも、次の部屋を開けてみました。
 そこは二月の部屋で、赤い鳥居が並んでいます。
 どこから現れるのか、初午参りの人が次々とやって来ます。
 それに色々な店も出ていて、とても賑やかです。
 その次は三月の部屋で、ひな人形がきれいに飾ってあって、ぼんぼりの明かりがゆれています。
 次は四月の部屋で、花御堂があって、お釈迦さまが立っています。
 もちろん、甘茶も用意してあります。
 次は五月の部屋で、部屋中に鯉のぼりがあって、正面にはよろいかぶとの武者人形が座っています。
 おいしそうなちまきやかしわ餅も、たくさん置いてあります。
 次は六月の部屋で、子どもの歯が丈夫になりますようにと、頭にはちまきをした人たちが、歯がための餅を作っています。
 次は七月の部屋で、短冊をつけた笹竹の前では、ゆかたを着た子どもたちが七夕の唄を歌っています。
 次は八月の部屋で、すすきや秋の七草がかざってあり、三宝には、お月見団子が積んであります。
 その横では、里芋を食べながら酒を飲んでいる人もいます。
 次は九月の部屋で、見渡す限り稲田で、お百姓たちが忙しそうに稲を刈っています。
 次は十月の部屋で、遠くに見える山々の色づいた葉が、ひらひらと風に舞っています。
 次は十一月の部屋で、白い雪がちらちらと降っていて、鮭なべを囲んだ人たちが、美味しそうに鮭なべを食べています。
 次は十二月の部屋で、どの家でも餅つきの真っ最中です。
 子どもたちは、こたつに集まって、おばあさんのむかし話を聞いています。
「ああ、わしのばあさんも、達者でいるだろうか」
 番頭が、思わずしんみりとなりました。
 するとふいに、
 ♪ホーホケキョ。
と、うぐいすが鳴きました。
 はっとしてあたりを見たら、そこは御殿どころか、何もない深い山の中でした。

 その後、番頭は何度も山にやってきましたが、ついにあの娘の御殿を見つける事が出来ず、あの娘は二度とお茶屋に姿を見せなくなったという事です。 おしまい

お嫁さんになれなかったウグイス(静岡県の民話)

 むかしむかし、とても美しい娘さんが、毎日のように村へやってきました。どこから何をしにくるのか、だれもわかりません。でも、今まで見たこともないくらい、美しい娘さんです。
「なんてきれいな娘だ。あの娘の婿になりたいな」
 村の男たちは、みんなうっとりして娘さんを見つめました。
 そして一人の男が、
「おら、何としても、娘の婿になってやるぞ!」
と、ある日、娘さんのあとをつけていったのです。
 そうとは知らない娘さんは、村を出るとどんどん山の方へ行きます。
(はて、どこまで行くのやら?)
 男が不思議に思いながらもついていくと、山の中に立派な屋敷があり、娘さんはその中へ入っていきました。男も急いで、屋敷に飛び込みました。
(おや、だれもいないのかな?)
 男がキョロキョロしていると、さっきの娘さんが出てきていいました。
「何か、ご用ですか?」
「頼む! 何でもいう事を聞くから、おらをあんたの婿にしてくれ!」
 すると娘さんは、にっこり笑って言いました。
「わたしは、この屋敷に一人で住んでいます。もし、婿になりたかったら、三年の間、わたしのいるところを見ないで働いてください」
「わかった、約束する」
 男は喜んで、さっそくこの屋敷で働くことにしました。
 でも娘さんは、奥の部屋にこもったきり二度と姿を見せません。まきをわったり、水をくんだりと、男は毎日一生懸命働きましたが、さみしくてたまりません。それでもがまんして、がんばりました。そしていよいよ、あと六十日ほどで三年になるという時、男はどうしても娘さんを見たくなりました。
(たったひと目、ひと目だけなら大丈夫だろう)
 男は、こっそり娘さんのいる奥の部屋に行きました。
 部屋の前に立つと、中から静かにお経を読む娘さんの声が聞こえてきます。
(お経か? どうしてお経なんか読むのかな? まあいい)
 男はどきどきしながら、ふすまを少し開けて、そっと中をのぞいてみました。
 すると、娘さんは大きな三方の上にすわって、一心にお経を読んでいました。三方というのは、おもちやおそなえものをのせる台です。
 部屋の中だというのに、娘さんのとなりには梅の木が立っていて、美しい花が咲いていました。
 男はびっくりしてふすまを閉めようとすると、それに気づいた娘さんが、急に泣き出しました。
 男はあわてて、娘さんのそばへ行きました。
「かんべんしてくれ。ただ、あなたをひと目見たくて」
 すると娘さんは、涙をこぼしながら言いました。
「わたしはウグイスです。あと六十日で一緒になれるというのに、どうして約束を守ってくれなかったのです。このお経を読んでしまわないうちに、人に姿を見られては、もう人間になることは出来ません」
 そのとたん娘さんが飛び上がり、男は気を失ってしまいました。
 しばらくして男が目を開けると、娘さんの姿も屋敷もなく、山の中に一人でぽつんと座っていました。男のそばには古い梅の木があり、花の咲いた枝の上で一羽のウグイスが鳴いていました。 おしまい
福娘童話集「366日の昔話・2009年3月23日の新作昔話」


