コノハズクになった子ども 【アイヌの民話】
※小鳥前生譚と呼ばれる話で、人の魂が小鳥になったという一話である。
「トーキット、トーキット」って、今ごろだったかなあ。よく鳴くの。その小鳥の神さまは、どうしてだか「トキット、トキット」って、かわいそうに、悲しくなるような声をだして、大きい鳥なんだか小さい鳥なんだか。かわいそうに、声を聞いていたら悲しくなる。
「おばあちゃん、なんていう鳥?大きい鳥?小さな鳥?」と聞いたら、
「あれは大きい鳥じゃなくて、スズメよりちょっと大きいかスズメくらいの鳥の神さまだよ。お母さんもお父さんもいない子が、おばあちゃんにおぶわれて育てられて、物心がついてからは水くみもして、おばあちゃんはすわって、その子がおばあちゃんの世話をしていたのに、おばあちゃんがとつぜん死んでしまったんだ。
それから『フチ(おばあちゃん)、フチ』といいながら泣きつづけて、とうとう死んでしまった女の子だか男の子なんだよ。おばあちゃんを恋しがって、食べることもしないで『フチ、フチ』といいながら泣いて泣いて、とうとう涙で死んだんだ。
これからおばあちゃん孝行しようと思っていた子だったのに、おばあちゃんが急に死んでしまったあとに、恋しがって泣いてばかりいて、とうとうそのために死んだんだから、神さまに鳥にしてもらったの。ぜったい親不孝するな、親不孝は恐ろしいものにされるんだからって、そういう声を出して、聞けば人が恋しくなる声をして、鳴き声を人も聞き、神さまも聞くことができるようにって、今のトキット(コノハズク)という小鳥にしてもらったんだよ」
「トキット、トキット、フチトット(おばあちゃんおっぱい)、トキット、フチトット、トキット、フチトット」
ほんとに聞いていたら涙がでるくらい悲しい声だよ。
(話者・・・北海道静内町・織田ステ)
夫鳥(コノハズク)の話
『遠野物語』の中から一つの話をとりあげる。それは小鳥前生譚と呼ばれる話で、人の魂が小鳥になったという、起源神話のうちの一話である。
山には様々の鳥住めど、最も寂しき声の鳥はオツト鳥なり。夏の夜中に啼く。浜の大槌より駄賃附の者など峠を越え来れば、遥に谷底にて其声を聞くと云へり。
昔ある長者の娘あり。又ある長者の男の子と親しみ、山に行きて遊びしに、男見
えずなりたり。夕暮になり夜になるまで探しあるきしが、之を見つくることを得ず
して、終に此鳥になりたりと云ふ。
「オツトーン、オツトーン」と云ふは夫のことなり。末の方かすれてあはれなる鳴声なり。(五一話)
ある所に若夫婦があった。ある日二人で打揃うて奥山へ蕨採りに行った。蕨を採っているうちに、いつの間にか二人は別れ別れになって、互に姿を見失ってしまった。若妻は驚き悲しんで山中を、「オットウ(夫)、オットウ」と呼び歩いているうちにとうとう死んで、あのオットウ鳥になった。(以下、省略)
※小鳥前生譚と呼ばれる話で、人の魂が小鳥になったという一話である。
「トーキット、トーキット」って、今ごろだったかなあ。よく鳴くの。その小鳥の神さまは、どうしてだか「トキット、トキット」って、かわいそうに、悲しくなるような声をだして、大きい鳥なんだか小さい鳥なんだか。かわいそうに、声を聞いていたら悲しくなる。
「おばあちゃん、なんていう鳥?大きい鳥?小さな鳥?」と聞いたら、
「あれは大きい鳥じゃなくて、スズメよりちょっと大きいかスズメくらいの鳥の神さまだよ。お母さんもお父さんもいない子が、おばあちゃんにおぶわれて育てられて、物心がついてからは水くみもして、おばあちゃんはすわって、その子がおばあちゃんの世話をしていたのに、おばあちゃんがとつぜん死んでしまったんだ。
それから『フチ(おばあちゃん)、フチ』といいながら泣きつづけて、とうとう死んでしまった女の子だか男の子なんだよ。おばあちゃんを恋しがって、食べることもしないで『フチ、フチ』といいながら泣いて泣いて、とうとう涙で死んだんだ。
これからおばあちゃん孝行しようと思っていた子だったのに、おばあちゃんが急に死んでしまったあとに、恋しがって泣いてばかりいて、とうとうそのために死んだんだから、神さまに鳥にしてもらったの。ぜったい親不孝するな、親不孝は恐ろしいものにされるんだからって、そういう声を出して、聞けば人が恋しくなる声をして、鳴き声を人も聞き、神さまも聞くことができるようにって、今のトキット(コノハズク)という小鳥にしてもらったんだよ」
「トキット、トキット、フチトット(おばあちゃんおっぱい)、トキット、フチトット、トキット、フチトット」
ほんとに聞いていたら涙がでるくらい悲しい声だよ。
(話者・・・北海道静内町・織田ステ)
夫鳥(コノハズク)の話
『遠野物語』の中から一つの話をとりあげる。それは小鳥前生譚と呼ばれる話で、人の魂が小鳥になったという、起源神話のうちの一話である。
山には様々の鳥住めど、最も寂しき声の鳥はオツト鳥なり。夏の夜中に啼く。浜の大槌より駄賃附の者など峠を越え来れば、遥に谷底にて其声を聞くと云へり。
昔ある長者の娘あり。又ある長者の男の子と親しみ、山に行きて遊びしに、男見
えずなりたり。夕暮になり夜になるまで探しあるきしが、之を見つくることを得ず
して、終に此鳥になりたりと云ふ。
「オツトーン、オツトーン」と云ふは夫のことなり。末の方かすれてあはれなる鳴声なり。(五一話)
ある所に若夫婦があった。ある日二人で打揃うて奥山へ蕨採りに行った。蕨を採っているうちに、いつの間にか二人は別れ別れになって、互に姿を見失ってしまった。若妻は驚き悲しんで山中を、「オットウ(夫)、オットウ」と呼び歩いているうちにとうとう死んで、あのオットウ鳥になった。(以下、省略)