アカショウビンの民話(奈良県・埼玉県)

2017年09月17日 | 野鳥
ミズヒョロヒョロ (奈良県)

 むかしか、ミズヒョロヒョロちゅう鳥がおってな。この鳥は、いつも頭にかんざしをさしたり、紅をつけたり、けしょうばかりしとんねって。
 ほいで、親が病気になってねとっても、ちいとも親の世話をせなんだんや。
 ある時にな、親が水をのみたがってな、子に、
「水をくんできてくれんか。」
て、たのんだんや。ほいで、子は水をくみに行ったんやけど、水に自分のすがたがうつっているのを見つけてな、長いこと川ばたで、自分のすがたに見とれとったんや。やっと、
「そやった。水くんで、はよ帰らな。」
て、思い出して、急いで親のねている所へ帰ったんや。けども、親の死にめに間に合わず、くんできた水をのませてやることができなんだと。
 ほいで、親不孝な鳥やゆうてな、そのばつで、ミズヒョロヒョロは、今でも水がなかなかのめんのや。上で水の音がするさかい、上へ行けば、下で水の音がするし、下で水の音がするさかいに思うて、下に行けば、ほたら、上で水の音がするしな。
 こっちへ行ったら、あっちで水の音がするし、あっちへ行ったら、こっちで水の音がしてな。ほいで、いくら飛んでも、どこへ飛んでもな、水のある所へは行けんのや。
 雨が十日ふってもな、雨つぶ三つぶしか口に入らなんで、水をほしがって、
「ミズヒョロ、ミズヒョロ」
ゆうてな飛んどるのや。ほいで、いつでも、のどがやけてあこうなっとるのやと。
〈話者・大和末子、再話・恒岡宗司〉
  注※ ミズヒョロヒョロ=アカショウビンのことで、火のようなまっかな鳥である。
【「奈良のむかし話」奈良のむかし話研究会編、日本標準発行】


水乞鳥の不孝 (埼玉県)

 むかし、むかしのこと。
 あるところに、お母さんとその子どもの男の子が、ふたりして暮らしておったと。
 お母さんは子どもを、たいへんに可愛がっておりましたが、子どものほうはまるでお母さんのいうことなどは、聞きません。そのためにお母さんは、とうとう病気になってしまいました。そして、ある時のこと、
「咽がかわくんで、水をいっぱいおくれ。」
といいましたが、子どもは前の川まで、水をくみにいくのがめんどうなので、いろりのもえさしを、一ぽんぬいてやりました。
 それを見て、お母さんは急に死んでしまいましたので、子どもはびっくりして、鳥に生まれかわってしまいました。そして、それからはお母さんの墓場の木の枝に、くちばしから尻までまっ赤な鳥が、いつまでも止まるようになりました。
 鳥になった男の子は、咽がかわくので、谷川へおりて水を飲もうとしますと、じぶんの影が赤く水にうつって、これが火のもえているように見えるので、
「ウワーッ、これはおそろしい火だ。」
といって、どうしても水が飲めません。
 そこで、雨がふると、木の葉にやどった露をすって、やっと咽をうるおし、空にむかっていつも、「降れ、降れ、降れ、降れ。」
と鳴いては、雨を呼んでいました。
 だから、里の人たちも、この鳥がしきりに鳴きはじめると、
「これは近いうちに、雨が降るぞ。きょうは水乞鳥が、あんなに鳴くでなあ。」
といって、話しあっているんだってさ。
 そして、この鳥のことを、「みやましょうびん」とも、いっているんだそうな。

※この発端は「時鳥の兄弟」「雀の孝行」につづくものや、「糠福米福」式のものに、つづくものもある。鳥獣への転生思想は、仏教思想に基づいたもので、この鳥の名も「水乞鳥」のほかに、「地獄鳥」「時鳥」「芋ほり鳥」などとも呼んでいる。

アオバトの民話(秋田県・遠野物語)

2017年09月17日 | 野鳥
アオバトの民話 (秋田県)

 昔々、ある長者の家に働き者の牧童がいました。朝早く山に馬を連れて行き、夕方には長者の屋敷に帰ってくるという真面目な仕事ぶりが際立っていました。
 しかし、ある日のことです。「アオ」と呼ぶ青毛の馬が見えなくなってしまいました。「アオ」は、長者がとても大切にしていた馬だったので、牧童は狂ったように「アオー、アオー・・・」と叫びながら探し回りました。身体は傷だらけです・・・。そのうち責任感の強かった牧童は力尽きて倒れてしまい、彼の魂は「マオウドリ(魔王鳥)」になって「アオー、アオー・・・」と今でも探し続けているのです。

 これは、秋田県に伝わる民話ですが、「アオー、アオー・・・」と鳴く鳥、こ
れが「アオバト」だというのです。秋田地方では、アオバトが鳴く時期がちょうど田植えの時期にあたり、田掻きに使った「馬」を山の放牧場に連れて行く時期と一致するので生まれた民話だろうと言われています。
 さて、諺に、「マオが鳴くと必ず天気が悪くなる」と言うのがあります。この「マオ」と言うのが「アオバト」のことで、鳴き声は、「アオアーアオー・・・」とか「アオーオー・・・」「ワオーワオー・・・」などと、寂しげに鳴くので「マオウドリ」などと呼ばれてきたのです。
 「マオが鳴くと必ず天気が悪くなる」と言うのは、青森県・愛媛県・大分県などに残っていて、和歌山県では「雨が降るから青鳩を鳴かすな」と伝承されています。
 この時期が「梅雨」に入るころなので、「アオバト」も良く鳴くのです。
【「蝶・チョウ・ゆっくり歩き」ホームページより】

アオバトの話 『遠野物語』

 馬追鳥は時鳥に似て少し大きく、羽の色は赤に茶を帯び、肩には馬の綱のやうなる縞あり。胸のあたりにクツゴコのやうなるかたあり。これも或長者が家の奉公人、山へ馬を放しに行き、家に帰らんとするに一匹不足せり。夜通し之を求めあるきしが終に此鳥となる。アーホー、アーホーと啼くは此地方にて野に居る馬を追ふ聲なり。年により馬追鳥里に来て啼くことあるは飢饉の前兆なり。深山には常に住みて啼く聲を聞くなり。

 昔、山へ木を伐りに行った夫が、道に迷ったか、木に打たれたかして帰らないので、哀れな妻が泣き泣き山を探し歩いて、ついに死んでしまった。それを可哀想に思って神様が鳥にしたので、今も青鳩の姿をして山の中を泣きながら探しているのであるという。

「アーホー、アーホー」という鳴き声を「野に居る馬を追ふ聲」に聞きなすことによって、馬放し(馬飼い)の奉公人の死と「馬+追ひ+鳥」という鳥の名との繋がりを緊密にした伝承に仕立てられている。その馬追鳥は、高橋喜平や武藤鉄城がいうように、アオバト(緑鳩/青鳩)を指しているとみて間違いない。アオバトは、種子島以北の日本列島全体の山林地帯に広く棲息する。また、武藤鉄城によれば、馬追鳥のほか、マオー・アオー・オエオ・魔王鳥などの別名を持つといい、それらはいずれもアオバトの鳴き声によって命名されていることがわかる。
 そして実は、このアオバトの由来譚は東北地方の一部に濃密に伝承され、一方で、アイヌにもアオバトを語る神謡(カムイユカラ)が伝えられているのである。